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第5章 廃病院に集まる悪霊たち
第47話 生命線
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その廃病院は東京西部の多摩川支流に近い山間部に建っていた。
そこは総合病院で、同じ敷地内にターミナルケアを行うホスピスを併設していたようだ。ターミナルケアとは、病気で余命わずかと宣告された患者さんたちの生活の質を高めるために、苦痛緩和の医療措置を中心としたケアをいう。
華奈子が入院していたのも、ホスピスだった。
しかし、廃墟となった病院は窓ガラスが割れ、無残な様相を呈していた。五階建ての大きな建物と、その隣にそれより少しこぶりな三階建ての建物がある。ホスピスがあったのは小さい建物の方らしい。
その門の手前で車を止めて、三人は廃墟となった建物を見上げた。
千夏はトートバッグを胸にぎゅっと抱いたまま、ごくりと息を飲む。
まだお昼前で今日はよく晴れているというのに、廃墟の周りだけ明らかに薄昏《うすぐら》い。まるで全体に薄いモヤがかかっているようだった。
まだ日が高いためか霊のようなものは視えていないが、嫌な気配を全身に感じてぞわぞわと両腕に鳥肌がたった。
(ここ、本当にヤバイ……)
行きたくない。ここに近づてはいけない。そう本能が警鐘をならしているようだった。一歩だってその建物に近づくことを、身体全体が拒んでいた。
「すげぇな、ここ。どうやったら、こんだけ集まってくるんだ」
千夏には気配だけしか感じられず視えてはいないが、元気にはそこに集まる霊たちが視えているようだ。
「ここは昔から霊の通り道があったんだ。そこに病院を建てたのがまずかったんだろうな。でもそれだけならまぁ、普通より心霊現象が多く起こるくらいで済んだのかもしれないが、運悪く病院で死んだやつの中にとても霊力が高いやつがいた」
そして晴高は、千夏が胸に抱くトートバッグを指さした。
「そいつが、お前らが視たっていう男の子だろう。華奈子とは生前親しかったらしい。そいつが核となって霊道を通りがかった霊やら付近の悪霊やらを呼び寄せて、こんなになっちまったんだ」
「華奈子さんも、その中に……」
千夏が言うと、晴高は「ああ」と抑揚のない声で返してきた。
「完全に、その悪霊の塊みたいになっちまったやつに取り込まれてる。ただ……お前らは変なこと考えるなよ。そのキリンを病院のドアの向こうに置いてきたらすぐに帰るんだ。いいな」
「わ、わかってます」
千夏はぎゅっとトートバッグを抱く腕に力を籠める。そうだ。自分たちはただ、このキリンのマスコットを返しに来ただけなのだ。あの建物に近づくのすら嫌だったけれど、ちゃんと返さないとまた勝手にこのマスコットは千夏の元に戻ってきてしまうかもしれない。
建物に入る必要はないと晴高は言っていた。今は壊れて開けっ放しになってしまっている元自動ドアの向こう側に、このマスコットを置いてくるだけでいい。
「その前に、ちょっと準備するから待っててくれ」
そう言うと晴高は車から小ぶりのアタッシュケースを取り出してきた。彼はそれを地面においてケースを開く。中には両端が刃のようになった二十センチほどの金属製の長いものが数本入っていた。
「なんですか、それ」
「これは独鈷杵ってやつだ。結界を張るのに使う。以前にもここに結界を張っていたんだが、悪霊たちの力が強すぎて壊れてしまったようだ。もう一度張りなおせば、今日くらいは持つだろう。悪いけど、向こう向いててくれないか。これ、企業秘密なんだ」
「は、はい」
千夏と元気は晴高に言われた通り彼に背を向ける。スコップで地面を掘る音や、何やら経を唱える声が聞こえてきたが、見ないようにした。手持無沙汰を紛らわせるため、隣にいる元気に話しかける。
「ねぇ。元気には、どういう風に見えたの? あの建物」
「うーん。とにかく、禍々しいというか。……窓のあちこちから、黒い人影が見えた。ほかにも人の顔が沢山埋まった黒い塊がうろうろしてるし。腕だけのものとか、下半身だけのとか。パッと見ただけだけど、庭にも屋上にもいたよ。こんな朝っぱらからあんなに沢山うようよしてるなんて、異常だよ」
聞かなきゃ良かった。せっかく千夏には視えていないのに、元気の言葉を思い出して視えないものも視えてしまいそうだ。
「このキリンさん。返したら、もう霊障起きないかな」
「だといいよな。それと……こんだけ巣くってる場所を晴高一人で全部除霊するなんて無理だ。なんとか、諦めさせられればいいんだけどな」
晴高に聞こえないようにだろう。声のトーンを落として、元気が言う。
「そう、だね」
そう答えたとき、背後から晴高の声がした。
「もういいぞ」
振り返ると、アタッシュケースの中の独鈷杵が土で汚れた古いものと変わっていた。新しいものは代わりにどこかへ埋めたようだ。
晴高は棒を拾い上げると、病院の門の前に数メートルの線を引いた。門の出入り口をふさぐような形だ。
「結界を張りなおした。この線よりこっちが結界。ここより向こうが異界と化したあいつらの陣地だ。もし何か少しでもおかしなことがあれば、一目散に走ってきてこの線を越えろ」
そして、言葉を区切ってから、忌々しそうに険しい目つきで廃病院を睨む。
「この線が、俺たちの生命線だ」
そこは総合病院で、同じ敷地内にターミナルケアを行うホスピスを併設していたようだ。ターミナルケアとは、病気で余命わずかと宣告された患者さんたちの生活の質を高めるために、苦痛緩和の医療措置を中心としたケアをいう。
華奈子が入院していたのも、ホスピスだった。
しかし、廃墟となった病院は窓ガラスが割れ、無残な様相を呈していた。五階建ての大きな建物と、その隣にそれより少しこぶりな三階建ての建物がある。ホスピスがあったのは小さい建物の方らしい。
その門の手前で車を止めて、三人は廃墟となった建物を見上げた。
千夏はトートバッグを胸にぎゅっと抱いたまま、ごくりと息を飲む。
まだお昼前で今日はよく晴れているというのに、廃墟の周りだけ明らかに薄昏《うすぐら》い。まるで全体に薄いモヤがかかっているようだった。
まだ日が高いためか霊のようなものは視えていないが、嫌な気配を全身に感じてぞわぞわと両腕に鳥肌がたった。
(ここ、本当にヤバイ……)
行きたくない。ここに近づてはいけない。そう本能が警鐘をならしているようだった。一歩だってその建物に近づくことを、身体全体が拒んでいた。
「すげぇな、ここ。どうやったら、こんだけ集まってくるんだ」
千夏には気配だけしか感じられず視えてはいないが、元気にはそこに集まる霊たちが視えているようだ。
「ここは昔から霊の通り道があったんだ。そこに病院を建てたのがまずかったんだろうな。でもそれだけならまぁ、普通より心霊現象が多く起こるくらいで済んだのかもしれないが、運悪く病院で死んだやつの中にとても霊力が高いやつがいた」
そして晴高は、千夏が胸に抱くトートバッグを指さした。
「そいつが、お前らが視たっていう男の子だろう。華奈子とは生前親しかったらしい。そいつが核となって霊道を通りがかった霊やら付近の悪霊やらを呼び寄せて、こんなになっちまったんだ」
「華奈子さんも、その中に……」
千夏が言うと、晴高は「ああ」と抑揚のない声で返してきた。
「完全に、その悪霊の塊みたいになっちまったやつに取り込まれてる。ただ……お前らは変なこと考えるなよ。そのキリンを病院のドアの向こうに置いてきたらすぐに帰るんだ。いいな」
「わ、わかってます」
千夏はぎゅっとトートバッグを抱く腕に力を籠める。そうだ。自分たちはただ、このキリンのマスコットを返しに来ただけなのだ。あの建物に近づくのすら嫌だったけれど、ちゃんと返さないとまた勝手にこのマスコットは千夏の元に戻ってきてしまうかもしれない。
建物に入る必要はないと晴高は言っていた。今は壊れて開けっ放しになってしまっている元自動ドアの向こう側に、このマスコットを置いてくるだけでいい。
「その前に、ちょっと準備するから待っててくれ」
そう言うと晴高は車から小ぶりのアタッシュケースを取り出してきた。彼はそれを地面においてケースを開く。中には両端が刃のようになった二十センチほどの金属製の長いものが数本入っていた。
「なんですか、それ」
「これは独鈷杵ってやつだ。結界を張るのに使う。以前にもここに結界を張っていたんだが、悪霊たちの力が強すぎて壊れてしまったようだ。もう一度張りなおせば、今日くらいは持つだろう。悪いけど、向こう向いててくれないか。これ、企業秘密なんだ」
「は、はい」
千夏と元気は晴高に言われた通り彼に背を向ける。スコップで地面を掘る音や、何やら経を唱える声が聞こえてきたが、見ないようにした。手持無沙汰を紛らわせるため、隣にいる元気に話しかける。
「ねぇ。元気には、どういう風に見えたの? あの建物」
「うーん。とにかく、禍々しいというか。……窓のあちこちから、黒い人影が見えた。ほかにも人の顔が沢山埋まった黒い塊がうろうろしてるし。腕だけのものとか、下半身だけのとか。パッと見ただけだけど、庭にも屋上にもいたよ。こんな朝っぱらからあんなに沢山うようよしてるなんて、異常だよ」
聞かなきゃ良かった。せっかく千夏には視えていないのに、元気の言葉を思い出して視えないものも視えてしまいそうだ。
「このキリンさん。返したら、もう霊障起きないかな」
「だといいよな。それと……こんだけ巣くってる場所を晴高一人で全部除霊するなんて無理だ。なんとか、諦めさせられればいいんだけどな」
晴高に聞こえないようにだろう。声のトーンを落として、元気が言う。
「そう、だね」
そう答えたとき、背後から晴高の声がした。
「もういいぞ」
振り返ると、アタッシュケースの中の独鈷杵が土で汚れた古いものと変わっていた。新しいものは代わりにどこかへ埋めたようだ。
晴高は棒を拾い上げると、病院の門の前に数メートルの線を引いた。門の出入り口をふさぐような形だ。
「結界を張りなおした。この線よりこっちが結界。ここより向こうが異界と化したあいつらの陣地だ。もし何か少しでもおかしなことがあれば、一目散に走ってきてこの線を越えろ」
そして、言葉を区切ってから、忌々しそうに険しい目つきで廃病院を睨む。
「この線が、俺たちの生命線だ」
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