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第21章
ルカラ、帰る
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ソウル・イーターの全ての防衛本能が停止し、現実世界での増殖も止まった。
城の最上階で籠城をしていたフィデーリス最後の生き残り達は安堵すると共に、城の外の光景を見て途方に暮れる。
自分達以外の誰もいなくなり、ソウル・イーターに飲み込まれたままのフィデーリスがそこにあり、この先の事など考えられる余裕もない。
生き残っても絶望しかない状況で、ルカラが飲み込まれた場所をマリードとゾフルが見つめていた。
「おい、あれ……」
「なんだ?」
それは、奇跡の様な光景だった。
* * *
崩壊は止まったが、緩やかな終焉を待つ記憶のフィデーリス。
再び元の姿に戻ったフィデーリスの闘技場で、全てが終わった事を実感しながら、セクレトが言葉を切り出す。
「そろそろ……お別れだね」
「セクレト、ソウル・イーターを解体するぞ……」
「うん、僕じゃうまく出来ない事だから」
「ねぇセクレト」
「なに? アヤメお姉ちゃん」
「私を守ってるって言ったよね。ルカラも同じ様に返して貰う事は出来ないの?」
「アヤメお姉ちゃんは、マリアベールお姉ちゃんの友達だし、僕に優しかったから、特別だよ……でも、その子、僕の一族だよね……今、代わるね」
セクレトが言うと、その見た目がルカラに変わる。
「アヤメさん!」
「ルカラ!」
抱き合う二人に、ストラディゴスも一緒に二人纏めて抱きしめる。
「上手くいったんですね」とルカラがストラディゴスに言った。
「お前のおかげだ。お前のおかげで……」
ストラディゴスはポロポロと大粒の涙を流しながら礼を言った。
ルカラは、自分の為に二人の人間が涙を流しているのを見て、命を懸けた事が間違いでは無かったと、静かに涙を流す。
そんな感動の場に、水を差す邪魔者が現れる。
「上手くいったみたいだな、マリアベール」
「ヴェンガン!? お前は、ミセーリアにさっき……」
「食われた。その通りだ。ミセーリア様の中の、憎しみと怒りの渦に飲み込まれ、私はミセーリア様の一部になっていた。だが、カーラルアのせい、いや、おかげと言うべきか……私は自我を取り戻した。そして、ミセーリア様も」
ヴェンガンは、赤ん坊の姿になったミセーリアを抱えていた。
「それが、ミセーリアなのか?」
「竜に取り込まれ、残ったのがこれだけだったと言う事なのか、お前達に憎しみを殺されたら、これしか残らなかったのか……それは、分からない。だが、いいかマリアベール。カーラルアの自我は、私の魔法に匹敵する強い力で、精神を守られている」
「自我が、守られているだと?」
「私の手元から逃げ出した五年の間に、魔法をかけられたのかもしれん。カーラルアの自我は、この世界に取り込まれてなお、自分を見失わず、自分と認識し続けている。ソウル・イーターをもう一度作るなら、カーラルアを使えば、より完璧な……」
「ヴェンガン!」
「あくまでも、事実の話だ。ミセーリア様がこうなった以上、残された資料を燃やせばマリアベール、お前以外にソウル・イーターは作れない。とにかくだ、カーラルアの影響で、私達は戻された。今、カーラルアの影響で、この世界の住人全員が一つでありながら、明確な自我も持っている状態にある。肉体の維持が出来ない為、長くは保たないが、ソウル・イーターは安定しているのだ。今まではセクレトの自我に乗って夢を見ているに過ぎなかったのが、お前達によって夢だと気付き、自分が誰だかを認識している。大半が自分が誰かを覚えているのだ。そして、このフィデーリスの大半の人間には、私の呪いがかけられている」
「何を言いたい?」
「私の呪いによって、まずは精神と肉体の座標を合わせる。あとは、お前のネクロマンスで再生すれば、大半の人間を、いや、ソウル・イーターによって部分的にでも生き返らせられた死者さえも、救う事が出来るはずだ」
「そんな事が、本当に可能なのか!?」
「マリアベール先生、私には才能は無かったかもしれない。だが、あなたとミセーリア様の傍で、これでも努力はしていたんだ。あなたから見れば大した魔法も使えない弟子だったかもしれないがね」
* * *
マリアベールによって、地下トンネルの刻印を通じてピレトス山脈の生命力が、ソウルイーターの海に急速に流れ込む。
肉の海は、方々が溢れる生命力によって白く光り、糸を空へと垂らしだす。
町の広間で繭を破る様に、一番初めに彩芽がソウル・イーターから解放された。
ソウル・イーターに取り込まれてしまったのか、服を着ていないが、ミセーリアにやられた身体の傷も消えていた。
口の中にあった為か、舌ピアスは残っていた。
彩芽の周囲の肉の海の底、肉の繭からは、次々と光に包まれ生まれたままの姿の人々が、死ぬ直前の姿で繭を破って生まれて来る。
城の上からは、記憶のフィデーリスから帰還したストラディゴスとエドワルドが他の皆と共にフィデーリスを包む白い生命力の海で、繭から人々が生まれる光景を見守っていた。
マリアベールは、ソウル・イーターの中にいるヴェンガンと共に、内と外の両方から力場全域に蘇生魔法をかける事に全力を傾ける。
ヴェンガンは、最後の最後でマリアベールでも認めざるを得ない複雑な魔法を、精神体の身で編み出していた。
自身が人々にかけた祝福と呪いを利用して肉体の座標にし、自我を取り戻した人々の精神体を元の場所へと次々と導いていく。
祝福と呪いによる座標とは、個人を単純に点で表してはいない。
関係の複雑に入り乱れた糸を解きほぐし、一人一人を特定しなくてはならないのだ。
ヴェンガンは数万人から伸びる数えきれないほどの数の関係の糸を見極め、正しい肉体へと帰していた。
「アヤメ!」
ストラディゴスは城の上から目ざとく見つけると、肉の繭から全裸の人々が生まれだす城の階段を、笑い声をあげながら全速力で降り始めた。
マリードとゾフルは、まさかと思い、闘技場に駆け出す。
すると、その場にいたエドワルドと黒竜を除く全員が階下へと走り出した。
「お前は行かなくて良いのか?」
エドワルドが冗談半分に言うと、黒竜はエドワルドに懐く様に頭をこすり付けた。
「アヤメ~~~ッ!」
ストラディゴスが走ってくる。
彩芽は、裸のまま、向かってくる巨人の胸に飛びついた。
「ストラディゴス~~~ッ!」
ストラディゴスはキャッチすると、ぐるりと一回転して勢いを消し、彩芽の身体を腕で隠す様に抱きしめる。
「ちょっとぉっ! くるしぃよぉ!」
「すっすまん!」
「ストラディゴス、私よりもルカラは!?」
「ルカラもだが、服を着ろ!」
ストラディゴスは彩芽を下におろすと、上半身を裸になって、大きな服を渡した。
彩芽は巨人の匂いに包まれながら、ワンピースの様に服を着る。
ストラディゴスに案内され、ルカラがソウル・イーターに飲み込まれた場所へと走る。
しかし、待てども待てども、ルカラは肉の繭から出て来ない。
「本当に、ここなの?」
「流されてるかもしれないが、この辺の筈だ」
二人は肉の海が白い糸となって空へと引いていき、裸の人々で町中が埋め尽くされる中、必死にルカラを探し回った。
* * *
「あとは、お前達だけだ」
生き返りが不可能な者、自ら辞退した者を除き、精神世界に残ったのは、ヴェンガンとミセーリア、そしてセクレトの血族だけとなった。
セクレトの血族は、ルカラを除いて全員精神が癒着した状態になっていて、ルカラの影響を受けてなお、誰一人として分離が出来なかった。
あまりにも幼い頃に拷問や実験の末殺された者も多く、セクレト本人も度重なる拷問によって精神が分裂した末の最後の一人であり、本人とは呼べない存在になっている。
「ヴェンガン伯爵、あなたは?」
「カーラルア、まさか私の心配か?」
「心配なんかしてません。あなたは、どうするんですか?」
「私がここにいなければ、精神を肉体に帰す事は出来ない。どのみち私は、残った連中と同じく残るしか無い。そもそも、ミセーリア様と自分には、呪いなどかけていないからな」
「……」
「カーラルア、これで最後だ」
「ヴェンガン伯爵、質問です。これが最後なら……答えて下さい」
「……なんだね?」
「あなたは、本当は何をしたかったんですか? あなたは、本当に悪人なんですか?」
「カーラルア、おかしな事を聞く。私はお前にとっては完全な悪だったはずだ。それが全てだ。私はフィデーリスとミセーリア様以外の全てを捨てたんだ。何をしたかったか? どんな手を使ってもフィデーリスとミセーリア様を守りたかった。それだけだ」
「マリアベールさんは?」
「さては、記憶を覗いたな? まあいい。最初は助けたかったさ。マリアベールとは、あれで親友だったんだ。だが、それも最初だけだ。マリアベールは、あまりにも高潔だからな。すぐにフィデーリスも私の事も……ミセーリア様も……彼女には見せられなくなってしまった。それからは、邪魔でしかなかったよ。時々、何かを仕掛けて来る迷惑な墓守でいて欲しかったが、最後にあんな大勢で、自らも乗り込んでくるとはね……」
ヴェンガンは、マリアベールに結果的に殺された形だと言うのに、嬉しそうにマリアベールの事を語った。
「最後に、もう一つ……どうして、アヤメさんを目の敵に?」
「質問はそこまでだ。とっととその女に会いに行け。カーラルア」
ヴェンガンは質問をはぐらかした。
なぜ、彩芽を目の敵にしていたのか。
それは、彩芽の空気が、どこかマリアベールに似ていて、その彼女が奴隷を盗むと言う罪を犯したと思ったからであった。
ヴェンガンは、高潔なマリアベールに似た空気を持つのに、何も考えて無さそうな女が、自分とミセーリアの大事な物を盗み、闘技場で呑気に観戦している姿を見て、マリアベールを汚されたと勝手に感じていた。
だからこそ、ルカラの手で彩芽を拷問しようとまでしたのだ。
その認識が勘違いだと分かっても、マリアベールの仲間であると思い込んでからは、ヴェンガンを仇敵と認識したままのマリアベールから送られてきた厄介な存在と思い、邪魔で仕方が無かった。
ヴェンガンは、四百年前にミセーリアを庇ってついた嘘によって、マリアベールとの友情が壊れ、四百年間その事で苦しみ続けていた。
その嘘を、嘘だと明かし、四百年前とは別人の様に暴力的で残虐になった今の自分をさらけ出させられた事で、ヴェンガンはある意味で救われていた。
「今の私はルカラです」
ルカラが、最後にヴェンガンに名前を訂正すると、ヴェンガンはルカラがなぜ自分を失わないかが、わかった気がした。
ルカラは、彩芽によって奴隷では無く個人として定義された事で、フィデーリスの中で最も自分を強く持っていた。
それまで自分と言う物が逃亡奴隷でしか無かったルカラは、拷問官に身を落とし、永遠の別れを覚悟しても、彩芽の友人と言う大切な自分だけは、絶対に手放さなかった。
最も大切な自分を握り締め、守る事が、ルカラが十万を超える意志に溶け込んでも、自分を見失わない強い意志を持たせていたのだ。
セクレトからルカラは分離し、ヴェンガンの誘導に従って自分の肉体へと向かって行く。
別れ際、ヴェンガンはルカラと彩芽に言葉にはしなかったが、感謝していたのをルカラは感じた。
四百年前から続く争いの末、完全崩壊したフィデーリスを救ったのは、ルカラであり、ルカラを救ったのが彩芽だとヴェンガンは確信したからこそ漏れ出した本心である。
だが、言葉にしなかった事でフィデーリスを救った事を、彩芽が知る事は無い。
この沈黙が、ヴェンガンの、最後にした彩芽への意地悪であった。
「やはり、あの女は好きになれない」
笑いながらそう言うと、緩やかに崩壊する記憶のフィデーリスの中に、ミセーリアを抱えたヴェンガンは溶け込む。
他の残った者達、古の王に騎士達、贖罪の為に戦ったガモスや旧フィデーリス騎士団の面々、遺骨がソウル・イーターに取り込まれた事で父と再会したラタ。
そして、唯一残ったルカラと言う子孫を見送ったセクレトと血族達。
彼らは、ヴェンガンと同じ様に記憶に溶け込み消えると、ピレトス山脈の生命力の一部となる。
死体の消えた空の王墓は、浄化された最後の王を迎え、ようやく本来の静寂を取り戻した。
* * *
フィデーリスは生者で溢れかえった。
フィデーリスに残った最後の肉の繭が破れる。
ルカラは目を開けると、青空と月が一つだけ目に入った。
ずっと長い間悪い夢でも見ていて、ようやく目覚めた様な気分。
周囲を見回すと、ソウル・イーターの残りカスが白い生命力の糸を空に引き、完全に消え去りつつある。
崩壊したフィデーリスの町は、瓦礫が溢れ、更地同然になった区画もある。
周囲を囲んでいた城壁は全て綺麗に崩れ去り、フィデーリス城だけがやけに目立って見えた。
どこを見ても、裸の人だらけ。
その光景は、一度一つとなり、対等な関係だけとなった今のフィデーリスを表している様であった。
起きて知り合いを探している人もいれば、眠っている人もいる。
眠っている人は、一様に良い夢を見ているのが分かった。
「ルカラーーーーー!! どこーーーーー!!」
ルカラが振り向くと、巨人の肩に乗った女性が、大声で自分の事を呼んでいた。
「ルカラッーーーーー!!」
巨人も見当違いの方向に向かって大声で叫んでいる。
「アヤっ……スっ……」
ルカラは、二人に負けない大声で叫ぼうとした。
だが、声が出にくい。
声帯が新品になっていて、使い慣れていない様な感覚。
ルカラは、声が出ないならと立ち上がろうとする。
だが、足が初めて使うみたいに上手に動かせない。
自分の身体を見て、違和感に気付く。
傷が無い。
全身から傷跡が消え去っていた。
まるで、今まで全てのしがらみや呪縛から解放されたように。
匍匐前進まがいの這いずりから、ハイハイに移り、感覚が戻ってくると必死に足を踏ん張り、ヨロヨロと立ち上がり、転びそうになりながら駆けて行く。
「アヤメさん!! ストラディゴスさん!!」
やっと声が出た。
生まれ変わって初めて呼んだ名前。
その相手も、声に気付いた。
彩芽はストラディゴスの肩から飛び降りると、盛大に転び、それでもすぐに立ち上がって、ルカラに向かって走り出した。
城の最上階で籠城をしていたフィデーリス最後の生き残り達は安堵すると共に、城の外の光景を見て途方に暮れる。
自分達以外の誰もいなくなり、ソウル・イーターに飲み込まれたままのフィデーリスがそこにあり、この先の事など考えられる余裕もない。
生き残っても絶望しかない状況で、ルカラが飲み込まれた場所をマリードとゾフルが見つめていた。
「おい、あれ……」
「なんだ?」
それは、奇跡の様な光景だった。
* * *
崩壊は止まったが、緩やかな終焉を待つ記憶のフィデーリス。
再び元の姿に戻ったフィデーリスの闘技場で、全てが終わった事を実感しながら、セクレトが言葉を切り出す。
「そろそろ……お別れだね」
「セクレト、ソウル・イーターを解体するぞ……」
「うん、僕じゃうまく出来ない事だから」
「ねぇセクレト」
「なに? アヤメお姉ちゃん」
「私を守ってるって言ったよね。ルカラも同じ様に返して貰う事は出来ないの?」
「アヤメお姉ちゃんは、マリアベールお姉ちゃんの友達だし、僕に優しかったから、特別だよ……でも、その子、僕の一族だよね……今、代わるね」
セクレトが言うと、その見た目がルカラに変わる。
「アヤメさん!」
「ルカラ!」
抱き合う二人に、ストラディゴスも一緒に二人纏めて抱きしめる。
「上手くいったんですね」とルカラがストラディゴスに言った。
「お前のおかげだ。お前のおかげで……」
ストラディゴスはポロポロと大粒の涙を流しながら礼を言った。
ルカラは、自分の為に二人の人間が涙を流しているのを見て、命を懸けた事が間違いでは無かったと、静かに涙を流す。
そんな感動の場に、水を差す邪魔者が現れる。
「上手くいったみたいだな、マリアベール」
「ヴェンガン!? お前は、ミセーリアにさっき……」
