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2章 前編

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 行商人ボーデンに、試食のミルク蒸しパンを食べてもらった。次はサービスのお茶を出す。2号桶から木のコップ1個を取り出した。
 ブルッサが柄杓で、ミルク樽に入っているブリ茶を湯呑みに注いだ。

「ふむ。お茶まで用意しているとは、なかなか抜かりがないですな」

「どうです? 苦くないですか?」

「うーむ。まあ、おいしいです。ただ、私はもっと濃い方が好みです」

「すいません、薄めすぎましたかね」

 おそらく、子供と大人でも舌の感覚に差があるのだろう。幼少の頃の方が苦味に敏感で、高齢になると鈍くなると聞いたことがある。
 そうでなければ、あんな激苦のブリ茶を平然と飲めるはずがない。

「いえ、こればかりは個人差がありますので。あまり苦いと飲めない人も多いです。して、ブリッセン茶は1杯いくらで売るつもりですかね?」

「お茶の代金はいりません。パンを買ってくれた人に、ブリ茶をサービスしようかと。タダです」

「な、な、何ですと!? こんな貴重なブリ茶を、ずいぶん気前がいいですね。そんなことをしたら、大赤字になってしまいますよ」

 ボーデンから驚かれてしまった。俺の頭の中ではブリ茶は単なる草も同然なのだけど、ボーデンにとっては高級薬草というイメージのようだ。

「大赤字と言っても、タダで採取してきたものですし。金はかかってないので手間賃だけです」

「そうでしたね。ここはブリッセンの産地だ。どうせ一般の村人には外部に持ち出せませんからな。非常に粋な計らいだと思います」

「それで、もし良ければ明日から販売を始めようと思うんですけど。月曜から金曜まで週に5日。この蒸しパンとお茶を運んできますから、2個セット百エノムで買ってくれませんか?」

「いいですとも、喜んで買わせていただきます。1日何個くらい作る予定です?」

 ボーデンからは快諾を得られた。やはりブリ茶のサービスが効いたようだな。こんなクソ不味いお茶で喜んでもらえるなら安い物だ。

「当面は、1日10個だけの限定販売の予定です。お一人様2個までで」

「カイホ君も、商売上手ですな」

「それで、この街道に別の行商人の方達も来てるじゃないですか。他に3台の馬車が止まってますよね。同じように2個で百エノムなんですけど、売れますかね?」

「ええ、売れると思います。1人で1食5個とかは食べきれませんが。1日2個だけなら喜んで買ってくれるでしょう。夕方前には小腹が空いてきますからな」

「では、これから他の馬車にも試食の提供に回って挨拶をしてこようと思います」

「ああ、そうだ。あちらの馬車の商人は、猫舌なので熱い物を苦手にしています。順番を最後にして、もう少し湯がぬるくなった頃に行かれるといいでしょう。それに彼は甘党なので、もっと砂糖を入れた方がいいかもしれません。まあ、その味でも十分に美味しいので大丈夫でしょう。他の行商人は特に味にうるさい人はいないので、何でも食べるはずです」

 ボーデンは、東側に止まっている別の1台の馬車を指差しながら説明をしてくれた。他の商人の好みまで教えてくれるとは、なんと親切なことだろうか。

「ふむふむ。ちなみに、勝手にパン売りをしたりして問題になったりはしないですか? 保健所か何かに営業の申請をして許可とか取らなくてもいいんですか?」

「不特定多数の人を相手に反復継続して商取引するなら、商業ギルドに登録する必要があります。営業エリアを管轄する領主の許可も得なければなりません。ただ、特定個人間での物々交換や少額の売買なら黙認されています。バスチャーの村人がミルクの納品に来ても担当は私だけの1人なので、村人側のミルク売却は商取引扱いにはなりません。私の方は許可を取っていますがね」

 どうやら、あまり大っぴらに営業するとギルド登録だの何だのと面倒そうだ。
 ちょっとした副業程度に考えてるので、俺達は無許可営業で構わないだろう。

「へぇ。少額の取引って、いくらくらいまでなら許されるんですかね?」

「特に金額でいくらという明確なルールはなかったはずです。おそらく、1日あたりパンの10個や20個くらいを販売しても、誰も咎めはしないでしょう。ただ、50個とか100個になると話が変わってくるかもしれません。日商で三千エノムくらいのラインが目安になると思います」

