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底なし沼にて
109.
しおりを挟むカツン、と。
乾いた音を立てて、通信魔具が地面に落ちる。
「―――――え、」
そう呟いたのは、果たして誰だったのだろう。
時が、止まったのではないかと、錯覚させるような静寂。
「レー……ね、?」
溶けた翡翠の目を、今にも零れ落ちそうな程見開いたレーネ。
その口から、ごぽりと鮮血の塊が零れ落ちて。
ぴしり、と、嫌に軽い音と共に、2つの魔核に罅が入った。
「―――――おまぇえ"え"え"えええ"!!!!!」
シャロンの絶叫と共に、がぎぃぃぃいいいん――と、重たい金属音が鳴り響く。
それを皮切りに、漸くカンナを含む革命軍は意識を取り戻した。
「レーネ!!シャル――ッ、騎士団長、あなたッ」
カトリーヌの声に、レーネとシャルを大剣で貫いた騎士団長は、鼻で嗤う。そして無言のまま2人に突き刺した大剣を引き抜くと、力無く後ろ向きに倒れこんだレーネだけを片腕で抱え、肩に担いだ。とさり、とシャルが地面に膝をつき、そのまま崩れ落ちる音が、微かに耳に届く。
次いで。
騎士団長は飛び掛かったシャロンのハルバードを防いでいた防護魔法を解き、彼女のガラ空きの腹部を大剣の腹で吹き飛ばした。
――ドゴォォオオオオン!!!
「シャロン!!」
「ゴホッ――私は良いッ、レーネとシャルを――――」
剛腕で吹き飛ばされたシャロンの小さな身体は王城の堅牢な壁をも破壊して、轟音と共にいとも容易く外へと投げ出される。咄嗟に彼女を救おうと手を伸ばしたカンナを制したのは、シャロン自身の切羽詰まった声だった。しかしそれも、最後まで聞こえることなく虚空へと消えてしまう。
ここは10階だ。落ちた彼女がどうなるのかなんて。
「……う、そ」
「カンナ・カルミア!!落ち着きなさ、――今お前が取り乱してどうするッ!!」
「だいよ、ぶたい、たいちょ……でも、レーネが、2人が、あ、ああ」
「ッ、クソっ雑魚が、」
目の前で、シャルとレーネが刺された。レーネはだらりと手足を伸ばしてピクリとも動かず、カンナは地面に伏して目を閉じている。その胸辺りからは、どくどくと真っ赤な血液が服を染めていて。――そして、シャロンは。
転落した人は、地面で、どうなるのか?
明日を見るよりも簡単な問題に、息が詰まる。
目の前が真っ暗になり、動揺のあまりに剣を取り落としたカンナ。咄嗟の判断でカトリーヌは彼の首根っこを掴んで後ろに引っ込ませ、悠然と佇んで此方を観察している騎士団長と対峙した。最早自分も外面を取り繕うことが出来ない程動揺しているのだが、そんなことに意識を向ける余裕は今のカトリーヌにもない。
どんなに傷付けてもしぶとく起き上がるレーネが、動かない。
――自分の手で救うと決めた、彼が。
「――ッ"ッ"、遂に敵も味方も分からなくなったようだなぁクソ男がァア"!!」
「……あぁ。貴様か。誰に向かって口をきいている?」
「うるっせぇンだよ!!!ソイツ刺す必要が何処にあったんだ言えやァゴラァああ"!!!」
「…………全く、クローバー家の令嬢とは思えぬ野蛮な……これではクローバー殿も浮かばれんだろうな」
「殺す!!!」
本能で放った火魔法は、騎士団長の防護魔法によっていとも簡単に止められてしまう。そのすぐ足元には気を失ったシャルが倒れていて、実質人質に近いような状態になっていた。
カトリーヌ自身は【呪い持ち】等死んでくれても良いのだが、たとえ恨みの対象であっても彼が革命の達成と今後に必要な武力である限り、今失うのは惜しい。それもあって過度な攻撃を出来ずにいる自分に、カトリーヌは何よりも苛立ちを覚えた。
加えて。
突如現れた騎士団長は、何の躊躇いもなくレーネをシャルごと背後から貫いた。重要な戦力であるレーネをわざわざ瀕死に(元々瀕死だったが)追い込むことの「目的」が分からない。騎士団長の事は正直視界に入れたくない程嫌いだが、彼は己の権力維持の為ならどんなものでも利用する人間である事をカトリーヌは十二分に理解している。
そんな彼がむざむざレーネを手放そうとするなんて。
「答えろ。何故それを刺した」
「……」
しかし、男はカトリーヌには大して目をくれることなく、何処か空を見つめると小さく鼻を鳴らした。
