人違いです。

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学びの庭にて

55.

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 大歓声が響き渡る闘技場。その観覧席の一角に、俺はぽつんと1人孤独に腰を下ろしていた。

 闘技大会本番までの数日は、嵐の前の静けさとも思えるほど穏やかに過ぎていった。
 殿下に付与魔法を教えるよう頼んだシャルとシャロンは大層嫌がったものの、何とか頷いてくれた。彼らと殿下の剣術の特訓を完全にノアから引き継いだユズによって、殿下は厳しい訓練を受けたのだとか。
 代わりに自由になったノアには、俺がより濃密に剣術の指導をしてやった。


「キャ―――!!!シトリン様―――――!!!!!」
「おかあさー―ん!!!」「ママァァァァァァ!!」


 その成果は見事に出ているようだ。
 午前の【剣術部門】の2学年翡翠階級代表として出場しているノアは、順調に勝利を収めて勝ち上がっていっている。ーーちなみに代表を決める予選は闘技場の1週間前くらいに行われた。

 ノアが良い動きをする度に、周囲の生徒達からは黄色い歓声が上がる。いくつか謎の声援もあるが、ノアの人気者っぷりは相当のものらしい。
 確かに、実直に鍛錬を重ねてきたのだろう武骨で彼の優しい性格が出た剣技は、俺の指導を経て更に実践的な動きが重なり、より俊敏で流麗なものへと成長を遂げている。知らず自慢げな表情を浮かべてしまって、慌てて無表情を作り直した。

 ちらり、と上階の貴賓席を一瞥する。そこには王様やツヴァイ騎士団長、他に何人かの貴族の姿がある。恐らく王家の親戚筋の貴族だろう。――まだ、第1王子殿下は来ていない。
 昨晩通信魔具で王様とした会話によると、ヘイデル王国騎士団副団長の案内で殿下が学園に到着するのは昼休憩の後になるらしい。王様と理事長の采配によって。
 第3王子が余興に使われる所を見せて、彼らが機嫌を損ねて俺に当たることがないよう配慮してくれたのだという。それは正直本当に有難かったので素直に礼を言っておいた。……対価として、王様の晩餐後に彼の部屋で2人で会うこととなった。

 考え事をしている間に、ノアがまた一勝を収める。 
 彼が勝利するたびに、俺の方を向いてニカっと可愛らしく笑ってくれるものだから、俺の周囲の席には彼の親衛隊(非公式)の生徒達が集まっている。
 そんな太陽のように眩しい彼の姿に目を細めて軽く手を振る。すると、彼も嬉しそうに頷いてすぐに表情を改め、貴賓席に礼をした。……騎士道精神に則ってガッツポーズを取ったりしない所が素敵だ。エーレ戦闘狂はノアを見習うべき。
 

「……はぁ」
「……?フォーサイス様、お疲れですか?」


 思わず漏れた溜息に、周囲の生徒の1人が心配げに俺に話しかけてきてくれる。彼のファンなら仲良くしている俺のことはてっきり嫌いなのかと思っていたが、そういう訳でもないらしい。しかし、俺はそれよりも君の隣に座るこの心配をすべきだと思う。


「ありがとうございます。それよりご友人の方、胸抑えて吐血してらっしゃいますが……」
「あぁ、大丈夫ですこれは持病です」


 持病ならよりまずいのでは?と思ったが、ニッコリ笑ってそう宣言した生徒の謎の威圧感に、余計な詮索はやめて再度舞台に視線を戻した。

 本当は、ノアの活躍に集中したい。なのに、それが出来ない自分に溜息が漏れる。
 余興の後に何が起こるのか、そのことだけにしか思考が働いてくれないのだ。かといって気を紛らわせようとすればするほど、ずぶずぶと底なし沼に沈んでいってしまう。
 俺は、無意識のうちにカタカタと震えだす手を一般生徒に見えないよう隠し、試合の様子を見つめた。





「ノア、お疲れ。準優勝おめでとう」
「あぁ、ありがとう。優勝したかったけどな……」
「そんなことないよ。格好良かった」


 「レーネがそう思ってくれるならいいわ」と、照れ隠しのように目を逸らしてぐしゃぐしゃと俺の髪を崩すノアに思わず笑いが漏れる。
 剣術部門が終了するや否や、直ぐに観覧席に戻ってきてくれたノアを労うと、彼は嬉しそうに黄金色の瞳を細めて笑んだ。試合後の熱と照れで赤くなった頬が大変可愛らしい。ーー先程までの、陰鬱とした感情が消えていくのを感じた。

 訓練服の襟を開けてパタパタと手で仰ぐ彼に、周囲から抑え切れなかったらしい細い悲鳴が上がる。確かに、筋肉隆々な胸板や首筋がチラチラと見え、そこに汗がツゥ、と伝っていく姿は色気がある。ファンなら堪らないだろう。
 まじまじと凝視していると、顔面を手でわし掴んで無理やり逸らされた。


「見んな。『余興』が始まんぞ」
「そうだね。ーー……」
「……俺が全部から護ってやる」


 俯いてしまった俺の髪の毛を、ノアが舞台を見つめたままスルリと撫で上げた。そして告げられた頼り甲斐のある言葉に胸が温かくなる。俺も舞台の方へと視線を下げ、小さく口角を上げた。

 今は、殿下を見守ろう。

 おどおどとふらつきながら舞台の中心にやってきた殿下に、観覧席のあちこちからブーイングが上がる。生徒の保護者達からもゲラゲラと不愉快で品のない嗤い声が聞こえてくる。敵国の王子という身分で鈍色階級に堕とされ、挙句の果てに余興として用いられている事実が面白くて仕様がないらしい。

 元来小心者である殿下は最早涙目になってしまっている。対戦相手のイキり雑魚野郎に馬鹿にしたように罵られても、いつものように気丈に歯向かうことも出来ずに短剣を握りしめるだけだ。
 あまりに悲惨な光景に、ノアが不愉快そうに顔を顰めた。


「……この欠片も面白くない状況がか?」
「ふふ、自分に大した実力がないと心の内で自覚している人間は、明らかな格下が現れた瞬間、何故か自分を上位存在だと勘違いしてしまうんだ。怖いよね」
「おかしくねぇか?ロバルが弱いにしても、自分が強くなった訳じゃねぇんだろ?」
「勿論。自分が誰かの下に常に立っているからこそ、誰かを下にしないと自尊心が保てない。ーーだからこそずっと格下なんだよ」


 わざと周囲に聞こえるように嘲笑を含ませながら言う俺に、ノアが成程、と低く呟いた。途端シンと静まる観覧席。が三下なんだよ。気まずそうに視線を右往左往させる生徒たちをほんの微かな殺意で一蹴し、貴賓席を見上げた。
 きっと、今のままでは正直試合ならない。殿下は完全に委縮しきってしまっているし……の余興では、理事長も絶対に昇格させてはくれないだろう。それは困る。
 案の定、王様とその横に座る理事長と目が合った。そして、その目にの意思が宿っていることを確認し、俺は観覧席から軽やかに飛び降りた。

 ――ざわッッ

 「レーネ!!!」


 背後から聞こえるノアの叫び声にひらひらと手を振って応え、俺はぶるぶると震える殿下の傍に近づく。俺の仄かな殺気が届いていなかった観覧席から、喧騒とブーイングの嵐が巻き起こる。それに更に委縮したように身を縮める殿下の前へと跪き、俺は殿下を見上げた。
 背後では雑魚がぎゃあぎゃあと不満を述べているが、そんなものは無視だ。


「ロバル様」
「れ、レーネ……」
「大丈夫ですよ。ここにいる誰よりもロバル様は正しく崇高なお方です。今回は、それをヘイデル王国に思い知らせてやるだけ。何も恐ろしいことはありません」


 努めてにこやかに微笑み、殿下の潤んだ瞳を見上げ、微笑む。そして、もう1度「大丈夫です。ノアと共に見守っております故」と囁いた。
 ノア、と聞いて殿下の顔色が徐々に回復するのを見つめ、なんとも言えない気分になる。この際殿下の婚約者がルキナ様じゃなくてノアなら平和なのに。
 
 何はともあれ殿下の目に光が宿ったのを確認し、俺は貴賓席に頭を下げ、ノアのもとへと【風に乗って】戻る。貴族たちからまたしてもざわめきが上がったが、無視した。

 ……うるせぇセレネって言うな。誰がセレネ・ブライトだ。忘れかけてた事実を思い出させるんじゃねぇよ。


「…………頼むから、飛び降りるときは『今から俺は飛び降りますが、死ぬつもりはありません』って言ってくれ」
「ごめんなさい」







『――それでは、昼休憩の囁かな『余興』をお楽しみ下さい!!翡翠階級の2学年3組、ソルト・コンラッドと、鈍色階級1学年10組、ロバル・フィオーレの決闘です!!!』


 放送委員会の生徒の実況の声と共に、大歓声とブーイングが闘技場を揺らす。俺とノアは両耳を抑えながら、先程よりも随分といい表情になった殿下を見つめた。

 殿下は、全くその場から動かず、おろおろと視線をさ迷わせた。翡翠の生徒はそんな様子の彼に気分を良くしたのか、「どうした!!??さっさとかかって来いよ愚図が!!!」なんて叫んでいる。
 そして、それでも殿下が何に反応を示さないことに何を勘違いしたのか、ニヤニヤと悪辣な笑みを浮かべた。

 それにしても殿下、弱者の演技が板についている。流石だ。


「おらぁ!!そっちが来ねぇなら俺から行くぞ!!!」


 ほら来た。殿下がピクリと動いたのを確認し、俺は己の口角が上がるのを感じた。慌てて手で隠す。

 初動が何よりも大事だと、彼のスッカスカの頭に叩き込んだかいがあるというものだ。片足を後ろに下げ、半身の体勢になった殿下に、何人かの生徒達が息を呑んだ。
 しかし、完全に頭に血が上ってしまったらしい翡翠の生徒は、殿下の変化に全く気付いていない。わざわざ今から攻撃すると宣言し、魔法発動の体勢に入った。


「……発動まで長くない?」
「あれが17歳の学生の平均以上だ」
「戦場ならもう死んでるね。ご愁傷様」


 ノアと軽口を叩きながら、殿下の様子を見守る。正直今この瞬間飛び込んだ方が早いかもしれないが、無駄な応用を効かせて失敗した方が恐ろしい。殿下もそれをわかっているのかいないのか、集中した様子で生徒の一挙一動を目で追っている。
 今の表情を普段からしていれば、格好いいのに。

 
「―――【爆ぜろ】!!!!」


「爆ぜてないけど。燃えてるだけだけど」
「……やめてやれ」


 かなり時間をかけて魔法を練り上げ、人2人分くらいの炎の塊を殿下に向けて放った翡翠の雑魚。彼は何故か勝利を確信したかのようにニヤリと笑った。同時に、観覧席からも称賛の声があちこちから上がる。
 何故か俺たちの周辺だけ異様に静かだが、煩わしくないのでこれでいい。

 しかし、次の瞬間。

 観覧席から大いなるざわめきが上がる。翡翠の生徒も啞然と目を見開いた。


「――――なッ、」


 スイっと最低限の動きだけで、殿下が炎の球を避けたのだ。貴賓席に座る王様と理事長が漸く愉しそうに口角を上げたのが見え、俺も気分が上昇する。ノアが拍手をするのがとっても可愛い。
 完全に集中モードに入った殿下は、周囲の混乱のざわめきすら耳に入らないのか、魔法を放った姿勢のまま硬直してしまった生徒のもとへと走り、短剣を抜く

 そして、右手に持った短剣に完全に警戒を集中させていた生徒のこめかみを、躊躇なく左手に持った鞘の先でぶん殴る。ドゴッと闘技場に響いた鈍い音に、観覧席から呻き声が上がる。筋力のない殿下に教えた通りに遠心力を使って放たれた攻撃に、生徒の身体が大きくよろめく。的確に脳を揺らすことに成功したらしい。


