奴隷の花嫁

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第4話 幸せと後悔

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「お姫様だ」

 私が初めてこの奴隷商に来ることになった時、王子様に出会った。
 初めて話した時、優しく微笑んでくれた。
 長い時間馬車に揺られ、初めて着いた所で一番最初に話した人。
 今思えばとても安かったから買ってくれたのかもしれない。
 そんな王子様がお屋敷の中で綺麗なドレスを着た女の人と歩いていた。
 今まで見た中で一番綺麗な女の人。
 自分の王子様がそのお姫様に取られてしまったような気がして少しだけ苦しかった。
 だけど、こんなに綺麗な人なんだから当たり前と言う気持ちのほうが多かった。
 小さな私にも良くしてくれた綺麗なお姫様。
 首には墨で描かれたような、だけど色んな色に見える私と同じ模様のあるお姫様。
 誰にも優しく接し、誰からも優しくされていた綺麗なお姫様。
 そんなお姫様がとある夜、王子様とは別の男の人と二人で歩いていた。
 馬鹿な私はその行為も、その意味も、どれだけ重要なことだったかもわからず、その日眠るとすっかりと忘れてしまっていた。





「ソニヤは何処だっ!!」

 少し冷たい空気の中、息を切らせながら屋敷の中や敷地内を駆けずり回り、叫ぶのはラウリだった。
 あれから、幾度も勉強という名目の逢瀬のようなものを行い、二人の関係はより深まっていくように見えた。他の使用人や奴隷達からも将来のことや、羨ましい等噂になってきているが、ソニヤの性格がそれを汚い物にはさせず、喜ばしい物に近いものでの噂になっていた。しかし、その様な噂の立っていた矢先、ソニヤが屋敷内は愚か、敷地内まで見当たらなかった。

 噂をされるようになってから、ソニヤは奴隷房の住人ではあったのだが、同居している者への遠慮からか、一人用の小さな奴隷房へと移されていた。個室と言えばまだ聞こえは良いが、本来納戸の為の部屋、現在は反省房として使われていたところである。その為、ベッド一つ程度の部屋の為、生活するにはとても不便であり、窓もないため換気性も悪い。

 だが、他の奴隷達の目を気にして自分からその部屋に入ると、頑なに意見を曲げなかった。
 今回はそれが災いしてソニヤの敷地内の行き先を知るものが一人も居ないという事態になってしまった。

 奴隷は基本日中は各々の得意分野の仕事を行なっていることが多い。
 肉体奴隷であれば、薪割りや水汲み。知識系の奴隷であれば、毎日の商品出入管理。料理系の奴隷であれば朝、昼、夕の食事の準備。農業系の奴隷であれば、敷地内の美化清掃や花の栽培、一部で行なっている農作物の栽培等である。

 ラウリは、今日の予定が急遽無くなってしまったので、暇になり、ソニヤに勉強を教えてあげようと思い、彼女の多く居る台所に向かっていた。だが、その台所に居たものに聞いても今日は来てないと。
 奴隷や使用人達が脱走と言う単語を一言も発しなかったのは、ラウリに配慮してか、ソニヤの人柄なのか、それとも自分たちも全く疑って居ないのか。
 ラウリは2時間ほど探しまわったが、何処にも居なかった。他の使用人たちも、奴隷たちも探してくれていたのだが、結局見つかることはなかった。



「ラウリ様、旦那様がお呼びでございます」

 自室で失意の元、休息し、次の捜索場所を考えている所で、父付きの使用人であるアルドルフがラウリの部屋に入ってきてそう伝える。
 乱れていた衣服を整え、ラウリは父親のもとへと向かっていった。
 部屋に通され、椅子に座る。
 執務中であるコスティは机から離れず、何かを書いている最中だが、そのままの状態で話した。

「ラウリ。事情があってソニヤだったか。あの女奴隷を売った」

 散々探して、そして心から求めていた答えが呆気無く得ることが出来た。しかし、それを知っていたのは自分の父親であり、更にはその内容が想像したくない方向であった。
 そして、予想外の言葉を聞いてしまった為、すぐに何かを言うことが出来なかった。その為、一度震える手で用意された紅茶を飲み、それからようやく口を開くことが出来た。

「父上、何故あの女奴隷をお売りになったのでしょうか」

 震える声で質問をする。もっと色々と聞きたいことがあった。何故彼女なのか、何故今なのか、何故知らせてくれなかったのか、何故私が買うまで待ってくれなかったのか。
 だが、その聞きたいことは何一つ言うことが出来ず、ようやく絞り出したのがこの質問だった。

