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2章 前編

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 半年前、俺はミルクを煮沸して賞味期限を少しだけ伸長することに成功した。ただ、樽による保存では賞味期限Bが限界だった。
 ミルクと言えば、牛乳ビンだ。日本に居たとき、風呂上がりに飲むコーヒー牛乳は最高だった。冷たいビンの感触を思い出すとたまらない。

 俺は、ガラス製の容器を求めることにした。
 その晩の夕食時に、家族にも話をしてみた。

「あのさ、この世界にガラスってあるのかな?」

「ありますよ」

「やっぱり、無いのかな。って、あるのか」

 隣に座るサヒラから、あるとキッパリ言われた。

「でも、高いんだろうな。ガラスの容器って、どれくらいの値段がするんだろう」

「まあ、木の食器と比べますと、それなりの価格だと思います」

「どこで買えるんだ?」

「村から東の方です」

「やっぱり遠いんだろうな。リバーシブの町か」

「うちからパイラマ街道まで出まして、街道沿いに15分ほどです」

「そうか、そうか。って、そんな近くでガラスが売ってるの?」

 街道から15分なら、徒歩でも行ける距離だろう。
 町まで行くことを覚悟していたが、近場にあるなら都合がいい。

「ガラス工房がありまして、そこで職人が制作しているはずです」

「マジかよ知らなかったな。まさに灯台下暗しだ」

「ガラスを何に使われるのですか?」

「ミルクを入れる容器だよ。ガラスビンが欲しいんだ」

「そういうことでしたら一度、訪ねてみると良いかと思います」

 翌日、まず午前中にフックと一緒にミルク蒸しパンを作った。ブルッサには荷物持ちだけしてもらい、3人でパイラマ街道まで出かけ販売を開始した。

 パン2個とブリ茶を注いだコップを渡し、行商人から1人あたり銀貨1枚ずつを受け取る。水桶1号にはパンを入れて運び、水桶2号には水を数リットル入れてある。2号の方にコップと柄杓を浮かべている。
 猫舌の商人や、ブリ茶が苦いと言う人は、水で薄めて提供した。

 今のところ、順調のようだ。この調子で数日も続けていれば、俺がいなくてもフック1人でやれるようになるだろう。 
 4人の行商人へとパンの配達をすませ、銀貨4枚をフックが預かった。

「首尾よくいったな。あとは治療院にも配達するだけだ。俺はガラス工房に出かけてくるので、残りは2人に任せるよ。夕方には帰ってくると思うから、何か問題があったら俺の家まで来て連絡してくれ」

「了解した。ボスもお気をつけて」

「カイボスさん。ガラス工房なんて嘘を言って、そのままパイランド・ダークの洞窟に行くんじゃないわよね?」

「行かねえっって。方角的には、あの辺りらしいけどな」

「まあいいわ。私達はデソン先生に配達してくるわね」

「ああ、そんじゃまた明日な」

 俺達は別方向へと進む。2人は街道を南下していくが、俺は街道を東に進んでガラス工房を目指すことにする。
 その前に、ボーデンに少しガラス製品について聞いてみることにした。

「あのボーデンさん」

「おや、どうされました?」

「俺、このあとガラス工房の見学に行ってくるつもりなんですが。ガラス製品の値段って、いくらくらいですかね?」

「次はガラスですか。カイホ君も忙しいですな。小さいコップから1リットルサイズの水差しまで、物によって値段もマチマチです」

「200ccくらいのサイズのビンってないんですか?」

「ビンは無いですがグラスならございます。私の馬車にも少しだけ在庫があります。1個が千エノムですな」

「そんなにするんですか? けっこう高いですね」

 ミルクが1リットルで二百エノムなのに。グラス1本で千エノムもするとは。
 中身の本体より容器の方が高くなってしまいそうだ。

「制作には熟練した職人の技術と手間がかかりますからな」

「それ、俺にも作れないんですかね?」

「ガラス職人になるのですか。修行を積めば出来ないこともないでしょうけれど」

「別に職人になりたいわけではないんですが。とりあえず、工房を見学してから考えてみることにします」

「そうですか。この街道の先にあるガラス工房には、ラミックという職人がいます。私の紹介だと言えば、それなりに対応をしてくれるでしょう」

「ありがとうございます。行ってきます」

「では、火傷なさらないよう、くれぐれもお気をつけて」

 ボーデンと分かれ、東へ東へと歩いていていく。少し下り坂になっている道を十数分ほど進んだところで、立て看板を見つけた。
『公益パイ団法人バスチャーガラス工房』
 街道沿いに一軒の家が建っている。
 外見からすると、たぶん俺の家と同じような間取りだろう。