「食われた。その通りだ。ミセーリア様の中の、憎しみと怒りの渦に飲み込まれ、私はミセーリア様の一部になっていた。だが、カーラルアのせい、いや、おかげと言うべきか……私は自我を取り戻した。そして、ミセーリア様も」
ヴェンガンは、赤ん坊の姿になったミセーリアを抱えていた。
「それが、ミセーリアなのか?」
「竜に取り込まれ、残ったのがこれだけだったと言う事なのか、お前達に憎しみを殺されたら、これしか残らなかったのか……それは、分からない。だが、いいかマリアベール。カーラルアの自我は、私の魔法に匹敵する強い力で、精神を守られている」
「自我が、守られているだと?」
「私の手元から逃げ出した五年の間に、魔法をかけられたのかもしれん。カーラルアの自我は、この世界に取り込まれてなお、自分を見失わず、自分と認識し続けている。ソウル・イーターをもう一度作るなら、カーラルアを使えば、より完璧な……」
「ヴェンガン!」
「あくまでも、事実の話だ。ミセーリア様がこうなった以上、残された資料を燃やせばマリアベール、お前以外にソウル・イーターは作れない。とにかくだ、カーラルアの影響で、私達は戻された。今、カーラルアの影響で、この世界の住人全員が一つでありながら、明確な自我も持っている状態にある。肉体の維持が出来ない為、長くは保たないが、ソウル・イーターは安定しているのだ。今まではセクレトの自我に乗って夢を見ているに過ぎなかったのが、お前達によって夢だと気付き、自分が誰だかを認識している。大半が自分が誰かを覚えているのだ。そして、このフィデーリスの大半の人間には、私の呪いがかけられている」
「何を言いたい?」
「私の呪いによって、まずは精神と肉体の座標を合わせる。あとは、お前のネクロマンスで再生すれば、大半の人間を、いや、ソウル・イーターによって部分的にでも生き返らせられた死者さえも、救う事が出来るはずだ」
「そんな事が、本当に可能なのか!?」
「マリアベール先生、私には才能は無かったかもしれない。だが、あなたとミセーリア様の傍で、これでも努力はしていたんだ。あなたから見れば大した魔法も使えない弟子だったかもしれないがね」
* * *
マリアベールによって、地下トンネルの刻印を通じてピレトス山脈の生命力が、ソウルイーターの海に急速に流れ込む。
肉の海は、方々が溢れる生命力によって白く光り、糸を空へと垂らしだす。
町の広間で繭を破る様に、一番初めに彩芽がソウル・イーターから解放された。
ソウル・イーターに取り込まれてしまったのか、服を着ていないが、ミセーリアにやられた身体の傷も消えていた。
口の中にあった為か、舌ピアスは残っていた。
彩芽の周囲の肉の海の底、肉の繭からは、次々と光に包まれ生まれたままの姿の人々が、死ぬ直前の姿で繭を破って生まれて来る。
城の上からは、記憶のフィデーリスから帰還したストラディゴスとエドワルドが他の皆と共にフィデーリスを包む白い生命力の海で、繭から人々が生まれる光景を見守っていた。
マリアベールは、ソウル・イーターの中にいるヴェンガンと共に、内と外の両方から力場全域に蘇生魔法をかける事に全力を傾ける。
ヴェンガンは、最後の最後でマリアベールでも認めざるを得ない複雑な魔法を、精神体の身で編み出していた。
自身が人々にかけた祝福と呪いを利用して肉体の座標にし、自我を取り戻した人々の精神体を元の場所へと次々と導いていく。
祝福と呪いによる座標とは、個人を単純に点で表してはいない。
関係の複雑に入り乱れた糸を解きほぐし、一人一人を特定しなくてはならないのだ。
ヴェンガンは数万人から伸びる数えきれないほどの数の関係の糸を見極め、正しい肉体へと帰していた。
「アヤメ!」
ストラディゴスは城の上から目ざとく見つけると、肉の繭から全裸の人々が生まれだす城の階段を、笑い声をあげながら全速力で降り始めた。
マリードとゾフルは、まさかと思い、闘技場に駆け出す。
すると、その場にいたエドワルドと黒竜を除く全員が階下へと走り出した。
「お前は行かなくて良いのか?」
エドワルドが冗談半分に言うと、黒竜はエドワルドに懐く様に頭をこすり付けた。