「先鋒が必要としていたからだ」

 短い、本当に短い一言だった。だが、この業界に居るラウリにとってはこの一言だけでも全てが理解できるほどの強烈な一言だった。
 この言葉に含まれた意味は、これ以上言う事が出来ないという事だった。秘匿する理由は爵位を持つ者が相手。そして、表立って買うことが出来無い、もしくは緊急を要する場合、この様な手付とは違う先買いが行われることがある。取得経路を秘匿したい、もしくは、ただ単に今のところ内密にしたいと言う事もある。
 つまり、先鋒の迷惑になるので、これ以上詮索はするなと言う、色々と聞きたかった所に先制で食らってしまったと言う事だ。

 ラウリはそのまま自室に戻って自分のベッドに力無く倒れこむ。
 父親の部屋から出る時、退出の許可、そして礼を言ってきたのか、ここまでどの廊下を歩いてきたのか。かなり長い時間かかって自室に着いたような気もする。ひょっとしたら普通通りの速度で歩き、いつも通りの廊下を歩いたのかもしれない。だが、ラウリにとってはそれを判断することが出来ないくらい狼狽していた。

 将来、貴族として振る舞うことが出来る様にと教えてきた事、それが丸々無駄になってしまった。
 それ以外にも、彼女を買い取るために必要な金額、およそ大金貨100枚から150枚ほどだろうか。面倒事になりそうで敬遠していた貴族達への手ほどき、内容も千差万別な為、精神的にかなり疲労してしまう仕事。もう少しで自分で決めた金額に達成しそうだったこの労力の無駄。

 いや、本当はそれらはどうでもいい。彼女が居ない。手の届かない所に行ってしまった。貴族が相手であれば強気に出ることも出来ない。相手は男爵家か、子爵家か。果ては伯爵家、侯爵家どの家かわからない。だが、どちらにしても正式な理由がなければ返還要請等出来るはずがない。

 しかも、父の言葉から秘匿せざるを得ないという事がうかがえた。現在秘匿せざるを得ないのか、それとも永劫秘匿せざるを得ないのか、それは全くわからない。彼女が傷物になろうが、誰かの子を孕んでいようが本来問題ない。ラウリ自身には初物である必要など無い。今までその様なものを経験していないというのもあるが、それが彼女の魅力等では無いからだ。誰かの子を孕んでいたとすればこの家で育てるも良いし、養子に出すのも良い。そのくらいの面倒等ある程度は見ることが出来る。

 だが、彼女がこの場に居ないことは間違いないのだ。買取先でどの様な扱いになっているのだろうか、性奴であれば良い。労働奴隷であれば、得意な炊事洗濯等であればなお良い。だが、婚約奴隷や、発散奴隷、果ては、殺すことだけを目的とした奴隷になってしまった場合、彼女を生きて見ることは出来るかもしれない、出来ないかもしれない。しかし一つだけわかることがある。これらになってしまった場合、もう二度と戻ることがないと言う事だ。
 胸が苦しく、自然と涙が出てくる。吐き気がこみ上げてくるが、吐くことが出来ない。息が苦しいが、呼吸自体は簡単に出来る。
 その様なもがき苦しむラウリだが、泣き疲れたのか気づいたら寝てしまっていた。





「ソ……ソニヤです! 本日からお世話になります!!」

 片足を引き、背筋を伸ばしたまま膝を曲げる深いカーテシーを行う。ドレスはアールトネン家から着ることを強要され、後でどうやって戻そうと相談した所、持って行って良いと言う事だった。そのドレスに対する返済金とかを考え、そして、目の前に居る自分を購入した貴族様への初顔合わせと言う大切な所なので、礼儀作法はどうやったか、もし間違えたらラウリ様に迷惑がかからないか等、色々なことが頭の中で渦巻いており、礼儀作法が上手く行ったのか、声が上ずってしまっていないのか、自分では判断できないくらい混乱していた。

 ラウリの屋敷より遥かに大きく、そして古めかしい館であった。庭や館には手入れも行き届いており、非常に調和された光景だった。その様な場所に綺麗な、そして、貴族しか乗れないような馬車で連れてこられたのだ。緊張するのも無理はない。

「ようこそ、ソニヤ。そんなに緊張なさらないで、もっとくつろいでいいのですよ」

 少々しわがれた女性の声。多く歳を重ねたであろうその人は、優しそうに緊張しているソニヤに対し、ねぎらいの言葉をかけた。

「そうだぞ。よく来てくれたな。ソニヤ。新しい家族を私達は歓迎しよう」

 隣に立つ女性と同じように歳を重ねた男性がソニヤに対して歓迎の言葉を伝える。
 この屋敷はカルナ男爵家の王都邸宅。王都から南にある山間の小さな所領を抱えた男爵家。大きな湖があり、牧畜、そして農業が盛んな土地だ。それ以外にも、貴族たちの避暑地としてもよく利用されている土地である。長年この男爵家がこの土地を管理し、運営している。公平な税制と公平な裁判を行い、民衆からの支持は高く、一つの懸念を除いてもし住めるのならここに住みたいと多くの民衆から思われている所だ。

