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第三章

『タフ・ネゴシエイション』

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 ゴルベリアスの周辺に集まった無数の羊や山羊。
馬も居ないではないが騎乗用の少数でしかない。あくまで遊牧生活のワンシーンと言った風情だが、そこにはある種の違和感があった。そしてゴルベリアス市民の中に恐怖と不満を抱える一派と、逆に期待感と不満を混ぜ合わせたような視線を感じる。

前者は遊牧民に対する地元民の感情。後者は難民が抱く羊への感情だろう。それらを庇うように展開する自警団や、同行して来たと思わしき巡検隊を見て、俺はおぼろげながらにオルバの思惑を理解した。

(友好と見せかけて威力偵察しに来やがった!)
 ただの交易だとしたら違和感が出て当然だ。
砂漠を突っ切ってその向こうにある荒野に辿り着いたのでは割りが合わない。これで交易都市なり宝石鉱山でもあって、ここで大規模な取引でも起きるならば話は別なのだが。そうではないので、経済活動では無いだろう。

そして経済観念の薄い時代だからこそ、報告は微妙だった。
だが現代人である俺にとって、経済活動ではないのであればある程度想像できることがある。軍隊用語で言えば威力偵察とは、痛みを伴ってでも行う対応確認のことである。

(パトロール隊や残存部隊を把握されたな……)
(俺が残って居たら気が付けたか? もしそうなら失態だ)
(その場合は答礼の使者だけ出して、しれっと話でもすればいい)
(とはいえ遅れて来たから全容を把握できただけで、この規模の家畜を順次連れて来られたら気が付けない可能性が高いな。問題は威力偵察だけじゃないって事だが……奴の目的は何だ?)
 領主から下まで、全体の対応を確認しているのは間違いない。
だが、それだけで大きな無駄をするとは思えないのだ。イザこの都市を切り取る時の為に防衛力を確認するとか、逆に攻撃的な身内を説得するための材料にする。そこまでは理解できる。だが、馬鹿正直に塩の代金に羊を連れて来たとは思えまい。

何らかの『買い物』をする為であると思われた。
もし何かの要求を突きつけ、羊を食料として渡す予定ならば、難民たちに期待をさせて不満を煽るのは良い手であろう。どうせ旧来の市民は遊牧民に不満しか抱えないのだから気にしても仕方がない(どの道、俺への不満は溜まる)。

「新しき友よ。そんなに急いで何処に行くのだ?」
「上半分の魔物を片付けてきたところでな。下半分を見に行くところなんだが、どうだい新しき友よ。水を駆けつけ一杯ほど」
 厚かましい顔で話しかけて来たオルバに俺は約束通りに対応した。
サンプルである塩をつまみに並べて、冷やして置いた……飲み水用の竹水道からの水を桶で出す。サンプルとその一杯だけなら無償で渡すぞ、それ以上は購入しろよというサインでもある。

オルバはそれを受け取ると一口分だけコップに移し、残りを近くに居た女性や子供に『お前たちもいただきなさい』と手渡す。真っ先にリーダーである自分が受け取ることで権威を示すが、その後は年若い者に譲るという度量を見せていた。こういう所は俺がなだ及ばない点だな。

「冷たいだけではなく美味いな。どうしてか聞いても良いかね?」
「そりゃお前さんらが乾いた場所を越えて、しかも汗をかいたからだろ? 汗を流すと塩や水が欲しくなる。工夫もあるが、それが何よりさ。腹を空かせていれば豆も肉も美味く食える。そりゃ塩や香辛料をたっぷり利かせていればより美味くはあるがね」
 塩をつまみながら笑うオルバに俺も微笑み返した。
リーダー格の一人で外交官である彼が無知な筈はない。だが、あえて話を振ってきた以上は、塩の話題もしたいのだろう。だから俺もがっつかない程度に肉の話をしておいた。どうせお互いにメインの商売をするならその辺りに成るのだ。問題はこちらはともかく、向こうに砂漠を渡るほどの理由はない事だが……。

