上 下
34 / 54
第4章 訴えかける霊

第34話 幽霊物件対策班、再始動。

しおりを挟む
『お前は、殺されたんじゃないのか』

 そう発した晴高の声が、ワンワンと頭の中にコダマする。

 何か元気に声をかけたいと思うが、どんな声をかければいいのかもわからない。何も浮かばない。どんな言葉を並べたところで、元気がいま抱えている絶望の大きさに比べれば、稚拙なものに思えてしまう。

 ただ。ただもう、悲しかった。なんで、元気がそんな目にあわなきゃならないんだろう。そんな他人の身勝手なことで、すべてを奪われなければならなかったんだろう。

 何も悪いことなんてしていない。普通に仕事をして普通に暮らしていただけの元気は、そのあと迎えるはずだった楽しいことも、嬉しいことも、その人生のすべてを奪われたのだ。

 それなのに彼を殺したかもしれない人たちは、いまものうのうと暮らしている。
 もしかすると、あの物件を売ったお金で人生を謳歌しているかもしれない。
 そんな理不尽なことなんて、あっていいのだろうか。
 悔しい。悲しくて、とてつもなく悔しい。千夏は何も言えないまま、ただ唇を噛んでいた。

 テーブルの上で頭を抱えたままだった元気が、ぽつぽつとしゃべる言葉が聞こえてくる。

「俺。あのときから、違和感を覚えてたんだ」

「違和感?」

 頭の中を渦巻く沢山の感情に押しつぶされそうになって声すら出せない千夏とは違い、晴高は淡々と聞き返していた。

「……俺、俺を轢いた運転手の裁判も傍聴しにいったんだ。その人は、疲労で居眠りしてたせいで赤信号を見過ごして、横断歩道を渡っていた俺を轢いたってことになってた」

 感情をこらえたように抑えぎみの、いつもより低い声を絞り出すように元気は続ける。

「でもさ、俺。轢かれる直前に、あの人のこと見てるんだ。絶対にあっちも俺のことを見てたんだよ。目が合った気がしたんだ。こっちにすごいスピードで走ってくるとき、ハンドル握りながらあの人は確かに俺のことを見てた」

「じゃあ、居眠りじゃなかったと」

「……絶対に居眠りなんかしてなかった。なのに、ブレーキ痕はなかった。あの人はまったくブレーキを踏んでいなかった。俺を見ながらブレーキを踏むこともなく俺を轢いたんだ」

 そして顔を上げると、一呼吸挟んでから、いっきに吐き出す。

「いま、わかった。俺、だから幽霊になってずっとここに残ってたんだ。それが未練だったんだ。俺、自覚してなかったけどたぶん気づいてたんだよ。あれが事故じゃないってこと。俺が、殺されたんだってことも!」

 そう叫ぶように言うと、元気は晴高と千夏の顔を交互に見比べて目を伏せた。

「だから……俺、もうここにはいられない」

「元気?」

 千夏の背筋に、ぞくりと寒気が走った。ここにはいられないって、どういうこと? 心臓の音が嫌に大きく聞こえる。その音は不安が大きくなるのに合わせて、どんどん大きくなるようだった。ダメ。いま、ここで元気を行かせたらダメだ。もう二度と会えなくなるかもしれない。そんな直感に息ができなくなりそうだった。

「自覚してしまったらもう、見て見ぬふりなんてできない」

 元気はこちらを見ずに、そうつぶやくように言う。

「元気。お前、あいつらに復讐しようとか考えてるんじゃないよな」

 晴高の問いかけに、元気は言葉を濁す。

「わかんない……わかんないけど」

 曖昧なままはっきりとは言わないが、復讐を元気が意識していることは痛いほどわかった。千夏自身だって、彼と同じ目に合えば同じことを考えるだろう。
 晴高はテーブルに手をつくと、ぐいっと元気に顔を近づけた。

「恨みのままに行動すれば、いずれあの工事現場にいる阿賀沢の霊みたいになって、やがて悪霊になるぞ」

 元気を射るような視線で見ながら、そう強い口調ではっきり口にした。
 元気は彼と目を合わせるが、引くことも、反発することもなく、ただ悲しそうに俯いたままその視線を受け止める。彼自身も悪霊云々のことはわかっているのだろう。

 しかし、だからといって逃げることもできないのだろう。彼がこの世に幽霊として残っているのは、未練を抱いているのはまさにそのためなのだから。
 元気は、目元を和らげて穏やかな口調で言った。

「……晴高と千夏は、この件からは手を引いてほしい。これは俺の問題だし。相手は二人も殺してるんだ。危険すぎる」

 そして千夏を見ると、微笑んだ。

「それと、千夏。いままでありがとう。俺、すごく楽しかった。いっぱい、良くしてくれてありがとう」

「元気!?」

 元気がどこかに行ってしまう。自分の手の届かない遠くに行ってしまう。
 千夏は思わず元気の腕をつかもうとした。しかしその手は空を切るだけで何も触れることはなかった。その手に千夏はぎゅっと拳をつくる。

