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第1章 同僚かと思ったら幽霊でした。
第2話 この人、社員じゃないんですか!?
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「おはようございます。本日付でこちらに異動になりました、山崎千夏と申します」
グレーのパンツスーツに身を包んだ千夏は、職員たちを前に深々と頭を下げた。彼女を歓迎する拍手の中、顔をあげるとにこやかな笑顔をふりまく千夏。しかしそんな和やかな雰囲気とは裏腹に、心の中は重く憂鬱な気持ちが渦巻いていた。
(はぁ……なんで私、こんなところにいるんだろう)
はっきりいって、絶賛、意気消沈中。
ここは八坂不動産管理の水道橋支店。
総武線の水道橋駅からほど近い十階建てのオフィスビルの三階にあり、窓からはこちらと似たような雑居ビルが並んでいるのが見えるのみ。そんな、都心のよくある事業所だった。
一、二階には都市銀行の支店が入り、四階より上はIT関連会社や塾など色々なテナントが入っているようだ。
せめて一階がコンビニだったら良かったのに。それに建物が古くて全体的に薄暗いのも気にくわない。
そんな些細なことにすら愚痴の一つも言いたくなってしまうくらい、鬱屈とした気分だった。
千夏は昨日まで、八坂不動産の企画部で働いていたのだ。八坂不動産は、ここ八坂不動産管理の親会社で、港区の一等地にピカピカの本社ビルを持っている。八坂不動産管理は、八坂不動産がもっている物件の管理業務を行うためにつくられた子会社だった。
つい昨日までは親会社の第一線で働いていたのに、なんで自分はいま、こんな子会社の小さなオフィスにいるんだろう。完全に都落ち気分。
(私が何をしたっていうのよ)
早い話が出向という名の左遷をされたのだ。理由はわかっている。
上司に嫌われたからだ。
以前、上司が推し進めていた企画に契約上の手続きミスをみつけて、それを指摘したことがあった。そのことが上司のプライドを傷つけてしまったらしく、それ以来いじめとも取れるような仕打ちをされた。さらにはこんな報復人事まで受ける羽目になったのだ。
『君も、まだ若いんだからいろんな経験を積んだほうがいいよ』
そう半笑いで言っていた元・上司の顔が脳裏をちらつく。
千夏は呪詛の一つでも吐きたくなる気分だったが、それを無理矢理押し込める。いまは過ぎたことを思い出している場合じゃない。
今日から新しい上司となる百瀬《ももせ》課長が、千夏を配属先である第一物件調査係のデスクへと連れてくると、職員たちを一人一人紹介してくれていた。第一印象を良くするために、千夏は無理して口角をあげ、笑顔をつくる。
このビルの三階は、フロア全体が八坂不動産管理水道橋支店のオフィスとなっていた。フロアには、数台のデスクが向かい合ってくっつけられた島がいくつもある。
第一物件調査係はフロアの一番はじにある島。デスクは全部で八台で、千夏が割り当てられたのは窓際から数えて二番目のデスクだった。
職員たちはみな立ち上がって、課長が紹介するのに合わせてお辞儀してくるので千夏もそのたびに「よろしくお願いします」と頭を下げる。
そこでふと、あることに気がついた。
千夏の右隣の座席にひとりの男性が座っている。スーツに身を包んだ、千夏とあまり歳が変わらないように見える男性だ。彼だけが立ち上がることなく、ずっと俯いたまま座っていた。
(気分でも悪いのかな……)
よく見ると、顔色も悪い気がする。きっと、体調が悪いのに無理して出社してきたのだろう。我慢せずに有給休暇をとればいいのに。それともこの職場は、病気でも出社してこなければいけないほどブラックなんだろうか。そんな心配が首をもたげてくる。
課長もその男性には気を使っているのか、彼の自己紹介は飛ばしていた。だから、結局彼の名前はわからずじまいだ。
(まぁ、いっか。あとで誰かに聞くか、座席表見れば名前はわかるし)
係内での紹介のあと、今度は百瀬課長に連れられて、支店内をあちこち連れ回された。紹介されるたびに、千夏はぺこぺこと笑顔で頭を下げる。正直言って、こんなにいっぺんに職員の名前を教えられても、まったく覚えている自信はなかった。
そして一通り支店内を回ると、ようやく第一物件調査係の島まで戻ってこれた。
(ふぅ、やれやれ)
今日はもう一日分の仕事をしたんじゃないか?と思うほど疲れてしまったが、オフィスの壁掛け時計を見るとまだ十時前だ。お昼休みにすら、まだまだ時間がある。
(そうだ。先週実家に帰った時に買ってきたお土産があったんだ)
それをみんなに配って十時のおやつにしてもらおう。職場では初っ端の印象が大事。もう、前の職場のように目をつけられたりしないように、精いっぱい愛想を振りまいておこう。
千夏はデスクの下においてあった自分のトートバッグからお土産の箱を取り出した。かわいい缶に入った、地元名産のサブレーだ。サブレーが鳥の形をしていることで有名だが、こういってはなんだが味もサブレー系の中では一番おいしいと千夏は思っている。さくっとした触感と香ばしいバターの香りに手が止まらなくなる、地元自慢の名産品だ。
そろそろお腹がすいてきたので自分で食べてしまいたいところだが、ぐっとこらえて缶を開けると、同じ係の同僚たちに配り始めた。
「どうぞ。この前実家に帰ったときに買ったんです」
そう言って渡すと、ほとんどの職員たちは表情を緩めてくれた。
「お。俺、このサブレー好きなんだよね」
「おいしいですよね! 私も大好きなんです!」
そんな会話を交わしながら、千夏は島の周りをぐるっと回ってサブレーを配っていく。
「お口に合いましたら、どうぞ」
千夏の斜め右前の席に座る男性職員は、デスクに置かれたサブレーを黙ってチラリと見ただけだった。
(……なんか、怖い感じの人だな。この人)
センスのいい眼鏡の奥にある、鋭い切れ長の目。彼はノートパソコンのディスプレイに映し出された、どこかの物件の写真をじっと見ていた。かなりのイケメンだ。年頃は三十歳になったばかりの千夏より、少し上くらいだろうか。
顔が良い分、にこりともしないその雰囲気はどこか近寄りがたい空気を纏っていた。黒っぽいスーツの袖から、右手首に嵌められた水晶のブレスレットが覗いている。パワーストーンというやつだろうか。
(この人。晴高係長、とか言ったっけ?)
たしか、苗字は久世。あまり見ない苗字だが、この支店の別の課にも同じ苗字の人がいるとかで、こちらは下の名前で晴高係長と呼ばれているのだと課長が紹介していたのを思い出す。
あまり関わり合いになりたくないなぁなんて印象を持ちながら、千夏はその後ろを通り過ぎて、最後に自分の右隣のデスクにサブレーを置いた。
先程からずっと俯いている、あの男性職員のデスクだ。
「これ、おいしいんですよ。お口に合うようでしたら」
そう笑顔で伝えたが、こちらも返事はない。ただじっと、うつむき加減でデスクの一点を見つめたままだ。顔色も、やっぱり悪そう。というより、ほとんど蒼白だ。
「あの……大丈夫ですか? どこか、ご加減悪いようでしたら……」
微動だにしない彼の様子に心配になった千夏がそう声をかけたとき、前のデスクから鋭い声が飛んできた。
「お前、そいつが見えてるのか!?」
「へ?」
顔をあげると、声をかけてきたのは晴高係長だった。彼は立ち上がって、体調の悪そうなその男性職員を指さしている。
「え、あ、はい。なんだか、具合悪そうだなって……」
そう答えると、晴高は切れ長の目をびっくりしたように見開いて「まじかよ」と小さくつぶやいた。そして、衝撃的な一言を口にする。
「……そいつさ。幽霊だよ」
「………………はい?」
言われた意味がすぐには理解できず、千夏は間の抜けた声で聴き返すしかなかった。
グレーのパンツスーツに身を包んだ千夏は、職員たちを前に深々と頭を下げた。彼女を歓迎する拍手の中、顔をあげるとにこやかな笑顔をふりまく千夏。しかしそんな和やかな雰囲気とは裏腹に、心の中は重く憂鬱な気持ちが渦巻いていた。
(はぁ……なんで私、こんなところにいるんだろう)
はっきりいって、絶賛、意気消沈中。
ここは八坂不動産管理の水道橋支店。
総武線の水道橋駅からほど近い十階建てのオフィスビルの三階にあり、窓からはこちらと似たような雑居ビルが並んでいるのが見えるのみ。そんな、都心のよくある事業所だった。
一、二階には都市銀行の支店が入り、四階より上はIT関連会社や塾など色々なテナントが入っているようだ。
せめて一階がコンビニだったら良かったのに。それに建物が古くて全体的に薄暗いのも気にくわない。
そんな些細なことにすら愚痴の一つも言いたくなってしまうくらい、鬱屈とした気分だった。
千夏は昨日まで、八坂不動産の企画部で働いていたのだ。八坂不動産は、ここ八坂不動産管理の親会社で、港区の一等地にピカピカの本社ビルを持っている。八坂不動産管理は、八坂不動産がもっている物件の管理業務を行うためにつくられた子会社だった。
つい昨日までは親会社の第一線で働いていたのに、なんで自分はいま、こんな子会社の小さなオフィスにいるんだろう。完全に都落ち気分。
(私が何をしたっていうのよ)
早い話が出向という名の左遷をされたのだ。理由はわかっている。
上司に嫌われたからだ。
以前、上司が推し進めていた企画に契約上の手続きミスをみつけて、それを指摘したことがあった。そのことが上司のプライドを傷つけてしまったらしく、それ以来いじめとも取れるような仕打ちをされた。さらにはこんな報復人事まで受ける羽目になったのだ。
『君も、まだ若いんだからいろんな経験を積んだほうがいいよ』
そう半笑いで言っていた元・上司の顔が脳裏をちらつく。
千夏は呪詛の一つでも吐きたくなる気分だったが、それを無理矢理押し込める。いまは過ぎたことを思い出している場合じゃない。
今日から新しい上司となる百瀬《ももせ》課長が、千夏を配属先である第一物件調査係のデスクへと連れてくると、職員たちを一人一人紹介してくれていた。第一印象を良くするために、千夏は無理して口角をあげ、笑顔をつくる。
このビルの三階は、フロア全体が八坂不動産管理水道橋支店のオフィスとなっていた。フロアには、数台のデスクが向かい合ってくっつけられた島がいくつもある。
第一物件調査係はフロアの一番はじにある島。デスクは全部で八台で、千夏が割り当てられたのは窓際から数えて二番目のデスクだった。
職員たちはみな立ち上がって、課長が紹介するのに合わせてお辞儀してくるので千夏もそのたびに「よろしくお願いします」と頭を下げる。
そこでふと、あることに気がついた。
千夏の右隣の座席にひとりの男性が座っている。スーツに身を包んだ、千夏とあまり歳が変わらないように見える男性だ。彼だけが立ち上がることなく、ずっと俯いたまま座っていた。
(気分でも悪いのかな……)
よく見ると、顔色も悪い気がする。きっと、体調が悪いのに無理して出社してきたのだろう。我慢せずに有給休暇をとればいいのに。それともこの職場は、病気でも出社してこなければいけないほどブラックなんだろうか。そんな心配が首をもたげてくる。
課長もその男性には気を使っているのか、彼の自己紹介は飛ばしていた。だから、結局彼の名前はわからずじまいだ。
(まぁ、いっか。あとで誰かに聞くか、座席表見れば名前はわかるし)
