ポンコツ女子は異世界で甘やかされる

三ツ矢美咲

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はじまり

彩芽、転移する

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 遠くの空に、竜が飛んでいるのが見えた。
 月は空に二つあり、一つは見ていて分かるぐらいのスピードで空を横切り流れている。
 眼下に広がる町並みは、西洋風でいて、どこか住む人々の文化それ自体に、見る人がすぐには気付かない違和感を感じさせるものがある。
 まさしく剣と魔法のファンタジー世界そのものであり、商店が立ち並ぶ朝市には様々な人種の人々が溢れかえっているのが見えた。

「えええええええええええええええええええええーーーーーーーーーー!?」

 そこがどこなのかは分からない。
 でも、地球では無いどこかにいる事だけは確かに分かった。


 * * *


 木城彩芽きじょうあやめ(成人)。

 生まれも育ちも東京都、O区。
 母親が自分を生んだ時に亡くなり、父子家庭で育つも、その父親とも交通事故で数年前に死別。
 兄弟姉妹はおらず、胸を張って友達と呼べる知り合いは片手で足りる。
 現在、彼氏無し。

 彼女は、ついこの間まで都内の中堅IT企業D社にフリーランスのプログラマーとして雇われていた。
 フリーランスでも、一つの会社からの依頼を外注として請け負い、主な生計を立てるのは普通の事である。
 要望には可能な限り応えて来たし、納期には常に間に合わせてきた。
 仕事先からの信頼もあったし、悪評も無かった。

 趣味は近所に住む野良猫のクロ(色が黒いから)に餌をあげる事。
 飼いたいが動物アレルギー持ちで、過去には猫カフェにマスクをつけて行ったのが原因で、呼吸困難になり病院に担ぎ込まれた事もある。

 そう言う意味では、欲望に忠実である。

 ここ数年は、都内の二階建てアパート一階の風呂無し六畳一間で、質素な独り暮らしをしている。
 ちなみに、家賃は五万三千円である。

 大きな不満は無いが、同時に大した希望も無い、そんな生活を送って今に至る。


 * * *


 全ての始まりは、夏のあの日、突然に始まった。
 セミがこれでもかと愛を叫ぶ真夏日、平日の午前11時。

「あちぃ……」

 彩芽は、部屋でぐったりとしていた。

 大きな不満が無いと書いたが、あれは今や嘘である。
 目下の不満は、このご時世の部屋に扇風機しかない事であった。

 だが、壁を見るとザラザラの土壁には、今どき見ない木目調のエアコンがあるにはある。
 問題は故障していて、動かすと水が漏れてきて室内が水浸しになるのだ。
 ラジエーターあたりがイカレテいるのは分かるが、なにぶん修理の技術が無い。
 専門はパソコンやスマホのアプリ開発で、エアコンは専門外である。
 修理業者が来るのが一週間後なので、リサイクルショップで買ってきた扇風機に頼る他に無い。

 それよりも、大きな不満もある。
 主な仕事の依頼元だったIT企業の社長が一昨日に夜逃げをして、依頼以前に事業継続が絶望的な状態と連絡が入ったのだ。
 にもかかわらず、担当者は何かあるかもしれないから報酬の確証は無いが仕事を続けて欲しいと泣きついてきた。
 ただ働きなんてやっていられないのでもちろん断ったが、主な収入源が途絶えた今、コネが無いならフリーランスを捨てて再就職しなければならない。
 その合否通知の電話を待っているのだが、それが来ないのでぐったりとしているのだった。

 だが、直接会った事も無い社長にも夜逃げしたくなる理由があったのだろうと、そこを責める気にはならなかった。

 人生山あり谷ありでも、他人の谷のツケが回ってくる事をイチイチ責めていては、キリがない。

「変えられるのは、いつだって自分の人生の山と谷だけだ」
 と、最近誰かがテレビで言っていたなと思い出す。
 良い事言うじゃん、と曖昧に思い出しながらも、どこかで少し寂しいなとも思った。