「分かりました。教えていただき、ありがとうございました。では行ってきます」

 俺達3人は同じように他の行商人の所へと回って行き、試食を提供した。
 軒並み反応は上々で、明日からでも買いたいと言ってくれたのだ。
 4人の顧客へと挨拶を済まし、最後に街道を横断して治療院へと足を運んだ。

 治療院に入るとレモネさんが出迎えてくれた。先生を待合室に呼んでもらう。

「おや、君達かい。今日は、何か食べ物を持って来たんだってね?」

「そうです。今度、俺達は蒸しパン2個を百エノムで販売しようと思っているんですが。良かったら先生も買ってくれませんか? 今日は試供品を持って来ました。ミルク入りで少し甘い味付けのパンです」

「うん、なかなか美味しいね。2個セットとは良い心がけだ。明日からも、僕とレモネで昼に1個ずつ食べようかね」

「どうやって作ったんですか? こんな美味しいパンを食べるのは初めてです」

 デソン先生とレモネさんにも味見をしてもらった。モグモグしながら満足そうに食べている。行商人には1人あたり2個ずつ販売することになっているが、先生とレモネさんは各1個でいいそうだ。

「先生達、普段の昼食はどうしているんですか?」

「朝になるとレモネに、2食分のパンをまとめて作ってもらっているんだ。それの半分を昼過ぎに食べている。3回も準備するのは面倒だからね。それにしても、この量で百エノムなんて。ほとんど原価ギリギリなんじゃないのかね? 町に行くと、どこの飲食店でも原価率は50%以下くらいだよ」

「そんなには儲からないですが、薄利多売でギリギリ黒字の予定です」

「そうかい。まあ村人は貧しい人も多いし、いいんじゃないかね。僕達の昼食としても、自分で材料を買ってきて作るのと大差ないから、君たちに売ってもらうことにするよ。朝からの作り置きは、昼には少し冷めているからね」

 おそらくデソン先生くらいの高給取りならば、1食の費用が五十エノムでも百エノムでも大差ないのだろう。

「ありがとうございます。では、明日から配達させていただきます」

 こうして、話はまとまった。当初の見込み通り、5件の顧客を確保できた。
 俺達は家に引き返し、あらためて会議をすることにした。

「アニキ、じゃなくてボス。上手く行ったようだね」

「ああ、明日から昼前にパンを蒸し上げるんだ。ちょうどホヤホヤの状態で街道まで運んで、パンとお茶を提供して馬車4台を回るんだ。それから治療院に行って、デソン先生達に最後の2個を売る。帰りにブリ茶のコップを回収して帰ろう」

「これで、1日ニ百エノムの利益ね。スニャック1匹と同じになるわ」

「それでボス。分配はどうするんだ。僕とブルッサが百エノムで、ボスが百エノム。半分ずつに?」

 事業のアイディアを出したのは俺だ。パンのレシピも俺が考えたメニューだ。
 フックは分配金の問題が心配になったのだろう。
 こういうことは、最初にキッチリ話し合っておかないと後からトラブルになりやすいからな。もっとも、このデリバリーパン屋については何も心配はない。

「いや、その必要はない」

「それじゃ、売上を3日分まとめて、また3等分に? 3日に一度、1人あたり二百エノムずつ分けるのかな」

「俺への分配はいらないんだ。今までの蛇皮の代金も、ブルッサの分はフックがまとめて預かっているんだろ? 今後はパンの売上も利益も、全額をフックが管理してくれ。今日と明日は俺の小麦粉を使うから、あとで五百エノムだけもらう。そのあとは、2人だけでやるんだ」

