婚約破棄された眠り猫の令嬢は、子どもと老人の力を借りて、光り輝く

ウサギテイマーTK

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眠り猫姫は覚醒する

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◇婚約相手◇

 レオーネは、よく言えばおっとり、有体に言えば、ぼんやりしている、ように見える。
 領民からは親しみを込めて、「眠り猫姫」と呼ばれている。笑った時の弧を描く瞳が、寝ている猫に似ているそうだ。

 ちなみに学園内でのレオーネは『薄暮の令嬢』という仇名がついている。
 同じ貴族たちの前では、レオーネの表情は薄い。
 体全体の色素も薄いし、顔貌も薄い。
 女性の体つきとしても、これまた薄い
 
 ただし、ぼんやりしていても、頭の働きが悪いわけでもない。
 もっとも、ずば抜けて良い、とも言えない。
 ヘンな面倒見が良いのは美徳だろうか。


 レオーネがまだ、四歳か五歳頃に、こんなことがあった。
 木の上に登った猫が降りられなくなって、レオーネが必死で木登りをして猫を保護した。
 猫は興奮して、あろうことかレオーネの顔を引っかいた。

 一瞬、何が起こったのか分からなかったレオーネだが、鼻の頭の傷に気が付くと思わず泣いた。
 
『か、顔に傷がついたら、もうお嫁に行けない』
 
 その時何故か、一緒にいた、少年が囁いた。

『……もしも君に、相手が見つからなかったら、僕がもらってあげるよ』

 鼻の傷は残らなかったが、その時の少年の顔も、レオーネの記憶に残らなかった。
 ぽっちゃりした輪郭と、短髪であったことは、覚えているのだが。


 そんなレオーネ、ぼんやりと昔を思い出しお茶を飲んでいたら、いつの間にやら婚約していた。
 婚約相手と顔合わせをした時も、薄ぼんやりとしたまま、挨拶した。

 婚約者の子爵令息マリオスは、レオーネの全てが最初から気に入らなかった。
 マリオスの爵位と学識は大したことないが、外見は美しい。
 それを彼自身、自覚しているのがまた面倒くさい。

 今日も月一回の婚約者同士のお茶会で、マリオスは正面からレオーネを見ようとはしない。
 子爵邸の四阿で、彼は顔を傾けて髪を掻きあげる。サラサラのブロンドヘアが秋風になびく。
 これが一番カッコ良く見えると、マリオスは自覚している。

 レオーネには、なんかアホっぽく見える……。

「それで、今日も孤児院に慰問してたの?」
「はい、お友だちと一緒に行きました。……そのあと、孤児院の近くで一人暮らしをされている、ご老人のお邸にも参りました」
「友だちって誰?」
「グリモール伯爵子息と、アリエンヌ様です」

 高位貴族のグリモールが慰問していると聞いて、マリオスは鼻白む。
 グリモールとはマリオスが勝手に、ライバル認定をしている相手でもある。
 ふと思い返せば、グリモールから慰問に誘われたことがある。
 
 どうぞ、とレオーネは包みを開ける。
 中からは、焼き菓子が出てくる。

「孤児院の子どもの手作りか?」
「いえいえ。ご老人からのいただきものです」
「ふん……」

 どっちも変わらんと思いながら、マリオスは一口頬張った。
 存外旨い。
 だが、それをレオーネに言うのは癪に障る。

「君は、孤児院や老人の家で、何をしているんだ?」
「そうですねえ……」

 レオーネは、ホワンホワンと孤児院での様子を思い出す。

 元々、レオーネとアリエンヌは、年に数回開催される、孤児院のバザーを手伝っていた。
 それを聞いたグリモール・カザランド。王太子の側近候補で、知勇武に優れた男子である。
 彼が定期的に、孤児院を訪問しようと言いだした。

「孤児であっても、教育の機会を与えたい」

 若干上から目線だが、まあそこは高位貴族。
 国を良くしたいという想いはある。レオーネとアリエンヌは素直に従った。
 ゆえに一年くらい前から、一ヶ月に一度は三人で訪問している。
 最近、孤児院の敷地に棲みついた猫が、子猫を産んだので、猫たちに会うのもレオーネは楽しみだ。

「本日孤児院では、子どもたちと一緒に絵本を読みながら、文字を教えたり、お菓子を食べたり……ご老人のところでは、お掃除やお洗濯を手伝ったり……お菓子を食べたり、ですね」

 結局お菓子かよ!

