魔王を倒したので砂漠でも緑化しようかと思う【完】

流水斎

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第四章

『先行きの変化』

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 刻一刻と緊張の高まる前線に、シグルドは満足の表情を浮かべていた。
 「《ロキ》のヤツが、もう少し戦場を用意してくれれば、こんなに焦れることもないのだが……」
 野盗の討伐などは飽きた。
 その点、先日の闘いは、心躍るものであった。
 英雄の名を冠するに値する、見事な腕前であった。それでも、更に強者が溢れているという———。
面白い。
 《竜殺し》の名を戴きながら、その討伐すべき《竜》が不在という間の抜けた状況の中で、シグルドは己の存在意義について疑念を抱いていた。———果たしてこれで、自分はシグルドであると誇れるのであろうか、と。
 名に縛られる世にあって、その名の体を為せないことは不幸であった。
 であるから、《ロキ》の勧めに従い、敵の最大戦力を《竜》と定めることとした。今回の遠征は、であるからして、《竜》討伐なのである。
 ———テセウスとかいう《竜》は、オレが討ち取る。
 戦の準備の進む偽装キャラバンを背景に、彼は滾るものを感じて、身震いした。



 ヘルメスは方針を決めかねていた。
 抵抗勢力を除くことはいい。その際に、イオの戦力に依存することについても、心中の折り合いはつけた。問題は、その後、である。単純に人数が足りないのである。
 戦って勝つまでは良いが、制圧する人員に不足しているのであった。
 後手に回っていると、改めて告げられた気になった。
 テセウスかネレウスに助力を頼むのが距離的には早いが、あちらが最前線である。余計な人員の抽出は避けたい。
 仕方ない……、と、ヘルメスはアロイスに連絡を取ることとした。

 ———アロイス卿、ヘルメスです。お耳を頂戴したく。
 ———急ぎのご様子ですな。して、何事かな?
 ———ベガ市の様子が望ましくありません。抵抗勢力を除くまでは我々で可能なのですが、その後の正常化までの人員に事欠きまして……。
 若干の恥じらいとともに告げる。こうした時に、ふと、自分は既に、中央ではなくヨナスのヘルメスなのだと自覚するのだ。
 借りをあまり作るのは望ましくないと、つい考えてしまう。
 ———承知した。予定とは異なるが、ニュクス師に汗を掻いて貰おう。デュキスを人員とともに送る。街道が最も森に近づく付近に一里塚があっただろう。あの近辺での待ち合わせで頼む。待機させるので、そちらから声掛け願いたい。急がせるが、人員の抽出と「清掃」、それに物資の確保に若干の時間が必要だ。なにせ、こちらはまだ、アーケイディアに到着もしていないからな。
 と、アロイスは笑った。
 心理的負担を軽くするのに長けた方だ……。ヘルメスはそう感じ入りながら、
 ———助かります。それでは。
 と、短く返した。
 しかし……。ヘルメスは忸怩たるものを感じた。———初手からイオに助力を頼むことになるか。
 潜入は得意とするところであるが、万一があってはならない状況で、冒険をする性格ではなかった。まして、自分よりも遥かに潜入特化の人材が居るのである。
 ———少し怖いが、次のイオの願いは、断らずに聞いてやろう。
 そう思い、アストライアと戯れるイオに向かって、歩を進めた。
 夜の王、イモータルと呼ばれるイオとて、無敵ではないことを、ヘルメスは忘れていた。そのことがどのような影響を及ぼすかは、今後のヘルメスの思考能力と察知能力に委ねられていた。
 アストライアが気づき、イオが迎える。
 それが当たり前の光景になりつつあることに、ヘルメスは妙な気恥ずかしさを覚えていた。思えば、友人と呼べるのはこれまで、面倒くさい確執が挟まった、テセウスだけだったのである。



 自分の生を信じられなくなりそうな光景であった。
 辺りには鱗粉のような光が飛び交い、仄かに夜の帳を明るくした。
 ———幻想的であった。
 恍惚としながらそれらに取り巻かれていると、不意に寂しくなった。
 このような景色は、親しき仲の者と共有したかった、と……。親しき仲とはどこまでを示すのかと心中を探ると、テセウスを中心に、思いの外広くになっていたことに気づき、驚かされた。
 義父のみで完結していた幼少期とは、何もかもが違う。
 「———これは素晴らしいな。いったい何なのだろう、この光は」
 「ああ、アロイス卿、お疲れ様です。私にも不明なのですが、湖畔に足を踏み入れたら、このようなことになって驚いておりました」
 ヘスティアは慎重に言葉を選んで回答した。
 警戒からではない、誤解を避けるための話術であった。
 「ヘスティア師が中心のようだな。美女には嵌り過ぎて、少し怖いくらいだ」
 「そのようなことを仰るアロイス卿の奥方様は、美の化身ではありませんか。恐れ多くて恐縮してしまいます」
 口にゆったりとした袖を当てて苦笑すると、
 「いや、本当に美しかったのだ。何やら、別世界に連れて行かれそうでもあった」
 しみじみと語り、アロイスはゆっくりとヘスティアに近寄った。光の群れを散らしてしまうのが惜しいと、その行動が示していた。
 「ヘスティア師には、このようなことがなくとも、特別な何かを感じてしまうな。年齢にしては超然とされている」
 「そんなことはありませんよ。年齢通りの、ただの小娘です」
 と、微笑みを返す。
 「いや、失礼であったなら答えずともよいが、持って生まれた異能の強さから、インプラント施術を受けなかったというのは本当かね?」
 気まずそうな表情で、アロイスが問うた。
 確かに、おいそれと他人に話すような内容ではない。
 「ええ、概ねその通りです。正確には、異能の強さと、その能力、両面で施術を諦めました。私の力は、本来、個人が持っていていいものではありません」
 と、間を置き、
 「私は《共感》と呼ばれることになった能力を所持しています。発現の記録は、現在のところなく、———私のみになっています」
 少し驚いた表情でアロイスは、
 「それは答えにくいことを……」
 「いえ、いいのです。我々は、本人が望まずとも、テセウス様を中心に寄り集まった、運命共同体です。本来、このような危険な能力を、皆様に秘していること自体が裏切りなのです……」
 少し俯きながら、ヘスティアは言った。
 「《共感》とは、よくある異能である《読心》とは異なり、表層だけではなく、深層まで心理の片鱗を読み取ります。多用すると非常に疲れますし、意識の境界が曖昧になるので、私自身、コントロール可能に訓練したのちは、発動したことがありません」
 「———なんと!!」
 アロイスは、大きく驚いた。
 ある一定の条件下では、その能力は万能に近い。
 「このような能力は表に出てはいけませんし、必要な状況になど追い込まれたくありませんので……。ですから、能力が必然と強化される可能性が高いインプラント施術は避けたのです」
 アロイスは深々と腰を折り、ヘスティアに詫びた。
 「答えにくいことを、よくもここまで……。本当に、申し訳ないことをした」
 「回答したのは私の意志です。気に病むことはございません。それに、こんな夜ですから、不思議のひとつもあったほうが、それらしいでしょう」
 と、周囲をまだ漂っている光の群れに手を差し伸べ、ヘスティアは頷いた。
 「それはそうと、アロイス卿は、何かご用事ですか?」
 と、アロイスは表情を改め、
 「———そうであった。思念でヘルメス卿から連絡があってな、少し旅程を早めねばならなくなった。そのつもりでお願いしたい。差し当たっては、今夜はここで投宿の予定であったが、出発となった」
 「随分と急ぎなのですね」
 「ベガの様子が良くないらしい。アーケイディアから人員を送ることとなった」
 アロイスは頷き、そう続けた。
 名残惜しく光の群れを振り返ってから、ヘスティアはアロイスに従い、キャリアへと戻った。
 夜中の強行軍は疲れを呼ぶが、さりとて、後日に事態の収拾に苦労をするくらいであるならば、現在、多少を割引いて、前払いで苦労を背負うことなど、物の数ではなかった。
 彼女らの去った後、光の群れが湖畔に凝って、何らかの形を象ろうとしていた。
 結果としては失敗したが、光たちは、それが可能なのだと知った。
 ならば、可能になる《場》があれば良いと、それぞれに散った。
 群体であるので、離れていても、意思の疎通に影響はなかった。

 ———彼らが向かったのはアルタイル、テセウスの許と、ベガ、イオの許であった。



 加藤の興味は、「魂の理論」を置いて、荒野の世界の成り立ちというか、概念の影響力に移っていた。
 魔法めいた異能についても興味深く、それが世界と連結した事象であることまでは答えに至っていた。無論、研究者としては忸怩たることに、実証は不可能であるが———。
 調査の結果、サンプルに問題があったとしても、聖痕と荒野の世界の運命確率の汚染は別物であることが理解出来た。思念・概念が強く現実に影響し、物理的に作用するところまでは共通であるが、主観と客観の違いがそこにはあった。
 つまり、自らが何らかの形、例えば信仰などで感じる、思い込むことによって発生する聖痕とは異なり、荒野の世界では、他の意識の集合や、世界そのものから存在を既定される点が異なるのである。
 これは恐ろしいことである。
 例として極端ではあるが、冤罪で捕らえられた人物のことを、マスメディアの論調などで世論が犯人と断じた場合、その人物が犯人と既定されてしまうのである。
 だが、利用法次第によっては、夢の到来でもあった。
 「在れ」と願う力が強ければ、例えば魔法のように、指先に火を灯すことも可能となるであろう。その影響力、存在力とも呼べるものが大きいのが多分、テセウスのような、あの世界での強者であるのだ。

 加藤はまったく気がついていなかった。
 由紀子が不安げな表情で、背中を見つめていることに———。
 イオが警告したことを破っても、思考研究を止めない異常さにも———。
 この現世でも、概念が事象に影響を及ぼせる事態が訪れた時、ふたつの世界がさながら地続きのようになってしまうことにも———。
 加藤は忘れていた。
 テセウスの影響が加藤に届かない、乗っ取られたりしないのは、思念が物理に影響出来ない、この世界の構造によって護られているのだと———。
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