 エーリッキ=カルナ男爵。
 もう壮年を越え、その次も越え、老年と呼べる域に達しているだろう男性。ほぼ白髪だけの頭になっているが、まだ足腰はしっかりし、背筋を伸ばしたままソニヤに向かっている。
 優しい笑顔をした好々爺と言うのが大多数の第一印象だろう。そして、その実態を知ってからも第一印象は間違いなかったと同じく大多数の人が思っていることだった。

 ミンミ=カルナ。
 カルナ男爵婦人。少し古めかしく、おとなしめなドレスに身をつ包んだ女性だが、カルナ男爵と同じような白髪になり、その古めかしさと調和し、非常に栄える存在に見えた。
 男爵婦人も優しげな顔をし、性格もとても穏やかな女性であった。

 ソニヤにとって買われるという行為は2回目。1回目は奴隷商であるラウリ。2回目は今回。元々普通の農村出身のソニヤである。環境の変化にはそこまで強くはない。更に言えば、奴隷階級とはいえ、ラウリのところでは実情は聞いていたよりかけ離れて高待遇だったが、商品としての扱いには違いなかった。今はその奴隷商の代表としてと言えば言いすぎかもしれないが、尊敬しているラウリに対し、失礼があってはならないと考えているため、この様な優しい二人を目の前にして、緊張してしまうのも想像に固くない。

「この様な時期にソニヤ、特別な経路を持って君を買うことになった経緯だが」

 応接室と言うより客間、いや、もっと穏やかな団欒とでも言うのか、その様な目的の部屋に連れられ、椅子に座りながら出された紅茶を飲む。
 緊張しているので、味などわからない。香りで飲む様な紅茶なので、より味などわかっていない。
 その紅茶も緊張をほぐすためにと進められ、飲んでみたのだが、熱くて舌をやけどしたかもしれなかった。
 だが、ソニヤのその仕草がとても可笑しかった二人は声を上げて笑ってしまった。しかし、ソニヤにとってその笑いがとても暖かい笑い方であったため、張り詰めていた緊張の糸がようやく緩んでいくのを感じた。

「と、その前にカルナ男爵家の事を何か聞いているかい?」

「お聞きしたと言うより、学んだという方が近いのかもしれませんが、300年前の王都陥落からクスタヴィ王子様が率いる奪還軍の本拠地としてお名前が出ていたと記憶しています」

「ほう、よく知っているな。そのとおり。我がスピネル国が隣のコランダム国に攻め込まれ、王都が陥落し、多くの将兵と住民が亡くなった。その時、避暑地として適度に王都から離れていたわがカルナ男爵領で落ち延びたクスタヴィ王子が奪還するための軍を起こしたのだ。王子指揮の軍が王都を奪還成功後、ポルヴァリ将軍やレイヨ将軍の今でも名を覚えられている方たちで、現在の国土まで戻したのだ。それ以上攻め込まなかったのはお互いに国が疲弊してしまったため、和平を結んだのだよ」

 カルナ男爵は、普通の農民であるソニヤがこの様なことを知っているという事にかなり驚いたが、ゆっくりと聞かせるようにソニヤに対して話を進める。

「このスピネル国の王都はその一件以来、攻め込まれたことがない。皆優秀な将軍たちがそれまでに撃退してしまっていたからなのだよ」

「しかし、良く知っていましたね。元々は農民、それもまだ16歳だというのに」

 男爵婦人の言葉に男爵も頷きながら答える。普通、この様な過去のことを学ぶものなど貴族の嗜みとして以外ほとんど学ぶものなど居なかったからである。

「ラウリ様から教わりました」

「ほぅ、ラウリ君からか。他には何を学んだのだ?」

「はい、この国の成り立ちを大まかに、そして、過去の偉人様達。他には算術や、礼儀作法を教わりました」

「なるほどな」

 二人は深く頷きながら感嘆した言葉を漏らしていた。

「少々ぎこちない部分もある礼儀作法だとは思ったが、しっかりとしたものだった」

「そうね。よく学んでいます。後は慣れれば社交界に連れて行くこともできそうですわね」

 社交界。貴族達の社交の場と言う公のパーティーだ。ただ、主催者が自己顕示欲を満足させるためだけではなく、権謀術数、それ以外にも貴族間同士の商取引にも使われ、出席する人達によっては国政まで動いてしまうこともある。その様な大きな舞台に出席できるかもしれないという話を聞き、ソニヤは落ち着いてきていた緊張、いや、大きな話しすぎて混乱というべきだろうか、また自分を見失いかけていた。