 何が楽しいのかと、マリオスは思う。
 一文の得にもならんことだ。
 しかも孤児院やら老人宅訪問やらの場合、レオーネの着る服は一層地味になる。
 今日のワンピースも、薄暮というより薄闇の色だ。

 やはり、無理だ。
 自他ともに認める麗しい自分の隣にいるのが、薄暮令嬢では釣り合わない。
 学園の仲間たちにもそう言われている。
 貴族の男たるもの、仲間から羨ましがられるような女性を、パートナーにするべきだ。

 ため息一つ吐くと、マリオスは立ち上がり、片手を挙げただけでレオーネの前から立ち去った。
 レオーネも吐き出したい息と想いを飲み込んで、お茶会を終了させた。


 レオーネ・コードリアスはマリオス・シーンと、互いに十三歳の時に婚約を結んだ。
 貴族同士の政略結婚。
 愛情は二の次、三の次。

 ぼんやりとしていても、レオーネは他人の微細な感情を読み取ることは出来る。

 婚約者が自分を気に入っていないことくらい、レオーネも承知している。
 会った時から分かっていた。
 分かっているから、レオーネはマリオスに聞かれたことしか答えない。

 婚約して三年、マリオスからレオーネへの贈り物はない。
 手紙もない。
 夜会へのお誘いも、勿論ない。
 二人とも、貴族が通う学園に在籍しているが、学園内では無視されている。

 レオーネは一応、季節の折々や、お茶会のお礼の手紙をマリオスに送っている。庭で見つけた、愛らしい花や落ち葉を栞にして、同封したりもする。

 そんなささやかな贈り物すら、マリオスは気に入らないようだ。

 けち臭い女。

 そうも言われた。
 レオーネの父、コードリアス子爵は、いくつもの事業を手がけている資産家だ。
 どうせなら、もっと高額な、貴金属や宝石が良いとも仄めかされた。

 父は確かに資産家だが、レオーネに無駄使いを許す人ではない。

「相性、悪いのでしょうね……」

 マリオスとのお茶会の数日後、レオーネはまた、ご老人のお邸を訪問していた。
 邸の主はノーマス卿。妻に先立たれ、爵位も領地も子息に譲り、郊外の邸に一人で暮らしている。
 この辺りの土地一帯は、レオーネの父、コードリアス子爵のものだ。


 コードリアス子爵とノーマス卿は、元々親交があるという。
 だから爵位は同じくらいだろうと、レオーネは思っている。

 お互い伴侶に先立たれ、相通じるものもある子爵と卿。
 ある日、父はレオーネに告げた。


「レオーネ。たまにノーマス卿のところに行って、お手伝いをしなさい」
「ノーマス、卿?」
「そうだ。伴侶に先立たれた男が集う『やもめ会』のリーダーもしている方だ」

 やもめ、会?
 やもめとかもめって響きが似ている……。
 レオーネの脳裏には、父の顔した鴎が、仲間を探して飛んでいる姿が映る。

 か、可愛い。

「こらこら。レオーネ、そこでぼんやりしない」
「……はあい。……でも私、お手伝いって、何をすれば良いのでしょう?」
「一緒にお茶飲んで、菓子でも食べなさい」


 こうしてレオーネは、時折ノーマス卿のお邸を訪問している。
 今ではその訪問が、レオーネの楽しみの一つとなっている。

 だって、会話のテンポがゆったりしていて、話が合うのだから。

「うふふ。お話聞く限り、婚約者の男性、マリオス君だっけ、面倒くさいタイプだから、あなた以外の人でも相性合わないわよ、きっと」

「そう、でしょうか……」

 レオーネを励ましたのは、カンティマ夫人。
 夫君と共に、本日はノーマス邸に遊びに来ている。
 カンティマ夫妻とも、親しくしてもらっているレオーネである。

 特に夫人は、貴族の女性のあり方や嗜みを、さりげなく諭す。母を亡くしたレオーネには、有難い人物だ。

「いっそ、婚約なんか止めちゃえ」

 ノーマス卿は、凄いことをさらっと言う。
 ドキリとしたレオーネ、卿の顔を見る。
 レオーネも、ずっと思っていたことだったのだ。

 会うたびに疲労するマリオスと結婚しても、きっとレオーネには何も良いことがない。

「そうですね……」

 ほわほわと、レオーネは思い浮かべる。

 自身の結婚式を。
 ウエディングドレス姿のレオーネと、腕を組む相手の顔を。
 相手の男性の顔は、どうしても、マリオスにならない。



 ◇断罪◇


 それは収穫祭の前の、学園での夜会のことだった。

「レオーネ! 君との婚約を破棄する」

 壇上から、マリオスの声が通る。
 彼はレオーネにいきなり「婚約破棄」を宣言した。

 傍らには一人の女生徒が立ち、儚げな表情でマリオスを見上げていた。
 リティアという男爵家の子女である。
 琥珀色のパッチリとした瞳が、いつでも潤んでいる。

 女子としては高身長で、薄い体型のレオーネに対し、小柄で肩も腰もほっそりとしていながら、バーンと小山のように盛り上がる胸を持つリティアは、相当蠱惑的だ。いつもマリオスや複数の男子に取り囲まれている。