 もう元気は千夏に触れさせてくれるつもりがないんだ。彼の身体にも、彼の心にも。
 元気は、弱く笑う。泣きそうな笑みだった。

「ごめん。俺のことも、この事件のことも忘れて……」

「嫌だ」

 握った拳が震えた。

「……千夏」

「嫌だ。いやだいやだいやだ! そんなの絶対に嫌!」

 千夏はいやいやをするように大きく首を横に振ると、テーブルの上に置いてあった元気のスマホを手に取った。
 それをトートバックに入れて肩にかけると、元気の横を通り過ぎ、会議室の出口に向かって足早に歩きだす。

「おい! お前も、どこに行くんだよ!」

 晴高の声に千夏は立ち止まる。そのまま無視して行こうか迷ったけれど、一応彼は上司でもあるので勤務時間中の今、無断で外出するわけにもいかない。千夏はくるっと振り返ると彼に言った。

「警察に行ってきます」

「なんのために」

「決まってるじゃないですか! あの物件の敷地から、元気のスマホが出てきたことを教えてもう一度捜査をやりなおしてもらうんです!」

「ただ敷地からスマホが出てきたってだけじゃ、殺人の証拠になんかなりえるわけないだろ。俺たちはあの霊の記憶から教えてもらったからあの人が誰に殺されたのかもわかってるが、たぶん表向きは失踪したことになっているはずだ。遺体すらみつかってないのに、どうやって警察に動いてもらえるっていうんだ。まして元気の死亡は事故ってことで片付いてるんだぞ」

 晴高の言うとおりだった。いまはまだ警察は、阿賀沢兄の件も元気の件も、殺人事件とすら認識していない。

「それは、そうですが……」

 千夏は唇をかむ。理不尽に元気を殺しておきながら、まったく罪にすら問われていないだなんて。

「千夏、ありがとう。そうやって俺のために怒ってくれるだけでも、俺には充分だから」

 穏やかな元気の声。ああ、そうだ。あなたはそうやって、たくさんの理不尽を飲み込んできたんだ。それがもう、悲しくて仕方がなかった。

「だって……許せないよ。元気には、もっとたくさんの未来があったはずなのに。楽しいことも、嬉しいことも、悲しいことも、つらいことも。人としての人生の出来事がいっぱい残されてたはずなのに。それを全部、理不尽に奪ったやつらを許せない」

「でも、俺はそのおかげで君に出会えた」

 はっきりと元気はそう口にする。それだけが、ただ唯一の真実なのだというように。
 それだけが唯一の望みだとでもいうように。

 千夏の瞳が滲む。
 でも。

「私と出会ってなくても、元気は生きていれば幸せになってたはずでしょ!  死んだことで見てきた沢山の悲しい思いや、やりきれない思いをしなくて済んだでしょ!? 例え元気と出会えなかったとしても、私はあなたが幸せな方がいいもの。それに……このまま元気を一人で行かせたら、元気が元気のままではいられないような気がしてすごく怖い」

 晴高が言っていた、悪霊になるというものがどういうものなのかはよくわからない。でもそれはきっと、幸せとは真逆にあるものなのだろう。延々と終わらない怨嗟と苦しみの中にいることになるのだろう。
 絶対に元気を一人で行かせてはいけない。それだけは、絶対に譲れなかった。

 じっと睨むように元気を見つめる。元気も、こちらから目を離さず見ていた。
 どれだけそうやって、お互い無言で膠着していたのだろう。その沈黙をやぶったのは、晴高の嘆息だった。

「どっちの希望も聞くわけにはいかないな。元気、自ら悪霊になろうとしているお前を俺が見逃すとでも思うのか? いますぐここで除霊するぞ。千夏、相手は二人も殺してる殺人犯だ。下手に動けば、お前の命だって危ない。……だから、まぁ結局、現状維持だ。三人で何とかするぞ。ただ目標は変える。あの霊を除霊か成仏させるっていうのは第二目標にして、第一目標は」

 晴高は千夏と元気の顔を交互に見ると、二人の前に手を差し出した。

「殺人犯どもの検挙だ」

 千夏と元気は目を見合わせると頷いた。そして、晴高の手の上に手を重ねる。

「幽霊物件対策班、再始動。だな」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

#この『村』を探して下さい

案内人
ホラー
 『この村を探して下さい』。これは、とある某匿名掲示板で見つけた書き込みです。全ては、ここから始まりました。  この物語は私の手によって脚色されています。読んでも発狂しません。  貴方は『■■■』の正体が見破れますか?

