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Epilogue

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紫陽花、薔薇、芍薬、かすみ草、ラナンキュラス、カーネーション。

可憐な花々が清楚に咲きこぼれ、紗の天幕は陽光を控えめに透かす。

バージンロードが一直線に輝いている。

なにもかもが純白だ。

なんでもない、けれど、逢沢家四代の思い出がつまった裏庭は、一面の雪景色のように幻想的に演出されている。

それだけじゃなくて。

祖父の巨大なテーブルが出現しているし、亡き父が作った様々な椅子が人数分並んでいる。

デコラティブな優美さを好んだ先代とは違い、合理的で潔いデザインを父は愛した。

普遍的なアイコンには届かなかったけれど、逢沢チェアは引く手あまたで。それゆえに、一脚も手元に残すことができなかったのだ。

全世界に散らばっていた義父のデザインをかき集めたのも、裏庭を本日限りのガーデンウェディング仕様に変身させたのも、

「問題は国籍だけ? 面倒なことは全部俺がするから。大丈夫、慣れてる」

と、満面の笑みで妻を捕獲した抜かりない男である。

人生の半分近くを共に生きてきた。

面倒なことは全て引き受けてくれた。

けれど、国籍だけじゃすまなかった。

「ひととしては決定的に欠落している」男との世界線は、問題だらけで平凡とは程遠い。

これまでも、きっとこのさきも。

今日なんか子どもたちの結婚式だったのである。





……うちの息子は、変態だったの? 禁断愛と同性愛の2択だったの? そしてなぜに妹の方を選ぶ? なぜに選ばなかった方も招く? 詰めが甘いんだよっ、地獄に落ちろやっ!

今日の佳き日、逢沢杏は元気に走り回っていた。

黒留袖なのにタスキ掛けして、黒子の如く気配を消し、配膳に介添え役にと勤しんでいた。

杏は、カメラマンしている夫ほどクレイジーではないし、式の進行に目を光らせている母ほどスーパードライでもない。

羞恥と感動のあいだで揺れる気持ちを持て余していたのだ。

ポーカーフェイスで働いていないと泣き出しそうだったのだ。

新郎新婦の家族3人だけでゲストをもてなすには、背景と化して走り回るしかなかったせいでもある。

ちなみに、杏の母はあの夏、二人のただならぬ関係を察するや否や、

「柚はお嫁にいけない、春馬に責任を取らせる」

と腹をくくった。毎度、決断が合理的で潔すぎると愕然としたものだ。

とにもかくにも、それだけで精一杯だったのに。

バージンロードでは新婦と新郎の友人が、バチバチに恋の火花を散らせているではないか!

新婦の友人は3人で、

「あれが噂の!」

「BLも眼福!」

「チュウしてる、カワイイー」

と手に手を取って、キャッキャウフフと悶えているではないか!

このただならぬ雰囲気に気づいていないのは、二人に挟まれ舞い上がっている新郎だけだっ! もうちょっと気配りしろやっ!

杏はテーブルに両手をついてガックリ項垂れた。

若かりし日の脳内花畑に、この景色を見せつけてやりたい! 

選んだ世界線の末路がコレだと、こんこんと説教してやりたい!

飴色の天板には、純白の生クリームと宝石みたいなベリーで彩られたショートケーキがどんと置かれている。

春風のような歌声が花びらを躍らせる。

最愛の息子と娘が、打ち震える杏のもとへと帰ってくる。

「母さん」とはにかむ声、「ママ!」と弾む声。

小さいころからなにも変わらない、ほかほかした笑顔がふたつ、駆け出さんばかりに。

花弁と祝福をまき散らす若人、美しい椅子に寄り添って目頭を光らせる母。

華やかな参列者を浮かび上がらせる白い背景に紛れて、彼は顔をくしゃくしゃにしている。しあわせに、と声には出さずに唇が祈っている。

……もしもあのとき選べなかったら、こんな景色は手に入らなかった。

こんな気持ちを知ることはなかった。

それだけじゃなくて、





「どこの馬の骨かもわからん男に娘はやらーん!」

「…私が産んだ馬の骨ですけど?」

「貴様にお父さんと呼ばれる筋合いはないー!」

「…20年もまえから、アキ君がお父さんですけど?」

「せめて年収1000万超えてから出直して来いー!」

「…あの子たちが婚姻届を持ってきたとき、変な顔してると思った。そういうベタな頑固おやじをやりたかったんだね…」

「我慢したよー! 柚に嫌われちゃうからー! 春馬も頑張ったしー! 認めざるを得ないよー!」

太陽に吠える千秋にエスコートされながら進む白い直線は、とても分厚い絨毯で。散りばめられた花びらがさくさくと足音を立てている。雪のプロムナードを散歩している気分になる。