「大丈夫だよ。ソニヤ、君を社交界に連れていく時は私達も一緒だ」

「え?」

 何を言っているのだろうか。奴隷の身分で社交界に連れて行く。突然その様な突拍子もないことを言われてしまった。自分の耳を疑ったが、聞き間違いというようなことは無さそうだ。

「あなた。来てもらった経緯を話していませんよ」

「おお、そうだった。私達の息子や娘の話は聞いているか?」

「いいえ、何も伺っておりません」

「そうか。3人いたのだが、一人は病で。一人は戦争で。一人は品の移送中、崖から転落と言う不慮の事故で亡くなってしまったのだよ。この男爵家も王国最古の男爵家と言われているが、跡取りがおらんのでな」

「失礼ですが、他の親族はいらっしゃらないのですか?」

「ああ、残念ながらもう居ないんだ。古い貴族だから普通居るだろうと思われるのだが、外に出たものは大抵他の貴族に男女ともに嫁いでいる。元々男爵領だ、分け与えることが出来る領地も無い。貴族を捨て、庶民に混ざっていった者も居るのだが、もうどこに居るのかさえわからん。3人目が崖から転落する事がなければ問題無かったのだがな……」

 そう言い終わると二人は辛い記憶を思い出したのか目頭を押さえ、耐え忍ぶ。

「も……申し訳ございません!! 失礼な質問をしてしまいました!!」

 ソニヤは二人の苦しい過去を思い出させてしまったと言う事に対し、何故その様な質問をしてしまったのか後悔していた。だが、出てしまった言葉はもう戻すことが出来ない。
 これからの行動で挽回する事を心に決め、二人の回復を待った。

「ソニヤ、すまない。少し思い出してしまってな。それで、ソニヤ。君を吾が家の後継ぎとしようと思ってな」

「え……?」

 何を言っているのかすぐには飲み込めなかった。当たり前だろう。自分は農民、両親の血筋で過去貴族だったものなど居よう筈がない。更に言えば、今は奴隷にまで落ちている。身なりは綺麗にしてもらっているのだが、首の紋様が自分の境遇が嘘ではないことを語っている。
 言い間違いではないかと口に出そうと思ったのだが、二人の目が優しげではあったが、とても真剣だという事がわかった。その為、質問を飲み込み、他の質問をすることにした。

「とても嬉しいことなのですが、私は出自も農村の普通の奴隷です。立場が違いすぎると思うのですが……」

 これも失礼な質問かもしれない。相手の言葉を信じていないという事に成るのだから。だが、奴隷からいきなり貴族と言う事に普通は考えることが出来ないだろう。昔聞いた物語であれば、その様なことがあった様な記憶があるが、現実にそんな事はあり得ないと言えるくらいにソニヤは世の中を知っている。
 だが、本来は既に奴隷なのだから、全ての言葉をそのまま受け入れなければならないだろう。それが出来なかったのも、ラウリとの逢瀬があったからなのかもしれない。その為、奴隷という意識が他の者達より少なかったのもあるだろう。

「信じられないのも無理はないかな。先日のオークション、あの日挨拶した後、君を見ていてな。他にも使用人やその場に居た奴隷たちにも話を聞いたのだよ。良い話ばかり聞くのでな、もうこの男爵家を維持するのを諦めていたところだったが、それが再燃してきてな。過去にも奴隷から貴族になった者も数える程度だが居る。その点に関しては問題ないだろう」

 ここまで話を聞くと、本当に自分のことを見てくれていた、自分を評価してくれていると言う事がわかり、非常に嬉しい気持ちになる。
 母親の弟の所で過ごした期間は長くはない。だが、そこでは全く評価されず、辛い思いをしていた。だが、この方々はたった半日、それも一緒に過ごしたことではなく、他の人達から話を聞いただけで私のことを評価してくれた。話を聞いた人達が、過大評価をしているかもしれないと言う事はあるが、それでも私の実態を見極めて評価しようとしてくれたと言う事がとても嬉しかった。

「どうだね、私のため、私達のため……、いや、我が領民のために私達の家族になってくれないかね?」

 涙が溢れてくる。
 家族。
 既に無くなってしまったものだと思っていた。
 二度と手に入らないものだと思っていた。
 奴隷になり、この様な暖かい物をもう一度得られるとは思っていなかった。
 それが、この優しい二人から与えられる。
 差し伸べられた手を握る。