まさか本当に家畜が砂漠を渡れるかを試したわけでもあるまい。何が目的かは知らないが、暫くは付き合っておこう。

「塩か。確かに塩は欲しいな。だが、この界隈では既に安いそうだね? 妻に教えてもらうまでは知らなかったよ。もっと安くなると期待しても良いのかな?」
「地元で作り始めたから関所と輸送の分だけは安いさ。そうだな……」
 当たり前だが同じ国内でも関所で税金を取られる。
商人たちは領主に金を渡して安全を確保しつつ、関所で必要以上に取られないように根回ししているほどだ(小遣い稼ぎにいちゃもんを付ける武官や役人も居るしな)。そしてだからこそ商人たちはその分だけの金額を最低でも上乗せするし、高く売れると思えばボッタクリ価格で売りつけることもする。凄腕の商人と言うのは、出来るだけ買いたたき、出来るだけ高く売る外道の事だというくらいである。

ゆえに地元に塩田が作られたゴルビーでは塩が安い。
民を落ち着かせる為にも、新しい領主は塩田を作って水を引いて生活が楽になったと伝えなければならないから猶更だろう。その事を使って先制パンチを掛けて来たわだが、少し弱い気がする。少なくとも大量の羊で脅しをかけて来るような男の手腕ではあるまい。

「俺達は友好的な間柄だからな。友好的な間は領民と同じ価格で良い」
「相手を見て値上げさせないし、常識的な範囲なら地元の商人に任せる」
「この段階ではあくまで関所の分だ。せっかくだから定量に限り交換を認める」
「そうすれば商人を介さない分だけ安くなるぞ。こっちも兵士や賦役で働く者たちも肉を食えて助かるな、肉をこっちも市場で買うより安く上がるわけだから兵糧担当者も文句は言わないだろう。その上で、もっと安くというならお互いに出すものを出すべきだと思うぜ。それとも商会の様に大量に仕入れて他所に転売しに行くか? それなら適正価格を考えるが」
 当たり前だが領主が自領の利益を切り売りはしない。
あくまで普通の相手だと認識し、取るべき関税は取れないから取らないというより、お客を増やしたいから取らないだけだ。ついでに言うと肉を売りに来てくれるならば、こちらも買い付けに行かずに済むからな。どうしても一時生産者から仕入れた方が安くなるし……封建社会で美味い牛肉なんか売ってる筈はない。豚肉を買うのではなければ、彼らから羊を買う方がまだあり得るだろう。

そう言う訳で、あくまで安く卸しているうちの領民と同じ扱い。
奥さんが使用人と買い付けに行けるレベルまでなら普通の価格。それ以上に安くしたいならば、こちらも利益として羊の肉を安くしろと言っておいた。もちろん彼らがニコライとは別の方面に塩を売りに行くなら、商会向け価格で売っても良い。

「ははは。我々は商人ではないから遠慮しておこう。大量の荷があると動き難くていけない。だが交換と言うのは悪くないな。費用が抑えられるし、妻たちも出歩く手間が無くて良い」
「そりゃあ良かった。後で目録を交換し合おう」
 お互いに笑って前哨戦を終えておく。
どんな物が売買されており、それを幾らのレートで交換するか、どちらかが多い時に幾らくらいのレートで売買するかを決めねばならない。だが、それをやるのは俺達じゃない。配慮するかどうかを決めただけで、後は文官たちが決定して書類を上げて来る筈だ。その上でお互いに詰めの交渉をすることになるだろう。

ともあれ無事に決まって良かったが、あくまでこれは前哨戦でしかない。損を覚悟で砂漠を渡る理由にしては少な過ぎる利益だろう(大商人に成る為に、大量に塩を買うなら別として)。

「ところで西との間に壁を建てている様だが、諍いになったのかね?」
「ああ、あれは日除けと風除けさ。いずれもっと大きくして水も敷く。そうすればあの辺りまでは何とか収穫が見込める土地に出来るからな。砂漠全土を緑化するまでの準備運動のようなもんだ」
 オルバが切り込んで来たので俺はストレートに返した。
ラーン諸都市群の西にあるウェス=ラーン方向に例の煉瓦壁を建設中だった。国境添いでもなく、遊牧民を警戒するならば方向がまるで違う。そのために何のためなのか尋ねて来たのだろう。ここで更なる真意があるか確認する手もあったが、良い機会なので計画を一部だけ話して置いた。

最終目的が砂漠の緑化というのを信じるかは別にして、遊牧民である彼らには有益な計画の筈だ。少なくとも涼しく成れば移動し易いし、食われるだけ食って行かれても困るが雑草が生えるようになれば彼らも家畜に食わせられるからだ。ここで敵対するよりも、有益な間柄に成れると思わせておきたい。

「砂漠を緑化とは大きく出たな。だが、あの壁の周囲に本気で畑を?」
「当面は豆だけになりそうだけどな。通るのは構わんが、迂闊に何でもかんでも食ってくれるなよ? それでなくともあんたらは家畜のフンを肥料にさせてくれないんだ。この辺りの農民もみんなピリピリしているのはその辺もある」
 オルバも今は友好的だから驚いて見せるが笑いはしない。
人によって笑い飛ばしたり、馬鹿にするなと怒って見せることもあるだろう。だが彼は興味深そうにするだけで、ソレを出来るとも出来ないとも言ってはいない。むしろ壁を作る真意を見抜こうとするかのようだ。なので俺は家畜のフンを燃料にして、肥料にするから余計に砂漠化するんだぞ……と皮肉を混ぜて言っておいた。

その上でどう説明したものか過去例を元に少しだけ考えておいた。

「流石に無理ではないかね? 何しろあそこは半分以上が砂だぞ?」
「さんざんアレクセイにも言われたがね。暑い風が水を持って行くし、砂を覆い被せちまう。だから日除けや風除けを作るんだ。その上で水を導けば自然に涼しくなるって寸法だな。砂が増えないならその内に土が増えていくし、何だったら適当に運んでも良いさ。今までできなかった水路だって、俺はこの短い間にやり遂げた。次はあそこまで水を敷き、その周囲に壁を何枚か建てることになるだろうね」
 両手でT字を作って簡単に説明した。
何度目かの説明なので慣れた部分もある。無理に一度で語る必要はないし、出城としての壁際を作り、その周囲に少しずつ緑を増やしていくのだと説明すれば良いのだ。以前に身内へ説明した時よりも落ち着いて話せているし、成れと言うのは重要なのだと思う。もし牽制合戦であれば、十分に流れを掴んでいただろう。

だが、俺はオルバの覚悟を舐めていた。
俺が奴の事をあまり知らず、遊牧民の有力者であり外交官くらいの立ち位置であると甘く見ていたのだ。だからこの後の会話で、容易く切り込まれる隙を作ってしまった。

「てっきりあの辺りに砦を作るつもりだと思っていたのだが……」
「それだけじゃないぜ。王家の姫さんが嫁に来るかもしれないからな。この辺りには花畑も作るつもりだ。生憎とただ愛でるだけの花じゃなくて有用な実が採れる花になるだろうがね」
 流石にオアシスを作る気であるとは思いもしなかったらしい。
俺はそのまま畳みかけるようにユーリ姫が輿入れする可能性を仄めかせる。実際、王家が地方の有力者に姫を送り込んで味方に付けようとするのはあり得る話だ。その事を仄めかすことで、ゴルビー地方が中央に無視されているのではなく、すくなくとも俺の代からは繁栄して行くのだと伺わせた。彼ら遊牧民が攻めて来るとしたら相手が弱いか、奪わなければ食っていけないか、さもなければ何かの遺恨が生じた時である(適正価格で売買しない時も遺恨に含まれる)。

だから俺には潰すより取り込む価値があるから、一時的に攻め落としても増援が来るとアピールしておいたのだ。そのこと自体には戦いを思い留まらせる大きな意味があるのだが、俺のミスは最初に彼らと距離を取る事を宣言していなかった事に成る。

「伝え聞いていた話より一回りも二回りも大きな男の様だ。しかも力を誇示するでもなく、かといって弱者を装うでもない。悪くない」
「褒められるほどに凄い事はしちゃいないがね。だが、確実に前に進む気で入るさ。だから諍いを起こすよりは交易をした方がお得だぜ」
 凄みのある笑みを浮かべたが生憎と剣聖や魔将ほどではない。
彼らと対峙していた時の事を考えれば、オルバの威圧は涼風の様な物だ。かといってスルーするのではなく、突如切り掛かって来ても対応できるだけの準備はしている。魔物退治の帰りだったこともあり蛇腹剣の蛇彦を帯刀しているからな(三つ目の切り札は主に大型の魔物や集団専用なので考えない物とする)。

暫く睨み合った後、突如としてオルバは柔らかい微笑みを浮かべる。

「婿として合格だ! 末の妹を娶るが良い。末永く仲良くしようじゃないか」
「は? 俺の話を聞いて居なかったのか? 俺は姫さんと結婚予定なんだぞ」
「何の問題があるのだ? 力ある者に女が集うのは当然の事だろうに」
「え? あ? いや……あんたらは確かにそう言う価値観だったよな。忘れてた」
 思わず面食らったが話としては意外ではない。
力ある者と敵対せず、婚姻政策で取り込むのはオロシャ王家が目論んでいたからだ。俺が意外だったのは、ユーリ姫との婚姻をチラつかせた直後で申し出てきたことだ。というかこいつらの価値観からすれば『それだけ有望株である』と言う事なのだろう。正直な話、即物的過ぎて着いて行けないと言っても良い。もしその手の話をするとしても、動かしようがない程に状況が固定してから、適当な者を送り込ん出来ると思っていたのだ。

それならば理由を付けて断れる、そう思っていたところなのだが……同母の妹(正妻腹)みたいな感じでかなり高い譲歩に見えるので断り様が難しかった。

「マーゴットを呼べ。あいつに相応しい婿が見つかったとな!」
「ちょっと待てよ。俺の都合はどうなるんだ? 妹さんだって……」
「家長の私が決めたのだから妹には文句は言わせん。それに、だ。結納の羊で食料が劇的に改善する上に、ここいらが劇的に安定するぞ? もし他の国が来ても援軍を出そうじゃないか。そんな状況で君は断らんよ」
 妹さんを理由に出来ないと判ってはいたが、俺の意見も無視された。
彼の中では利益を天秤に載せて、ここで断るという選択肢はないのだろう。確かに迂闊に断ればそれだけで戦争だが、それほど関わりが無かった遊牧民と婚礼を上げて血縁を結ぶ意味があるのか? かえって立ち寄る機会が増えるんじゃないかと思うのだが……将来的に他国が攻めて来る可能性とか考えたら、悪くない気がしてくるのだから恐ろしい。

しかし……小説なんかでハーレム展開を見ると羨ましいと思えるのだが……政略結婚でガチガチに配慮しなくちゃいけなくなる関係性って寧ろ気分が悪いな。姫とか妹さんとか、好みのタイプである必要はないが、性格的に嫌悪感を抱くタイプじゃない事を祈るしかないのか……。

「王家次第だな。仕える以上は許さんと言われたり、国境安定のためにしろと言われたら断れん。それはそれとして要求は?」
「勇者軍の長が弱気な事だ。先ほど言ったオアシスの逗留権が欲しい。まだ存在もしていない町で補給する権利。易いものだろう? やはり君は断らんよ」
 話の筋としておおよそ推測できることがあった。
おそらくオルバは西のウェス・ラーン方面への移動ルート探していたのだ。ウェス・ラーンと仲が悪くなって裏側からこじあける必要が出たのか、あるいは滅びかけており援軍を出す必要を認めたのか。それに託けて話を持ち込み、あちら方面に移動する時に、うちの領地を通って補給しながら進む気だったらしい。最悪、何も無しに水だけ俺に国境添いまで用水路を敷かせる気だったのかもしれない。それを考えたら、婚礼によりオアシスを子供の代でもぎ取るくらいのつもりになったのだろう。

なお、妹に文句を言わせないと言い切ったオルバだが……。ものの見事に反論を喰らった。しかもその始末を困惑している俺に付けさせようという、妙な話に持ち込みやがったのである。
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