「どういう意味だ? 僕達2人とは別にボス1人でパン屋をやるつもりなのか?」

「そうじゃない。軌道に乗るまで、しばらくは3人でやるよ。ただ、問題がなさそうなら、いずれ俺は抜けさせてもらう。そしたら2人だけで営業を続けて欲しい」

「カイボスさん、まさか私達にはパンを売らせておいて自分だけダンジョンに?」

 ブルッサの方は、まったく明後日の方向の心配をしていたようだ。
 俺が抜け駆けしてダンジョンなんかに玉砕するわけがない。

「誰が1人で行くかよっ。違うって。俺は他にやりたいことがあるんだ。今まで、ずっとスニャック狩りに3人で林に入り浸りだったじゃないか。それで、時間が取れなくて。だけど、蛇皮を取ってこないと2人の収入源がなくなるから止められなくて続けてきたんだ」

「カイボスさんは、蛇の血しぶきを見るのが趣味だったんじゃなかったの?」

「そんなことあるかっ。俺、グロイのはちょっと苦手だし」

 さらに言うなら爬虫類とかも、あまり好きじゃない。金のために仕方なく狩りをしていただけだ。

「そうか、そうだよな。蛇狩りを始めたきっかけだって、乗り気じゃないボスをブルッサが強引に誘ったんだし」

「2人でパンを売って1日に二百エノムじゃ、蛇皮で1人1枚より収入は半減してしまうけどな。まあ、しばらくは辛抱してほしい。いずれ、パンを20個くらい売れるようになるかもしれない。そしたら、スニャック狩りと同じだけ稼げるだろ。モンスターと戦って危険な目に合わなくても、それで十分に稼げるんだ」

 そもそも、蛇狩りだって最初は2~3匹だけのつもりだった。いつの間にか、1日3匹のノルマを強制されていた。
 ブルッサに引きずられ、そのままズルズルと半年も続けてしまった。
 今回のパン屋の件は、蛇狩りを終わらせるための代替案だったのだ。

「僕達のために、そこまで考えていてくれたなんて」

「わかったわ。私達はパンを売っているから、カイボスさんは心置きなくダンジョンの下見をしてきてください」

「ダンジョンじゃねえぇっ! 家には3人のメイドさんがいてな。毎晩、俺のことを待っているんだ。俺は死にたくないから危険なダンジョンに行くつもりはない」

「しょうがないわね。でも、もしスニャック狩りに行くときは抜け駆けは無しよ。絶対に呼んでね」

「ああ、それくらいならいいさ。しばらく蛇は休むけど、再開するときは言うから。どっちにしろ俺1人じゃ、スニャックとだって戦えないからな」

「ボス……、寂しくなるな」

「別に、ずっと別れるわけじゃない。明日からだって、まだ一緒にパンを売らないといけないし」

「いつでもダンジョンに行けるように、たくさん稼いでおくわね」

 そのうち、ブルッサはダンジョンの中にでもパンを売りに行き始めそうだな。

「あと、店の名前のことなんだけど。別に店舗があるわけじゃないけど、社名があった方がいいんじゃないかな?」

「屋号か。ボスが考えたパンだからパンボスとかどうだろう?」

「私が売るパンだから、ブルッサから名前を取ってブルブルパンがいいわ」

 なんだそりゃ。カボスだのパンボスだの、そんなアダ名はお断りだ。
 ブルブルも少しマズイだろう。食べたら震えそうだ。

「まあ、いずれフックが主体になってやることになるんだ。『ふっくらパン』っていうのはどうだ?」

「いいのか? そんなんじゃ、まるで僕が開発したパンみたいじゃないか」

「他にしっくり来るネーミングが思いつかないから、とりあえずそれにしておけよ。気に入らなかったら、あとで改名すればいいから」

「ボス、ありがとう……。何から何まで世話になりっぱなしだ」

「いいってことよ。気にすんな」

 その日の夕方、俺達3人は手を握り交わした。フックとブルッサは、少し目元を潤ませながら帰って行った。

 さて、蛇狩りを止めてパン売りからも手を離せば、明日からは元の無収入生活になる。その間、新しい道を目指して下積み修行に励む予定だ。
 そもそも、俺は乳魔術師だ。蛇の皮だのパンを売るジョブではない。
 オッパイの専門家で、ミルクを売るのが本業だ。そのミルクのために、どうしてもやりたいことがあったのだ。

 念のため断っておくが、オッパイ剥ぎではない。
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