「はい……、この様な私でよろしければ、お願い致します……」

 泣き出してしまったソニヤを二人は暖かく抱きしめてくれた。





「あら、ラウリ君はそんなに良くしてくれたのね」

 ソニヤ=カルナとなってから、1ヶ月経っていた。まだ、家族というにはぎこちない状態。貴族としての心得や貴族の家族になると言う事もようやくわかりはじめた辺りだ。

 二人と仲良くなるために、料理を振舞おうと思ったら怒られた。農村出身のソニヤにとって、自分の手料理を食べて喜んでもらうと言うのは当たり前だったのだ。だが、貴族の中で、料理を作るという事は使用人の仕事であるため、何を持って仲良くなれば良いのか悩んでいた。

 その他にも菜園があったため、手伝おうとしても、薪割りや水汲み等も喜ばれることはなかった。全て使用人の役割が割り振られており、それが自分たちの唯一の仕事と言うものが多かったというのもある。古い男爵家と言う事と、税収が安定していると言う事で、男爵家に仕えるというのも一種のステータスであり、薪割り水汲みだけの仕事だとしても給金がそこまで悪いものでもなかった。その為、領民から男爵家存続は願いであり、他の貴族に荒らされる事は自分たちの未来が崩壊してしまうかもしれないと言う危機感を持っていたのだ。

 奴隷とはいえ、男爵が決めた後取りであればそこまで酷い者が来るとは思えないと言う考えが領民にあり、ソニヤの事はまだ領民には届いていないが、少なくともこの館の中ではかなり歓迎されていた。
 そして、ソニヤは新しい両親とどうやって仲良くなるべきか、試行錯誤しつつ今まで過ごしている。
 貴族としての役割や、立ち振舞、算術や歴史、礼儀作法等も、もう一度新しい教師を呼び、学び直している。
 その様な忙しい中の休憩、家族の団欒時間にラウリとの話を根掘り葉掘り話すことになり、赤面した状態のソニヤを二人は微笑んで眺めていた。

「ひょっとしたらラウリ君の事?」

 男爵婦人からの一言でよりいっそう赤くうつむいてしまったソニヤ。

「あらあら、そうなのね」

 歳を重ねても女性はその様な話が好きと言うのは貴族だろうが庶民だろうが変わらない様で、男爵婦人も身を乗り出してソニヤに迫る。

「どこが好きになったの? 彼の良い所は? どんな事してもらったの? 手は繋いだ? くちづけは? 体はもう重ねたの?」

 矢継ぎ早に質問してくる。茹で上がったように真っ赤になっているソニヤだが、男爵婦人の質問が耳に入ると処理が追いつかないのか、とても恥ずかしかったことなのか、目を回しながら椅子の背もたれに倒れこんでしまった。
 使用人の一人が既に用意してあった冷たいタオルを熱を冷ますかのようにソニヤの額に乗せる。
 部屋に居る者全員が微笑みながらそのソニヤの様子を眺めていると、扉がノックされ一人の使用人が入ってくる。

「ソニヤ様、そろそろお時間でございます」

 その言葉を聞くとソニヤは飛び起きるかのように椅子を立つ。

「はいっ!!」

 恥ずかしいことから逃れられる幸運を喜んでいるからか、それとも完全に気が抜けている状態で驚いたからなのか。どちらにしても少し上ずったような声であった。

「それでは、だん……、御義父様、御義母様、失礼致します」

「ああ、行ってらっしゃい」

「勉強頑張るのですよ」

「はい!」

 ソニヤが部屋から出ていく事を眺めた後、二人は話し始めた。

「そろそろ、社交界に連れて行っても良さそうだね」

「そうですね。皆さんの反応が楽しみですわ」

 貴族になってから2ヶ月強で社交界に出席する。本来あり得ないことかもしれないが、ソニヤの人柄が良いのか、それとも学んでいることがすぐに身について着ているのか。だが、長い年月社交界に出席し続けている二人が贔屓目に見たとしても出席しても良いと考えているのだから問題ないのかもしれない。

「そうだね、楽しみだね」

「でも、どうなさいますか?」

「そうだな。二つの男爵家を残すことが出来るか……、陛下にお願いしてみるしか無いのかもしれないな」

「残せるのでしょうか?」

「1件だけ前例がある。可能かもしれない」

「できたら良いですね」

「そうだな」




「ラウリ様、ご用件は何様でございますか?」

 ソニヤが居なくなってから1ヶ月半が過ぎようとしていた。アールトネン奴隷商のラウリの私室に女使用人のコラリーが呼ばれ、机に座りながら頭を抱えているラウリに対してコラリーは質問していた。

「ああ、コラリー。すまないが、力になってほしい」

「私ごときでお力になれるのであれば」

「多分お前じゃないと駄目だ」

「と、おっしゃいますと?」

「父上の息が掛かっているものではまともな情報が入ってこないだろう」

 コラリーはラウリの父親が引き取ったのではなく、実は少年の時のラウリが決めたのだ。値段も安く、同年代の子供が居ると良いだろうという事で最終決定は父であるコスティが決めたが、見出したのはラウリだった。
 その為、父寄りではなく、ラウリ寄りの立ち位置であるのと、ラウリは多少依存していることもあった。

「僕だけではソニヤを見つけることが出来ない。助けてくれ」

 ラウリはソニヤが居なくなった後積極的に性の手ほどきを行なっていた。今まで好きではなかった為に行く事をしなかった複数人による乱れた性を楽しむ会や、新しく購入した女奴隷を複数で楽しんでいるような会、その逆に、男性奴隷を複数で楽しむような会にも顔を出していた。
 その行為の目的は一つ、単純にソニヤの行き先を探すために。
 だが、何一つソニヤに関する情報を手に入れることが出来なかった。精神的にも体的にも限界が近いことを悟ったラウリは、同郷の娘である事と、少し依存していると自覚しているコラリーに助けを求めたのだ。

「わかりました。何日かお待ち頂くことになります。それと、そろそろお体が限界かと思われます。もうそろそろ新しい奴隷も買うことになりますので、回数を減らすことをお勧め致します」

「ああ、わかっているよ。だけど、その行かなかった時にソニヤの事を知っている者が居たとしたらと思うと居ても立っても居られないからね……」

 そう言うとラウリは今までに確認したリストを見ながら、行ってない先を見つけることに没頭し、コラリーが出ていったことさえ気づかなかった。



 ラウリがコラリーに対して相談してから2週間後、コラリーはまたラウリの部屋に来ていた。

「ラウリ様、ソニヤと思しき人が出席するという社交界がわかりました」

「なにっ! 社交界だと?!」

 ラウリにとっても予想外の出来事だった。本来奴隷の扱いは自分より下に置くものであり、自分と同等に扱うものではないのだから。酷いものだと人ではない扱いになる。その為、その可能性はラウリ以外あり得ないと思っていた。

「まだ、可能性でございます。それと、その社交界の主催者がヘルミネン伯爵家でございます」

「ヘルミネン伯爵家か……。そうなると、多分領地持ちだけの社交界だね?」

「はい」

「そうか……、誰かに確認して頂かなければならないか……。自分で行けないことがもどかしい!!」

 領地を持った貴族と、アールトネン家の様に領地を持たない貴族がいる。領地を持つ貴族は基本農業や牧畜、他には防衛等を主とした貴族であり、領地を持たない貴族は商業や流通、芸術、それと一部は武芸に関しての貴族である。
 住み分けと言う事をしているわけではないのだが、領地毎の商談や政策等を決める時に領地を持たない者が混ざってもあまり良い効果をもたらさないと言う事で、領地持ちだけで行う社交界というものが行われていた。
 今回のヘルミネン伯爵主催の社交界は領地を持った貴族だけが出席できる事で有名な物である為、アールトネン家が出席することが出来ないと言う事だ。

「しかし、よくこんなに早く情報を集めることが出来たね?」

「使用人にも特別な情報網と言うものがございますので」

 と言っても、実際は使用人達が行う井戸端会議の様なものでしか無い。だが、今回はその井戸端会議の様なものが功を奏したのだから、馬鹿には出来ないのだろう。

「こちらからも出席できる貴族にあたってみる。コラリーも引き続き情報を集めてくれ」

「はい」







「今日は緊張しました」

 馬車の中で揺られる3人。
 3人ともしっかりと着飾った状態だが、数時間同じ服で直すことも出来ず少し型が崩れていた。

「こんなに綺麗なドレス、本当にありがとうございます」

「いいのよ。私達の娘になったのだから、このくらいは着てもらわなきゃね」

「今若い者達の間での流行の細身のドレスだ。気に入ってもらえてよかったよ」

「体のラインと肌が出すぎて少し恥ずかしかったのですけど、多くの方がこの様なデザインを選んでいらっしゃるのですね」

「私なんかはもうこういうドレスはさすがに着ることが出来ないわ」

「御義母様のドレスも凄く素敵です」

「あら、ありがとう」

 社交界では特に領地間の相談事は無く、本来欠席でも良かった。ヘルミネン伯爵も後継ぎが亡くなってから色々と気にかけてくれる方だったので、そのお礼と、新しい娘、ソニヤのお披露目という事で今回は出席することにしたのだ。
 奴隷の紋様がまだ付いている状態だが、ヘルミネン伯爵は喜びながらソニヤを迎え、大勢の前で挨拶することになった。

 挨拶後、幾人もがソニヤに挨拶に来た。一人ひとり丁寧に挨拶をし、言葉を交わすソニヤを、遠まわしに見ていた者達にも良い印象を与えたらしく、この会場に来ていた者ほとんどがソニヤと言葉を交わしたのかもしれないと思えるくらい、ひっきりなしに挨拶をしていた。

 中には、先日のアールトネン奴隷商でのオークションでラウリと共に居た所を挨拶した者も居て、ラウリに振られたのかとこっそり茶化してくる者も居た。しかし、それは表に出さないと言う暗黙の了解は皆心得ていた。

 カルナ男爵の人柄なのか、ソニヤのことを理解してくれたのか、お互いに共同しあう領地持ちの貴族間だからかわからないが、ソニヤはとても暖かく迎えられ、社交開初出席は成功したと思えよう。
 たくさん話し、ドレスからの羞恥心も心労として重なり、かなり疲れていたが、成功したという高揚感が未だ続いていた。

「そう言えば、今日はラウリ君は来てなかったな」

 その男爵の言葉で、熱かった体がより熱くなっていくのをソニヤは感じた。

「あなた、さすがにアールトネン家が今日出席することは無理でしょう」

「他のものから手を回してでも来るかと思ったのだがな」

「ヘルミネン伯爵の事を考えると、さすがにそれは難しいですわよ」

「それもそうだな」

 そう納得した所で馬車が揺れ、3人の体勢が崩れる。馬車の様子を見る為に御者が一旦馬車を止め、何事もなかった様で再度馬車は走り始めた。

「ソニヤ、ラウリ君と結婚してみるか?」

「えっ?!」

 赤い顔のまま、呆けた顔を男爵に向けるが、少ししてから、ようやく男爵の言った言葉の意味がわかったらしく、男爵に答えを告げた。

「そんな!! 恐れ多いことです……。それに、できたらいいなと思ったことはありますけど、御義父様の後継ぎとして私が来たのに、ラウリ様の元へ嫁ぐことなどできません……。それに、これもありますし……」

 そう言うとソニヤは自分の首に未だ付いている奴隷の文様に触れた。

「首の紋様はどうにでもなる。それと、上手く行けばだが、両方の男爵家を残すことが出来るかもしれない」

「本当なのですか?!」

「過去に1例だけ、お互いの家は残したまま、結婚し、二人の子供にそれぞれ継がせると言う事があったのだ。両家ともどうしても残さなければならない家だったと言うのもあるが、陛下にお頼みすれば、ひょっとしたら」

 真っ赤な顔で満面の笑みに変わっていくソニヤ。その様子を二人は嬉しそうに眺めていた。

「本当に好きなのね。ラウリ君のことが」

「えっ?」

 否定したくても既に完全に理解されてしまっている為、何を言っても無駄なのはソニヤには理解していた。否定したい気持ちは全く無い。だが、表立って肯定するのは恥ずかしくて無理だという事だ。
 その為、真っ赤な顔をしたまま沈黙してしまうと言うのがここ最近のソニヤのわかりやすい所だった。

 またもや馬車が大きく揺れる。夜遅くの時間であるため、御者が凹凸を見落としていたのだろうか。何度も大きな揺れを起こすと車軸に影響が出て、最悪壊れてしまう。それをさせないために御者が居るのだから。

 御者が馬車を止め、確認するために馬車の周りを歩いている。
 ほとんど外が見られない作りになっている為、御者の足音でどこに居るかを感じ取るしか無い。

 冬の寒い時期であれば、前面の椅子上あたりにある小さな扉と、その扉にある小さな窓。背面にも一つの小さな窓。それ以外には普段乗り降りするための一つの扉。これしか無いのは人数が乗れる場合はとても暖かいものなのだ。夏用の馬車もあることにはあるのだが、全く作りが違うため、冬の利用には非常に適さない物である。馬車業を生業としている者は夏用と冬用を大抵揃えている。兼用で冬は厚い革製のカーテンで覆っているものもあるのだが、基本的にこのタイプを利用するのは庶民であり、貴族は専用を用意する。
 この馬車も専用馬車であるため、作りは豪華であり、隙間風など全く入ってこない。だが、今は初夏であるため、夏用の馬車でも良かったのだが、伯爵が用意してくれた馬車であるため、文句も言うことが出来なかった。だが、夜も更けてきた辺りなので、この馬車でも暑いや息苦しいという事はなかった。

 しかし、そのせいで判断が遅れてしまった。

「ひぃぃーー!!」

 御者の物と思える悲鳴と走り去る足音。
 始めは御者の悲鳴だという事がわからず、何があったのかと狭い窓から見回していたのだが、複数の男たちの声と足音が聞こえ、ソニヤは自分の置かれた状況を察してしまった。

