4 / 54
第2章 夜な夜な泣き彷徨う霊
第4話 いきなり幽霊物件に調査!?
しおりを挟む
晴高はすぐにでも現場に出ようとしたが、百瀬課長から千夏は総務での手続きがあるからそれが終わってからにしてくれといわれてしまう。結局それらがすべて終わって外に出ることができたのは、昼も過ぎてからのことだった。
晴高の運転する社用車のセダンに乗って連れてこられたのは、練馬区にある二階建ての賃貸マンションだった。いわゆる、ハイツとかコーポなどと呼ばれるタイプのアパートだ。
築年数は十年ほど。新しくもないが、そんなに古いわけでもない。実際、外から外観を見た限りでは、取り立てて不気味な感じや嫌な印象は受けなかった。
最寄り駅からも徒歩で十分ほどの閑静な住宅街の中にある。もし千夏がプライベートで不動産屋に紹介されたとしても、積極的に入居を考えたくなるような悪くない物件だ。
今回の調査対象になっているのは、二階にある202号室。
階段をのぼって件の部屋の前まで来ると、『202』という表示のある部屋の前で三人は立ち止まった。
そう。三人なのだ。
晴高と千夏と、そして。
「なんで、アナタまでついてきてるのよ」
千夏は隣に立つ、よく見ると若干透けている幽霊男に言う。てっきり水道橋支店のあの席にずっと座っているのだとばかり思っていたその幽霊は、いつの間にか千夏と晴高のあとをついてきていたのだ。そのことに気づいたのは、さっき車を降りたとき。どうやって付いてきたのかはよくわからないが、気がついたら後ろにいたのだ。
「なんか、俺のせいで迷惑かけちゃったみたいだったから。申し訳なくて」
「申し訳ないと思うんなら、もう二度と私の前に姿をみせないでほしいんですけど」
幽霊にまとわりつかれることは、あまり良いことではない。本人に悪気はなかったとしても、霊障で体調が悪くなることもある。他のよくない霊を寄せ付けることもありうる。
――霊を視てしまっても、視えないフリをするんだ。気付いていると知られると、頼られてしまうからね。
千夏の父もやはり霊が視える体質だったらしく、子どもの頃、何度も父にそう諭された。その言葉が、脳裏をよぎる。
(でも、もう遅いかも……)
この幽霊男は、もはや普通の人と変わらない調子で千夏に話しかけてくる。いっそ無視すればいいのかもしれないし、はっきりと拒絶すれば離れていってくれるのかもしれないけれど、とりあえず今は仕事中なのでそこまでの余裕が無かった。
「すみません……」
千夏にきついことを言われて、幽霊男は高い背を丸めてしゅんと俯いた。
「とりあえず。幽霊さんは、その辺でふらふらしててください。いま、仕事中なので」
「あ、俺。高村元気って言います」
「元気、ね……」
なんとも幽霊には似つかわしくない名前だ、というのが名を聞いたときの第一印象だった。
生きていた時につけられた名前だろうから、幽霊っぽくなくても仕方がないのだろうけれど。
そして椅子に座っていたときは気づかなかったが、この幽霊男、案外背が高いのだ。おそらく180センチ近くあるんじゃないだろうか。幽霊のくせにくるくるとよく変わる表情と言い、明るい髪色といい、まるで愛嬌のある大型犬のような印象だった。
席で青白い顔をしてじっと俯いていたときとは別人のようだ。
きっと生前は明るい性格だったのだろうということが、この短い時間のやりとりでも窺えた。人なつっこくて、大きな、さしずめゴールデンレトリバーみたいな人だ。
「すっかり憑かれたみたいだな。お前が話しかけたりするからだ。あとでお祓いいってこい」
と、まるで他人事のように晴高はそう言い捨てると、会社から持ってきた管理用のマスターキーを使って202号室のドアを開けた。
晴高は元気よりも少し背が低いが、濃い黒髪に黒いスーツと全体に黒っぽい印象が強い。常に視線も言葉も鋭くて、笑顔なんて初めから標準装備していないんではないかと疑いたくなるほどの仏頂面。でも、やたらと顔が整っているので、余計近寄りがたい雰囲気を醸している。幽霊男がゴールデンレトリバーだとしたら、こっちはさしずめドーベルマンといったところか。
なんとも正反対の二人とともに物件調査にやってきた千夏は、はぁと大きくため息をつくと202号室へと足を踏み入れた。
