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学びの庭にて
48.
しおりを挟む「ロバル」
「んぐッッ……ご、ご容赦下さいませ」
「じゃあロバル様」
「そ、そんな、殿下を御名前でお呼びするなんて私にはとてもッ」
「……何これぇ。新手のプレイ?」
温かな昼下がりのこと。
図書塔で会計様と共に『呪い』の研究を進めていた俺は、「用事がある」と言って午前の講義が終わるやいなや何処かへと行ってしまったノアに、突然通信魔具で呼び出され、翡翠階級用の訓練場へと訪れていた。
俺がかつて無理やり戦わされた場所よりは幾分小規模なそこは、翡翠階級の生徒ならば事前申請なく使うことが出来るらしく、俺たちの他にも何組かの生徒がいる。他にも、観覧席には昼餉を取りながら訓練をする生徒を眺める人や、数人でお喋りをする人など様々だ。
どうやら各々が自由に過ごせる人気の場所らしい。
「面白そう」と言って俺についてきた会計が、地面にだらりと座り込んで呆れた声を漏らす。かと言って、俺が真っ青な顔で、助けを求めるように彼を見つめても、何もする気は無いのかスイッと目を逸らして観覧席へと手を振るだけだ。
彼の甘やかな笑顔に、観覧席からはぎゃああああッ、と甲高い悲鳴が上がった。
時は少し前に遡る。
「お待たせ、ノアーーーーー殿下?何故、」
「やっほ~シトリン弟。……あれ、王子クンもいるじゃん」
「呼び出して悪いな」
呼び出されて来た俺と会計は、呼び出した張本人であるノアと、その横に所在なげに突っ立っている殿下を見つめ、首を傾げた。
例の不愉快極まりない事件から暫くの時が経って、殿下の怪我は既に良くなっているようだ。その白磁のような肌に色濃く浮かんでいた痣も、今はすっかり消えていて、思わず安堵の溜息を漏らす。
そんな俺の様子を見ていた会計が、何故か俺の肩へと手を回し、ノアに向かってゆらゆらと手を振った。……この人滅茶苦茶体重かけてきやがる。まぁ、仕方ないのだが。
俺は、会計の事情を知っているだけに抵抗も出来ず、そのままの体勢で殿下に騎士の礼をとる。不敬を罵られるかと危惧していたが、何故か殿下は軽く頷くだけだった。
そして何故か眉間に深い皺を刻んだノアが、低い声で理事長に謝罪に行った時の説明を始める。そういえば、なんだかんだ聞けず終いだった。
「理事長は、『闘技場の余興で翡翠階級の生徒に勝てたら透明階級に上げてあげるよ。頑張れ頑張れ~!』と仰っていた」
「似てな……余興?」
首を傾げた俺に、ノアは懇切丁寧に『闘技大会』の説明をしてくれる。
『闘技大会』は、その名の通り学園の闘技場で、生徒達が年に1回実力を見せ合ってしのぎを削る大会だ。学園の生徒なら出場することは必須条件で、高成績を上げれば昇級することもできる。逆に、無様な姿を見せて理事長の不興を買えば降格も有り得るのだとか。
唯一出場資格を持たない鈍色階級の生徒は、午前の『剣術部門』、午後の『魔法部門』の間の休憩時間に催される『余興』で、明らかに実力の違う翡翠階級の生徒と交戦させられる。理事長は、そこで翡翠の生徒に勝つことができれば、昇格させてやる、と言っているのだ。
一ヶ月後に迫っているそれで、学園内でも優秀な生徒相手に、殿下が勝利しなければならない。
凡そ不可能に近い条件に、俺は思わず頭を抱えた。しかし、ノアは澄ました表情で言葉を続ける。
「俺もロバルも火属性だから今までは俺が教えてたんだが、俺が出場するのは『剣術部門』でそもそも魔法はそこまで得意なわけじゃねえ……って事で、限界が来た。火属性の先輩にも軒並み断られてな……」
「いやもっと早く教えてくれ」
「……すまん。だが、お前らは立場が立場だろ。やりにくいんじゃないかって思ってな……」
「それはそうだけど、」
俺と殿下の複雑な身分関係を慮ってくれていたらしい。ノアの温かい思いやりに思わず胸をときめかせて彼を見つめると、彼も優しい陽だまりのような目を細め、ゆったりとした足取りで近付いてくる。
そして、俺の肩に凭れていた会計をいとも容易く地面に放り出すと、「悪いな」と呟いて俺の頭をクシャクシャと柔らかく撫でてくれた。
ーー完。
「いやいやいやおかしいおかしい。何いい感じに完結させようとしてんのぉ?」
「ああ、会計殿は帰っていいぞ」
「はぁ?うざくね?」
地面に崩れ落ちた会計が、体勢を立て直してしゃがみこむと、ノアの足をドスドスとぶん殴ってほのぼのとした空気を遮る。すっかり置いてけぼりをくらっていた殿下も不機嫌そうな顔でノアの背中をベシベシと平手打ちしている。
ノアは会計様を鬱陶しげに振り払うと、「言いたいことがあんだろ」と背後に立っていた殿下を俺の前に押しやり
、自分はさっさと会計の首根っこを掴んで、話は終わりとばかりにズルズルと引き摺っていってしまった。
殿下は、慌てて平伏しようとする俺を手だけで制し、見上げる。薄紫色の無垢に輝く瞳と目が合った。何処か緊張したような、張り詰めた空気を漂わせる彼に、自然と俺もピリピリと警戒心を募らせてしまう。
暫しの沈黙のあと、意を決したように口を開いた彼の言葉に、俺は大きく目を見開いた。
「ーーボク、頑張るから、手伝って!」
頑張る、がんばる、ばる、る、る、ーーーーー
「?、???、?」
脳内を山びこのように響き渡る殿下の宣言。殿下から一生聞くことはないと思っていた努力を意味する言葉に、思考が停止してしまったのか全く処理が追いつかない。ポカン、と口を開けて固まった俺に、殿下は何故か顔を真っ赤にして目を吊り上げる。「聞いてるの!」と俺の肩を掴んで遠慮なく揺さぶってくる衝撃で、漸く脳内処理が追いついた。
俺は、彼を見つめて口を抑え、目を潤ませる。
「で、殿下、成長なされて……!!」
「……お前、実はボクのこと結構馬鹿にしてるでしょ」
「滅相もございません」
殿下が言うには、彼は自分の学園での立場を受け入れ、心を入れ替えて理事長やルキナ殿下を見返したいのだとか。例の事件でルキナ殿下に見捨てられた事実は、かなり殿下の心に大きな傷を残したらしい。
思わず殺意でノアに渡されていた木剣の柄を握り潰すと、殿下はドン引きしたような顔で俺の手元を見つめた。
「命令してくだされば処分致しますが」
「お前……い、いいの!ボク自身が魅力的になって、ボクを捨て置いたことを後悔させてやるんだから!」
ぷりぷりと頬を膨らませて怒る殿下が何とも微笑ましくて、知らず微笑みが浮かぶ。途端、驚いたように目を見開いた彼に、慌てて表情を戻した。気に障っただろうか。
しかし、俺を呆然と見上げていた彼は、何故か寧ろ楽しそうに赤らんだ頬を緩めると、小さく聞こえない程度の声で何事か呟いて、ニッコリと笑う。
愛らしいはずのその顔に、何故か俺は寒気がしてブルリと身を震わせた。
「だから、これからお前とボクは同じ一生徒として付き合っていくから!ーー先ずはボクを名前で呼ぶこと!」
「ーーエッ!?」
そして、冒頭に戻る。
「……こんなに唐突に人って変わるもんかなぁ」
「変わろうと思いさえすれば、人は変われる」
それに、だいぶ矯正したからな。
顔を青ざめさせて震えるレーネと、ニヤニヤと新しい遊び方を見つけた子どものように嗤う王子。事情が事情だけに何とも言えないその光景を見つめ、ドライは小さく息を吐いた。彼の隣では、同じように彼ら主従の姿を見守っていたシトリン弟が満足そうに頷いている。
ドライは、シトリン家の人間が苦手だ。どんなに荒波の中にいても、泥臭い世界を知っても、尚凛と咲く花のように美しく在る彼等が、ドライには理解できないから。
その点、名前呼びという不敬を強要されている憐れな騎士は、非常にドライの好みに当てはまっていた。知識も実力も有るのに、絶対に逃げられない何かに人生を壊され、歪な心なまま普通を装うレーネ。彼に、ドライは自分の過去との共通点を見出している。
「無理ですッッ絶対無理ですッッ!」
「ボクの命令だよぉ!ほら!!お仕置きしないから!」
「ぅぅぅううッッ!!」
ぎゃあぎゃあと目の前で繰り広げられる茶番に、ドライはケラケラと笑い、シトリン弟は額に手を当てて深く息を吐いた。周囲の生徒たちも、何処か複雑そうな呆れたような、微妙な顔を浮かべて彼らを観ている。
なんだかんだ、関係性が違えば良い友人になっていたのではないかと思う。
ドライは混乱の果てに涙を浮かべているレーネを見つめ、群青色の目を柔らかく細める。
彼はドライに「会計様は幸せになるべきお人です」と言ってくれたが、ドライからすれば彼の方こそ、まさに幸せになるべきお人だと思うのだ。