「御義父様、御義母様、大変申し訳無いのですが、馬車を御することが可能でしょうか」

 ソニヤが真剣な顔で貴族がやるべきことではない事を聞いてくるため、あっけにとられてしまったが、再度静かに強く聞いてくるため、なんとか反応し、返事をする。

「御義父様が出来るのですね。わかりました。御義父様、御義母様のイヤリングや一番大事で無い指輪等複数頂けますか?」

 一番大事な指輪と言えば、二人が交わした指輪のこと。それは無くしてはならない為、それ以外の物とソニヤは伝えたのだ。
 二人はまだ状況が把握できず、ソニヤの言うとおりにいくつかの指輪等の貴金属を手渡す。

「何をするのだね?」

「今この馬車の外に賊が居ます。私がその賊を追い払いますので、その隙に御義父様はその窓から出て馬車を出して下さい」

 賊と言う言葉を聞いた瞬間、二人は体を強ばらせてしまった。今まで経験がなかったとは言えないだろう。ひょっとしたら過去の息子たちの事件も賊が関係していたりするのかもしれない。だが、今は生き延びなければならない。それを理解しているソニヤは二人をゆっくりと抱きしめ、強張った体をほぐしていく。

「もう、大丈夫ですか?」

「ああ、すまないソニヤ。でも、大丈夫なのか?」

「はい、大丈夫です」

 全く根拠の無い言葉だった。男の賊が貴金属だけで満足すると言う事はあり得ないのだから。
 だが、ソニヤはこの暖かい二人を、卑劣な賊達にさらしてしまう事が嫌でしょうがなかった。

「大丈夫です」

 自分にも言い聞かせるようにもう一度伝える。
 農家の娘であるため、足腰は強い。ここ半年以上走ったりすることなどしてないが、そこら辺の者に、負けるとは思っていない。
 何度も深呼吸をし、なんとか体の震えを止める。
 止まってからまた時間を置くと震えが来てしまうため、二人に行動に移すための合図をし、扉を蹴って開ける。
 強く蹴った衝撃が体に響く。
 その衝撃は、一つではなく二つあった。
 どうやら、扉の外に一人男が立っていた様で、こちらから開け放って来るとは思わなかったのだろう。
 ソニヤはその男を一瞥し、周りの状況を確認すると、少し離れた辺りに3人の男が居た。
 確認すると、両手に持っていた貴金属を遠くに放り投げるようにばら撒く。そして、自分の両手についていた指輪やブレスレットも取って投げる。
 男達はその貴金属に目線が行き、こちらを注視しなくなっていた。
 そのタイミングに合わせて、男爵が小さい扉から身を乗り出し、御者席に座り馬に鞭を当てる。
 その鞭の当て方が間違っていたのか、強すぎただけなのかわからないが、2頭の馬は急発進してしまった。
 発進出来た事はとても喜ばしいことではあるのだが、自分の指輪やブレスレットを投げつけているソニヤに取って、その急発進は不幸の出来事の始まりだった。

「ソニヤっ?!!」

 男爵婦人の悲鳴のような声が聞こえる。

「あなた!! 止めて!! ソニヤが!!」

 続けて男爵婦人の悲鳴の要請が聞こえる。
 だが、慌ててしまっている男爵にとって、走らせると言う作業以外、すぐに思い出すことが出来ず、更には道が曲がり始めた為に、操作に集中せざるを得なかった。

「ソニヤ!! ソニヤ!!!」

 男爵婦人はその開け放たれた扉を眺めながら何も出来ずに力無く座り込んでしまった。



「痛っ……」

 ソニヤは自分がどの様な事になったのか、すぐには思い出せなかった。
 開いた扉の端に当たり、体が痛いと言う事は思い出せた。だが、それは左半身。なぜ、右半身が痛いのかすぐに思考が繋がらず、状況を把握するために痛む体をいたわりながらゆっくりと体を起こしてみた。
 今自分が座っている場所は、石畳である。
 夜空が見える。
 月明かりが明るいため、思ったより見回すことができるが、その様な暗い中でも頂いたドレスが汚れてしまっているのが見ることが出来た。

「洗って落ちるのかな……」

 とぼけた事を言うソニヤ。まだ現状を把握することが出来ていない。
 そう、視界の片隅に、倒れている男が一人と、こちらを眺めている男が3人居るという事に……。

「ひでぇ事してくれるよな。お嬢さん」

 倒れていた男が起き上がり、ソニヤに向かって話す。
 その言葉と手に持っている光る物が目に入り、ようやくソニヤは自分の陥った状況を把握することが出来た。




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