8 / 8
Epilogue
しおりを挟む紫陽花、薔薇、芍薬、かすみ草、ラナンキュラス、カーネーション。
可憐な花々が清楚に咲きこぼれ、紗の天幕は陽光を控えめに透かす。
バージンロードが一直線に輝いている。
なにもかもが純白だ。
なんでもない、けれど、逢沢家四代の思い出がつまった裏庭は、一面の雪景色のように幻想的に演出されている。
それだけじゃなくて。
祖父の巨大なテーブルが出現しているし、亡き父が作った様々な椅子が人数分並んでいる。
デコラティブな優美さを好んだ先代とは違い、合理的で潔いデザインを父は愛した。
普遍的なアイコンには届かなかったけれど、逢沢チェアは引く手あまたで。それゆえに、一脚も手元に残すことができなかったのだ。
全世界に散らばっていた義父のデザインをかき集めたのも、裏庭を本日限りのガーデンウェディング仕様に変身させたのも、
「問題は国籍だけ? 面倒なことは全部俺がするから。大丈夫、慣れてる」
と、満面の笑みで妻を捕獲した抜かりない男である。
人生の半分近くを共に生きてきた。
面倒なことは全て引き受けてくれた。
けれど、国籍だけじゃすまなかった。
「ひととしては決定的に欠落している」男との世界線は、問題だらけで平凡とは程遠い。
これまでも、きっとこのさきも。
今日なんか子どもたちの結婚式だったのである。
*
……うちの息子は、変態だったの? 禁断愛と同性愛の2択だったの? そしてなぜに妹の方を選ぶ? なぜに選ばなかった方も招く? 詰めが甘いんだよっ、地獄に落ちろやっ!
今日の佳き日、逢沢杏は元気に走り回っていた。
黒留袖なのにタスキ掛けして、黒子の如く気配を消し、配膳に介添え役にと勤しんでいた。
杏は、カメラマンしている夫ほどクレイジーではないし、式の進行に目を光らせている母ほど超ドライでもない。
羞恥と感動のあいだで揺れる気持ちを持て余していたのだ。
ポーカーフェイスで働いていないと泣き出しそうだったのだ。
新郎新婦の家族3人だけでゲストをもてなすには、背景と化して走り回るしかなかったせいでもある。
ちなみに、杏の母はあの夏、二人のただならぬ関係を察するや否や、
「柚はお嫁にいけない、春馬に責任を取らせる」
と腹をくくった。毎度、決断が合理的で潔すぎると愕然としたものだ。
とにもかくにも、それだけで精一杯だったのに。
バージンロードでは新婦と新郎の友人が、バチバチに恋の火花を散らせているではないか!
新婦の友人は3人で、
「あれが噂の!」
「BLも眼福!」
「チュウしてる、カワイイー」
と手に手を取って、キャッキャウフフと悶えているではないか!
このただならぬ雰囲気に気づいていないのは、二人に挟まれ舞い上がっている新郎だけだっ! もうちょっと気配りしろやっ!
杏はテーブルに両手をついてガックリ項垂れた。
若かりし日の脳内花畑に、この景色を見せつけてやりたい!
選んだ世界線の末路がコレだと、こんこんと説教してやりたい!
