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底なし沼にて
107.
しおりを挟む「--さて、そろそろかな」
「……」
外の轟音や絶叫、地響きをものともせず優雅な微笑みを絶やさなかったイリアス・フィオーレが、そう小さく呟いて、いつの間にやら勝手に持ち込んでいたテーブルにソーサーとティーカップを置いた。それを聞くや、すっかり騎士の役目を放棄して給仕に成り果てていたゴーダン・ブラックは恭しく膝をつく。
そして、玉座に頼りなげに座る国王たる父には全く目もくれることなく立ち上がったイリアスは、優雅な手つきで跪くゴーダンの黒髪を撫でた。
「行こうか。ゴーダン」
「御意」
「なっ、!!!イ、イリアス!!」
そのまま2人してすたすたと隠れ通路に向けて歩き出したものだから、国王は目を剝いて仰天してしまっている。ゴーダンはその様子に呆れつつも、特に声をかけることもなくイリアスに追従した。いまや唯一の上司である騎士団長の横をするりと通り過ぎる。
「待て」
しかし、そう簡単にはいかないようで。2人の行く手を遮るように前に立った騎士団長見上げ、イリアスの雰囲気が少しだけ不穏を帯びた。それでも美しい笑みを絶やさない我が王の姿に、ゴーダンの口元は知らず恍惚の笑みを形どった。
とはいえ我が王の邪魔をするものは排除せねばならない。ゴーダンはイリアスの前に立つと、こちらを睨みつける騎士団長と視線を合わせた。
轟く大きな音と魔法の威力は、勢いを増している。第3部隊隊長の結界が限界を迎えているのだ。ビシ、ビシ、と時折硝子が割れるような音が混じり、天窓から見える薄緑が更に透明に近くなっていく。
無表情で剣に手を触れさせたゴーダンを見下ろし、騎士団長はいら立ちを抑えるようにゆっくりと言葉を紡いでいく。--ここにきて、ようやく焦っているのだろう。怠惰を極めたとはいえ彼は騎士団長だ。ゴーダンと同様に、第3部隊隊長の敗北の気配を如実に感じている。
「どこに行くつもりだ。ブラック」
「イリアス様のおそばに」
「陛下に背を向け、無断で出ていこうなどと……!!!不敬にも程がある」
「私はイリアス様のみにお仕えしている身。陛下は貴殿が身をもって御守りするのが道理というもの」
「騎士団は陛下のものだ!!!すなわち貴様もーーーーーっ、!!!」
--ギィィイイイン!!!!
ひぃい!!と、情けない男の声が背後遠くのほうから聞こえてくる。
向かい合い、咄嗟の判断で剣を振りぬいた騎士団長が、ゴーダンの剣を抑えて目を見開いた。「な、何を……」なんて震えた声で呟く目の前の男を睥睨し、ゴーダンは振り上げていた剣を持つ腕を緩める。
そのまま1歩下がって剣を鞘に納め再び前を向けば、反動で前のめりにたたらを踏んだ騎士団長が、共学に目を見開いて固まっていた。
ゴーダンは身体の奥底から湧き上がる憤怒に、息を吐く。すぐ後ろでクスクスと楽しそうに笑うイリアス様だけが、心の癒しだった。
憤怒と綯い交ぜになる歓喜。自分はイリアスの情動を揺さぶり、彼から感情を引き出すことができる高等な存在なのだ。目の前の騎士団長にはできないことだ。
「イリアス様の道を遮るならば、私が貴殿を相手どろうではないか。騎士団長殿」
「と、共に身を潜めればいいだけの話だろう。陛下もお連れすれば、」
あぁ、酒池肉林の限りを尽くし怠惰を極めたこの騎士団長は、当たり前のことすらも分からなくなったらしい。思わず呆れのこもった溜息を吐くと、彼は顔を真っ赤にして舌を打った。
「第1王子である殿下と陛下は革命軍の目的。なれば、別々に身を潜めた方が当然どちらの生存率も上がる」
