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第5章

彩芽、ズボンを無くす

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 着替えの目隠しである間仕切りの向こうから聞こえるオルデンの声が、珍しく焦って聞こえた。



 彩芽のズボンは、洗濯が終わった後にアイロンをかけられ、畳まれた。
 その後、誰かが間違えて「オルデン公の青いズボンが使用人の服に混ざっている」と慌てて、オルデンの衣裳部屋へと運ばれる。

 すると、オルデンに仕えているメイド達は、服を片付けていく中で、手触りが違うズボンに気付く。
 それを広げてみると、ズボンの裾も膝もボロボロに破れ、繊維が飛び出しているでは無いか。
 洗濯係に事情を聴いても、オルデンのズボンで破れなど、誰も知らない。
 洗濯係は、ストラディゴスの客のズボンだと認識しているからだ。

 いつボロボロになったか分からないズボンだが、オルデンの持ち物であるなら、勝手に捨てるわけにはいかず、といってすぐに補修できるダメージでは無い。
 意を決してオルデンにお伺いを立てると、オルデンは笑顔で「それなら、捨ててくれ」とあっさり言う。

 沢山持っている似た様な自分のズボンの一つがダメになって、いちいち確認する事は無い。

 こうして彩芽のズボンは、あっさりと捨てられる事となったのだった。



 なぜ、その様な詳細が分かるのかと言えば、その場にいるルイシーを除くメイド全員が、もろに関わってしまい、オルデンが自分が悪いと彩芽に謝罪するのを聞きながら、自分達が協力して捨てた事に気付いたからであった。

(ちょっと、あれだよね)
(あれだ……)
(やっちゃった……)

 メイド達の顔には、嫌な汗がダラダラと流れていた。
 アイコンタクトで事態を把握しあう七人のメイド達。

 オルデンの賓客の物を間違って捨てたとあれば、下手をすると仕事ではなく、物理的に首が飛びかねないと皆が思う。

 この場合、オルデン相手なら慈悲を期待出来る。
 だが、良く知らない彩芽が被害者なのだ。

 彩芽が、うっかり犯人捜しでも求めてしまったら、その時は大変な事になる。
 彩芽が犯人に厳罰を求めれば、オルデンが止められるのかはメイド達には分からない。

 領主にとって賓客と一介のメイドのどちらが大事かを考えれば、答えは分かりきっている。



「アヤメ、あのズボンは、その……もしかして、思い入れのある品、だったのかい?」
 オルデンにこれ以上深く突っ込まないで、早く解決して欲しいと「この思い届け!」とメイド達は各々で念を送る。

 あんなボロボロのズボンに思い入れも何も、ただの普段着であれと願うが、彩芽の答えは違った。

「えっと、そうですね」
 オルデンに言われ、長年使い倒したと言う意味では、まあまあ愛着があったなと彩芽はぼんやりと思い答えた。

 しかし、それを聞いていたメイド達からすると、危険度が増したようにしか思えなかった。

 いざとなれば、全員でしらを切り通すか、とアイコンタクトをする。

 だが、オルデンにお伺いを立ててしまっているので、それは出来ない事を、報告をしたメイドがアイコンタクトと静かに首を横に振る事で皆に伝える。

 この中で誰かを生贄に出すしか無いかと、お互いを見始める。
 生き残るためには、もうこうするしかない。

 ほとんどの者が、フォルサ傭兵団時代からの仲である。
 目を見て考えが伝わってしまう。
 普段は仲が良いが、お人好しなだけでは生き残れないと全員が心得ている。

 そんな負の以心伝心によって、勝手に疑心暗鬼に落ち込んでいくメイド達。

(誰を切り捨てる……)
(誰が切り捨てられる!?)
(……私を切り捨てる気!?)

 かつては戦場で修羅場を経験してきた為か、メイド達は場にそぐわない雰囲気を醸し出す。

「本当に申し訳ない事をしてしまった。この埋め合わせをさせて欲しい」
 オルデンの言葉を聞き、メイド達は彩芽の返事に全神経を集中させる。

 悪くても全員が城を追い出されるぐらいであって欲しいと、今度は彩芽相手に念を送る。

 ところが、当の彩芽は、そんなメイド達の変な空気の意味に気付いている筈も無く、マイペースであった。

「代わりの服を頂けるなら、私はそれで」
 と、あっさり。

 彩芽の言葉を聞いて、メイド達は胸を撫でおろす。

(セーフ!)
 と七人全員が思い、シンクロして汗をぬぐう。

 さっきまで蹴落としあいを目だけで演じていた彼女らは、いつもこんな感じだ。
 だが、とりあえずメイドをしている間に欠員が出たためしはなく、こうしていつもの仕事に戻るのがお約束である。

「それなら、すぐに用意させよう。今すぐ仕立屋を手配してくれ。申し訳ないが服が出来るまでは城にある服で我慢してほしい」

 メイドの一人が、オルデンにお辞儀をして部屋を出て行った。

「あ、はい。そんな急がなくても大丈夫ですよ、ストラディゴスさんが用意してくれた服が乾けば、それを着られるんで、それまでは何でも」
「そう言ってもらえると助かるよ。月が重なるまでは、まだ少し時間があるし、他の服も見てみてくれ」

 また一人のメイドが、彩芽とオルデンにお辞儀をして、洗濯籠をもって部屋を出て行った。



 * * *



 結局、楽に着れると言う理由で、彩芽はドレスの一着を選ぶ事になった。

 オルデンと揃いの、深い蒼色。
 装飾は少なく動きやすいドレスである。

 カードが終わり次第、身体のサイズを計って、オルデン公が贔屓にしている一流の仕立職人に服を作らせる事に決まると、着替えの手伝いが必要無くなりメイド達は全員部屋を出された。

 彩芽は、衣裳部屋でオルデンと二人きりとなる。



「アヤメ、そのドレスだが、すごくよく似合っている」
「ありがとうございます」

 オルデンは、この時を待っていたとばかりに、話を始めた。

「いきなりで申し訳ないが、アヤメはパトリシアと言う人は知っているかな?」
「パトリシアさんですか? いいえ」

 彩芽は、日本人の耳と口に優しい外国人名だなと思った。
 日本に住んでいた時にも、知り合いにはいない名前である。

「パトリシアは、この世界では、それなりに有名人でね。今から六年前に異世界から来たと言う女性だよ」
「異世界から……私と同じと言う事ですね」

「そう、パトリシアは、友人と旅の途中に、この世界に迷い込んで来たらしい。僕も実際に会った事は無い。彼女達は最初この世界に来た時、言葉が喋れなかったそうだ。口をきけないんじゃなくて、元いた世界の言葉しか喋れなかったんだ。最初は相当不自由したらしいが、アヤメはどこで言葉を?」

「それは、なんか自然に……」
 そうとしか言えないし、言い様が無い。

「……母国語がこの世界の言葉と似ていたとか?」
 オルデンは、異世界の事を楽しそうに推理し、想像する。

「いえ、今もこうして話していると、聞こえる言葉がこの世界の言葉だなってわかるんです。でも、頭の中で、日本語って言う私の国の言葉に変換されて、喋る時は、日本語でしゃべっているつもりなのに、口が勝手にこの世界の言葉に変換してくれて」

「……興味深い。本当にに興味深いよ。つまり、アヤメは、本来はこの世界の言葉がパトリシア達と同じ様に分からないんだね? どうして分かるようになったのだろう……」

「この世界の魔法で出来ないんですか?」
「出来る魔法使いはいるかもしれないけど、僕は知らないな。それよりも、アヤメ、話を聞けば聞く程、君と言う存在は、特別で興味深い」

 そう言うオルデンは、彩芽をまるで憧れの存在を見るかのような目で見ていた。
 彩芽は、オルデンに言われて、改めで何故言葉が喋れるのだろうかと考えるが、当然理由は思い浮かばない。

 彩芽が答えの出ない事を考えていると、オルデンは窓の外を、残念そうに見た。

「そろそろ月が重なりそうだ。二人は、もう待っているかもしれない……行こうか」
 オルデンが手を差し出すと、彩芽はその手をそっと握りしめた。
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