「アヤメ~~~ッ!」
ストラディゴスが走ってくる。
彩芽は、裸のまま、向かってくる巨人の胸に飛びついた。
「ストラディゴス~~~ッ!」
ストラディゴスはキャッチすると、ぐるりと一回転して勢いを消し、彩芽の身体を腕で隠す様に抱きしめる。
「ちょっとぉっ! くるしぃよぉ!」
「すっすまん!」
「ストラディゴス、私よりもルカラは!?」
「ルカラもだが、服を着ろ!」
ストラディゴスは彩芽を下におろすと、上半身を裸になって、大きな服を渡した。
彩芽は巨人の匂いに包まれながら、ワンピースの様に服を着る。
ストラディゴスに案内され、ルカラがソウル・イーターに飲み込まれた場所へと走る。
しかし、待てども待てども、ルカラは肉の繭から出て来ない。
「本当に、ここなの?」
「流されてるかもしれないが、この辺の筈だ」
二人は肉の海が白い糸となって空へと引いていき、裸の人々で町中が埋め尽くされる中、必死にルカラを探し回った。
* * *
「あとは、お前達だけだ」
生き返りが不可能な者、自ら辞退した者を除き、精神世界に残ったのは、ヴェンガンとミセーリア、そしてセクレトの血族だけとなった。
セクレトの血族は、ルカラを除いて全員精神が癒着した状態になっていて、ルカラの影響を受けてなお、誰一人として分離が出来なかった。
あまりにも幼い頃に拷問や実験の末殺された者も多く、セクレト本人も度重なる拷問によって精神が分裂した末の最後の一人であり、本人とは呼べない存在になっている。
「ヴェンガン伯爵、あなたは?」
「カーラルア、まさか私の心配か?」
「心配なんかしてません。あなたは、どうするんですか?」
「私がここにいなければ、精神を肉体に帰す事は出来ない。どのみち私は、残った連中と同じく残るしか無い。そもそも、ミセーリア様と自分には、呪いなどかけていないからな」
「……」
「カーラルア、これで最後だ」
「ヴェンガン伯爵、質問です。これが最後なら……答えて下さい」
「……なんだね?」
「あなたは、本当は何をしたかったんですか? あなたは、本当に悪人なんですか?」
「カーラルア、おかしな事を聞く。私はお前にとっては完全な悪だったはずだ。それが全てだ。私はフィデーリスとミセーリア様以外の全てを捨てたんだ。何をしたかったか? どんな手を使ってもフィデーリスとミセーリア様を守りたかった。それだけだ」
「マリアベールさんは?」
「さては、記憶を覗いたな? まあいい。最初は助けたかったさ。マリアベールとは、あれで親友だったんだ。だが、それも最初だけだ。マリアベールは、あまりにも高潔だからな。すぐにフィデーリスも私の事も……ミセーリア様も……彼女には見せられなくなってしまった。それからは、邪魔でしかなかったよ。時々、何かを仕掛けて来る迷惑な墓守でいて欲しかったが、最後にあんな大勢で、自らも乗り込んでくるとはね……」
ヴェンガンは、マリアベールに結果的に殺された形だと言うのに、嬉しそうにマリアベールの事を語った。
「最後に、もう一つ……どうして、アヤメさんを目の敵に?」
「質問はそこまでだ。とっととその女に会いに行け。カーラルア」
ヴェンガンは質問をはぐらかした。
なぜ、彩芽を目の敵にしていたのか。
それは、彩芽の空気が、どこかマリアベールに似ていて、その彼女が奴隷を盗むと言う罪を犯したと思ったからであった。
ヴェンガンは、高潔なマリアベールに似た空気を持つのに、何も考えて無さそうな女が、自分とミセーリアの大事な物を盗み、闘技場で呑気に観戦している姿を見て、マリアベールを汚されたと勝手に感じていた。
だからこそ、ルカラの手で彩芽を拷問しようとまでしたのだ。
その認識が勘違いだと分かっても、マリアベールの仲間であると思い込んでからは、ヴェンガンを仇敵と認識したままのマリアベールから送られてきた厄介な存在と思い、邪魔で仕方が無かった。
ヴェンガンは、四百年前にミセーリアを庇ってついた嘘によって、マリアベールとの友情が壊れ、四百年間その事で苦しみ続けていた。
その嘘を、嘘だと明かし、四百年前とは別人の様に暴力的で残虐になった今の自分をさらけ出させられた事で、ヴェンガンはある意味で救われていた。
「今の私はルカラです」
ルカラが、最後にヴェンガンに名前を訂正すると、ヴェンガンはルカラがなぜ自分を失わないかが、わかった気がした。
ルカラは、彩芽によって奴隷では無く個人として定義された事で、フィデーリスの中で最も自分を強く持っていた。
それまで自分と言う物が逃亡奴隷でしか無かったルカラは、拷問官に身を落とし、永遠の別れを覚悟しても、彩芽の友人と言う大切な自分だけは、絶対に手放さなかった。
最も大切な自分を握り締め、守る事が、ルカラが十万を超える意志に溶け込んでも、自分を見失わない強い意志を持たせていたのだ。
セクレトからルカラは分離し、ヴェンガンの誘導に従って自分の肉体へと向かって行く。
別れ際、ヴェンガンはルカラと彩芽に言葉にはしなかったが、感謝していたのをルカラは感じた。
四百年前から続く争いの末、完全崩壊したフィデーリスを救ったのは、ルカラであり、ルカラを救ったのが彩芽だとヴェンガンは確信したからこそ漏れ出した本心である。
だが、言葉にしなかった事でフィデーリスを救った事を、彩芽が知る事は無い。
この沈黙が、ヴェンガンの、最後にした彩芽への意地悪であった。
「やはり、あの女は好きになれない」
笑いながらそう言うと、緩やかに崩壊する記憶のフィデーリスの中に、ミセーリアを抱えたヴェンガンは溶け込む。
他の残った者達、古の王に騎士達、贖罪の為に戦ったガモスや旧フィデーリス騎士団の面々、遺骨がソウル・イーターに取り込まれた事で父と再会したラタ。
そして、唯一残ったルカラと言う子孫を見送ったセクレトと血族達。
彼らは、ヴェンガンと同じ様に記憶に溶け込み消えると、ピレトス山脈の生命力の一部となる。
死体の消えた空の王墓は、浄化された最後の王を迎え、ようやく本来の静寂を取り戻した。
* * *
フィデーリスは生者で溢れかえった。
フィデーリスに残った最後の肉の繭が破れる。
ルカラは目を開けると、青空と月が一つだけ目に入った。
ずっと長い間悪い夢でも見ていて、ようやく目覚めた様な気分。
周囲を見回すと、ソウル・イーターの残りカスが白い生命力の糸を空に引き、完全に消え去りつつある。
崩壊したフィデーリスの町は、瓦礫が溢れ、更地同然になった区画もある。
周囲を囲んでいた城壁は全て綺麗に崩れ去り、フィデーリス城だけがやけに目立って見えた。
どこを見ても、裸の人だらけ。
その光景は、一度一つとなり、対等な関係だけとなった今のフィデーリスを表している様であった。
起きて知り合いを探している人もいれば、眠っている人もいる。
眠っている人は、一様に良い夢を見ているのが分かった。
「ルカラーーーーー!! どこーーーーー!!」
ルカラが振り向くと、巨人の肩に乗った女性が、大声で自分の事を呼んでいた。
「ルカラッーーーーー!!」
巨人も見当違いの方向に向かって大声で叫んでいる。
「アヤっ……スっ……」
ルカラは、二人に負けない大声で叫ぼうとした。
だが、声が出にくい。
声帯が新品になっていて、使い慣れていない様な感覚。
ルカラは、声が出ないならと立ち上がろうとする。
だが、足が初めて使うみたいに上手に動かせない。
自分の身体を見て、違和感に気付く。
傷が無い。
全身から傷跡が消え去っていた。
まるで、今まで全てのしがらみや呪縛から解放されたように。
匍匐前進まがいの這いずりから、ハイハイに移り、感覚が戻ってくると必死に足を踏ん張り、ヨロヨロと立ち上がり、転びそうになりながら駆けて行く。
「アヤメさん!! ストラディゴスさん!!」
やっと声が出た。
生まれ変わって初めて呼んだ名前。
その相手も、声に気付いた。
彩芽はストラディゴスの肩から飛び降りると、盛大に転び、それでもすぐに立ち上がって、ルカラに向かって走り出した。
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