「に、逃げるのか!?!?!?い、イリアス!!儂はどうすればいい!!!」
「……」
ゴーダンの言葉についに我慢の限界が来たのだろう。震え切った情けない声で息子に縋る愚かな王に、目の前の騎士団長が駆け寄って寄り添う。「大丈夫です。陛下、騎士団長たる私が全員殲滅しきって見せましょう」なんて戯言を本心から囁く騎士団長に、思わず小さく鼻で笑ってしまった。それを信じてしまう陛下も、もはや唯の耄碌じじいである。
振り返ったことで、無言のまま自分たちを傍観していたイリアスと目が合う。それだけで己が心は歓喜に揺さぶられるのだから、恐ろしいお人である。
イリアスはゴーダンの漆黒の瞳をじっと見つめ、首をかしげる。そしてそのまま自分だけで何か答えを見つけたのか、頷いて玉座を振り返った。
「父上はここにお残りください」
「は?な、何故」
「父上--陛下が革命軍数万の軍勢に恐れをなして、逃げるおつもりですか?そうなれば、騎士団長がすべての敵を殲滅して革命を鎮圧したとて、玉座には『己が身の安全の為に王位を放棄した者が座っていた場所』という汚名が残ります。無論、陛下自身にも。さすれば、今後の治世に着いてくる国民はいなくなり、今度こそ陛下は殺されるでしょう」
柔和な表情を保ったまま悍ましいことを告げるイリアスに、国王の顔色は更に悪くなる。最早土気色になっていて今にも脳が破裂して死んでしまうのでは、と思うほど慄いている王の様子を見上げ、騎士団長が屈辱に唇をかむのが目に入った。
それはそうだろう。死を恐れるということは、騎士団長の力を信頼して貰えていないことと同義なのだから。
自分の王であるイリアスとの威厳の差に、ゴーダンの胸を益々優越感が満たした。やはり、王に相応しいのはイリアスなのだ。そう確信し、ゴーダンはイリアスの足元に傅いた。
彼は王位を望んでいるのだろう。そして、その為には革命で国王に死んで貰わねばならないのだ。ここにきてようやく、イリアスの本意が明らかになったことに、歓喜する。
当然と己が王を見上げるゴーダンを一瞥し、イリアスは再度言葉を続ける。
「しかし、次の王である僕は絶対に、生き延びなければならなりません。ので、一時的にそろそろ身を潜めようかと」
「殿下!まるで陛下を礎にするようなッ殿下と言えど不敬ですぞ」
騎士団長の場違いな叱責を一笑に付し、イリアスは殿下を見つめ続ける。その薄紫の瞳には、父への情など一切なく。ただただ勝利への渇望だけが美しく煌めいていた。
そのまま錯乱する国王を玉座に残し、スタスタと謁見の間を後にするイリアスにゴーダンも続く。逞しいその背は、相も変わらず状況不利への不安など一切ない。――つまり、ゴーダンの忠誠を疑いなく信じてくれている。
王家とその直属の騎士以外は知らない隠し扉を開け、中に入る。
外の喧騒が嘘のように静まり返った通路の中で、2人の足音だけが不気味に響いている。迷いなく複雑に分岐する通路を進んでいくイリアスは、既に目的地を見つけているようで。
少なくとも革命が起こるまでの間、イリアスが誰か協力者とやり取りしていた記憶はない。だのに、何故イリアスはここまで真っ直ぐと躊躇なく進んでいけるのだろうか。ゴーダンは思わず首を傾げたが、きっとイリアスは自分がいることで不安を打ち消しているのだろうと受け止め、何も問うことはなかった。
代わりに、別の事を問い掛ける。
「……イリアス様、第3部隊隊長は如何するのです」
「あぁ、言ってなかったかな。……生き残ったら僕の魔力を詠み取って追いかけてくるだろう?レーネは僕のものだ。アレにあの場で死ぬことを僕は許していないからね。裏切るならそれまでだけど――その時は死ぬだけだしね」