「ふっざけーーーー」


 よろめいた生徒は、憤怒の絶叫を上げて瞬時に耐性を立て直す。仮にも翡翠の生徒というだけあって、状況判断能力はまぁそれなりらしい。――しかし。


「もう遅いよッ!!」


 付与魔法を施しておいた短剣を喉仏に突きつける。火属性を纏った剣先が触れ、微かに喉元を焦がす感触に雑魚が細い悲鳴を上げた。
 その隙に殿下は生徒の横に回り、左足で膝を思いっきり蹴る。そして、がくんと地面に座りこんでしまった翡翠の生徒の首に短剣を突き付けたまま、殿下は鞘で生徒の鳩尾を思い切り殴りつけた。――その容赦ない攻撃に、観覧席から悲鳴が上がった。

 生徒がゴプリと涎を垂らす。
 その無様な姿を冷たく見下ろした鈍色階級殿下は、目を白黒とさせる翡翠階級に冷徹に宣告した。


「終わりだよ。――このボクが、愚民のお遊戯に付き合ってやったんだ。感謝しなよぉ」


 紛れもない王子としての威厳を見せつけた殿下に、クスクスと嗤いが漏れる。そう、これこそがフィオーレ王国第3王子として君臨するロバル・フィオーレだ。

 あぁ、素晴らしい。
 
 殿下はもとより嗜虐性を強く持った少年だ。こういうの私刑は彼の得意分野。たとえ彼がノアと友人になって変わったとはいえ、彼の本質は何も変わっていない。生まれながらにして人の上に立つ人間には、貴族や平民では一生手に入れられないものが備わっているのだ。
 畏敬の念に高鳴る胸を抑えきれず、知らず顔を赤らめて目を輝かせる俺を、ノアが呆れたように見つめていた。


『――――なんッということでしょう!!!まさか、まさか、鈍色の生徒が翡翠の生徒に――』

 ーーブルルッッブルルッッ

 興奮しっ放しの実況の声と共に、胸元で震える通信魔具。喜びに頬を染めて此方を見上げる殿下に、ちゃんと笑顔で対応できているだろうか。俺は貴賓席を見上げ、そこに王様の姿がないことを確認し、唇を噛み締める。

 ついに、第1王子殿下が到着したらしい。通信魔具は王様からの呼び出しだ。俺はなるべく不安をノアに悟らせないように、笑顔を作って立ち上がる。訝し気に俺を見上げる彼に、平坦な声で囁く。


「殿下が到着されたから、行ってくる」
「……行くなっつっても行くんだろ」
「うん、ごめん」


 舞台から退出しようとしている殿下に、舞台の袖にたっていた教師が何事かを囁いている。瞬間、驚きと喜色に染まった殿下の表情。きっと彼も呼び出されたのだ。
 俺は小さく深呼吸をした。――ノアは、殿下の様子には気付いていない。

 ノアの焦げ茶の髪を撫で、柔らかく笑む。


「午後の部は殿下と楽しんで」
「レーネッ」





 カーン、カーン、カーン。

 昼休憩終了の壁が鳴るのを何処か遠くに感じながら、闘技場の螺旋階段を昇っていく。そして、【客間】と銘打たれた扉の前に立った。目を閉じて、浅くなっていく息を整える。

 結局、第3部隊の皆には第1王子殿下が来ること、そして俺がもうすぐ――帰国することは言えなかった。きっと、物凄く怒られるだろう。でも、言葉にもしたくなかったのだ。……ちなみに殿下にも教えなかったのはナヨン対策。


「、失礼いたします。『フィオーレ王国近衛騎士団第3部隊隊長』レーネ・フォーサイス、只今参上いたしました」


 あまり待たせて第1王子殿下の気を削いではいけない。俺は冷たい息を吐き、ノックをして重い扉に手をかけた。嫌に重厚な音が鳴って、俺と室内の境界が消えていく。


「……お久しゅう御座います。殿下」


 そして。
 険しい顔をした王様の対面。豪奢な猫足のソファに優雅に腰掛けた、フィオーレ王国第1王子その人に向かって傅いた。
 「顔を上げて」と透き通った声で囁く彼を見上げる。

 
「ふふ、とっても久しぶりだね。……僕たちの可愛い可愛い、可愛いレーネ」


 優しく優しく、死者を迎える天の使いのように柔らかく美しく微笑んだ殿下が、此方を酷く冷たい目で見下ろしていた。




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