「こんにちは、ごめんくださーい。消防団の方角から歩いてきましたー」

 俺が住んでいるバスチャー村には消防団もあるらしい。何も嘘は言っていない。

「誰だ? 防火水槽ならちゃんと設置してある」

 中からは、ずいぶんと日焼けしたような色黒の男が出てきた。ホル族で、年は俺の父親よりずっと上に見える中年男性だった。

「あ、すいません。通りすがりの村人でカイホと申します。ボーデンさんの紹介で来ました。実はガラス製品に興味がありまして。もし、よろしければ少し見学させてもらえませんでしょうか? お仕事の邪魔にならないよう、注意はしますので」

「なんだ、行商人の見習いか? まあいい、見学したいなら入りな」

 男が背中を向け、中へと引っ込もうとした。こんなオッサンを調べるのも気が進まないが、念のため名前くらい見ておくか。

「パイサーチ!」

『ラミック:牛人種オス 95歳 ONF』

 ふむ。中年くらいに見えたけど、思ったより高齢だった。やはり地球人の感覚だと、大人のホル族は実年齢の半分以下の容姿にしか見えない。

「ここに並んでいるのが、出来上がったばかりの製品だ」

 リビングに入ると、食器棚やテーブルの上に、様々がガラス製品が並んでいる。
 理科の実験で使うようなフラスコの形をしたグラスがたくさんある。球体の底平タイプで首が短い。

「変わった形のグラスが、いっぱいありますね」

「うちで制作しているのは、オッパイグラスだけだ」

「えー? オッパイグラス?」

「オッパイみたいな形をしているだろ。大小の何種類もサイズが揃えてある。どれを仕入れたいんだ?」

「いえ、まだ仕入れるっていうわけじゃないんですが。製造現場も見たいんです」

「そうか、ワシの腕を確認しようってわけか。よその工房にも引けは取らないぞ」

「ガラス製品って、どうやって作ってるんですか?」

「こっちだ。奥の部屋に溶解炉がある。吹くところを見せてやろう」

 ラミックに案内され、後ろをついていく。
 部屋に入ったとたん、モワっとした熱風のような感触が押し寄せてきた。いかにも工房と呼ぶにふさわしい設備が並んでいた。鍛冶屋みたいな印象も受ける。

「暑いですね。こんな場所で作業しているんですか?」

「そうだ。炉は1200℃以上にもなる。石炭で火を起こしているからな」

「へぇ、石炭なんて使ってるんだ。温度計はどこに付いてるんですか?」

「そんな物はない。オッパイ鑑定士が見た目だけでメスのカップサイズを判定できるように、ファイアスミスには温度が分かる」

 乳魔術師はパイサーチを使えばオッパイが何カップかは瞬時に分かる。鍛冶師にも一種の魔術師みたいな人がいるのだろうか。

「なるほど。それで、この溶解炉でガラスを溶かすんですよね。どうやってオッパイの形にするんです?」

「この筒を使い制作するんだ。オッパイプって言ってな。今やって見せてやろう」

 ラミックは2メートルくらいある長い鉄パイプのような道具を手に取ると、溶解炉に差し込んだ。

「その道具って、吹き竿とかブローパイプっていう名前じゃないんですか?」 

「そういう呼び方をする場合もあるが、正式名称はオッパイプだ」

 この世界では、そういうネーミングなのだろう。完成したガラス製品もオッパイ型だし、何も間違ってはいない。
 ラミックがパイプで炉の中を少し突いてから引き出すと、先端にはドロドロとした水アメのような液状の物体が付着している。

「もしかして、その先に付いているのが溶けたガラスですか?」

「ああ、よく分かったな。これにオッパイプで息を吹き込むんだ。ブオォォー」

 ラミックがパイプの端を咥えると、反対側の水アメが風船のようにふくらみ始めた。熱いガラスのオッパイがBカップほどの大きさになった。
 その後も、再度パイプを溶解炉に突っ込み、クルクルと回したり、何度も息を吹き込んでいる。手慣れたルーチンワークのようにラミックが作業をこなしている。
 俺は汗をかきながら、その様子を見守った。

 何ということでしょう、としか言葉が浮かばない。
 しばらくすると、メスフラスコのような形のグラスが出来上がった。胴部分は涙滴型をしており、上の方が細く長い。
 ラミックは、フラスコの首部分を包丁のような道具でパキンと叩いてカットし、パイプから切り離した。