「…………随分、信用していらっしゃる」
どろり、と不愉快な嫉妬心が湧き上がる。すると、そんなゴーダンの心の内などお見通しとばかりにクスクスと上品に笑ったイリアスは、その美しい顔をいびつに(それでもその美しさは損なわれないのだが)歪めてゴーダンを首だけで振り返った。
カツ、カツ、と規則的に階段を下りる2人分の靴音と、ゴーダンが持った魔具灯の光が不規則に交わって。
「信用?――そんな軽いものじゃない。レーネは僕の『ともだち』だからね。約束は護るものだろう?」
ニタリと嗤ったイリアスの雰囲気に圧倒され、ゴーダンは知らずごくりと息を呑みこんだ。
そして。
どろどろと穢れた底なしの沼のように溢れて止まらない嫉妬心と独占欲が、首を擡げ始めた。
「い、イ、イベリス!!!や、奴を連れ戻してこい!!王たるこの儂を護らせろ!!」
「……御意。暫し、結界を展開し此処を離れます。――『護れ』」
謁見の間に召し上げられた面々を見下ろし、サイラスは眉間の皺を揉む。
敵国の戦火の中心にいる主君を待つ騎士達は、その表情を苦悶と悲愴に染め、今にも結晶の画面に突入しそうな程動揺してしまっている。唯一落ち着いた様子で映像を見つめる副隊長も、顔色は青白く少しだけ頬がこけてしまっていた。
マーヴィンや戦慣れしているアインも、血と魔法と肉塊が飛び交う革命を緊張した様子で眺めている。
そして。唯一この中で「戦」を知らぬまま成長してきた「スコーン少年」と「傲慢で馬鹿な王子」は、すっかり圧倒されてしまい、ぶるぶると震えながら地面にへたりこんでしまっていた。
「レーネ……レーネ、レーネ……あぁ、頼む、レーネ……」
「うわぁ……やばぁ。兄様と父様、まだこの中にいるのぉ……」
屋内に引っ込んでしまって以来映像の中に姿を現さない友の姿を求め、顔をぐしゃぐしゃに歪めたスコーン少年のお陰で幾分か冷静なロバルだが、それでもレーネに献身的に護られてきた彼には目の前の景色は衝撃的なものだろう。
自分の家であり権力の象徴でもある王城が国民たちの手によって破壊されていく様。それを、ただ見つめるというのは、どれほどの屈辱と恐怖か。
カタカタと小刻みに震える柔い手がそれを物語っていた。
サイラスも王である。彼の言い知れぬ感情はこの中の誰よりも理解できているはずだ。自分の根幹が崩れ落ちていく様は、自我の崩壊にも近い。「第3王子」という自身が無くなった彼は、一体どうなってしまうのか。
同情は出来ないしするつもりなど欠片もないが、彼の行く末をこの国で見守っていくこと位は、してやらねばなるまい。――それを、レーネが願っているから。
自分の命よりも王子の命を優先してしまうレーネを生かすためには、彼が健康でいることが必要不可欠なのだ。腹が立つことに。
壊れかけた機械のようなスコーン少年のぼやきを背景に、サイラスはぼんやりと映像を見つめ続けた。
保守派の騎士達は既に魔力も尽きて逃げ惑うことしか出来ないのに対し、革命軍は益々盛り上がって王城へと突入してく。大方彼らの胸に付けられた青色の花が関係しているのだろうが――最早蹂躙にも近いそれは、革命の終焉が間近に迫っている事を示唆していた。
どれだけ、フィオーレ国王は騎士団幹部の力量に賭けていたのだろう。確かに質は大事だ。されど、圧倒的な量の差は質をも時に凌駕することを、王ならば当然知っているはずだろうに。膨大な魔力はほとんど【風属性】だったから、実質レーネ一人頼りだ。
「……私なら、もっと上手く使うがな」
「アラ、ここに来て嫉妬?」
「あぁ」
躊躇いなく認めた瞬間、第3部隊の隊員達から強烈な殺気が飛んできた。