「お前はリティアを害した!」

 マリオスは断言する。

 曰く、リティアの教科書や文具を捨てた。
 突き飛ばして彼女を転ばせた。
 熱い紅茶を頭からかけた。

 いずれもレオーネには、全く覚えのないこと。
 だいたい、そんなこと、するわけがない。

 教科書も文房具も大切だ。新たに買ったらお金がかかる。勿体ない。
 誰かを転ばせようなんて、滅相もない。間違いなくレオーネの方が、転んでしまうだろう。
 猫舌のレオーネは、掌も猫手。そもそも熱々の紅茶カップなんて、持ちたくない。



 その後、両家の話し合いで、婚約は白紙となった。
「破棄」ではなく、白紙になったのは、レオーネには瑕疵がなかったからだ。
 要はリティアの訴えには、信憑性がなかったのだ。

 しかし。
 瑕疵がないレオーネに、マリオスは言う。

「だいたいお前の目付きが悪いのだ! 何かを企んでいるようで」

 眠り猫のような眼差しは、孤児院の子どもや老人には、受けが良いのだが……。
 
「元々、お前との婚約なんか嫌だった。ぼうっとしていて何考えているのか分からない。ぼんやりしていている上に目付きが悪い。俺とじゃ、不釣り合いなんだ!」

 最後の捨て台詞には、さすがのレオーネも傷ついた。
 ぼんやりしていても、痛みは感じる。傷口からは血が流れるのだ。

 何よりも、レオーネは「訳あり」「傷モノ」令嬢となってしまった。



◇励まし◇



 婚約が白紙となったレオーネは、父の助言でしばらく学園を休んだ。
 季節は秋深く、収穫祭を迎えている。
 レオーネは久しぶりに、孤児院へと足を運ぶ。今日アリエンヌは、来られないそうだ。

「やあ、待ってたよ」

 一足先に孤児院に着いたらしい、グリモールが笑顔でレオーネを迎える。
 グリモールは金色の巻き毛と、深い緑色の瞳を持つ。マリオスがライバル視する位、整った容姿だ。
 外見のみならず、彼は人格者としても有名である。

「……はい。いろいろご迷惑を」

 入口で挨拶を交わしていると、孤児院の子どもたちが走って来て、レオーネに飛びつく。

「「「待ってたよ! レオーネ」」」

「はい。お待たせしました」

 子どもたちはレオーネに敬語は使わない。
 それで良いとレオーネは言っている。

「さて皆さん、今日は何をしましょう?」
「絵本!」
「かくれんぼ!」
「お散歩!」

 子どもたちは賑やかに、次々と声を上げる。

「今日は裏庭のリンゴを取ろう。収穫祭の時期だし」

 グリモールがサラッと提案する。
 彼は既に篭を用意していた。

「分かった! リンゴ取りだ」

 子どもたちは駆け出して、裏庭を目指す。
 孤児院のリンゴの木は、たくさんの紅い実をぶら下げていた。

 手が届く枝から、ぽきりぽきりとレオーネはリンゴを取る。
 背の高いグリモールは、子どもが取りやすいように枝をしならせている。

 一人の子どもが、地面に落ちたリンゴを拾っていた。

「あらあらマークス、それは拾わなくてもいいのですよ」
 
 レオーネが声をかけると、マークス少年、人差し指で鼻の下を擦る。孤児院のリーダー格の男子である。

「何言ってるのさ、レオーネ。傷ついて、落ちたリンゴは他のより、甘いんだ!」

 トクン。
 レオーネの胸が跳ねた。

 傷ついて、落ちたものは、一層甘くなる……。

「まあ、なんだ。俺っちが、も少し大きくなって、レオーネがまだ一人モンだったら、しょうがないから俺っちがもらってやるよ」

 マークスはニカっと笑うと、ズボンの布でリンゴを拭いて齧りつく。

 ドクンドクン。
 レオーネの顔がリンゴの色になる。

『僕がもらってあげるよ』

 あれは、誰……。

「あっ! やっぱりうめえ! 甘いよ、これ」

 齧りかけのリンゴをレオーネに放ると、マークスは他の子どものところへ走っていった。

 レオーネは微笑んだ。
 眠り猫のような顔で。

 きっとマークスも他の子どもも、レオーネが婚約解消したことを知っているのだ。
 でも彼らは他の貴族の知り合いたちのように、ヒソヒソ陰口を言うことはない。あるいはレオーネに対して、腫物を扱うような態度も取らない。

「良い子たちだよね」
「はい」

 レオーネの足元に、猫がすりすりしている。
 そっとレオーネが撫でると、猫は目を細める。次々に、子猫がやって来て、レオーネのスカートの裾にジャレつく。

 それを見つめるグリモールの瞳も、秋の穏やかな陽射しのようだ。彼が持つ篭は、リンゴでいっぱいになっていた。


 その後、孤児院の厨房で、たくさんのアップルパイを作ったレオーネは、それを少し分けてもらって、ノーマス卿邸へと向かう。

「重そうだから、僕が持つよ」

 なぜかグリモールも一緒に行くことになった。


 ノーマス卿の邸には、カンティマ夫妻も来ていた。夫人は何も言わず、レオーネを抱きしめた。

 ノーマス卿とカンティマ夫妻に、グリモールを紹介すると、三人ともグリモールを知っていた。

「カザリンドの跡取だな。親父さんより、お袋さんに似だな、君は」

「恐れ入ります。ここで、御高名な皆様にお会いできるとは、喜ばしいことです」

 御高名?
 ここにいる人たちが?

 レオーネは、貴族名鑑をあまり読んでない。
 読んでいなくても、あまり問題がなかった。
 ノーマス卿は、『もめ会』のお一人だという認識しかない。

 高名度合い、あとで、グリモールに聞いてみよう。

 そのグリモール、卿と夫妻に囲まれて、なんだか話が盛り上がっている。

「よし、決まったぞ! レオーネ」

 急にノーマス卿がレオーネに言う。

「えっえっ? な、何が?」

「お前さんを傷つけた、しょうもない子爵の息子に断罪返しだ」

 はい?
 ななな、何を言っているの? この人たち。

「場所は王宮。冬の夜宴。レオーネ、お前さんのデビュタントの日に、決行だ!」

 鼻息荒く、血気に満ちたノーマス卿とカンティマ夫妻。その横で、小さくガッツポーズを取るグリモール。

 デビュタントのエスコート相手も、いないというのに。
 どうしろと……。

 眠り猫のような目になったレオーネに、グリモールが跪く。

「レオーネ嬢。どうかあなたのデビュタント、エスコートの権利をください」

 動揺して、コクリコクリと、つい頷くレオーネであった。



 ◇準備◇


 本格的な冬の到来の前に、王宮では国中の貴族が集まる夜宴が開催される。
 そして今年の夜宴は、レオーネのデビュタントとなる。

 ノーマス卿の邸では、勢いに巻かれてグリモールの申し出を受けたが、本来レオーネは、キラキラした夜宴に出るのは苦手だ。
 どうにか断れないだろうかと考えているうちに、グリモールからドレスと宝飾が届いた。


「ふわああ! 綺麗……」

 レオーネとて貴族の子女。
 ドレスや宝石が嫌いではない。
 ただ、自分には似合わないと、諦めていただけで。
 

「デビュタントは出るように」

 父からも命じられた。
 覚悟を決めて、出席をしよう。到底、父では用意できないような、美しいドレスもいただいたことだし。

 しかしながら。
 子爵邸には、侍女が少ない。
 夜宴用の身だしなみを、無事に整えられるだろうか。

 そんな心配をしていたら、カンティマ夫人から、デビュタントの着付けとヘアメイクを請け負うという手紙が届いた。

 レオーネは手紙に向かって深々とお辞儀し、夫人にお任せすることにした。


 そしてあっという間に、夜宴の当日を迎えた。
 レオーネは一人の侍女と一緒に、カンティマ夫妻のタウンハウスに向かった。
 
「今日は、あなた様の最高の美しさを引き出す、お手伝いをさせていただきます」

 案内された部屋には、ずらっと十人以上の侍女たちが控えている。

「はい。よろしくお願い申し上げます」

 侍女長と思われる方が、上品な微笑みを見せながら夫人に言う。

「マダム・エマルフィーの復活ですね」

 レオーネの侍女がひゅっと息を飲む。

「マダム、エマルフィーですって!」

 その名は、さすがのレオーネでも知っていた。
 王妃御用達の、超一流の美容家。
 まるで魔法のような施術で、どんな女性でも、美しく変えられる。

 そういえば、ノーマス卿の邸で会う夫人は、いつでも上品で華やかな装いだった。

「レオーネ。ドレスと化粧は、女にとっての鎧兜。ピカピカに磨くわよ!」



 それから夕暮れまで、レオーネは体験したことのない美容術を全身に浴び、何人もの侍女の手を借りて、ドレスを纏った。
 レオーネの侍女は、ほおっとため息をつく。

「お嬢様。なんとお美しい!」
「ありがとう」

 頬を染めるレオーネに、侍女は尋ねる。

「首飾りは、どれになさいます?」

 レオーネは「ええと……」を繰り返しながら一つ選んだ。

「あら素敵。純白のドレスにぴったりね」

 夫人に誉められ、レオーネはほっとした。



 ◇夜宴にて◇



 レオーネはグリモールの馬車に揺られ王宮に着いた。
 ドレス姿のレオーネを見たグリモールは、目を見開き、すぐに逸らす。

「よ、よく、お似合いです」

 たどたどしいグリモールの言葉に、レオーネは心中、「無理に、誉めようとしないで」と呟いた。

 
 グリモールに手を引かれ、会場に入る。
 デビュタントの令嬢は、拍手で迎えられる。

「ふわあ、凄い……」

 煌めく照明。びっくりするほどの人の多さ。
 お酒と香水の匂い。
 レオーネの顔はいつもより赤い。

 酔ってしまったかのようだ。

「大丈夫?」

 グリモールが小声で訊いた。
 レオーネはコクコクと顎を引いた。

 それでも心配したグリモールは、ウエルカムドリンクのグラスを二つ持ち、会場奥のバルコニーを目指す。
 人混みを通り抜けると、ざわめきの声がそこここに上がる。

「あの女性はどなたかしら?」 
「まさか『薄暮令嬢』!?」
「それより何より、あのドレス!」
「最高級のシルクだわ」
「一緒にいるのは、グリモール様よ」

 純白の生地だが、光が当たると虹がかかったように見えるドレスだ。
 なるほど、これが最高級のシルクなのかとレオーネは納得した。

「本当に、ありがとうございました」

 バルコニーでレオーネは、再度グリモールに御礼を述べた。
 グリモールの顔は紅潮している。
 夜風が彼の髪を揺らして過ぎていく。
 

「好きな女性にドレスを贈るのは、男として幸せなことだ」
「えっ?」

 好きな、女性?
 レオーネの瞳が大きくなる。
 
 ああ。
 一緒に孤児院を訪問する、仲間として友人として、好意を持ってくれているのだろう。

 いつもの眠り猫の目になったレオーネは、小さく微笑む。
 お友だちとしての好意でも、嬉しいと思った。


 バルコニーで慎ましく過ごす二人を、憎々しげに見つめる男がいた。
 レオーネの元婚約者、マリオスである。

 会場に入ってきたレオーネのことを、マリオスは一瞬誰だか分からなかった。
 綺麗な女性だと思った。
 周りの仲間の男どもも、皆、見惚れている。

「続いてのご入場は、レオーネ・コードリアス令嬢」

 デビュタント令嬢の呼名で、会場はざわついた。

「おい、マリオス。薄暮の令嬢って、あんなに美人だったっけ」
「お前、婚約が白紙になったって、喜んでいたよな」

 仲間は口を揃えて言った。

「「「勿体ないことしたなあ!」」」

 煩いうるさい!
 あんな上質のドレスを持っているのなら、マリオスとのお茶会に着てくるべきだった。
 ちょっと化粧しただけで、誰もが振り返るほどの美貌を、今までなんで隠していたんだ。

 それもこれも、グリモールの為か。
 ひょっとして、婚約していた時から、付き合っていたのか!

 脳内が沸騰しそうになったマリオスは、エスコートしてきたリティアの存在も忘れ、会場内に戻ってきたレオーネに近づいた。

「おい、レオーネ!」

 ビクっとして固まるレオーネを庇うように、グリモールが一歩出る。

「君との婚約は白紙に戻ったと聞いている。呼び捨ては如何なものかな」
「うるさいぞグリモール。そこをどけ!」

 マリオスがグリモールに掴みかかろうとした、その時である。
 会場内が一斉に静かになった。

 国王と王妃が、お出ましになったのだ。

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