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学びの庭にて
49.
しおりを挟む「では殿――ろ、ロ、ロバル様。魔法についてはどの程度ご存じでしょうか」
「……何が分かんないのかも分かんない」
「あ~、1番まずい奴じゃんそれぇ……」
その辺に落ちていた木の枝を使ってがりがりと『魔法について』と書き記し、しゃがみこんでその文字を眺めている殿下を見つめる。文字を追っていた殿下は、俺の質問に顔を上げると、そばかすが特徴の可愛らしい顔をキョトンとさせて首を傾げた。俺の背中に乗っかるように重なっている会計がすっかり呆れた様子で溜息をつく。
「なんでこんな馬鹿なんだ」とでも言いたいのだろう。気持ちは分かる。本来ならば、王族付きの学者による高尚な教育が幼い頃から受けられたはずなのだ。しかし、殿下はそれらすべての教育を悉く突っぱねて来た。つまり、ほとんどものを知らぬ赤子も同然なのである。
ノアは、幼い頃から自分が学んできたことを自分なりに掻い摘んで教えて来たらしいのだが、元々得意分野でないだけに、殿下の理解を促すことはできなかったらしい。眉を下げて「すまん」と呟くノアの頭をわしゃわしゃしておいた。よーしよしよしよしよし可愛い奴め。良いんだノアは何も悪くない。
とはいえ、一から原理を説明して基礎から魔法を覚えていくには、一ヶ月という期間は短すぎる。それは今後2年半の殿下自身の努力に任せることにして、今回俺が教えなくてはならないことは。
「殿――ロ、バル様には、実際の戦闘でどう動くべきか、という実践的な部分を一ヶ月で覚えていただきます。恐らく余興という名目も相まって、対戦相手となる生徒はかなり油断しているでしょう。
しかも、で――ロバル様の対戦相手として指名されるということは、理事長にとってその生徒が別に翡翠には必要ないと判断される程度の存在であるということ。ほぼ間違いなく雑魚。つまりは無能です」
「結構いうね~お前」
会計の突っ込みは無視して俺はがりがりと地面に文字を書いていく。元来勉強嫌いな殿下は『座学』よりも『実践』の方が嬉しいのか、どこかわくわくしているようだ。気まぐれな彼の関心を引けたなら何よりである。
「その油断を突くために1番重要なのが、初撃です。実際の殺し合いでも、最初の1手と言うのは勝敗を大きく左右します」
「初撃……」
「左様でございます」
『余興』という名目で行われる試合、というのも今回に関しては非常に重要な点だ。余興というものに必要なもの、ーーそれは『盛り上がり』だ。
王族や貴族、騎士団幹部など各界の要人も視察に訪れる闘技大会で、余興の相手に選ばれた翡翠の生徒は「自分に見せ場を与えられたのだ」と思い込むだろう。実際、昼休憩中の余興ともあれば多くの人々が注目する。そこで更に、勝ちが確定している鈍色階級の、しかも異国の王子が相手となれば、生徒は間違いなく調子に乗って、より派手で見た目に映える魔法を使用してくるはずだ。
派手な魔法は、その分粗が目立ちやすい。言い方を変えれば避け易い。その1撃をしっかりと回避し、地味だが殺傷能力に特化した魔法を使うのだ。
「え~、でも、避けた時点で相手は警戒しない?」
「いいえ会計様。無能を舐めてはいけません。無能はそういう時こう考えます。『たまたま運よく避けられたが、こんな陳腐な魔法、簡単に攻略出来る』と。これは経験則です。三下の思考は中々理解し難いものがありますよね」
「口わっる……」
しかし、殿下が放つ魔法は派手であってはいけない。派手な魔法を見た相手は、鈍色階級如きが自分よりも場を盛り上げるなんて、と逆上し、あるいは警戒心すら芽生えさせてしまうからだ。そうなれば、本来の実力でもぎりぎり透明階級に滑り込む程度の殿下では、仮にも翡翠に座している生徒に勝てるはずもない。
頑張る、と宣言した通り、殿下はふんふんと頷いて俺の話を聞いてくれている。俺は殿下の成長にほろりと涙が零れそうになるのを何とか堪え、ノアに視線をやる。
何故か殿下の隣に腰を下ろして俺の話を真剣に記帳していたノアは、俺の視線に気づいて顔をあげた。
「なんでノアもそっち側?」
「いや、優秀な騎士の実践的な話には興味湧くだろ」
「優秀って……それほどでもあるけど。俺はあくまで風属性だから火属性の魔法には詳しくないんだよな。何か適した魔法は知ってる?」
俺の質問に、ノアは難しい顔をした。
「いや、火属性は元々派手な魔法が多いから、簡単で目立たないってなると自然と攻撃力も下がっちまう。言わば見た目の派手さと攻撃力の高さが比例してるんだ」
「……成程、ノアが言うならそうなんだろうね」
会計が「シトリン弟のこと信頼しすぎじゃね?」と呟いたが、それも無視して考え込む。火属性の人で『魔法詠み』ができる人がいれば、いっそ魔法を創ってもらうのだが、生憎俺は風属性だしサファイア教授は水属性、理事長は土属性。そもそもサファイア教授と理事長は絶対に手伝わないだろう。
結局、その日は殿下の魔力量を測ったり、現在どの程度の魔法が使えるのかを検証したりといった程度の特訓に終わった。ーーまぁ、結果は散々だったとだけ言っておこう。
ノアと殿下とは訓練場の前で別れ、俺は疲労のせいか、すっかり身体に力が入らなくなってしまったらしい会計を紫階級の校舎へ送るべく、紫階級専用の馬車の前にやってきた。馭者の男は翡翠の俺がやってきたことに訝し気な様子を見せたが、その背に乗っている会計を確認すると、手慣れた美しい仕草で扉を開けてくれる。俺は会釈をして会計を馬車へと乗せ、踵を返す。しかし、背後から聞こえた消え入りそうな程弱弱しい声に、ピタリと足を止めた。