 だが、まあ、余分な金こそ持って無いが、すぐに死ぬほど切迫している訳でもないので焦る事も無い。

 スマホを見ても、スパムメールさえ来やしない。

 歯で舌ピアスを引っかけ、カチカチと口の中でピアスを遊ぶ。
 彩芽が暇な時や、考え事をする時に出る癖である。

 もっとも、パンツ一枚で畳の上に寝転がり、豊満な胸に畳跡をつけて床に押しつぶす状況では、頭は欠片も働いてはいない。
 正直、おっぱいなんて大きくても、やたらと肩がこるし、こういう体勢では邪魔でさえある。
 冷たい床を探して本能のままに転がりまわるのにも、いい加減限界があった。

 この時の室温は、窓を開けているのに(道に面したベランダには、塀の目隠しと植え込みが一応ある)三十六度を超えていた。
 体温と同じぐらいあり、かなりの暑さである。

 カチカチカチ……
 舌は動くが、変わらず頭が働いていない。

 明る目の金髪に染めている背中まで届く長い髪が、汗で肌にべっとりと張り付き、うなじの蒸し暑さに比例して不快感が増していく。

 散らかった床を這って、すぐそこの台所にある小さな冷蔵庫まで行くと、中には猫缶とビール(別に銘柄にはこだわっていない)と、おつまみのサラミしか入っていない。
 ビールを二缶出して、一つをおでこに、もう一つを股間に挟むとパンツが缶の水滴でじんわりと濡れるが、引き換えに太い血管を流れる血液が冷えていき体温が少し下がる。

 人様には見せられない恰好だが、少しだけ生き返った気がする。
 だが、すぐにビール缶が温くなり、先ほどの快感は消えてしまう。

 このまま、だらけていても埒が明かない。
 上体を起こすと、おでこの温くなったビール缶を開けて、数口だけグビグビと飲んで乾いた喉を潤す。
 また少し生き返った気がした。

 ぬるめのクールダウンを潤滑油にして、ようやく動き始めた頭で考える。
 スマホだけ持って近所のファミレスか、平日昼間はガラガラの銭湯にでも避難しようと意気込む程度の気力が戻ってきた。

 気力が霧散しないうちに、行動を起こすしかない。
 やる気は行動で呼び起こされると、昔色んな意味で世話になったダメ上司が言っていたのを思い出す。
 誰が言っていたかは置いておき、行動は大事である。

 脱ぎ散らかしてあったリアルダメージジーンズを拾うとノソノソと足を通し、スリムな尻を収める。
 まずは人様の前に出ても、通報されない恰好にならなければならない。

 床を埋め尽くす古い雑誌や使いかけの化粧品、キーボードの汚いノートパソコン、いつか畳む予定の洗濯物、空のビール缶と灰皿に、捨て損ねたゴミ袋を乱暴にどける。
 ここ数時間行方知れずだった黒いブラジャーを探し出し、大きな胸を中に収納する。
 あばらが浮く程にスレンダーなのに、胸だけ前よりも少しキツイ。
 あと、とにかく暑い。
 下乳と、ワイヤーが入っている部分が熱を帯びて蒸れる。

 しかし、ノーブラで外に出るのには抵抗がある程度の羞恥心と理性は、この暑さでもギリッギリ残っていた。

 そうだ、と思い出し、壁にかけてある黒いパーカーのポケットを弄ってクシャクシャのタバコの箱(中南海)とノーマルのジッポライター、黄色いハートのシールが貼ってある携帯灰皿を取り出し、ジーパンの尻ポケットに突っ込む。

 さっきまで股に挟んでいたビール缶を特に思案する事も無く冷蔵庫に戻そうとすると、冷蔵庫の明かりがつかない事に気が付いた。
 気が付けば部屋の電灯も扇風機もスイッチがONの状態なのに停止している。

「え、冗談でしょ!?」

 玄関の上にあるブレーカーを見ると、どれも落ちていない。
 夏場にエアコンだけでなく、冷蔵庫と扇風機までもが同時に死んだら悲惨だったが、どうやら停電らしい。

 都会で停電なんて、かなり珍しい。
 だが、まあそれなら、そのうち復旧するだろう。

 まだキンキンに冷たい猫缶を冷蔵庫から取り出し、大学生の時に女友達から誕生日にプレゼントされて以来なんとなく着ているリアルな骨柄Tシャツを着る。
 髪を黒いゴムでまとめて雑にポニーテールにすると、ようやく外出の準備が整った。