「……あぁ。陛下のもとへ向かわねば」
「――ッ、待てよ!!!」
クルリと踵を返した騎士団長が、レーネをもう1度抱えなおす。丁度突き刺された腹の部分が肩に当たっているのに痛みに身じろぐこともしない彼に、カトリーヌの焦りは増すばかりだった。慌てて魔法を放つが、振り返る事すらなく魔法で防衛される。日頃の訓練をいくら怠っていたとはいえ、第4部隊隊長であるカトリーヌと騎士団長である彼とでは、その強さは比較にもならないのだ。
そのままスタスタと歩いて行ってしまう彼に、怒声を浴びせる。しかし、去り際に男が残していった妨害魔法に阻害され、終ぞカトリーヌが彼らに追いつくことはなかった。
「……――~~くっそ、ッおい、てめぇらそこの【呪い持ち】を手当てしろ!!」
「シャロンは、」
「わざわざ下見て凄惨な死体を確認する暇があるか!?今することはそれじゃねぇ…………てめぇもさっさと目ェ覚ませや雑魚がぁ!!!」
ガツン!!とカンナの頬を蹴り飛ばせば、彼のなよっちぃ身体は簡単に吹っ飛んで壁に激突した。その衝撃で漸く正気に戻ったらしいカンナは、数度目を瞬かせてカトリーヌを情けない表情で見上げた、頬を抑えている。なんとも頼りにならないその姿に、溜息が出る。
近衛騎士にもなれない雑魚とは言え、彼は自分の上に立っていた第3部隊隊長が認めた親友だ。カトリーヌは彼に情けも容赦も与えるつもりは欠片もなかった。少なくとも普通の騎士よりは役に立ってもらわなければ困る。
「そうやってお前が立ち止まっている間にどれだけの人間が死ぬと思ってる」
「…………その通りです。……レーネを、護るだけの人間にならねばならないのに」
「今のてめぇに誰が護れるって言うんだ?あ"?――殺されなかっただけ御の字だろう」
何処までも厳しいカトリーヌの言葉に、周囲の革命軍が口元を引き攣らせる。しかし、その通りだった。
騎士団長の気まぐれでカトリーヌ達は生かされたに過ぎない。そもそもレーネを突き刺した時点で誰も彼の気配に気付いていなかったのだ。彼の実力ならば、レーネとシャルが刺され、口から血を吐くまでの間に全員死んでいてもおかしくはなかった。
死者と怪我人を想う前に、自分達にはやらなければならない事がある。少なくともカトリーヌが最初にすべきことは、シャルの怪我を衛生騎士に治療させることだった。未だ使い物にならないカンナを放置したまま素早く指示を出し、指示に従って治療を始めた衛生騎士の話を聞く。
――取り敢えず、仮面も被り直して。
「衛生騎士。彼は無事ですか」
「……ハッ。患部が限りなく肩に近く、肺を貫通していなかったことが功を奏したようです」
「……成程。…………そう、そうですか。……」
「?ーーはい。鎖骨は折れていて出血量も多いですが、彼自身の強靭な身体が既に治癒を始めているので輸血も必要なしです。既に出血も止まっていますね。――流石と言いますか、」
「あらあら、言ってもいいのですよ?流石【化け物】って」
「カトリーヌ様こそ、シャルと呼ばないのですか?」
「あ"?」
「失礼しました」
生暖かい目で此方を見上げる衛生騎士に、思いっきり睨みを効かせて拳骨を落とす。しかし、カトリーヌは職務に私情を持ち込まないように努力出来る人間なので、それ以上は何も追及することはなかった。気を失っているシャルの生白い顔を冷徹な目で見下ろし、小さく舌を打つだけに留めておく。
目的の為に協力しているとはいえ、カトリーヌの【呪い持ち】への憎悪が消えることはない。それは彼等双子とて、例外ではなかった。
呆然と固まっていたカンナが漸く立ち上がるのを視界の端で確認したカトリーヌは、先程までレーネが浮いていた所まで歩き、血溜まりの中に寂しく落ちていた通信魔具を手に取った。それは、魔核に大きな罅が入り、機能こそ失ってはいないものの、その中心部は濁って当初の輝きを失ってしまっている。
そして、ふと思い出したように自分の懐から通信魔具を取り出し、起動した。
「――副団長、聞こえますか」
『えぇ。どうしましたか』
「第3部隊隊長が騎士団長に刺され生死不明。アリスは死亡。双子も女がほぼ確実に死亡。男は重傷で意識なし。それ以外は全員怪我無く無事です。騎士団長は王室に戻りました。誰も追わせていません」