揶揄うように此方を見上げたアインは、しかし今のサイラスにちょっかいをかけてもつまらないと判断したらしい。肩をすくめて呆れた様子で溜息を吐くと、それ以上は何も言うことなく映像へと視線を戻した。
映像を此方に転送している魔具は流石に王城の防衛結界が自動的に機能しているのか、侵入は出来ていない。
しかし、サイラスには確信があった。レーネはまだ、生きている。
ずっと握りしめている彼専用の赤い通信魔具が何よりの証拠だ。まだ、魔具の機能は正常だ。もう1度息を吐き、魔具の核を額に寄せて、神に祈る。どうか彼に救いを。どうか、彼をサイラスの元に。再び。
本当は、今にも騎士団を率いてフィオーレ王国に突入していきたいのだ。レーネを奪い、治療して両足に鎖を繋ぎ、サイラスの元に留めておけるならどれだけいいか。――けれど、そうしてしまえば彼はもう2度とサイラスに心開き笑うことはない。
騎士として主君を護り、部下を大切にする彼こそが、サイラスの求める美しい彼だ。そしてそれはつまり、今革命の渦中で敵を屠る彼に他ならない。
この愛は歪だろうか。
「……陛下、スコーン少年を別室に案内しますか?貴族の――それも、学生の身には酷でしょう」
ぼんやりと物思いに耽っていると、マーヴィンの気遣わし気な声がかかった。マーヴィンの目線を追うように視線を下ろすと、そこには今にも倒れてしまいそうな程顔面蒼白になり、瞳孔の揺れた状態のスコーン少年がいた。
確かに何よりも愛する国民に、このような残酷な映像を見せることはサイラスの本意ではない。何故なら、彼ら国民に血と涙を経験させぬために、父と自分は騎士を率いて戦ってきたのだから。
――しかし。
ゆっくりと目を閉じ、再び開ける。彼には、此処にいて貰わなければならない理由があるのだ。
「ならん。スコーン少年が再びヘイデル王国にやって来るレーネの傍にいることを望むのならば、彼はこの革命から目を逸らすべきではない。しかと目に焼き付け、覚えておく必要がある」
「それは……そうですが、……」
口篭るマーヴィンは、尚も蹲るスコーン少年の傍に寄り添いその背を撫でる。「申し訳ございません……」とか細い声で告げる健気なスコーン少年は、確かに底抜けに善人なのだろう。
真っ白な善人には、この革命は吐き気を催すほど恐ろしいものに違いない。
が。
彼が博愛を捨てて想い大事にした人間は、決して「善」に属する人間では無い。むしろ、多くの国民にとっては悪辣で恐ろしい存在なのだ。
その人間の生を願い、隣に立つことを望むのならば、国民が彼へ向ける怒りから目を背けてはならないのだ。
「レーネはこの裏切りと絶望の最中にいる。彼はレーネの『友』なのだろう。ならば逃げるな。目に焼き付けろ」
レーネが背負う「生と死」を目の当たりにし、その上で傲慢にも彼を望むことが出来るのならば。
「……それが、望む幸せに繋がる」
サイラスは、レーネとの未来を彼に託す事だって考えてみせるのだから。
それは、胸を掻き毟りたくなる程の痛みを伴う決断だけれども。レーネがヘイデル王国でスコーン少年の手で癒され、その末にサイラスよりもスコーン少年を望むのならばーー。
サイラスに、それを止めることは出来ないのだろう。
サイラスはもう、二度とレーネに対して何かを強制できる気がしないので。
「…………これが、尻に敷かれるということか」
「王サマ、アンタ何言ってんの?」
大きく息を吐いたサイラスは、聖なる泉から湧く水のようにあたたかな愛しさを抱え、ゆったりと目を閉じた。
魔具は、まだ輝いている。
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