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愛された地にて
66.(※)
しおりを挟む王城の美しい庭園。
前に来た時は、星空が美しい夜だった。その中央に建てられた、初めて出会った噴水の淵に座る男に、俺は近づいていく。既に俺の気配には気付いているだろうに、全く此方を見ようとしない彼に、思わず苦笑した。
彼の傍に寄り、跪く。そして、その金の目を見上げた。
「お久しぶりに御座います。国王陛下」
「……あぁ。夜に出たと聞いていたが、長くかかったな。道中は大事なかったか」
心なし不機嫌な様子を見せる黒衣の王は、俺の言葉を聞いて漸く俺に視線を寄越す。彼の言葉に軽く頷いて、ついでに魔物を何匹か屠っておきました、と微笑めば、彼は呆れたように眉間に手を当てて息を吐きだした。
学園から王城までは、およそ2日ほどかかった。
なぜそこまで時間が掛かったのかと言われるとーーまぁ、向かい風が酷かった。4匹の丈夫な馬が後退りする程の威力で俺の馬車の周りだけを吹き荒れる豪風に、王都の民たちがなんだなんだと見物に訪れる始末だった。
それをも乗り越えて何とか王城に辿り着く頃には、ヴィオラは疲労困憊、馭者は白目を剥いていた。今は厩でのんびり休んでいる。
悠然と立ち上がった王様の斜め後ろにつき、王城の廊下を歩く。途中侍従や侍女、騎士たちが微笑ましげに会釈してくれるのに何とも気まずい気持ちになりながら、歩みを進めていった。
「……うわぁ、」
思わず、感嘆の息を吐いた。
辿り着いたのは、何故か様々な季節の白い花々が咲き乱れる庭園だった。その神秘的なまでの美しさに思わず目を見張る。
その中心に立った王様はくるりと俺を振り返ると、驚いて固まったままの俺にクツリと金の目を細めた。ーー漆黒の王に、白い花々が映えて何処か現実味がない。
「ここはーー」
「ヘイデル王国の建国前から、此処には様々な種類の白い花々が咲いていたらしい。季節問わず永遠に咲き誇る花々を、神に愛された土地だと言って、初代はヘイデル王国を建国した」
すぐ傍には庭園を管理しているのだろう、これまた真っ白な神殿が建てられている。
確かに、この庭園には非常に豊富で清廉な魔力が流れている。普通の大地にも魔力は宿っているが、この庭園のそれは桁違いだ。神に愛された土地というのはあながち間違ってもいないのだろう。
静かに話を聞く俺を視線だけで招いた王様は、尚も静謐に言葉を続けた。
侵入を許可された俺は、恐る恐る庭園に足を踏み込む。異国の民の魔力に困惑しているのか、花々がにわかにざわめいた。
「私は幼い頃に父と此処を訪れた。私は、この庭園を、神に愛された地で育つ民を、護る王になるのだと確信した。無垢で愚かだった私は、全ての人間がこの花々のように美しい生き物であると、疑っていなかった」
「……」
「初めて私を殺そうと企む男に出会ったのは、9つの時だった。私を唆して悪事を容認させようとする女が現れたのは、13の時。違法な麻薬で私を惑わさんと近づいて来た男を殺したのは、15の時だった。」
きっと、それは想像を絶するような悲しい、恐ろしい経験だろう。国民を愛し、信じていた王様が何度も何度も国民に裏切られて、殺されそうになって、それでも国民に尽くす王でいなければならない。俺の俺のそれとは、次元が違う。
知らず、目を伏せる。すると、そよそよと不安げに揺れる花々が視界に入った。花々の魔力が、王様を憐れみ、心配しているのだ。
「人を信じず、有益な人間だけを周囲に置いて、ただ機械のように戦争を続けていた私の前に現れたのが、セレネだ」
「……セレネ・ブライト」
「あぁ。彼は、正しくここの花々のように清廉で、美しかった。聖人のように人に優しくあり、人を優しくできる人間だった。私は、人を愛することを、思い出した」
その言葉とは反対に、その瞳には悲愴感だけが滲んでいる。目を伏せ、手を所在なげにダラリと垂らした王様に近づき、俺は彼の頬に片手を添える。驚いたように少し背を退け反らせた彼に、クスクスと笑いが漏れた。
すると、俺の笑顔をどこか呆然と見下ろしていた王様が、唇を噛み締める。
「私は、セレネの最後を看取る事すらできなかった。ーーそして、お前も」
「……陛下。今日は、『魔法契約』を解除してもらう為に、此処へ来ました。これも、お返しいたします」
胸ポケットから取り出した通信魔具を取り出して彼の胸に押し込むと、王様の顔が、わかりやすく顰められる。しかし、俺は穏やかな笑みを崩さず彼の頬をするりと撫で続けた。
3年間の停戦協定の間俺をヘイデル国王に貸すという契約は、学園に行く事こそ許されたものの、未だ効果を発揮している。しかし、本国に帰るのならば、それは解除されなければならない。
元々、王様の小さな我儘の為だけに創られた魔法契約だ。いつまでも通用する訳がない。
「書き換えるだけでは、駄目か」と渋る王様に苦笑が零れ落ちる。そんなもの、駄目に決まっている。きっとイリアス殿下は、陛下は俺の身体を拘束する自分達以外の魔法契約の存在に直ぐに気付くだろう。そうなればどうなるかなんて、火を見るより明らかだ。
「もしも革命が今まで通りに鎮圧されれば、次に王族の剣先が向かうのは、ヘイデル王国です」
「ーーあぁ」
「『自国の騎士に不当な契約を持ち掛けた』と、陛下は各国に振り撒くでしょう。何かと大袈裟な理由を付けて停戦協定を破棄し、戦争を仕掛ける可能性もあります」
そうなった時、疲弊した国民は?ヘイデル王国に残して行くアリア達は?ロバル様は?
革命に疲弊した国民は無理矢理戦争に駆り出さされ、部下やロバル様は人質として処刑される。そして、更にそれを大義名分として、再び戦争が始まるのだ。
陛下はそういう方だ。騎士1人、国民1人なんて、簡単に捨ててしまえる。私欲の為に食い潰してしまえる、そんな方だ。
俺は王様から目を逸らし、傍に咲いていた白い花の花びらに手を触れる。いつの間にか警戒を解いてくれていたのか、花は優しく俺に寄り添ってくれた。
「俺なんて、陛下にとってはその程度の価値です。貴方と戦争をする為なら、俺に股を開いて誘惑し殺されろ、とまで言うでしょうね」
「ーーーッ」
「それに、一介の敵国の騎士と魔法契約を結んだなんて他国に知れてみて下さいよ。貴方は世界の笑い種だ。愛に国民を捨てた愚王だと、うつつを抜かした屑だと揶揄され、瞬く間にその権威は失墜する」
拳を握り、小さく息を吐く。王様が、美しい金の瞳を大きく見開いた。ーーあぁ、美しい人だなぁ。
俺は彼の瞳を真っ直ぐ見上げ、告げる。
「魔法契約をーー陛下との繋がりを、本国に利用されたくないのだと言えば、俺を笑いますか」
「レーネ、」
「俺を、陛下を、国民を、ーー学園の皆を殺す為の、手段にしないでほしい、と。思ってしまいました」
前の俺ならば、魔法契約をそのままに陛下に詰め寄り、色仕掛けの1つや2つでもしてヘイデル王国の権威を落とすような成果を持って帰ろうとしただろう。如何に魔法契約を有効に使ってヘイデル王国を追い詰めるか、模索し続けただろう。
国賊、と俺を罵る俺自身もまだ存在しているけれど。
「ふふっ、こんな俺もーー悪い気はしないですねぇ」
「レーネーーッッ」
王様の精悍な身体に包み込まれながら、ヘラリと力無く微笑む。そして、その身体がカタカタと細かく震えるのに気付いて、知らず慰めるように彼の背中に手をかけていた。ゆっくりと外套越しに背を撫でる俺に、彼はびくりと大袈裟に震える。
冷徹で、人を愛することを忘れた王に、愛を教えたセレネ。ーー彼に、会ってみたくなった。
ーーパキッ、パキッ
殻が割れるような音と共に、身体の中から王様の魔力が消失して行くのを感じて、びくりと身体を震わせる。ゾクゾクと全身を這いずる喪失感によろめいてしまう。王様が支えるように抱きしめる腕の力を強くした。
魔法契約に提示された解除条件は『王様が心から納得すること』だったらしい。傍若無人に成りきれない、彼らしい条件だ。
最後の一鎖が俺の身体から出ていったのを感じ、俺は彼の腕から逃れた。花々が寂しくそよそよと揺れるのが、何とも物悲しい。
王様の揺らめいた美しい金色を見上げ、騎士の最敬礼を取る。
「生まれが違えば、俺はセレネ・ブライトのように、貴方に惹かれていたんでしょうか」
貴方が王でなくて、俺が騎士でなければ。なんの諍いも身分の壁も、体裁も外聞もなしに、お互いを想い合っていたのだろうか。
そこまで考えて、かぶりを振った。
いいや、きっと、お互いを気にすることすら、なかったのだろう。王様は俺に見向きもしなかった。だろうし、俺も、王様に関心を持つことはなかっただろう。ーー国王は、俺がセレネだと思ったから、想いを寄せたのだ。
感情の見えない無表情で俺を見下ろす王様に、柔らかく微笑みかける。上手く笑えている自信は、なかった。
「俺は、セレネと同じように、騎士として死んでいくでしょう。貴方に最後の姿を見せることもなく、1人っぼっちで死んでいく。
ーーそしたらきっとまた、セレネとレーネの人違いが現れます」
王様が、何か大きなものを恐れるかのように両手を握り締めるのを見つめながら、言葉を続ける。
セレネ、レーネ、ときたら。つぎはセーネとかだろうか。……そこそこいい名前じゃないか?
「ほら、同じ顔の人間って、世界に3人はいるらしいですよ。それをーー人違いの俺を、また、愛してあげて下さいね」
私は、レーネだからこそ、愛した。
そう、風のさざめきのような小さな声が花の香りとともに流れてくる。唇を白くなる程噛み締め、これでもかと眉間に皺を寄せる王様は、俺よりも随分年上のはずなのに。
俺には、花園に立ちつくす彼が何故か、ひどく幼い子どものようにすら見えた。
「レーネ?ーーーーーー、」
ざぁ、と風が雪を揺らし、花々を掻き立てる。
横殴りに降り注ぐ真白の結晶達が、俺と王様を隠してくれた。花園の全ての自然の力が、今は俺たちの味方だ。
「さようなら。王様。……貴方の、ヘイデル王国の皆様の未来に、どうか幸多からんことを、祈っております」
「レー、」
窓からのヘイデル王国の景色に、血と涙が滲まなくなるように。皆が、戦争なんてなくて、魔物から国民を守るような騎士にラルム先輩達がなれるように。
ノアが、長生きできるような未来を。
王様の後頭部に両手を添え、彼の擦れた唇に、言葉を遮るように柔らかく触れる。ゆっくりと躊躇いながら腰に回される両手に、初めて出会った時のように抵抗することはなく、俺は瞼を閉じた。
尚も呆然と硬直する王様に、何回か、ただ触れるだけのそれを贈る。
そして、ゆっくりと顔を離した。
「ーーふは、間抜けな顔」
「う、るさい」
王様、涙とか流せるんですねえ。
ガタン、ガタン、と揺れる馬車の中で、俺はごそりと外套のフードを漁る。そして、口付けをした際に王様が忍ばせたのだろう、通信魔具を手に取った。
王城への挨拶を簡潔に済ませ(一介の護衛騎士相手に、別れの会食や催しなど実施されるはずもない)、王様や宰相殿など、最小限の人達に(それでも有難いのだが)見送られて、俺は王城を後にした。
俺の馬車の周囲には、国境付近まで護送してくれるという騎士の皆様が陣を組んでいる。ちなみに馭者は新しく王城から手配された方に変わっていた。
俺は学園の皆が用意してくれた大きな鞄を撫で、小さく微笑む。宝物のような思い出の品の数々は、きっと直ぐに燃やされてしまうだろう。けれど、その、記憶はずっと俺の中にある。
「ーーあーあ、良い人生だったなぁ……」
手の中の魔具を握り締め、天井の花の装飾を見上げる。でも、これはもう持っていてはいけないものだ。きっと、見つかれば陛下達に利用されてしまうから。
俺は小窓を開けて、通信魔具を振りかぶってーーー
そのまま身体を、引っ込めた。
「……………ッッ、むり、だ……」
どうせ使う日は来ないのだし。
これくらい、隠し持っていても。いいだろうか。
ギュッと胸に通信魔具を押し付けた。
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