係内での紹介のあと、今度は百瀬課長に連れられて、支店内をあちこち連れ回された。紹介されるたびに、千夏はぺこぺこと笑顔で頭を下げる。正直言って、こんなにいっぺんに職員の名前を教えられても、まったく覚えている自信はなかった。
そして一通り支店内を回ると、ようやく第一物件調査係の島まで戻ってこれた。
(ふぅ、やれやれ)
今日はもう一日分の仕事をしたんじゃないか?と思うほど疲れてしまったが、オフィスの壁掛け時計を見るとまだ十時前だ。お昼休みにすら、まだまだ時間がある。
(そうだ。先週実家に帰った時に買ってきたお土産があったんだ)
それをみんなに配って十時のおやつにしてもらおう。職場では初っ端の印象が大事。もう、前の職場のように目をつけられたりしないように、精いっぱい愛想を振りまいておこう。
千夏はデスクの下においてあった自分のトートバッグからお土産の箱を取り出した。かわいい缶に入った、地元名産のサブレーだ。サブレーが鳥の形をしていることで有名だが、こういってはなんだが味もサブレー系の中では一番おいしいと千夏は思っている。さくっとした触感と香ばしいバターの香りに手が止まらなくなる、地元自慢の名産品だ。
そろそろお腹がすいてきたので自分で食べてしまいたいところだが、ぐっとこらえて缶を開けると、同じ係の同僚たちに配り始めた。
「どうぞ。この前実家に帰ったときに買ったんです」
そう言って渡すと、ほとんどの職員たちは表情を緩めてくれた。
「お。俺、このサブレー好きなんだよね」
「おいしいですよね! 私も大好きなんです!」
そんな会話を交わしながら、千夏は島の周りをぐるっと回ってサブレーを配っていく。
「お口に合いましたら、どうぞ」
千夏の斜め右前の席に座る男性職員は、デスクに置かれたサブレーを黙ってチラリと見ただけだった。
(……なんか、怖い感じの人だな。この人)
センスのいい眼鏡の奥にある、鋭い切れ長の目。彼はノートパソコンのディスプレイに映し出された、どこかの物件の写真をじっと見ていた。かなりのイケメンだ。年頃は三十歳になったばかりの千夏より、少し上くらいだろうか。
顔が良い分、にこりともしないその雰囲気はどこか近寄りがたい空気を纏っていた。黒っぽいスーツの袖から、右手首に嵌められた水晶のブレスレットが覗いている。パワーストーンというやつだろうか。
(この人。晴高係長、とか言ったっけ?)
たしか、苗字は久世。あまり見ない苗字だが、この支店の別の課にも同じ苗字の人がいるとかで、こちらは下の名前で晴高係長と呼ばれているのだと課長が紹介していたのを思い出す。
あまり関わり合いになりたくないなぁなんて印象を持ちながら、千夏はその後ろを通り過ぎて、最後に自分の右隣のデスクにサブレーを置いた。
先程からずっと俯いている、あの男性職員のデスクだ。
「これ、おいしいんですよ。お口に合うようでしたら」
そう笑顔で伝えたが、こちらも返事はない。ただじっと、うつむき加減でデスクの一点を見つめたままだ。顔色も、やっぱり悪そう。というより、ほとんど蒼白だ。
「あの……大丈夫ですか? どこか、ご加減悪いようでしたら……」
微動だにしない彼の様子に心配になった千夏がそう声をかけたとき、前のデスクから鋭い声が飛んできた。
「お前、そいつが見えてるのか!?」
「へ?」
顔をあげると、声をかけてきたのは晴高係長だった。彼は立ち上がって、体調の悪そうなその男性職員を指さしている。
「え、あ、はい。なんだか、具合悪そうだなって……」
そう答えると、晴高は切れ長の目をびっくりしたように見開いて「まじかよ」と小さくつぶやいた。そして、衝撃的な一言を口にする。
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