飴色の天板には、純白の生クリームと宝石みたいなベリーで彩られたショートケーキがどんと置かれている。
春風のような歌声が花びらを躍らせる。
最愛の息子と娘が、打ち震える杏のもとへと帰ってくる。
「母さん」とはにかむ声、「ママ!」と弾む声。
小さいころからなにも変わらない、ほかほかした笑顔がふたつ、駆け出さんばかりに。
花弁と祝福をまき散らす若人、美しい椅子に寄り添って目頭を光らせる母。
華やかな参列者を浮かび上がらせる白い背景に紛れて、彼は顔をくしゃくしゃにしている。しあわせに、と声には出さずに唇が祈っている。
……もしもあのとき選べなかったら、こんな景色は手に入らなかった。
こんな気持ちを知ることはなかった。
それだけじゃなくて、
*
「どこの馬の骨かもわからん男に娘はやらーん!」
「…私が産んだ馬の骨ですけど?」
「貴様にお父さんと呼ばれる筋合いはないー!」
「…20年もまえから、アキ君がお父さんですけど?」
「せめて年収1000万超えてから出直して来いー!」
「…あの子たちが婚姻届を持ってきたとき、変な顔してると思った。そういうベタな頑固おやじをやりたかったんだね…」
「我慢したよー! 柚に嫌われちゃうからー! 春馬も頑張ったしー! 認めざるを得ないよー!」
太陽に吠える千秋にエスコートされながら進む白い直線は、とても分厚い絨毯で。散りばめられた花びらがさくさくと足音を立てている。雪のプロムナードを散歩している気分になる。
「柚と歩けばよかったのに。せっかく作ったのに」
「可愛い娘を引き渡す役なんかしたくない! 大体、あいつらヴァージンじゃな、」
「アキ君! そういうこと言わない!」
「杏さんと歩きたいの! 俺たちだって結婚式したかったのに!」
すねる夫に杏は小さく笑ってしまった。
だから、あの子たちにこんな式をプレゼントしたのだろう。優しいひとなのだ。優しさの分配は壊滅的だけれど。
可愛い子どもたちが愛を誓った場所で足を止めて。
寄り添って夕の空を見上げた。
この古い家を訪れるのも、この眺めを見るのも、今日が最後になる。
本物の雪がひとひら天から落ちてくる。「は」という熱のこもった吐息が曇る。白く透き通った満月が、二人きりを見守っている。
ゲストと共にあの青年が帰ったら、木密地域は急に冬めいたから、
「うん、ジャムの恋人が神父?してくれるの。神通力があるから、お天気とか心配しなくていいよ」
と、のほほんと言った娘の言葉は本当だったのかもしれない。
その娘が呑気に、リッチな御曹司とかホテル王の跡取りとか、アメリカでセレブにモテまくったおかげで、うちの兄妹と今ヶ瀬姉弟は、例の超リッチな外資系ホテルへと一足先に向かっている。
いまごろ写真室で、柚の晴れ姿と、春馬との記念写真、あとは拡散用の今ヶ瀬君と柚のツーショットも撮っているはずだ。
子どもたちの秘密を守るための偽装工作は、そのあとの両家会食の席まで続く。
ひとさままで巻きこんでいるのだ、泣き言なんか言えないけれど、
あんな三角関係を見せつけられた上での、茶番劇ってどうよ……。
胃がますます痛くて、もう少しだけぐずぐずしていたくて、杏は無駄口を叩いた。
「アキ君、春馬にまで嘘をついたでしょ」
「…どれのこと?」
視線を斜め上に流し、小首を傾げてとぼける夫の横顔を、じっと覗きこむ。
「ひとめぼれして、ストーカーして、お持ち帰りして、デキ婚に持ちこんだって。ほぼ犯罪って」
「あぁ。でも、それはほんとのことでしょ?」
千秋はへらへら笑って見せてから、杏を自分のコートですっぽりと覆った。
やっぱり、やたらと肌触りがいいカシミアに、やっぱり、ただこくりと頷くことにする。
この暖かい嘘が、杏の小狡さをずっと覆い隠してきた。
杏がおぼろげな記憶に蓋をすることを許し、杏が正しさで傷つくことを許さなかった。
だから、あの夏、ビスクドールになった息子が、どこか虚ろに自分の出生について尋ねてきても、真相を教えることはできなかった。
一生、小狡く甘えると決めたのだから。
とても嬉しかったとだけ告白して。春馬は少しだけ頬を緩ませてくれたけれど。
チクリとした自己嫌悪まで、夫は見透かせるようだ。のんびりとした口調で核心を突いてくる。
「杏さん、あの夏休みは怖かったでしょ」
「…そうだね。いつ孫の顔を見ることになるかと。胃に穴が開きそうだったよ…」
「可愛い孫の顔、見せてくれないかなー。世間体とか戸籍とかは、俺たちの子どもってことにしてさ。いまから子沢山って、すごくカッコいいよねー」
ふんわりとまつげを伏せ、うっとりと杏の夫が微笑む。とても儚く美しいおとぎ話を語るように。
「なにが起きても、俺たちが守り抜けばいい」
とうとう涙がホロホロこぼれてしまう。
「……抹殺」
「ふふ、しないよー。春馬は俺の自慢の息子だよー。だから泣いてもいいんだよ」
すっかり馴染んだ腕に力強く抱きよせられる。その声色はすっかり父親らしくなっていた。
「杏さんは偉大なお母さんだよ。おばあちゃんやおかあさんと同じように」
清潔な夫の香りに誘われるように、涙が頬を伝い落ちる。
「俺に『家族』を教えてくれて。ありがとう、杏さん」
茜色の西日が、40代の面差しを照らして滲んで零れていく。タンポポの綿毛みたいな白雪が、黒い二人を優しく撫でていく。一面の雪景色が夢みたいで目がくらむ。
なにもかもが綺麗だ。
愛しい子どもたちが永遠を誓った場所で。
出会いから人生の半分近くの時間を経て、初めて。
杏は世界で一番好みの男に「好きです」と、とても小さく告げた。
それだけじゃなくて、
なにが起きても、何度繰り返しても、彼を選ぶに決まっている。
〈了〉
1
お気に入りに追加
26
この作品は感想を受け付けておりません。
あなたにおすすめの小説
先生!放課後の隣の教室から女子の喘ぎ声が聴こえました…
ヘロディア
恋愛
居残りを余儀なくされた高校生の主人公。
しかし、隣の部屋からかすかに女子の喘ぎ声が聴こえてくるのであった。
気になって覗いてみた主人公は、衝撃的な光景を目の当たりにする…
優しい微笑をください~上司の誤解をとく方法
栗原さとみ
恋愛
仕事のできる上司に、誤解され嫌われている私。どうやら会長の愛人でコネ入社だと思われているらしい…。その上浮気っぽいと思われているようで。上司はイケメンだし、仕事ぶりは素敵過ぎて、片想いを拗らせていくばかり。甘々オフィスラブ、王道のほっこり系恋愛話。
イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?
すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。
翔馬「俺、チャーハン。」
宏斗「俺もー。」
航平「俺、から揚げつけてー。」
優弥「俺はスープ付き。」
みんなガタイがよく、男前。
ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」
慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。
終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。
ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」
保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。
私は子供と一緒に・・・暮らしてる。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
翔馬「おいおい嘘だろ?」
宏斗「子供・・・いたんだ・・。」
航平「いくつん時の子だよ・・・・。」
優弥「マジか・・・。」
消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。
太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。
「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」
「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」
※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。
※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
遅咲きの恋の花は深い愛に溺れる
あさの紅茶
恋愛
学生のときにストーカーされたことがトラウマで恋愛に二の足を踏んでいる、橘和花(25)
仕事はできるが恋愛は下手なエリートチーム長、佐伯秀人(32)
職場で気分が悪くなった和花を助けてくれたのは、通りすがりの佐伯だった。
「あの、その、佐伯さんは覚えていらっしゃらないかもしれませんが、その節はお世話になりました」
「……とても驚きましたし心配しましたけど、元気な姿を見ることができてほっとしています」
和花と秀人、恋愛下手な二人の恋はここから始まった。
**********
このお話は他のサイトにも掲載しています
鬼上官と、深夜のオフィス
99
恋愛
「このままでは女としての潤いがないまま、生涯を終えてしまうのではないか。」
間もなく30歳となる私は、そんな焦燥感に駆られて婚活アプリを使ってデートの約束を取り付けた。
けれどある日の残業中、アプリを操作しているところを会社の同僚の「鬼上官」こと佐久間君に見られてしまい……?
「婚活アプリで相手を探すくらいだったら、俺を相手にすりゃいい話じゃないですか。」
鬼上官な同僚に翻弄される、深夜のオフィスでの出来事。
※性的な事柄をモチーフとしていますが
その描写は薄いです。
ヤクザの若頭は、年の離れた婚約者が可愛くて仕方がない
絹乃
恋愛
ヤクザの若頭の花隈(はなくま)には、婚約者がいる。十七歳下の少女で組長の一人娘である月葉(つきは)だ。保護者代わりの花隈は月葉のことをとても可愛がっているが、もちろん恋ではない。強面ヤクザと年の離れたお嬢さまの、恋に発展する前の、もどかしくドキドキするお話。
恋煩いの幸せレシピ ~社長と秘密の恋始めます~
神原オホカミ【書籍発売中】
恋愛
会社に内緒でダブルワークをしている芽生は、アルバイト先の居酒屋で自身が勤める会社の社長に遭遇。
一般社員の顔なんて覚えていないはずと思っていたのが間違いで、気が付けば、クビの代わりに週末に家政婦の仕事をすることに!?
美味しいご飯と家族と仕事と夢。
能天気色気無し女子が、横暴な俺様社長と繰り広げる、お料理恋愛ラブコメ。
※注意※ 2020年執筆作品
◆表紙画像は簡単表紙メーカー様で作成しています。
◆無断転写や内容の模倣はご遠慮ください。
◆大変申し訳ありませんが不定期更新です。また、予告なく非公開にすることがあります。
◆文章をAI学習に使うことは絶対にしないでください。
◆カクヨムさん/エブリスタさん/なろうさんでも掲載してます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる