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第15章

彩芽、招待される

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 夕方、帰りの馬車の上。
 ルカラに葡萄とトマト、それにワインと燻製肉を買った帰り道。



 緊張するストラディゴスは、御者台の上で焦っていた。

 ブルローネまでは、残り数分。
 四頭の馬達に、彩芽にバレないレベルで歩みを遅くして欲しくて手綱を操るが、ストラディゴスはそこまで器用に馬車で馬は操れない。

 ストラディゴスの気持ちなど知らず、馬達はヒヒンと鳴いて機嫌が良さそうである。
 ブルローネ側で良く世話をして貰っているのだろう、毛並みが揃って美しく整っていた。

 だが、ストラディゴスには、馬の嘶きが、自分を笑っている声に聞こえていた。
『もうすぐ着いちまうぜ? このままじゃ、何も無くデートが終わっちゃうんじゃあないか?』



 市場で買い物をする時も気の利いた事は何も言えず、ムードとしては……
 荷台で優雅にくつろいでいるほろ酔いの彩芽を見ると、リラックスこそしているが、微妙な所である。

 このまま行くと、下手をすればブルローネの前で「はい、約束の」と軽くキスをして、デートは終了してしまう。

 それこそ、五歳の男女がするキスなど、たかが知れている。
 仮に唇だったとしても、一瞬触れるだけかもしれない。



 緊張で吐き気がしてきた。

 ネヴェルの滝で、彩芽に告白した時に似た、追い詰められた状態に近いのである。



「ねぇねぇ」

「な、な、な、なんだ!?」

「ううん、いいや」

 ほろ酔いの彩芽は、荷台の上で畳んである毛布を枕に、完全に横になってしまった。
 ストラディゴスは何を言いかけられたのかが気になって、生殺しの気分で馬を止める。

 彩芽はと言うと「いつキスするの?」なんて聞いたら、いよいよストラディゴスは追い詰められそうだと思って言葉を引っ込めたのだが、それなら最初から何も言わないであげる方が幾分か優しいが、酔っているのでどうしようもない。
 

「あ、あ、アヤメ」

「な~に? 着いたの?」

「いや、その、もう一ヶ所だけ寄っていいか?」

 口から出た、出まかせであった。
 完全な時間稼ぎである。

「どこ行くの?」

「そ、それは行ってのお楽しみだろ……」

「あんまり遅くならないなら良いよ」

「わかってる」

 馬車の向きを変えると、ストラディゴスは全神経を集中して考えた。
 記憶と目に入る全ての情報を照合して、最適解を探し出さねばならない。

 正真正銘のラストチャンス。
 これを逃せば、デートは穏やかに終了するだろう。

 それでも良い。

 それでも良いのだが、男なら仲を深めたいと考えるのが当然である。

 一歩前進したと受け止めて、引きさがっても良いが、今日と言う日に、少しでも爪痕を残したくて足掻くのも男である。



 人込みも疎らになり始めたフィラフット市場を馬車が進む中、ストラディゴスの目には、煙草を買った露店が目に入った。

 露店の店頭には、籠に入れられた乾燥した薬草や煙草が並んでいた。

 ストラディゴスの目に、一つの薬草が飛び込んでくる。

 アモルホッブと言う、それは強力な薬の材料であった。
 何の薬か?



 それは、媚薬である。



 ブルローネには、アモルホッブを溶かした香油が常備されていて、ストラディゴスは娼館通いをしていた時は毎度の様に使っていた。
 香油に溶かせば、塗っても、舐めても、焚いても、絶大な効果がある強力な媚薬である。

 乾燥した葉をお茶の要領で煮だし、煮詰めていけば強力な原液が簡単に作れる。
 原液で使えば、幻覚を見る程に扱いが危険な薬。

 値段こそ少し高いが、払えない額では無い。

 ちょっと、ほんの少しで良い。

 薄めたアモルホッブの香りを、少し嗅げば、ムードはゆったりと傾いていく。

 彩芽とストラディゴスは、関係上は恋人同士で、気持ちの上では、同意をしているのだ。



 ほんのちょっとだけ、最後の一押しに力を借りるだけ。



 酒のおかげで、会話が弾むのと一緒の事。

 罪悪感を感じなくてもいい……



 ストラディゴスは、葛藤の末、馬車を止めた。
 止める選択をしてしまったのだ。



「タバコ屋さん? 私、禁煙再開するつもりだよ」

「ちょっと待っててくれ」

 そそくさと馬車を降りると、露店のドワーフの店主の元へとストラディゴスは軽やかに駆け寄った。
 一度一線を超える事を決意すると、人は簡単に落ちていく。
 そして、どうしてろくでもない事をしていると、人は楽しそうにするのだろうか。

「いらっしゃい。また煙草かい? それとも他に何が御入り用で?」

「アモルホッブを一籠くれ」

 店主は、馬車の御者台に荷台向きで座って、ストラディゴスの背中を見て待っている彩芽を見た。

「お客さんのかみさんかい? えらいベッピンさんだねぇ」

 店主は、ストラディゴスを察して助平な笑いを浮かべると、ストラディゴスは優越感たっぷりに瞬きで答える。
 今の所、良い感じに最低である。

「羨ましいねぇ。はい、一籠で二百八十フォルト。使い方は分かるかね?」

「もちろん知ってる」

「そうかそうか、今夜は楽しみなよ。そうだ、お客さん、アモルホッブの花が入ってるんだ。一本持っていきなよ。俺からのサービスだ」

「花? どう使うんだ?」

「だはははは、使うって、乾せば葉っぱと同じになっちまうが、そのままじゃ使えねぇし、花は葉や根よりも強いんだぞ」

「つまり、干せば良いのか?」

「花は女にプレゼントする物だろ。 かみさんにやりなよ旦那」



 粋な店主であった。

 ストラディゴスは布袋一杯のアモルホッブと、一本の花を持って馬車に戻っていく。
 現時点で、頭の中では「干すか」と思っていた。

 ちょっと力を借りたいと自分に言い訳をしていたのは、何だったのか。

 頭の上では、煩悩に突き動かされているストラディゴスが、天使と悪魔のストラディゴス相手にマウントをとって止められない状態であった。



「何買ったの? 楽しそうだったけど」

「あ、ああ……お前に、花を……買っていたんだ」

 ストラディゴスは、彩芽に一輪の鮮やかなオレンジ色をした大きな花弁の花を見せた。
 ストラディゴスの予想では「わ~、ありがと」と軽く流される計算結果が出ていた。

 しかし、彩芽の反応は、そんな役に立たない計算結果とは全然違う物であった。

「……っわ……えっ?」

 花を差し出すストラディゴスを見ると、彩芽は本当に驚いた表情で花とストラディゴスの顔を行ったり来たり見る。

「ありがと……花なんて初めて貰ったから、どう反応して良いのか……」

 彩芽は花を受け取ると、試しに匂いを嗅いだ。
 青臭い匂いがするだけで、花の匂いは分からなかった。

「すごく、うれしい……」

 彩芽の満面の笑みによる返答。
 それはストラディゴスにとって、触れられない太陽の様であり、爽やかな風が吹いた様にさえ感じた。

 無垢な笑顔に中てられ、煩悩で動いていたストラディゴスの中のストラディゴスは、急に大人しくなっていく。

 毒気が風でかき消されて抜かれ、いつものストラディゴスが戻ってくると、握り締められた大量の媚薬の材料が途端に汚らわしく思えてきた。

 さっきまでの自分が、ストラディゴスは信じられなかった。
 あれだけ彩芽に相応しい男になろうと努力をしていたのに、目標の一つが近づくや否や最低のズルをしてでもショートカットをしようとしていたのだ。

「ん? その袋は?」

「あ、ああ、これは、煙草だ。煙草。エドワルドに、礼をしようと思って、花のついでだ、ははははは」

 ストラディゴスは乾いた笑いを吐きながら、荷台にアモルホッブ入りの袋を投げ入れた。
 次の町辺りで、さっさと売ってしまおうと処理方法を考えながら。



 彩芽が花を耳の上に挿した。

「それじゃあ、私も、花のお礼をしなくちゃね」

 彩芽は目を細めると唇をぺろりと舐め、ストラディゴスに指でこっちに来いと合図を送った。

 ストラディゴスは心の準備が出来ていないまま、言われるままに顔を近づける。
 すると、彩芽の顔がゆっくりと近づいてくる。

 彩芽の手が、頬にあてられ、ストラディゴスの顔は逆らえない絶対的な力で固定される。

 ストラディゴスの頭の中は沸騰していた。

 こんなに間近で彩芽の顔をちゃんと見た事は、今まで無かった。
 意気地の無い巨人は、ムードからではなく、ビビりから思わず目を閉じてしまう。

 そんなストラディゴスを見て、彩芽は、やはり不思議と可愛い奴だと思いながら、その唇に迫って行った。

 彩芽の息が顔にかかり、ワインの香りに包まれる。
 ストラディゴスは、彩芽とのファーストキスはワインの味と思いながら、後でワインを自分用に買おうと思った。



「失礼、ストラディゴス様とお連れの方ですね」

 突然声をかけられ、二人の唇は触れ合う前に止まってしまう。

 ストラディゴスは、内心涙目で泣きそうになりながら、邪魔者の顔を見た。

 そこには、一人の男が立っていた。
 状況が飲み込めず、立ち尽くす二人。

「おそれながら、ヴェンガン伯爵様がお二人を城へ招待したいと仰せです」
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