「柚と歩けばよかったのに。せっかく作ったのに」

「可愛い娘を引き渡す役なんかしたくない! 大体、あいつらヴァージンじゃな、」

「アキ君! そういうこと言わない!」

「杏さんと歩きたいの! 俺たちだって結婚式したかったのに!」

すねる夫に杏は小さく笑ってしまった。

だから、あの子たちにこんな式をプレゼントしたのだろう。優しいひとなのだ。優しさの分配は壊滅的だけれど。

可愛い子どもたちが愛を誓った場所で足を止めて。

寄り添って夕の空を見上げた。

この古い家を訪れるのも、この眺めを見るのも、今日が最後になる。

本物の雪がひとひら天から落ちてくる。「は」という熱のこもった吐息が曇る。白く透き通った満月が、二人きりを見守っている。

ゲストと共にあの青年が帰ったら、木密地域は急に冬めいたから、

「うん、ジャムの恋人が神父?してくれるの。神通力があるから、お天気とか心配しなくていいよ」

と、のほほんと言った娘の言葉は本当だったのかもしれない。

その娘が呑気に、リッチな御曹司とかホテル王の跡取りとか、アメリカでセレブにモテまくったおかげで、うちの兄妹と今ヶ瀬姉弟は、例の超リッチな外資系ホテルへと一足先に向かっている。

いまごろ写真室で、柚の晴れ姿と、春馬との記念写真、あとは拡散用の今ヶ瀬君と柚のツーショットも撮っているはずだ。

子どもたちの秘密を守るための偽装工作は、そのあとの両家会食の席まで続く。

ひとさままで巻きこんでいるのだ、泣き言なんか言えないけれど、

あんな三角関係を見せつけられた上での、茶番劇ってどうよ……。

胃がますます痛くて、もう少しだけぐずぐずしていたくて、杏は無駄口を叩いた。

「アキ君、春馬にまで嘘をついたでしょ」

「…どれのこと?」

視線を斜め上に流し、小首を傾げてとぼける夫の横顔を、じっと覗きこむ。

「ひとめぼれして、ストーカーして、お持ち帰りして、デキ婚に持ちこんだって。ほぼ犯罪って」

「あぁ。でも、それはほんとのことでしょ?」

千秋はへらへら笑って見せてから、杏を自分のコートですっぽりと覆った。

やっぱり、やたらと肌触りがいいカシミアに、やっぱり、ただこくりと頷くことにする。

この暖かい嘘が、杏の小狡さをずっと覆い隠してきた。

杏がおぼろげな記憶に蓋をすることを許し、杏が正しさで傷つくことを許さなかった。

だから、あの夏、ビスクドールになった息子が、どこか虚ろに自分の出生について尋ねてきても、真相を教えることはできなかった。

一生、小狡く甘えると決めたのだから。

とても嬉しかったとだけ告白して。春馬は少しだけ頬を緩ませてくれたけれど。

チクリとした自己嫌悪まで、夫は見透かせるようだ。のんびりとした口調で核心を突いてくる。

「杏さん、あの夏休みは怖かったでしょ」

「…そうだね。いつ孫の顔を見ることになるかと。胃に穴が開きそうだったよ…」

「可愛い孫の顔、見せてくれないかなー。世間体とか戸籍とかは、俺たちの子どもってことにしてさ。いまから子沢山って、すごくカッコいいよねー」

ふんわりとまつげを伏せ、うっとりと杏の夫が微笑む。とても儚く美しいおとぎ話を語るように。

「なにが起きても、俺たちが守り抜けばいい」

とうとう涙がホロホロこぼれてしまう。

「……抹殺」

「ふふ、しないよー。春馬は俺の自慢の息子だよー。だから泣いてもいいんだよ」

すっかり馴染んだ腕に力強く抱きよせられる。その声色はすっかり父親らしくなっていた。

「杏さんは偉大なお母さんだよ。おばあちゃんやおかあさんと同じように」

清潔な夫の香りに誘われるように、涙が頬を伝い落ちる。

「俺に『家族』を教えてくれて。ありがとう、杏さん」

茜色の西日が、40代の面差しを照らして滲んで零れていく。タンポポの綿毛みたいな白雪が、黒い二人を優しく撫でていく。一面の雪景色が夢みたいで目がくらむ。

なにもかもが綺麗だ。

愛しい子どもたちが永遠を誓った場所で。

出会いから人生の半分近くの時間を経て、初めて。

杏は世界で一番好みの男に「好きです」と、とても小さく告げた。

それだけじゃなくて、

なにが起きても、何度繰り返しても、彼を選ぶに決まっている。







〈了〉
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