「おおっー、そうやって切れるんだ」

「まだ熱いうちは柔らかいからな。カットする位置を変えれば、グラスニップルの長さも調整できる」

「グラスニップル?」

「飲み口の首部分だ。オッパイに見立ててグラス・ニップルと呼んでいる」

 オッパイのグラスだから首はニップルに該当するのだろう。こんな異世界のオッパイ村にあるガラス工房だから、ネーミングも独特のようだな。

「なるほど。それで、もう完成ですか? あっという間ですね」

「あとは一晩かけて、ゆっくり冷やすんだ。急激に冷めると割れちまうからな。これを、もう少し温度の低い炉に入れておく。完成は明日になる」

「素晴らしい腕前ですね、感動しました。暑いので一旦リビングに戻りましょう」

「なんだ、これくらいで辛抱ができねぇのか。最近のガキは情けないな」

「すいません。こんなに暑いとは思わなくて」

 俺達はリビングに戻ると、椅子に腰掛けた。水を1杯もらって飲みながら話をすることにした。

「それで、どういう品を注文したいんだ?」

「いえ、今日は見学だけです。ボーデンさんに聞いたら、1個で千エノムくらいだって言われて高いなって思って。でも職人さんが1つ1つ手作りだと仕方ないですよね。ラミックさんが1人でやってるんですか?」

「前はニンゲン種の弟子が何人か修行に来ていたんだ。だけど技を覚えたので王都の近くに独立して工房を構えることになってな。今は、ここでワシが1人でやっている。孫娘がたまに手伝いに来てくれるくらいだ」

「それで、あのぅ。ガラス製品の材料って何を使っているんですか?」

「うちは最初からガラス結晶になってるやつを仕入れて、溶かして使っている。昔は、1つの工房内でガラス結晶を作ってからガラス製品の制作をしていたんだが。でも、効率化を図るために最近は分業化されたんだ。ガラス結晶だけを専門にやってるデカイ工房が別にある。この白いガラスの塊が、それだ」

 ラミックは室内に置いてある大きな木箱を指差した。その中には、少し濁ったガラス色をした石が詰めてある。

「これが原料なのか。このガラス結晶って、どうやって作るんです?」

「素材のベースは珪砂だ。それにトロトロ石の粉と、ガラス貝の粉を混ぜている」

「その砂とか粉って、どこから入手してくるんですか?」

「珪砂とトロトロ石は、それぞれ別の鉱山から採掘されている。鉱夫が取り出して、商人が輸送しているんだ。それをガラス結晶の工房では、金を払って仕入れている。ガラス貝の粉は川や湖で取れる淡水食用貝の殻をいた物だ」

「差し支えなければ、素材の仕入原価も教えてもらいたいんですが……」

 一般的な工業製品は、材料費と労務費と経費の合計が原価になる。俺が自分で作れるなら、材料費だけに近い値段でガラス製品を入手できるのではないかと考えていた。気が付くと、次々とラミックを質問攻めにし、根掘り葉掘り聞いていた。

「やっぱり商人だから、それが気になるのか? 珪砂は10kgあたり千エノムくらいだろう。トロトロ石やガラス貝も似たような値段だ。うちの工房では、半製品素材のガラス結晶になってる物を買ってるから、10kgで一万エノムだ」

「それを1kg使って何個が作れるんです? 1個あたりの原価も知りたいです」

「何だ? 原価を教えても、製品の売値をまけるつもりはないぞ。材料費だけなら1個あたり百~二百エノムだろうけど、制作するのに大変な手間がかかるからな。燃料の石炭代金もバカにならないし」

 高い物には、それだけの理由があった。原価で売ってくれなどと言ったら職人を侮辱することになる。タダ働きする人間なんて、どこの世界にも存在しない。
 だけど、ビンでミルクを飲むことを諦められるはずもない。俺はオッパイ星人を目指している。オッパイから出る白い果汁を最も良い方法で飲めるようにしたい。

「俺、ミルクを入れるためのビンを作りたいです。今は樽で輸送されてるじゃないですか。それより、ガラスのビンで飲む方が絶対に美味しいと思うんです。でも、ビンが1個千エノムもしたら、ミルクより高くなっちゃうから。大勢の人に最高の状態でミルクを飲んでもらうために、もっと安いビンが大量に欲しいんです」

「ふむ……」

「ミルク用なんてダメですか?」
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