月影の約束

藤原遊
ホラー
――出会ったのは、呪いに囚われた美しい青年。救いたいと願った先に待つのは、愛か、別離か―― 呪われた廃屋。そこは20年前、不気味な儀式が行われた末に、人々が姿を消したという場所。大学生の澪は、廃屋に隠された真実を探るため足を踏み入れる。そこで彼女が出会ったのは、儚げな美貌を持つ青年・陸。彼は、「ここから出て行け」と警告するが、澪はその悲しげな瞳に心を動かされる。 鏡の中に広がる異世界、繰り返される呪い、陸が抱える過去の傷……。澪は陸を救うため、呪いの核に立ち向かうことを決意する。しかし、呪いを解くためには大きな「代償」が必要だった。それは、澪自身の大切な記憶。 愛する人を救うために、自分との思い出を捨てる覚悟ができますか?

変貌忌譚―変態さんは路地裏喫茶にお越し―

i'm who?
ホラー
まことしやかに囁かれる噂……。 寂れた田舎町の路地裏迷路の何処かに、人ならざる異形の存在達が営む喫茶店が在るという。 店の入口は心の隙間。人の弱さを喰らう店。 そこへ招かれてしまう難儀な定めを持った彼ら彼女ら。 様々な事情から世の道理を逸しかけた人々。 それまでとは異なるものに成りたい人々。 人間であることを止めようとする人々。 曰く、その喫茶店では【特別メニュー】として御客様のあらゆる全てを対価に、今とは別の生き方を提供してくれると噂される。それはもしも、あるいは、たとえばと。誰しもが持つ理想願望の禊。人が人であるがゆえに必要とされる祓。 自分自身を省みて現下で踏み止まるのか、何かを願いメニューを頼んでしまうのか、全て御客様本人しだい。それ故に、よくよく吟味し、見定めてくださいませ。結果の救済破滅は御客しだい。旨いも不味いも存じ上げませぬ。 それでも『良い』と嘯くならば……。 さぁ今宵、是非ともお越し下さいませ。 ※注意点として、メニューの返品や交換はお受けしておりませんので悪しからず。 ※この作品は【小説家になろう】さん【カクヨム】さんにも同時投稿しております。 ©️2022 I'm who?

血だるま教室

川獺右端
ホラー
月寄鏡子は、すこしぼんやりとした女子中学生だ。 家族からは満月の晩に外に出ないように言いつけられている。 彼女の通う祥雲中学には一つの噂があった。 近くの米軍基地で仲間を皆殺しにしたジョンソンという兵士がいて、基地の壁に憎い相手の名前を書くと、彼の怨霊が現れて相手を殺してくれるという都市伝説だ。 鏡子のクラス、二年五組の葉子という少女が自殺した。 その後を追うようにクラスでは人死にが連鎖していく。 自殺で、交通事故で、火災で。 そして日曜日、事件の事を聞くと学校に集められた鏡子とクラスメートは校舎の三階に閉じ込められてしまう。 隣の教室には先生の死体と無数の刃物武器の山があり、黒板には『 35-32=3 3=門』という謎の言葉が書き残されていた。 追い詰められ、極限状態に陥った二年五組のクラスメートたちが武器を持ち、互いに殺し合いを始める。 何の力も持たない月寄鏡子は校舎から出られるのか。 そして事件の真相とは。

【SS】森のくまさん

仲村 嘉高
ホラー
ある日、森の中 くまさんに出会った……

バベル 本の舟・塔の亡霊

春泥
ホラー
●第7回ホラー・ミステリー小説大賞【奨励賞】 大洪水を生き延びた一握りの人々は、辺り一面を水で囲まれた塔の中に幽閉状態となった。食料の備蓄も尽きかけた時、そこにあったのは、洪水前に運び込まれた大量の書物。 何百年経過しても相変わらず水だらけの世界。塔内の民への物資供給は、食料も含めてほぼ全て「本」に頼っている状態だが、一般の民はそれを知らない。 ある日、煉瓦職人の子ワタルは、長老より直々に図書館の司書になることを命じられる。初めは戸惑うものの、本の主な用途は「舟」の材料だと思っていたワタルは、書物の持つ無限の可能性を知ることになる。 しかしそれは、嫉妬や陰謀が渦巻く世界への入り口でもあった。ワタルは、逆恨みから襲撃され重傷を負う。彼を襲った者は、老齢の長老の代理となった若き指導者ゲンヤから、極刑である「水没刑」に処せられてしまう。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

ラ・プラスの島

輪島ライ
ホラー
恋愛シミュレーションゲーム「ラ・プラス」最新作の海外展開のためアメリカに向かっていたゲーム制作者は、飛行機事故により海上を漂流することになる。通りがかった漁船に救われ、漁民たちが住む島へと向かった彼が見たものとは…… ※この作品は「小説家になろう」「アルファポリス」「カクヨム」「エブリスタ」に投稿しています。

処理中です...