8 / 9
第八話 九条家の陰謀
しおりを挟む目が覚めると、煌大は深い森の中にいた。
上半身を起こして、まだぼんやりとする頭を軽く振る。
(なんで俺、こんなところにいるんだ……?)
思い返してみても、高俊の別邸で月を眺めていたことしか思い出せない。
多少酒は飲んだが、あの程度の量を飲んだところで酔っぱらう煌大ではない。
(そうだ。なぜか、耐えがたい眠気を覚えて……)
目が覚めてみたら、うっそうと木々が多い茂る森の中にいたのだ。
「やっと起きたか。まぁ、そうじゃないとつまらないからな」
声がした方へ弾かれたように顔を向けると、木々の合間から差し込む月光に照らされて見知った顔の男が立っていた。
九条高俊だ。
高俊は、うっすらと冷たい笑みを浮かべて煌大を見下ろしていた。
その目にはいつもの親しげな様子はなく、かわりにいまは軽蔑したような色が浮かんでいた。
「……お前、俺に何か盛ったのか?」
何かの間違いであってほしいと心の中で願いながら尋ねる煌大だったが、期待を裏切るように高俊はくつくつと楽しそうに笑った。
「睡眠薬だよ。お前はもうすこし他人を警戒することを覚えなきゃな。どんな状況であっても毒見をつけるようにしないとダメだろ。とはいえ、もう手遅れかもしれないけどな」
その態度は、煌大の知っている従兄とはまるで別人のようだった。煌大の良く知る従兄と同じ姿かたちなのに、中に別人が乗り移ったような錯覚をおぼえる。しかし、これが奴の本性だったのだろうと思い直した。
それにいままで気づかず、のこのこと一人で誘いにのってしまった自分のうかつさに腹が立つ。
「なぜ、こんなことをする」
唸るように尋ねる煌大を、高俊はハッと嘲笑った。
「なぜ? なぜと問うか。こんな状況になってまで、おめでたいな。お前を亡き者にするために決まってるだろう。お前は私の別邸から帰る途中に、不幸にも強大で邪悪な妖《あやかし》どもに遭遇して命を落とすことになるんだよ。可哀そうになぁ」
「強大で邪悪な妖?」
煌大はゆっくりと立ち上がる。薬の影響か、まだ少し足に力が入りにくいが問題はないだろう。
高俊は、ジャケットの内側に手を入れると、二枚の紙を取り出した。
陰陽術で使われる符とは違う、正方形の紙だ。
そこには何やら円形の魔法陣らしきものが描かれていた。
「舶来品はいいな。便利なものが多い。これもそうだよ。西洋魔術というやつだ」
高俊は手に持った紙を自身の左右に撒くと、何やら外国語のようなものブツブツと唱えはじめた。すると、地面に落ちた紙の魔法陣からむくむくと黒い煙のようなものが立ち昇りだす。
煙は高俊の背よりも高く昇って柱のようにまとまると、その中から黒くて巨大な躯体が出現した。
ヒグマのような大きな身体に、狼のような顔がついている化け物が二体、高俊の左右に現れたのだ。
化け物は大きく息を吸い込むと、遠吠えのような不吉な雄たけびをあげる。
煌大はすぐさま後ろに跳んで彼らから距離をとる。咄嗟に左腰を触るが、そこには外出時にいつもぶら下げている軍刀はなかった。気を失っている間に、高俊に取り上げられたのだろう。
「ちっ」
舌打ちをする。これでは、戦う術がない。煌大も術を使うが、煌大の術は身体強化に特化している。術そのもので攻撃することはできないのだ。
二体の化け物を従えて、高俊は楽しくてたまらないと言った様子で語りだした。
「こいつらはワーウルフというんだ。可愛いだろう? 月の光を受けて、力を増すそうだよ。もうすぐ、皇帝は亡くなる。そうなれば次の後継者争いが始まるのは間違いない。だから、私は為光《ためみつ》様の側につくことに決めたんだ。為光さまの即位には、お前の存在が邪魔になるからな。邪魔なお前を始末したとなれば、為光派の中で私の地位は約束されたようなものだ」
四条為光。煌大の腹違いの兄であり、皇帝の長男だ。
華族や高級官僚の間で、為光の側につくか、煌大の側につくか、というゆるやかな派閥のようなものの兆しがあることは煌大自身も気づいてはいた。しかし、皇帝はまだ五十代。引退には程遠く、いずれは皇帝自ら後継者を指名するだろうと考えて、煌大はあまり大事《おおごと》には捉えていなかった。
しかし高俊の口ぶりからすると、皇帝の失脚か暗殺すら企んでいるようにうかがえる。
ワーウルフどもは歯茎をまくって、グルルルルと不気味な唸り声をあげていた。黄色く濁った瞳を爛々とさせて獲物を見る目で煌大を睨む。鋭く大きな犬歯の生えた口からは、よだれがぼたぼたと落ちて地面に染みをつくっていた。
「お前、正気か……?」
会話を続けながら、煌大はズボンのポケットをまさぐる。幸い、その中のものまでは没収されなかったようだ。凶器の類ではないから見逃されたのだろう。それは、いざというときのために常にポケットに入れておいたものだった。
「煌大。知っていたか? 私はお前が大っ嫌いなんだよ。何をさせても優秀で、簡単に私を超えていくお前が憎くてたまらなかった」
「そうか。俺は別にお前と競う意識は微塵もなかったがな。お前のそんな感情に気づいたこともなかった……」
その言葉が、高俊のプライドをえぐったようだった。彼は、ぎっと顔を歪めると忌々しそうに叫んだ。
「お前のそういう優等生ぶったところが、一番嫌いなんだよ! ワーウルフども、奴を八つ裂きにしてしまえ!」
高俊が叫ぶとともに右手を横にふると、二体のワーウルフたちが待ちかねた様子で飛び掛かってきた。
そいつらの顔に向かって、煌大はズボンのポケットに入れていたものを力いっぱい投げつける。
キャウンと悲鳴をあげて、ワーウルフどもがひるむのがわかった。
投げつけたのはコショウだ。ほんのわずかな時間稼ぎにしかならないだろうが、それでもよかった。煌大はワーウルフどもがコショウを振り落とそうと首を激しく振っている隙に、全速力で逃げ出す。
後ろからは、高俊の高笑いが聞こえた。
「アハハハハ。さすがのお前も武器がなければその程度しかできないか。いいざまだな。そいつらは鼻が利く。逃げきれるはずがないだろう」
煌大は森の中を走る。走りながら、自らの両足に術をかけた。
これで常人よりははるかに速く走れるだろう。
だが、あんな化け物どもから逃げ切れるだろうか。
(絶望的だよな……)
相手は外見からして犬のような嗅覚と、熊のような機動力をもっているのだろう。体力だって人間を遥かに超えているにちがいない。
敵わないのは明らかだった。
でも、敵わないとわかっていても、逃げないわけにはいかなかった。
(帰ると、約束したからな)
夕方、自宅を出るときに見送りに来てくれた未世の顔が脳裏に浮かぶ。
つい数時間前の光景なのに、酷く懐かしく想えた。
彼女の元に帰りたい。その一心で、煌大は逃げ続ける。
しかし、ワーウルフたちとの距離は徐々に縮まり、一体があり得ない跳躍力で煌大の背中に飛び掛かってきた。
気配を感じてとっさに横に転がり、ぎりぎりのところで避ける。
すぐさま立ち上がろうとしたが、転がったときに変にひねったのだろう。足首に激痛が走った。
「っつ……!」
痛みが動きを鈍らせる。隙をついて、ワーウルフ二体が仁王立ちになり一斉に襲ってきた。奴らの牙と爪が迫ってくる。
(やられる……!)
そう覚悟したときだった。
バンバンバンと銃声が複数、森に響き渡った。
続いて、
グオォォォォォォォォ
唸るような悲鳴とともに、ワーウルフがのたうち回り始めた。
何が起こったのかわからないままに、再び銃声が何発も鳴り響き、ついにワーウルフは力尽きて地面に倒れこむ。
驚いて目を見開く煌大の背後の茂みから現れたのは、拳銃を構えた二人の部下だった。
女性の友江と、金髪青目の頼素《ランス》だ。
「なぜ、お前たちが……」
戸惑う煌大に、友江が口早に告げる。
「未世様の先読みのおかげで、間に合いました。未世様の話から、煌大様に危害を加えようとしているのが西洋の化け物の類だと判断しましたので、軍倉庫から魑魅魍魎討伐用の銀弾を持ち出させていただきました。報告書なら後で書きます」
「未世、が……?」
ワーウルフの傍に跪いてその死を確認していた頼素が、顔をくしゃくしゃにしていまにも泣きそうな顔で続ける。
「未世様の案内があったからここにたどり着けたんですよ。本当に、未世様のおかげです。若、良かったぁ……ほんとに、よかった……」
「ま、まて。未世の案内って……彼女も近くにいるのか?」
思わず煌大は、頼素の肩を掴んで強く揺すった。
「わ、わわ、は、はい。近くまで車で来たんで、その中でお待ちです」
こんな暗い森の中で一人で待っているだなんて。
「すぐに、彼女の元に連れて行ってくれ」
煌大はいてもたってもいられなかった。
20
お気に入りに追加
19
あなたにおすすめの小説
美幼女に転生したら地獄のような逆ハーレム状態になりました
市森 唯
恋愛
極々普通の学生だった私は……目が覚めたら美幼女になっていました。
私は侯爵令嬢らしく多分異世界転生してるし、そして何故か婚約者が2人?!
しかも婚約者達との関係も最悪で……
まぁ転生しちゃったのでなんとか上手く生きていけるよう頑張ります!
【電子書籍化進行中】声を失った令嬢は、次期公爵の義理のお兄さまに恋をしました
八重
恋愛
※発売日少し前を目安に作品を引き下げます
修道院で生まれ育ったローゼマリーは、14歳の時火事に巻き込まれる。
その火事の唯一の生き残りとなった彼女は、領主であるヴィルフェルト公爵に拾われ、彼の養子になる。
彼には息子が一人おり、名をラルス・ヴィルフェルトといった。
ラルスは容姿端麗で文武両道の次期公爵として申し分なく、社交界でも評価されていた。
一方、怠惰なシスターが文字を教えなかったため、ローゼマリーは読み書きができなかった。
必死になんとか義理の父や兄に身振り手振りで伝えようとも、なかなか伝わらない。
なぜなら、彼女は火事で声を失ってしまっていたからだ──
そして次第に優しく文字を教えてくれたり、面倒を見てくれるラルスに恋をしてしまって……。
これは、義理の家族の役に立ちたくて頑張りながら、言えない「好き」を内に秘める、そんな物語。
※小説家になろうが先行公開です
冤罪をかけられ、彼女まで寝取られた俺。潔白が証明され、皆は後悔しても戻れない事を知ったらしい
一本橋
恋愛
痴漢という犯罪者のレッテルを張られた鈴木正俊は、周りの信用を失った。
しかし、その実態は私人逮捕による冤罪だった。
家族をはじめ、友人やクラスメイトまでもが見限り、ひとり孤独へとなってしまう。
そんな正俊を慰めようと現れた彼女だったが、そこへ私人逮捕の首謀者である“山本”の姿が。
そこで、唯一の頼みだった彼女にさえも裏切られていたことを知ることになる。
……絶望し、身を投げようとする正俊だったが、そこに学校一の美少女と呼ばれている幼馴染みが現れて──
【R18】エリートビジネスマンの裏の顔
白波瀬 綾音
恋愛
御社のエース、危険人物すぎます───。
私、高瀬緋莉(27)は、思いを寄せていた業界最大手の同業他社勤務のエリート営業マン檜垣瑤太(30)に執着され、軟禁されてしまう。
同じチームの後輩、石橋蓮(25)が異変に気付くが……
この生活に果たして救いはあるのか。
※完結済み、手直ししながら随時upしていきます
※サムネにAI生成画像を使用しています
俺のセフレが義妹になった。そのあと毎日めちゃくちゃシた。
ねんごろ
恋愛
主人公のセフレがどういうわけか義妹になって家にやってきた。
その日を境に彼らの関係性はより深く親密になっていって……
毎日にエロがある、そんな時間を二人は過ごしていく。
※他サイトで連載していた作品です
お兄ちゃんが私にぐいぐいエッチな事を迫って来て困るんですけど!?
さいとう みさき
恋愛
私は琴吹(ことぶき)、高校生一年生。
私には再婚して血の繋がらない 二つ年上の兄がいる。
見た目は、まあ正直、好みなんだけど……
「好きな人が出来た! すまんが琴吹、練習台になってくれ!!」
そう言ってお兄ちゃんは私に協力を要請するのだけど、何処で仕入れた知識だかエッチな事ばかりしてこようとする。
「お兄ちゃんのばかぁっ! 女の子にいきなりそんな事しちゃダメだってばッ!!」
はぁ、見た目は好みなのにこのバカ兄は目的の為に偏った知識で女の子に接して来ようとする。
こんなんじゃ絶対にフラれる!
仕方ない、この私がお兄ちゃんを教育してやろーじゃないの!
実はお兄ちゃん好きな義妹が奮闘する物語です。
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
女性が少ない世界へ異世界転生してしまった件
りん
恋愛
水野理沙15歳は鬱だった。何で生きているのかわからないし、将来なりたいものもない。親は馬鹿で話が通じない。生きても意味がないと思い自殺してしまった。でも、死んだと思ったら異世界に転生していてなんとそこは男女500:1の200年後の未来に転生してしまった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる