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夏休み特別編

その正体

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 病院についたら、透琉はすぐに入院となった。
 彼のご両親にも加藤さんが連絡し、ご両親は車でここまで来るそうだ。

 佳月や祥真も顔色が悪い。

「透琉君は、ダニが原因の感染症の疑いがあるんだ。君たちも、検査が必要かもしれないけど……。虫除けスプレー、何使ってた?」

 佳月と祥真はそれぞれ虫除けスプレーの名前を言う。

「君は?」

 加藤さんに訊かれた僕は、ポケットに入れていたスプレーを出す。

「なるほど、ジエチルトルアミドとイカリジンが両方入っている虫除けか。君は、大丈夫かもな」

 少し細い目で、加藤さんは僕を見た。
 まさか、こんなに薬剤に詳しい人だったなんて……。

 結局、中学最後の夏休みは、中途半端に終了した。
 透琉は一晩入院し、軽い症状だったので、迎えに来た親御さんと一緒に帰って行った。
 佳月と祥真と僕も、それぞれ帰宅した。

 家に帰っても、僕は放心状態で、宿題もあまり進まなかった。
 父さんはチラチラ、何か言いたそうに僕の顔を見ていたが、結局何も言わず何も訊かず、仕事へと戻って行った。


 夏の終わりごろ、回復した透琉から連絡があり、学校の側のカフェで会った。
 痩せたな、透琉。

「ごめんな、冒険もキャンプも出来なくしちゃって」

 透琉の笑顔は、いつもより弱々しい。 

「ううん。もう、大丈夫?」
「ああ。いろいろあって迷惑もかけたけど、良い想い出になったよ」

 透琉は、氷が溶けかけたアイスコーヒーを飲む。

「九月から、俺転校するんだ……」

「えっ! 聞いてないよ、僕」
「うん、誰にも言えなかったから」

 透琉のお父さんが海外赴任するので、一家で渡米するんだって。
 知らない、そんなの。
 なんで……。
 なんで言ってくれなかったんだよ。

 早く聞いていたら、僕は……。

「また、会えるよ。そのうち帰って来るからさ」
「……うん」

「俺さ、お前と友だちで良かったよ」

 全く邪気のない透琉に、僕の心は裂かれるようだった。

 僕は……。
 僕はね、透琉。
 君が、君のことが……。

 君のことが
 嫌いだったのに!


 学校の門の前で透琉と別れた。
 ふと、視線に気がついて顔を上げると、加藤さんが手を振っていた。

「よお、元気だったか?」

 僕は無言で通り過ぎる。

「もう、あんなこと、するなよ」

 加藤さんの低い声で、思わず僕は振り返る。

「君が立てた計画だろ?」
「な、何が……」

「夏の山に行こう。中坊男子が好きそうな、心霊話を作って」
「そんなこと……」


 ――中学最後の夏休みだから、冒険みたいなことをしたいって、最初に言い出したのは誰だったろう。


 そうだ。
 言い出したのは、僕なんだ。
 英語総合の授業の時、僕が担当だったので選んだDVDは、あの映画だった。

 透琉がネットの心霊スポットの話をしたのも、事前に僕が教えていたからだ。

「君は知っていたね。彼、透琉君の家が、オーガニックを好むって」
「それは、みんな知ってますよ。透琉のお母さん、添加物とか界面活性剤が好きじゃないって」

 だから、透琉が虫除けに使うのも、蚊を寄せ付けないハーブ水だけなんだ。
 そしてもともと、透琉は長袖シャツが好きじゃない。寒くても、割と半袖を着る。

「ハーブ水でも、蚊や一部の害虫は避けられる。けどな、悪質なリケッチアを人に感染させる、面倒なダニの種類に効く虫除けは、ディート成分だけなんだ。虫に詳しい君は、それも知っていたんだね」

「別に、知っていたらいけないですか」

「いけなくはないさ。ただ、その知識を利用して、友だちを危険な目に合わせた。それはいけないことだろう?」

 僕は無言になる。
 だって、加藤さんの言うことは、全部その通りだから。

「君のお父さんの仕事は、農地の害虫駆除の研究だったね」

 僕は思わず加藤さんを見る。
 なんで……。
 そこまで……。

 この人、何?
 警察の人?

「俺の兄が、君のお父さんの後輩でね、大学の。今でも少々、付き合いがあるんだ」

 ウチのお父さんと、加藤さんのお兄さんが知り合い……。
 加藤さんは、ひょっとしたら、僕の事、知ってる?

「君は、害虫に関しても詳しかったんだね。ダニ類は冷却すると活動性を失うとか、そういうこと。だから、君の長袖に、忍ばせることが出来た。人肌温度になると、ダニはまた、吸血行動を起こすことも」

 僕の顔色は多分、白っぽくなっているだろう。
 どうして、この人はそこまで……。

「透琉君が感染した病気は、害虫に噛まれてすぐ、発病するものではないからね。おそらくは『少年の家』に来る前か、来た日の晩、透琉君にくっつけたんだろう。吸血鬼の噂や、いきなり君が透琉君に噛みついたのは、体内に出来ているダニの吸着跡を、誤魔化すためだったと俺は思っている」

 僕の声が震える。
 いつもより低い声だ。

「証拠、あるんですか……」

 ああ、これじゃあ、白状しているのと同じだ。

「ないよ。探す気もないし、他の人に言う気もない。俺が知りたいのは、なぜ、そんなことを君がしたのか、それだけだ」

 なんで?
 なんで、なんだろう……。

 嫌がらせ?
 透琉に、そんなことする気はなかった。

 僕にも、よく分からない。

 みんなに好かれて、リーダーシップもあって、女子に人気のある透琉のことが、僕は嫌いだった。
 嫌いだった?

 陽葵と仲良くて、羨ましかった。
 誰を、どっちを羨んだ?

 僕は透琉と陽葵、どっちを羨ましかったんだろう……。

 透琉にもっと、僕を、僕だけを見て欲しいと思った。
 もしも一緒に吸血鬼になれたら、ずっと一緒にいられるかもしれない、なんて夢想した。

「下手したら、死んでしまう病だよ」

 僕の胸はドクンと音をたてる。

 死んで、しまう……。
 確かに、本にはそう書いてあったけど。
 薬を飲めば、治るって……。

「今まで一緒に過ごした人が、いきなりいなくなってしまう。それは悲しい、寂しいことだ。
 その原因を自分で作ったとしたら、君は一生、その傷を抱えてしまう。
 そんな傷、俺は君に、君たちに、負って欲しくない!」

 ――お前と友だちで良かったよ

 透琉の声が聞こえた。

 嫌いだけど。
 嫌いじゃなかった。

 悔しいけど。
 憧れた。


 「こっからは俺の単なる推測、あるいは妄想だと思ってくれても良い。
 君はひょっとして、自分の性別と求められる性役割が、今混乱しているんじゃないか?」

 僕は固まる。
 動けなくなる。
 やはりこの人は、加藤さんは僕の父さんから聞いているんだ。

「生まれ持っての性別と、君が今感じている性別は、異なっているよね」

 そう。
 学校では、僕は「男子」として存在している。学校が渋々認めてくれたから。
 クラスの友だち、透琉は勿論、祥真も佳月も、僕を男子として扱う。
 戸籍の性は違うけど。

 だから仲間たちは僕に、恋バナを振ることはない。
 男女別リレーの選手に、僕を選ぶことを避ける。

 男子だと思って、思いたくて生きて来たけど、最近混乱と歪みを感じていた。

 僕は心が男子のまま、男子を好きになっている。

 おかしいよね。
 変だよね。
 それを自分で認めたくなくて、一番好きな男子を、一番嫌いだと思い込もうとした。
 吸血鬼になった女性たちは、きっと旦那さんのことが好きだったんだ。旦那さんが帰ってきたら、その首に噛みついて一緒にいるつもりだったんだ!


 でもこんなこと、誰にも相談出来なかった。
 父さんにだって……。

「いつ、知ってたんですか? 父さんに聞きましたか?」

 加藤さんは首を振る。

「俺の本業は、中高生相手の仕事だから、見ていればなんとなく分かる」

 ――また、会えるよ

 次に透琉と会う時に、僕はどんな顔をして会えるのだろう。
 足元に、ぽたぽた落ちるのが自分の涙だと、しばらくの間気付かなかった。
 加藤さんは僕の肩を支えながら、一緒に歩いてくれた。

「君が君であることに、性別も国籍も関係ない。だから、一人で悩むな。話くらいなら、いつでも俺が聞いてやる」


 夏の夕暮れが寂しいものだって、僕は初めて知ったのだ。
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