「……ごめんねぇ、オレ、お前に迷惑ばっかかけてるね」
「……会計様が研究を手伝ってくださるようになってから、研究もかなり進展しました。感謝してもしきれないです」
それは間違いなく本心だ。振り返って、馬車の座席に寝そべる会計の力の抜けた手を取って握り、彼の群青色の瞳を見つめる。彼も、俺の目を見て俺がお世辞でものを言っているわけではないと理解してくれたのだろう。へらりと力なく微笑み、目を閉じた。
暫くして聞こえてきた穏やかな寝息に、俺は彼の手をゆっくりと離し、今度こそ馬車を降りる。そして何故か布巾で涙を拭いている馭者に「お願いします」と囁き、深く一礼した。馭者がしっかりと頷いてくれたのを確認し、俺はその場を立ち去った。
じぃいいい。
「……」
「……」
「……」
「……よぉ、フォーサイス君。気付いてんだろ?」
「……お久しぶりですね、ラルム先輩。講義はよろしいので?」
「優秀だからな。お前こそいいのか?」
「優秀なので」
「……」
早々に午後の講義をサボることを決意した俺は、図書塔に戻り、早速研究の続きを行おうと司書様に保管してもらっていた用紙を開いたーーその瞬間。どこからか現れて俺の横の椅子に許可もなく座ったラルム先輩が、にこやかに声を掛けてきた。ちなみにそこは元々会計が座っていた場所だ。やったな会計。
俺は彼の気配に気付いたうえで無視していたのだが、知っての通り図太い神経をお持ちの先輩にはそんなものは関係ないらしい。机に肘をついて紙から目を離さない俺を愉しげに覗き込んでくる。絶対に話したくない俺と絶対に話したい先輩との戦い。――勝敗は早々に決まった。
「はぁぁああああ、……何かご用でも?」
「でっけぇ溜息付くなって。お前の王子様の調子はどうだ?」
「お陰様で、精神的にも身体的にも安定しているようです。あぁ、――連絡をくださってありがとうございました」
「……俺はてっきり殺されるのかと思ってたんだけどなぁ」
勿論殿下が殺せと命じたのならいつでも殺しますが。目を合わせることなく呟いた俺に、先輩は何故か複雑そうな顔をした。
彼は、俺に怒られたかったのだろうか。未遂とはいえ、悪辣な行為の主犯になってしまった自分を責めて、恨んで欲しかったのだろうか。元来善人の質である彼に、今回の事件はある程度堪えただろうから、恨まれることで精算したかったのかもしれない。どうせ、理事長あたりに唆されたに違いない。あの男ならやる。
俺は彼の赤褐色の瞳を見つめ、鼻で嗤ってやる。彼がかつて俺がしたように。
「怒られるのは、恨まれるのは楽でしょう。自分の代わりに他人が自分を責めてくれるのは」
「……」
「赦される方が余程辛いんですよ。自分で自分が赦せないから。だから俺は先輩を責めもしませんし、恨みもしません。勝手に罪の意識に苛まれてくださいな。
……そもそも、本当に感謝してるんですよ?先輩が俺を呼んでくれたおかげで俺は殿下に存在を認めて貰えたんですから」
心なし先程よりも顔色が悪くなっている先輩の顔を覗き込み、にっこりと微笑んでやる。だはははどうだどうだ!!その程度の覚悟で俺に口で勝てると思うなよ若造がぁ(年上)!!!――なんてことは思っていないが。
遂には石のように固まってしまった先輩を放置して、俺は目の前の魔法式に意識を戻す。
研究の方は、学園にある沢山の資料を元に徐々に理論が固まってきた。紫階級専用の書庫にまで手を出せるようになってからは特に、かなりいい調子に事が進んだのだ。流石はヘイデル王国随一の学園である。
仮説の土台はしっかりと確立されているし、今後すべきことも分かってきた。もうすぐ王城の書庫の書物も庶務づてに届くだろうし、今はそれを待つのみだ。
……そういえば。
「ラルム先輩の魔法属性はなんですか?」
「……また唐突だな。火だが」
「火属性で、地味で即効性があって攻撃力に特化した魔法ってあります?」
「……高等魔法でもいいなら、火でナイフとか弓とか形作ってやればいいんじゃねぇか」
やっぱりそうなるよなぁ。具現系統の魔法は非常に便利で俺もよく使うのだが、実際かなり鮮明な想像能力と魔力が必要になる高等魔法だ。それをあの脳足りん殿下に一ヶ月という期間で習得できるようになるのか、と言われればまぁ不可能に近い。
せめて、魔具の使用が許可されていれば俺が適当に一撃必殺の魔法をかけておくのだが、当然理事長によって却下されている。八方塞がりとは正にこのことだ。
俺はまだ何か言いたげなラルム先輩を無視して立ち上がると、猛ダッシュで図書塔を後にする。ちなみに司書様にはラルム先輩のストーカー被害でかつて何度もお世話になっているので、走っても怒られることはなかった。有難い。
『――で、最終手段が私か』
「はい」
『……せめて否定はしろ』
自室の中。居間にいるノアに聞こえないようにしっかりと今度は防音魔法をかけ、俺は通信魔具を起動させた。若干不貞腐れたような表情で頬杖をつく王様と対面し、俺はノアが淹れてくれた紅茶を啜る。王様も、俺に倣うかのようにティーカップを口に近付けた。
「火属性の魔法で、こう、カスでも使えて相手を一撃必殺出来るのを教えてください」
『…………』
王様は胡乱げに目を黄金の瞳を細めた。
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