「シトリン弟、レーネをちゃんと責任もって幸せにしてやれよぉ」
「会計殿に言われなくてもわかっているが」
「……やっぱ風紀嫌いだわぁ~うっぜぇ~」
「そのまま返す」
レーネは絶対、こんな敵意剥き出しなシトリン弟を見た事はないのだろう。猫被りやがって。
ようやく「ロバル様」呼びに落ち着いたらしい彼らが、此方を向く。途端、柔らかく微笑んで彼らに近寄っていくシトリン弟に、ドライは呆れたように溜息をついて、ゆっくりと力を入れて立ち上がった。
そして、腹立たしい シトリン弟を煽る為に、レーネにぎゅう、と抱きついて見せる。ドライが好意を寄せている相手が別にいると知っている上で、『呪い』の負荷を知っているからか、レーネは複雑そうに眉を顰めながらも俺を受け入れている。
ああ、優しいなぁ。何処までも。だからこそ悲しい。
「……皆で幸せになろうね。レーネ」
「ーー?何か仰いましたか?」
「んーん、なんにもぉ?」
「隊長」
特訓初日にして既に精神を著しく衰弱させた俺は、休憩、と評して彼等から一度距離をとり、訓練場の柱に凭れて項垂れていた。「ロバル様」呼びの攻撃力たるや。無理だ俺の忠誠が耐えきれない。
暫くぼんやりと虚空を見つめていると、分かりやすく近付いてきた気配に、ピクリと眉を動かす。しかし、特に反応することなく無視をしていると、少し上擦った声で呼びかけられた。俺はゆっくりと顔を上げる。
「エーレか。……丁度いい。話があったんだお前達に」
俺のすぐ側に平伏した青年ーーエーレが、如何にも生真面目そうな顔で此方を見つめてくるのを冷たく睥睨し、俺は低く呟く。彼も言われることは分かっていたのだろう。表情を変えることなく俺を見つめている。
「お前達が王族に良い感情を抱いていない事は分かってる。ーーが、俺の部下を名乗るなら私情は挟むな」
「……」
「次はない」
「……了解」
最近の彼等の態度は目に余る。
文句ありげな様子ではあるものの、俺の並々ならぬ苛立ちを理解しているらしいエーレは、従順に頷いた。俺は彼から目を逸らし、楽しそうに騒ぐ王子とノア、会計の姿を見つめる。
突然の殿下の変化に、追いつけないのは俺とて同じだ。だけど、殿下が変わるというのならば、騎士である俺達は付いて行かなければならない。そこに俺達の意思は必要ない。ーーそれが出来ないのならば、俺とて愛する部下を処分するしかない。
そう冷たく吐き捨てた俺に、エーレはフィオーレ王国では珍しい漆黒の光のない瞳をゆらゆらと左右に揺らすと、しかし何も言うことなく唇を噛んで俯いた。
仕方なく、俺の方から口を開いてやる。
「何か言いたげだな」
「殿下が隊長を受け入れても、俺達はーーッッ」
「私情を挟むなと言ったのが聞こえなかったか?今は職務中だ」
彼の鼻スレスレに木剣を突きつけ、吐き捨てる。エーレは目を見開いて木剣の先を見つめると、俺を縋るように見上げた。その目に宿る感情には気付かないフリをして、俺は木剣を腰に刺し、姿勢を正す。
「隊長、」
「お前達がどう思おうと、殿下がどう変わろうと、未来は変わらない」
「ですが俺達は、」
学園でいくら幸せになっても、待っているのは奈落のような恐ろしい未来だけだ。だって、幾ら殿下が更生しても、その殿下はフィオーレ王国の人間ではなくなってしまうのだから。
俺は尚も言い募ろうとするエーレを無視して歩き出す。そして、思い出したように彼の方を振り返り、漆黒の目を真っ直ぐ見据えた。
「せめて、俺にお前達を殺させるなよ」
「ーーッッ」
俺は、今度こそ振り返ることなく、ノア達が手を振って出迎えてくれる幸せへとゆっくり歩きだした。
「………………未来なんて、幾らでも変わるんですよ。隊長」
漆黒の青年の言葉は、風に流れて俺には届かなかった。
ーーーーーーーーーーーーーーー
エーレ・ブラック(25)
フィオーレ王国近衛騎士団第3部隊隊員。黒髪黒目の黒縁眼鏡の真っ黒くろすけ。目が常に死んでいる。見た目通りに非常に生真面目で実直な青年。この度レーネに怒られてしょんぼりしているが、内心では全然納得していない。第3部隊にはセスと同様実力で配属されたメンツ。酒に滅茶苦茶強い。
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