 残念ながら、メイクをする気力は残っていなかったが、合コンに誘われている訳でも無しに気にしない事にした。


 * * *


「?」

 アパートの自分の部屋を出たつもりだったのだが、何かおかしい。

 普段ならば、そこには二階に上がる階段の影が落ち、狭い路地の光景が広がっている筈だった。
 大家さんの壁に貼ってある、いつも目が合う選挙ポスターも無い。
 それどころか、どこを見ても行きつけの銭湯の煙突は見当たらないし、ファミレスのある大通りに繋がる道も無い。

 使い古したサンダルで踏み出したそこは、西洋建築の街並みが広がる、どこか知らない海沿いの街だった。

 どうやら高台にあるらしく、眼下に広がる町並みが日の光を反射してキラキラと煌めき、頬を撫でる海風がえらく気持ちいい。
 これが海外旅行なら、写真の一枚でも記念に撮るのだろう。

 だが、そんな発想にはならなかった。
 反対を向くと、そこには丘の上に西洋建築の砦らしき物が見える。
 彩芽は、状況が分からず、部屋に戻ろうと後ろに下がる。
 すると、そこには壁があった。
 後ろを振り返ると、そこには今さっき出てきたアパートの扉が、無い。

 代わりに見た事も無い大きな建物の、観音開きの重厚な扉が閉じた状態で、そこにある。

「えええぇ!?」

 まさにキツネにつままれた様な感覚。

「えええええええええええええええええーーーーーーーー!!!???」

 と言う、意味のある言葉にもならない動揺しか湧きあがらない。
 ポケットのスマホを取り出し見ると、五分前の新着メッセージがホーム画面に表示されている。
 どうやら、再就職は成功したようだが、時間は十二時丁度を指し電波は圏外とある。
 その直後、圏外の表示の横で赤いバッテリーマークが点滅すると、画面が無慈悲にもブラックアウトしてしまう。
 これは充電のし忘れであり、停電は関係ない。

 ヤバい。
 メッセージにとりあえず返信したいのだが、スマホは反応しない。

 とりあえず落ち着こうと、タバコを口に咥え、ライターで火をつけようとする。
 だが、最近補充を怠っていたせいか、ちょうどオイル切れを起こし、火がつかない。

「そんなぁ~」

 これにはスマホのバッテリー切れよりも大きなショックを受け、その場で打ちひしがれる。
 やけくそにビールを飲もうと手に持った缶を見ると、猫缶である事に気付き、更に落ちこむ。

 あまりの暑さにビール程度の低アルコール飲料を数口飲んだぐらいで、あり得ないバッドトリップでもしたのか、全てが夢なのか。
 下手をすると熱中症でアパートの中で、自分は今まさに死にかけているのではないかとまで考え、頬を強めにつねる。

 目は覚めず、ただ頬が痛む。
 もう一度目を閉じ、後ろを振り返ると、そこにはやはり見た事の無い町並みが広がっている。
 夢では無い異常事態に目と眉を引くつかせていると、不意に誰かに声をかけられた。

「よう、そこのお姫さま」

 えらく低く渋い、身体がかなり大きな男性の声だった。
 こんな事態だが、とりあえずライターをポケットに押し込み、猫缶片手に返事をする。

「あの、よかったらで良いんですけど、火貰えませんか?」
 とりあえず、一服して落ち着こうと思ったのだが、どうもそうはいかないらしい。

「あ、何の話だ? それよりお姫さまよ。あんたいくらだ?」

 声のする上の方に振り返ると、そこには身長が三メートルを軽々超える髭面でマッチョの大男が立っていた。
 彩芽が一メートル七〇センチの身長なので、自分よりも身長が一メートル以上高い所にある顔を見上げる事になる。
 大男と目が合うと、驚きのあまり口からタバコが零れ落ちた。
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