そこは、ごく普通の1LDKの部屋だった。しかし入った途端、急にぞわっと両腕に鳥肌が立つ。
(え、何これ)
室温が外とくらべてグッと低いような気がした。外はぽかぽかと春の陽気なのに、この部屋に入った途端、もう一枚上着がほしいくらいの寒さを感じる。
晴高は、玄関で持参したスリッパに履き替えるとすたすたと家のなかへ入っていった。
置いてけぼりにされたくなくて、千夏も靴をぬぐとストッキングのまま晴高のあとを追った。
元気はというと、玄関で靴を脱ぐしぐさをしている。靴なんて脱がなくても、幽霊なんだから土足だろうと床を汚す心配などないだろうに。生前の習慣がつい、こんなところでも出てしまうのかと思うとついおかしくて、一瞬だけ恐怖を忘れられた。
玄関から入ってすぐのところにキッチンがあり、その奥にリビングダイニング。さらにその左隣には小ぶりな洋室があった。リビングダイニングと洋室のあいだは可動式の壁で仕切れるようになっていたが、いまは開いたままになっている。
そのどちらの部屋もベランダへと出られる掃き出し窓がついていた。窓からはあたたかな日差しが室内へと差し込んで、床に陽だまりをつくっている。
二階に位置し、窓からはよく日差しが差し込んでいるにもかかわらず、どこか部屋の中が薄暗い。
(……ここ、嫌だ……)
心の奥から、今すぐこの部屋を立ち去りたい気持ちがぞわぞわとわいてきた。何が嫌なのかはわからない。室内は家具一つなく殺風景だが掃除が行き届いていて、とくに嫌悪感を覚えるような要素はないはずなのだ。それなのに、なぜかここにいたくない、いてはいけないという気持ちが抑えきれなくなってくる。
晴高が一緒にいるからいいものの、自分ひとりだったら間違いなくすぐに逃げ去っていただろう。
「なんか、嫌な感じですね、ここ」
スプリングコートの上から腕をさすりつつ、千夏は晴高の隣に行った。彼は手に持っていたビジネスバッグからファイルブックを取り出してページを繰っている。ファイルブックには、会社のデータベースをプリントアウトしてきたと思しき資料が挟まっていた。
「ここの最後の借主は、田辺幸子。三年ほどここに住んでいたが、彼女からは特に苦情のようなものはあがっていない」
「三年もこの部屋に住んでいたんですか……」
「当時は特に何の問題もなかったんだろう。問題が出たのは、彼女の死後だからな」
田辺幸子は、一人暮らしの派遣社員だった。しかし、数か月前に職場で突然倒れて亡くなっている。死因は、脳卒中だった。
彼女の死後、八坂不動産管理は彼女の保証人と連絡を取ろうとした。しかし、保証人となっていた彼女の母親も二年前に亡くなっており、父親は十数年前に他界。田辺幸子は他に身寄りもなく、彼女の死後この部屋の賃貸契約や残された家具を処分できる人は誰もいなかった。
そこで八坂不動産管理の法務部は家庭裁判所に申し立てをして、弁護士を相続財産管理人としてたて、この部屋の契約解除と家具類の処分や部屋の明け渡し業務を行ってもらった。
それ自体は、こういった身寄りのない賃貸人死亡のケースではよく行われる手続きにすぎない。しかし。
「この部屋の明け渡しが完了したその日の夜から、おかしなことが起こり出したんだ」
晴高の運転する社用車のセダンに乗って連れてこられたのは、練馬区にある二階建ての賃貸マンションだった。いわゆる、ハイツとかコーポなどと呼ばれるタイプのアパートだ。
築年数は十年ほど。新しくもないが、そんなに古いわけでもない。実際、外から外観を見た限りでは、取り立てて不気味な感じや嫌な印象は受けなかった。
最寄り駅からも徒歩で十分ほどの閑静な住宅街の中にある。もし千夏がプライベートで不動産屋に紹介されたとしても、積極的に入居を考えたくなるような悪くない物件だ。
今回の調査対象になっているのは、二階にある202号室。
階段をのぼって件の部屋の前まで来ると、『202』という表示のある部屋の前で三人は立ち止まった。
そう。三人なのだ。
晴高と千夏と、そして。
「なんで、アナタまでついてきてるのよ」
千夏は隣に立つ、よく見ると若干透けている幽霊男に言う。てっきり水道橋支店のあの席にずっと座っているのだとばかり思っていたその幽霊は、いつの間にか千夏と晴高のあとをついてきていたのだ。そのことに気づいたのは、さっき車を降りたとき。どうやって付いてきたのかはよくわからないが、気がついたら後ろにいたのだ。
「なんか、俺のせいで迷惑かけちゃったみたいだったから。申し訳なくて」
「申し訳ないと思うんなら、もう二度と私の前に姿をみせないでほしいんですけど」
幽霊にまとわりつかれることは、あまり良いことではない。本人に悪気はなかったとしても、霊障で体調が悪くなることもある。他のよくない霊を寄せ付けることもありうる。
――霊を視てしまっても、視えないフリをするんだ。気付いていると知られると、頼られてしまうからね。
千夏の父もやはり霊が視える体質だったらしく、子どもの頃、何度も父にそう諭された。その言葉が、脳裏をよぎる。
(でも、もう遅いかも……)
この幽霊男は、もはや普通の人と変わらない調子で千夏に話しかけてくる。いっそ無視すればいいのかもしれないし、はっきりと拒絶すれば離れていってくれるのかもしれないけれど、とりあえず今は仕事中なのでそこまでの余裕が無かった。
「すみません……」
千夏にきついことを言われて、幽霊男は高い背を丸めてしゅんと俯いた。
「とりあえず。幽霊さんは、その辺でふらふらしててください。いま、仕事中なので」
「あ、俺。高村元気って言います」
「元気、ね……」
なんとも幽霊には似つかわしくない名前だ、というのが名を聞いたときの第一印象だった。
生きていた時につけられた名前だろうから、幽霊っぽくなくても仕方がないのだろうけれど。
そして椅子に座っていたときは気づかなかったが、この幽霊男、案外背が高いのだ。おそらく180センチ近くあるんじゃないだろうか。幽霊のくせにくるくるとよく変わる表情と言い、明るい髪色といい、まるで愛嬌のある大型犬のような印象だった。
席で青白い顔をしてじっと俯いていたときとは別人のようだ。
きっと生前は明るい性格だったのだろうということが、この短い時間のやりとりでも窺えた。人なつっこくて、大きな、さしずめゴールデンレトリバーみたいな人だ。
「すっかり憑かれたみたいだな。お前が話しかけたりするからだ。あとでお祓いいってこい」
と、まるで他人事のように晴高はそう言い捨てると、会社から持ってきた管理用のマスターキーを使って202号室のドアを開けた。
晴高は元気よりも少し背が低いが、濃い黒髪に黒いスーツと全体に黒っぽい印象が強い。常に視線も言葉も鋭くて、笑顔なんて初めから標準装備していないんではないかと疑いたくなるほどの仏頂面。でも、やたらと顔が整っているので、余計近寄りがたい雰囲気を醸している。幽霊男がゴールデンレトリバーだとしたら、こっちはさしずめドーベルマンといったところか。
なんとも正反対の二人とともに物件調査にやってきた千夏は、はぁと大きくため息をつくと202号室へと足を踏み入れた。
そこは、ごく普通の1LDKの部屋だった。しかし入った途端、急にぞわっと両腕に鳥肌が立つ。
(え、何これ)
室温が外とくらべてグッと低いような気がした。外はぽかぽかと春の陽気なのに、この部屋に入った途端、もう一枚上着がほしいくらいの寒さを感じる。
晴高は、玄関で持参したスリッパに履き替えるとすたすたと家のなかへ入っていった。
置いてけぼりにされたくなくて、千夏も靴をぬぐとストッキングのまま晴高のあとを追った。
元気はというと、玄関で靴を脱ぐしぐさをしている。靴なんて脱がなくても、幽霊なんだから土足だろうと床を汚す心配などないだろうに。生前の習慣がつい、こんなところでも出てしまうのかと思うとついおかしくて、一瞬だけ恐怖を忘れられた。
玄関から入ってすぐのところにキッチンがあり、その奥にリビングダイニング。さらにその左隣には小ぶりな洋室があった。リビングダイニングと洋室のあいだは可動式の壁で仕切れるようになっていたが、いまは開いたままになっている。
そのどちらの部屋もベランダへと出られる掃き出し窓がついていた。窓からはあたたかな日差しが室内へと差し込んで、床に陽だまりをつくっている。
二階に位置し、窓からはよく日差しが差し込んでいるにもかかわらず、どこか部屋の中が薄暗い。
(……ここ、嫌だ……)