『賢明な判断です。死人を無駄に増やす必要はない……そうですか。アリスが……』
「…………欠損部位はあるものの、状態は綺麗です。化粧を施せば公開での追悼は可能かと」
『彼は優しいね』
「……其方は」
皆、息を潜めて通信魔具からの音声に耳を澄ませている。
『アルヴィアと2人で王室の目前の部屋です。謁見の間の生体反応は現在1人。イリアス殿下とゴーダン君は既に逃亡済みでしょうな。ヴィンセント殿下が追っているはずです。――あぁ、3人になりました。……あぁ、残酷な……。――失礼。恐らく天窓から謁見の間に入ったのでしょう。私達の存在ももう知れているようだ。もう間もなく突入します』
「向かいますか」
『否。3隊に分かれて2隊は階下で待機し、保守派の生き残りの襲撃を防いでください』
「了解」
手振りだけで革命軍を分け、2隊の片方をアルヴィア達と別れた分岐点に向かわせる。そして、もう1隊と自分とカンナを含めた数人の騎士だけが、そこに残った。
騎士団長と恐らくはアルヴィアのものであろう、息遣いが響いてくる。緊張は、極限にまで達していた。
『カトリーヌ君、君はヴィンセント殿下の元へ。ゴーダン君は強敵だ。飛龍がいるとはいえ、万一の事があってはならない。君達全員が死んででも殿下を御守りしなさい』
「了解。――副団長、どうかご武運を。次の団長は貴方です」
『……君も、出来る限り生き残りなさい』
あぁ、何故、正しく力がある人は次々に死を選び取ろうとするのだろうか。
ぐっと唇を噛み締め、しかし賢いカトリーヌはそれ以上言葉を紡ぐことなく通信魔具を切断した。そのまま、カンナ達についてくるようにと一言告げ、1隊をそこに残して走り出す。追従してくる足音とその場に留まる気配を感じながら、ともすれば泣き出しそうな気分を抑え込み、廊下の途中にある隠し通路に入る。
暗い通路の中を火魔法で照らしながら進むカトリーヌに、カンナが密やかに声をかけた。
「第4部隊隊長」
「…………なんでしょう無能」
「……返す言葉もありません。第1王子と第1部隊隊長は生け捕りですか?」
「理想は。ですが、生け捕りにする事に意識を向けないように。死にますから」
迷いないカトリーヌの言葉に、カンナは息を呑む。カンナから見て圧倒的な強さを誇るカトリーヌをもってしても、そう言わしめる相手なのだ。そして、先程相まみえた騎士団長は、それ以上に。あのレーネが憧れ付き従った存在とはつまり、そういうことである。
正しく自分がいま呼吸していることが奇跡であることを理解し、息を吐く。
不安を紛らわせるためにそっと触れた義足の魔核が、まるで自分を戒めるかのように熱を持った。
――戦争中も、そうだっただろう。足を失い、死にかけていた過去を忘れたか。その時の恐怖を戦慄を思い出せ。それでもなお生を渇望し生き残った醜い自分を思い出せ。
一度深呼吸をし、目を閉じる。
そして、再び目を開けた時、既にカンナの瞳に恐怖はなかった。
ただただ、覚悟の色だけがそこに宿っている。
「第4部隊隊長。これ以上恥を積み重ねることは致しません。最後の最期まで、騎士として貴方様のお役に立って見せます」
「頼みますよ。無能は無能なりに盾として役に立つのですから」
「……はい。俺が死んだら、レーネに伝えてくれますか」
カンナの言葉を聞き取ったカトリーヌは小さく息を吐き、それでも確かに首肯した。その事にカンナは安堵し、微笑む。
「……彼に、そこまでの魅力があるかどうかは分かりませんが」
「あります。俺の唯一無二の親友ですから」
「そうですか。ならば伝えましょう」
ですが、自分で伝える努力を最大限惜しまぬよう。――そう告げたカトリーヌに、カンナは知らず微笑んだ。不器用な彼の優しさに、胸があたたかくなる。しかし、即座に空気を改め再度集中する。
革命の終焉はまもなくである。――そこに、カンナの命が尽きないまま存在するかどうかは別として。カンナのような下っ端の騎士でも、最期くらいはそれなりに格好良く飾りたいものだ。
青いロサの花に触れれば、あたたかな魔力がカンナを勇気づけた。国民の祈りは、しっかりとカンナに届いている。
支える国民がいる限り、革命軍は負けないのだ。
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