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組み紐は、もつれると大変
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友人らと買い物に行った翌日のことだ。
いつも通りにマークスは迎えに来た。
そして定番の不機嫌さは満載だった。
「くだらない女の友だちとの買い物が、俺との時間よりも大切なのか?」
「……決してそういう訳では」
「じゃあ、もう行くな」
私は胸ポケットに入れた組み紐を、布越しに触れる。
「それは承諾出来ません」
「何だと!」
大声を上げられるのが嫌だから、今までは受け入れた。
でも、私の心は決まっている。
「貴族の女性たちは、互いの関係を大切にしながら生きています。学園での友人は、今後の生活にとって、大変重要な人たちです。きゃあ」
喋っている途中で、マークスに頬を叩かれた。
「生意気言うな! 俺の言うことが聞けないなら、婚約者の意味なんかない」
「し、しかし」
「うるさい! もうお前なんか知らない」
アークスは馬車を止めさせ、私を強引に引き摺り下ろす。
「夫となる俺の言うことが聞けないなら、この婚約、解消するまで」
そのまま馬車は走り去る。
呆然とした私は、痛む頬を押さえて立ち尽くす。
なぜ……。
お友だちと一緒に買い物に行っただけで、こんな扱いを受けるのだろう……。
父や母は、私に興味がないせいか、今まで叩かれたことなど殆どない。
機嫌が悪くなると手が出るなんて、最低じゃないか。
婚約解消、か。
マークスを心底好きではないけれど、結婚相手がいなくなるのは不安だ。
だって、姉や妹ならともかく、私と結婚してくれる相手が、そうそう見つかるとは思えない。
傷モノって、噂されるのだろうな……。
嫁ぐことが無理ならば、今の家で生活出来ないだろうか……。
いや……。
多分出来ないだろう。
姉のモニクが嫌がるだろうし、きっと父も母も許してくれない。
家を追い出されるか、修道院へと送られるか。
いっそ自分から家を出て、市井で生きていくことは出来ないだろうか……。
考えながら、とぼとぼ歩いていたら、いつの間にか邸に戻れた。
「お嬢様! どうなさったのですか? 学園は?」
門をくぐった所で、ヨナに見つかった。
ヨナの顔を見た途端、私は泣き出してしまった。
「なんと酷い!」
私の部屋でヨナは、水で濡らした布を頬に当てた。
ひんやりして、気持ちが良い。
思っていた以上に、頬は赤く腫れていた。
「それで、婚約解消とか、ふざけたこと言ったんですね、あのクソ坊ちゃんは」
クソ坊ちゃんの響きに、私は思わず笑ってしまう。
「ちょっとヨナ。淑女の言葉じゃないわよ」
「クソがダメなら、クズで如何でしょう」
笑ったら、腫れている頬が痛む。
でも、心は晴れていく。
「もう、本当に婚約止めたくなったわ」
ヨナは頷く。
「でも、私も貴族の令嬢でしょ? 婿を取っての後継ぎでもないから、結婚出来ないなら、腹を括らないとね」
「いえいえお嬢様。そんなご大層な決意は、もう少し先で良いでしょう」
「そう、かな……」
「まずは旦那様に、事の次第をお話された方が良いと思います」
ああ、そうか。
マークスと私の婚約は、バーランド家とローザン家の間での取り決めだ。
私一人で、どうこう出来るものではない。
勿論、マークスとて同じ。
その日の夕方、私は王宮の執務から帰って来た父の元へ向かった。
「おお、珍しいな、シュリー。お前の方からやって来るとは」
あなたの方から来ることも、ここ数年ないですよ、お父様。
「実は、マークス様との婚約のことで、ご相談が……」
私は、学園に入ってからのマークスの態度と、本日の出来事を父に話した。
「なんだと! ちょっと顔をよく見せてみろ」
父は私の頬の腫れを認め、大きく息を吐く。
「まったく、バーランド伯からのたっての願いで結んだ婚約だと言うのにな……」
「ええ! そうだったんですか!」
初耳だ。
「あれ、言ってなかったか? そうか詳細はキャサリーヌに伝えただけだったか」
嗚呼、それでは私のところには、伝わらないですわ。
「てっきり、年齢と家格で適当に決められたのかと思っていました」
姉と妹とは違って、と言いかけて、私は止めた。
父は私の頭を撫でる。
「すまなかったな。お前がそんな目にあっていることに気付かなかった……」
「ご、ごめんなさい。マークス様との婚約がなくなると、当家に不利益が生じるかと思って……」
父は首を振る。
「たいした理由もなく、女性の頬を打つような男に、大切な娘は任せられない。……バーランド伯と話合うので、この先の事は、もう少し待ってくれ」
「はい……」
しばらくの間、学園には我が家の馬車で通うことになった。
ヨナも一緒に行く。
完全にすっきりとはしないものの、父と話したことで私は楽になった。
あとは大人同士の話し合いに任せよう。結果は、お任せするつもりだ。
「良かったですね、お嬢様。旦那様に分かってもらえて」
「ええ。あなたが後押しをしてくれたお陰よ、ヨナ」
廊下を歩いている私は、視線を感じて振り返る。
視線の主と目があって、一瞬体が固まった。
視線の主は我が母キャサリーヌ。
母の目付きは見たこともないほど、冷たいものだった。
いつも通りにマークスは迎えに来た。
そして定番の不機嫌さは満載だった。
「くだらない女の友だちとの買い物が、俺との時間よりも大切なのか?」
「……決してそういう訳では」
「じゃあ、もう行くな」
私は胸ポケットに入れた組み紐を、布越しに触れる。
「それは承諾出来ません」
「何だと!」
大声を上げられるのが嫌だから、今までは受け入れた。
でも、私の心は決まっている。
「貴族の女性たちは、互いの関係を大切にしながら生きています。学園での友人は、今後の生活にとって、大変重要な人たちです。きゃあ」
喋っている途中で、マークスに頬を叩かれた。
「生意気言うな! 俺の言うことが聞けないなら、婚約者の意味なんかない」
「し、しかし」
「うるさい! もうお前なんか知らない」
アークスは馬車を止めさせ、私を強引に引き摺り下ろす。
「夫となる俺の言うことが聞けないなら、この婚約、解消するまで」
そのまま馬車は走り去る。
呆然とした私は、痛む頬を押さえて立ち尽くす。
なぜ……。
お友だちと一緒に買い物に行っただけで、こんな扱いを受けるのだろう……。
父や母は、私に興味がないせいか、今まで叩かれたことなど殆どない。
機嫌が悪くなると手が出るなんて、最低じゃないか。
婚約解消、か。
マークスを心底好きではないけれど、結婚相手がいなくなるのは不安だ。
だって、姉や妹ならともかく、私と結婚してくれる相手が、そうそう見つかるとは思えない。
傷モノって、噂されるのだろうな……。
嫁ぐことが無理ならば、今の家で生活出来ないだろうか……。
いや……。
多分出来ないだろう。
姉のモニクが嫌がるだろうし、きっと父も母も許してくれない。
家を追い出されるか、修道院へと送られるか。
いっそ自分から家を出て、市井で生きていくことは出来ないだろうか……。
考えながら、とぼとぼ歩いていたら、いつの間にか邸に戻れた。
「お嬢様! どうなさったのですか? 学園は?」
門をくぐった所で、ヨナに見つかった。
ヨナの顔を見た途端、私は泣き出してしまった。
「なんと酷い!」
私の部屋でヨナは、水で濡らした布を頬に当てた。
ひんやりして、気持ちが良い。
思っていた以上に、頬は赤く腫れていた。
「それで、婚約解消とか、ふざけたこと言ったんですね、あのクソ坊ちゃんは」
クソ坊ちゃんの響きに、私は思わず笑ってしまう。
「ちょっとヨナ。淑女の言葉じゃないわよ」
「クソがダメなら、クズで如何でしょう」
笑ったら、腫れている頬が痛む。
でも、心は晴れていく。
「もう、本当に婚約止めたくなったわ」
ヨナは頷く。
「でも、私も貴族の令嬢でしょ? 婿を取っての後継ぎでもないから、結婚出来ないなら、腹を括らないとね」
「いえいえお嬢様。そんなご大層な決意は、もう少し先で良いでしょう」
「そう、かな……」
「まずは旦那様に、事の次第をお話された方が良いと思います」
ああ、そうか。
マークスと私の婚約は、バーランド家とローザン家の間での取り決めだ。
私一人で、どうこう出来るものではない。
勿論、マークスとて同じ。
その日の夕方、私は王宮の執務から帰って来た父の元へ向かった。
「おお、珍しいな、シュリー。お前の方からやって来るとは」
あなたの方から来ることも、ここ数年ないですよ、お父様。
「実は、マークス様との婚約のことで、ご相談が……」
私は、学園に入ってからのマークスの態度と、本日の出来事を父に話した。
「なんだと! ちょっと顔をよく見せてみろ」
父は私の頬の腫れを認め、大きく息を吐く。
「まったく、バーランド伯からのたっての願いで結んだ婚約だと言うのにな……」
「ええ! そうだったんですか!」
初耳だ。
「あれ、言ってなかったか? そうか詳細はキャサリーヌに伝えただけだったか」
嗚呼、それでは私のところには、伝わらないですわ。
「てっきり、年齢と家格で適当に決められたのかと思っていました」
姉と妹とは違って、と言いかけて、私は止めた。
父は私の頭を撫でる。
「すまなかったな。お前がそんな目にあっていることに気付かなかった……」
「ご、ごめんなさい。マークス様との婚約がなくなると、当家に不利益が生じるかと思って……」
父は首を振る。
「たいした理由もなく、女性の頬を打つような男に、大切な娘は任せられない。……バーランド伯と話合うので、この先の事は、もう少し待ってくれ」
「はい……」
しばらくの間、学園には我が家の馬車で通うことになった。
ヨナも一緒に行く。
完全にすっきりとはしないものの、父と話したことで私は楽になった。
あとは大人同士の話し合いに任せよう。結果は、お任せするつもりだ。
「良かったですね、お嬢様。旦那様に分かってもらえて」
「ええ。あなたが後押しをしてくれたお陰よ、ヨナ」
廊下を歩いている私は、視線を感じて振り返る。
視線の主と目があって、一瞬体が固まった。
視線の主は我が母キャサリーヌ。
母の目付きは見たこともないほど、冷たいものだった。
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