心の奥から、今すぐこの部屋を立ち去りたい気持ちがぞわぞわとわいてきた。何が嫌なのかはわからない。室内は家具一つなく殺風景だが掃除が行き届いていて、とくに嫌悪感を覚えるような要素はないはずなのだ。それなのに、なぜかここにいたくない、いてはいけないという気持ちが抑えきれなくなってくる。
晴高が一緒にいるからいいものの、自分ひとりだったら間違いなくすぐに逃げ去っていただろう。
「なんか、嫌な感じですね、ここ」
スプリングコートの上から腕をさすりつつ、千夏は晴高の隣に行った。彼は手に持っていたビジネスバッグからファイルブックを取り出してページを繰っている。ファイルブックには、会社のデータベースをプリントアウトしてきたと思しき資料が挟まっていた。
「ここの最後の借主は、田辺幸子。三年ほどここに住んでいたが、彼女からは特に苦情のようなものはあがっていない」
「三年もこの部屋に住んでいたんですか……」
「当時は特に何の問題もなかったんだろう。問題が出たのは、彼女の死後だからな」
田辺幸子は、一人暮らしの派遣社員だった。しかし、数か月前に職場で突然倒れて亡くなっている。死因は、脳卒中だった。
彼女の死後、八坂不動産管理は彼女の保証人と連絡を取ろうとした。しかし、保証人となっていた彼女の母親も二年前に亡くなっており、父親は十数年前に他界。田辺幸子は他に身寄りもなく、彼女の死後この部屋の賃貸契約や残された家具を処分できる人は誰もいなかった。
そこで八坂不動産管理の法務部は家庭裁判所に申し立てをして、弁護士を相続財産管理人としてたて、この部屋の契約解除と家具類の処分や部屋の明け渡し業務を行ってもらった。
それ自体は、こういった身寄りのない賃貸人死亡のケースではよく行われる手続きにすぎない。しかし。
「この部屋の明け渡しが完了したその日の夜から、おかしなことが起こり出したんだ」
0
お気に入りに追加
62
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
FLY ME TO THE MOON
如月 睦月
ホラー
いつもの日常は突然のゾンビ大量発生で壊された!ゾンビオタクの格闘系自称最強女子高生が、生き残りをかけて全力疾走!おかしくも壮絶なサバイバル物語!
本当にあった怖い話
邪神 白猫
ホラー
リスナーさんや読者の方から聞いた体験談【本当にあった怖い話】を基にして書いたオムニバスになります。
完結としますが、体験談が追加され次第更新します。
LINEオプチャにて、体験談募集中✨
あなたの体験談、投稿してみませんか?
投稿された体験談は、YouTubeにて朗読させて頂く場合があります。
【邪神白猫】で検索してみてね🐱
↓YouTubeにて、朗読中(コピペで飛んでください)
https://youtube.com/@yuachanRio
※登場する施設名や人物名などは全て架空です。
【R18】女囚体験
さき
ホラー
奴隷強制収容所に収容されることを望んだマゾヒストの女子大生を主人公とした物語。主人公は奴隷として屈辱に塗れた刑期を過ごします。多少百合要素あり。ヒトがヒトとして扱われない描写があります。そういった表現が苦手な方は閲覧しないことをお勧めします。
※主人公視点以外の話はタイトルに閑話と付けています。
※この小説は更新停止、移転をしております。移転先で更新を再開しています。詳細は最新話をご覧ください。
おシタイしております
橘 金春
ホラー
20××年の8月7日、S県のK駅交番前に男性の生首が遺棄される事件が発生した。
その事件を皮切りに、凶悪犯を標的にした生首遺棄事件が連続して発生。
捜査線上に浮かんだ犯人像は、あまりにも非現実的な存在だった。
見つからない犯人、謎の怪奇現象に難航する捜査。
だが刑事の十束(とつか)の前に二人の少女が現れたことから、事態は一変する。
十束と少女達は模倣犯を捕らえるため、共に協力することになったが、少女達に残された時間には限りがあり――。
「もしも間に合わないときは、私を殺してくださいね」
十束と少女達は模倣犯を捕らえることができるのか。
そして、十束は少女との約束を守れるのか。
さえないアラフォー刑事 十束(とつか)と訳あり美少女達とのボーイ(?)・ミーツ・ガール物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる