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死せる黒猫(2/3)
しおりを挟む私は油断はできないと思った。
目の前にいるこのシロスズと名乗る白い生き物は何者で、一体どこから来たのかわからないのだ。
そもそも人語を喋っていること自体おかしい。
けれど不思議と恐怖心は薄れはじめていた。
「わたしと?」
私は緊張しながら聞き返した。
するとシロスズは大袈裟にうなずいてみせた。
「えぇ、さっきあなたと目があった瞬間にわかったわ。あなたは占いを必要としているって」
「そ、それはどういう意味ですか?」
それには答えず、シロスズは肩からかけていた巾着袋の中から、一枚の布を取り出してテーブルの上に広げた。
それは真っ黒な布なのだが、まるで星空のように小さな光の粒が無数に煌めいていてとても美しかった。
さらに巾着袋からトランプのような物を取り出して布の上に置く。
あれはタロットカードかしら?私はそう思った。
シロスズは私に顔を向けるとニヤリと笑って言った。
「探しているのは、なにかしら?」
そう言われてハッとした。
私がずっと探していたのは、いなくなった飼い猫のクロミだ。
私は驚きながらも素直に話すことにした。
名前や特徴を伝えると、シロスズはうんうんと相槌を打ちながら聞いていた。
そして私は最後にこう言った。
「どうしても見つけたいんです! お願いします、どうか助けてください!」
私の目を見たまま、シロスズは静かに首肯した。
「それでは先に御代をいただきます」
「え!?お金がいるんですか?」
予想外の言葉に少し驚いた。
「いいえ、お金はいらないわ、そんなものは私には何の価値も無い。それより……」
そう言うと、シロスズは突然、グイッと身を乗り出して顔を寄せてきた。
息がかかるほどの距離だ。
「その左手首にはめている念珠をいただけるかしら」
そう指摘されて私は自分の手首を見下ろした。
そこにはタイガーアイで出来たブレスレットがはまっていた。
たいして高価なものではないが、お守り代わりにいつもつけているものだ。
「あ、こんな物でよければ……」
私はそれを外すとシロスズに手渡した。
シロスズはそれを両手で包み込むようにして受け取った。
「ありがとうございます」
そう言って目を細めながら微笑んだ。
しばらくブレスレットをうっとりとした目で眺めたあと、それを巾着袋にしまいこんだ。
シロスズは左右の耳をくりくりと動かしながら、なんとも愛らしい笑顔を見せた。
すると月明かりだけの暗闇の中、シロスズの瞳が光を増したような気がした。
「それではクロミの居場所を占って差し上げましょう」
そう言うと彼女は、先程のカードの束を手にとり繰り返しシャッフルし始めた。
そしてカードの束から1枚を引き抜いて黒い布の上に伏せた。
残りのカードは扇状にして裏向きのまま黒い布の上に置かれた。
シロスズは真剣な眼差しで最初に伏せたカードをゆっくりとめくった。
照明の消えた部屋の中で、私は息を殺して見つめていた。
暗くてよく見えないが、めくられたカードの表には黒いシルエットで1匹の猫の絵が描かれているようだった。
シロスズは続けて扇状に伏せたカードの中から1枚選んで猫のカードの上方に並べて置いた。
するとそこにはひとりの人間が描かれていた。
それも黒いシルエットだけの絵で、スカートをはいた女性のように思えた。
これは何を意味しているのだろう。
そう考えているとシロスズが更に一枚のカードを引いて猫のカードの右側上方に並べるように置いた。
今度は犬だろうか、今にも何かに襲い掛かろうとしている大型犬のシルエットのように私には思われた。
続けてまたカードを引くと猫のカードの右側に並べた。
それは真黒い背景に三日月のシルエットが描かれたカードだった。
そんな風にして、シロスズは次々にカードを引いては時計回りに並べていった。
やがて猫のカードの周りに8枚のカードが円形に並べられたのだった。
時計回りに、女性、犬、三日月と星、滑り台、傘、時計、橋、天使の順で並んでいる。
シロスズはしばらくじっとその絵柄を眺めていたが、おもむろに口を開いた。
「どうやらクロミは既に亡くなっているかもしれないわね」
私はショックで言葉が出なかった。
うすうす感じてはいたものの、考えないようにしていたのだが、改めて言われるとやはり辛いものがあった。
しかし私は気を取り直し、勇気を出して聞いてみた。
「でも、どうして亡くなったってわかるのですか?」
するとシロスズは少し間を置いてから答えた。
「クロミはあなたと別れたあと散歩に出たのね。その途中で大きな犬に吠えたてられた。リードに繋がれている犬は怖くないけど、その時は犬が興奮していて飼い主もリードから手を放してしまった。そしてクロミは驚いて逃げ出した。」
シロスズがそこまで言ったところで、私はあの日のことを思い出した。
「クロミがいなくなった日、暗くなってから雨が降り出していた。」
シロスズは私の言葉を引き取るように続けた。
「クロミは犬に追い掛けられて、逃げ込んだ先の公園の滑り台の下に隠れていた。犬は追いかけてこなかったけれど、そのころにはもう日が落ちていて雨まで降ってきてしまった。家に帰りたかったが、外は真っ暗だし道がわからなくなっていた。」
シロスズの声は淡々としていたが、それがかえってリアルに想像できて恐ろしくなってきた。
「クロミは夜目が利かない……」
私は独り言を呟いていた。
おばあちゃん猫のクロミは夜に出歩く事はなく、陽が暮れる前には居間の寝床の中で丸くなっているのが常だった。
「そう、クロミはその晩、迷子になってしまったのです。そして運悪く降り出した雨のせいで鼻も利かない。濡れながら彷徨い歩いたあげくに、橋から足を滑らせて増水した川に転落したのよ。」
シロスズはそう言って目を閉じた。
私は息が苦しくなり自分の心臓が激しく脈打つのを感じた。
「そ、それで、その先は?!」
震える声を搾り出すようにして聞くと、シロスズはゆっくりと目を開いた。
どこか遠くを見ているような虚ろな目をしている気がした。
「溺れてしまったクロミはそのまま川を流れて行った。もはや助かる見込みはなかったでしょう。」
その声は寂しそうに聞こえた。
窓から射し込む淡い光がシロスズの横顔を照らし出し、禍々しいほど神秘的な雰囲気を醸し出している。
私はごくりと唾を飲み込むと、目から涙があふれ出してきた。
しばらくの間、シロスズは黙ったままだった。
私の嗚咽する声だけが寂しく部屋に響いていた。
やがて、シロスズは俯いてすすり泣く私の顔を下から覗き込んできた。
「悲しいですか?」
そう聞くシロスズの顔を見て、私の背筋にゾクリと寒気が走った。
さっきまでの穏やかな表情ではなく、彼女の顔には不気味な笑みが張りついていた。
どこか楽しんでいるような印象すら受ける笑顔だ。
シロスズの瞳の奥には妖しい輝きがあり、まるで吸い込まれそうな感覚に陥った。
私は恐怖心を振り払うかのように大きく深呼吸をした。
するとどこからかチリチリと鈴の音が聞こえてきた。
そういえば、シロスズが現われる前にも聞こえていた……これは……クロミの首輪についている鈴の音だ。
私は思わず音のするほうへ顔を向けた。
鈴の音は部屋のドアの向こう側、階段の下辺りから聞こえてくるような気がした。
気のせいだろうか……。
そう思い耳を澄ましていると、シロスズがテーブルの上に出していたものをそそくさと片付け始めた。
深夜の静寂の中、なおも鈴の音は聞こえ続けている。
そうだ、これはクロミがご飯を食べている時に鳴る鈴の音だ。
階下で物音がして両親の話し声が聞こえてきた。
鈴の音が聞こえたのか、どうやら両親が起き出してきたようだ。
私は立ち上がるとドアを開けて部屋を出ようとした。
一瞬振り返って部屋の中にいるシロスズを見た。
シロスズは私のほうを向いたまま、何事も無かったかのように立っていた。
異様に光る瞳がこちらを見ているのがわかる。
私は急いでドアを閉じると、足音をたてながら階段を下りていった。
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