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学びの庭にて
43.
しおりを挟むふわり、と微睡みから押し戻されるような浮遊感。重い瞼を上げると、もう見慣れてしまった汚ねぇ部屋の天井が見えた。鉛のように重い身体を持ち上げると、全身からバキ、ボキ、と関節が動く音がする。恐らくは土属性の理事長が作ったのであろう木の洞から出て地に足を付けると、俺はべしゃりとそのまま地面に崩れ落ちた。
普段の用途とは別方向に身体を酷使したせいで、身体に全く力が入らない。何度か立ち上がろうと試みるものの、成果は得られなかった。
「……うるっせぇ……」
寝室の方から聞こえてくるサファイア教授の嬌声と、ギシギシと仮設の寝具が揺れる音を背景に俺は漸く何とか立ち上がり、風魔法でふわりと浮き上がる。恐らくは理事長が気絶した俺に『魔力増幅薬』かなんかを飲ませたのだろう。魔力は既に回復していた。
正直、本当に死ぬところだったのだ。魔力は際限なく吸われていくし、恐らくは並の魔法士であれば既に魔力の枯渇で細胞が破壊されているレベル。吸い上げた魔力は植物が成長していなかったことから、植物を媒介して理事長の所に行ったのだろう。サファイア教授には彼の気力の処理を何卒頑張って欲しい。
机の上から荷物を取り、今度こそ逃げるように部屋を出た。理事長にはきっと気付かれているだろうが、挨拶なんてしようものならまたもやえらい目にあわされかねないので、この際無視である。今度からは理事長の気配がした時点で逃亡しようと心に決めて、圧倒的被害者である教授に向けて合掌した。
ふわふわと地面から少しだけ浮いた状態で進んでいく俺に自然と視線が集まる。群衆の中にはラルム先輩の姿もあったが、今は到底喋る気になれなかったため、無視して横を通り過ぎた。奇妙な生物を眺めるかの如き好奇の視線は、俺をさらに疲弊させていく。
漸く寮部屋へと着いた俺は魔具灯を起動し、真っ直ぐ自室へと向かう。ノアは夜まで風紀の会議だと言っていたから、あと数時間は帰ってこないはずだ。俺は無駄に大きな寝具の上に持って帰ってきた荷物ごと寝そべると、それらを広げた。
「……なんだこれ」
仰向けに寝転がっていた俺は、論文集の隙間に栞のように挟まれていた見知らぬ封筒を頭上に持ち上げる。中に紙が入っていると判断するには少々歪すぎる膨らみと重みに首を傾げ、くるりと封筒を裏返した。これといった装飾や家名を示す印籠なども為されていない真っ白な封筒は、どう見ても怪しい。
しかし、見える所全てを隈なく点検しても、悪意のある魔法や差出人の名前などは一切見つからない。
これを冊子の間に挟んだのは、まず間違いなく理事長だろう。彼ならば封筒如きに悪意を忍ばせなくても、面と向かっても俺に勝てるのだから、怪しいものではないと思いたい。そんな希望的観測と好奇心に身を任せ、俺は封筒を開いた。
「通信魔具?」
中から出てきたのは、1つの通信魔具だった。それも、かなり高価な。一般の貴族が所有するようなそれよりも遥かに性能も外見も優れた通信魔具は、それこそ要人同士の密会に使われるような最高級のものであった。近衛騎士である俺でも、ここまでの性能のものは使えない。――しかし、これが何故俺の所に?
不用意に魔力を込めて起動させるのは危険だと判断した俺は、取り敢えずそれを顔の横に置いてまじまじと観察する。『魔法詠み』ができる魔法士としては、突如として目の前に現れた高級魔具の存在に興奮を禁じ得ないのだ。
やはり、俺達が使う連絡用の通信魔具よりも、命令式は複雑で難しい。俺はうつ伏せに寝返り、そこらに放ってあった紙とペンを風魔法で動かしてその命令式を詳細に記帳していく。こんど自分の魔具に使お。
しかし、いざ記帳すらも終えてみると、今度こそこの不審物の処理に困ってしまう。理事長に確認を取るのがきっと一番正しいことなのだろうが、俺はあの人と二度と不用意に関わりたくない。今から戻ってこい、なんて言われようものなら、今度こそ殺されるかもしれないのだ。
「……まぁ、悪いものではないでしょ」
唐突に面倒な気持ちが勝ってしまった。これでもし何か事件が起こってしまっても悪いのは渡してきた理事長で俺ではない。俺の耳の魔具は片方は録画機能になっている為、サファイア教授の研究室に理事長が現れた映像はきちんと撮れている。言い逃れはさせない。
俺は通信魔具を力の入らない手で何とか握ると、長い時間の浮遊でカスほどしか残っていない魔力を込める。途端、目の前に現れた液晶画面に、俺は思わずのけぞってしまった。
慌てて画面から少し距離を取り、無理矢理寝具の上に座る。腰がゴキリと嫌な音を立てたが聞こえないふりをした。その間にも液晶画面のブレた映像が徐々に鮮明になっていく。そして現れた人の姿に、俺は目が零れ落ちてしまう程大きく目を見開いた。
「――――陛下?」
『久しぶりだな、レーネ』
液晶の向こう側。見慣れた執務室の椅子に腰かけたヘイデル王その人が、穏やかな笑みを称えて俺を見つめている。慌てて職業病で騎士の礼をとろうとした俺は、あえなく寝具へと崩れ落ちた。べしゃり、と効果音が聞こえそうな程無様に倒れ、顔が熱くなる。
しかし、王様は不敬と罵るでもなく、嘲笑うでもなく『怪我をしているのか』とまるで心配でもしているかのように俺を覗き込んできた。
俯いたまま、苦笑してしまう。王様だとわかっていたならば、起動したりしなかったのに。少なくとも今は、彼に会いたくなかった。いや別に会わなくていいのなら常に会いたくないのだが、今はもっと違う。理事長には現実を突きつけられ(きっと彼にはその意図はなかったのだろうが、こういうのは受け取り手がどう取るかにかかっていると思う)、挙句に今から『セレネ・ブライト』の代わりにされるのか。
ぎゅっと手を握ろうとして、力の入らない身体に苛立ちが募る。
「お久しぶりですね。怪我ではありませんのでご安心ください」
『……ならいい。学園生活はどうだ』
「フィオーレ王国でのそれとは随分勝手が違いますね」
フィオーレ王国の学園は、俺にここまで優しくなかったと思う。同年代では逸脱した存在であった俺は、教師や先輩同期から疎まれていたし、友人なんてものは1人もいなかった。教授はここまで1人の生徒に親身になることはなかった。
何もかもが、知らぬことばかりで戸惑っている。そう締めくくった俺を、王様は金の目を穏やかに細めて見つめている。久方ぶりの王様は、相変わらず机の上の大量の書類に追われているようだ。もしかして、都合の悪い時間に起動してしまっただろうか。俺はこんなにも疲弊しているというのに、世間は今だ昼下がりなのだ。
少しだけ罪悪感を感じて眉を下げると、俺の感情の変化を敏感に察知したらしい王様が『気にするな。休憩中だ』と呟いた。
『お前に直接渡すとほぼ間違いなく破壊するだろうと思ったからタンザナイトに直接送ったのだ。今日届いたか』
「はい」
『…………少しは否定する可愛げを見せろ』
「……どうせ俺には可愛げなんてありませんよ」
ああ、これじゃ子どもの八つ当たりだ。思わず吐き捨てるように呟いた俺に、王様が微かに目を見開くのが分かってより惨めな気分になる。騎士として自分を律さなければいけないのに。これ以上無様を彼の前で晒したくなくて唇を噛み締める。
暫しの沈黙の後、画面の向こうからがさがさと何かを探すような音が聞こえ、俺は顔を上げる。いつの間にか立ち上がって何処かへ行っていたらしい王様の手には、何冊かの魔法書のようなものが握られていた。彼はまるで慈しむ様にそれらの表紙を優しい手つきで撫でると、真っ直ぐに冴え冴えと輝く金の瞳で俺を貫く。その鮮烈な光に思わず身じろぐが、何故か彼から目を逸らすことができない。
『レーネが最近になって呪いの研究に没頭している、とタンザナイトから聞いてな。王城の書庫から参考になりそうなものを探させた』
「え、」
『タンザナイト宛てに送ろう』
「あ、理事長宛てはやめて下さい。誰か他の人名義にできますか?」
どうせあの食えない理事長のことだから、俺の日常生活なんてわざわざ見に来なくても全て把握していたのだろう。今日だって、自分が執着している教授に近づきすぎたから警戒して嫌がらせをしきただけで、教育なんてきっと大義名分に過ぎないのだ。彼にとって俺は雑兵の一人でしかないのだから。
とはいえ、王族の書庫にあるような著書なんて、早々お目にかかれるものじゃない。それに関してはいい仕事してくれた。それに関してはな。
死んだ魔物のような目をしてかぶりを振る俺に、王様は物言いたげな顔をしながらも了承してくれた。マーヴィン殿名義で生徒会庶務宛てに送ってくれるらしい。名前当ての貴重な1回分を消費する日は近い。それでも理事長よりは遥かにマシなので、俺は王様の提案に一も二もなく頷いた。
王様が直接俺に物を送ってしまうと、それこそラルム先輩のように俺に復讐心を抱いている人の反感を無駄に煽ることになってしまう。それをわかっているからこそ、王様は今回理事長通信魔具を送ったのだ。
『…やはり、何かあったのか。話せ』
何時ものように軽口を叩かない俺に不信感でも抱いたのか、王様が問いかけてくる。その優しさもどきが俺をさらに苛立たせることに、この男は気付かないのだろう。俺は、遂に衝動を抑えることができずに口を開いた。王様を思いっきり睨みつける。
「1番に想っていてほしい、なんて傲慢な願いを抱いていた自分に嫌気がさしているだけです。そんなものを得る権利は俺にはないのに、不相応にも深層で望んでいた自分が苛立たしくて仕様がない」
『……』
「誰も彼も、俺の幸せを願っているって……俺は、俺の幸せは、どう足掻いたってこの学園にはありません」
サファイア教授と話をするようになって、口が緩くなっているのだろうか。こんなことは敵国の王に言うべきではないとわかっているのに、口が止まってくれない。目を見開いて真白の上掛を見つめ、俺は何かにとりつかれたように喋り続ける。王様は、咎めることはせず、黙って聞いていた。
「貴方方が俺に望む幸せって何ですか……俺だって美味しいものを食べれば幸せだし、第3部隊の皆といられれば幸せだし、それ以上に何かを望むなんて、強欲もいいとこだ。……なのに、俺はそれを無意識に求めているんですって。今日知りました。本当救いようがないですね」
「でも俺、別に助けて欲しいわけじゃないんですよ。だってもう、俺は皆が言う幸せを幸せだと思えないんです」
嘲笑。
今まで、見ないふりをしていた事実。虐げられて、その度にそれを無理やり「自分だけがこんな目に遭って良かった」と説得してきて、いつしかそれが当たり前になって。もう、温かな愛に囲まれた戦争のない平和な生活を、幸せとして認識できないのだ。王の護衛任務から解放されて自由になることに魅力を感じない。感じることができない。皆がどれ程俺に心を尽くしてくれたって、それはもう一生そうなのだ。心を尽くしてくれることには幸せを感じることができても、その結果得られた安寧を幸せだとは思えない。
それに、どうせそのうち死ぬのだ。
俺が口を閉じると、今まで沈黙を貫いていた王様が口を開けた。
『……お前の言い分はわかった。確かに、私達の幸福をお前に押し付けるのはエゴだ。――だが、私たちが今幸福を感じているからこそ、同じ環境をお前にも得て欲しいと思うのは、理解できるだろう』
「できますよ。その上で迷惑です。救い上げられるような権利はもう、俺にはないんですって、何度言えばわかるんです?」
『権利なんぞ知らん。私はレーネを無理矢理にでも助けて傍に置くぞ』
「代替品の人形としてな?ーーふざけんなよお断りだ」
王様の返事を聞く間もなく、無理矢理魔具の接続を切る。そして、膨れ上がった苛立ちのままにそれを部屋の床に投げつけた。それでも傷1つ付かないそれに、さらにグラグラと胃が燃え上がるような不快な感覚がする。
権利なんてねぇよ。自分の国民大量に殺すような人間、どこに救いようがあんだよ。何より俺が赦さない。
もうあと何度この無駄な問答を色んな人と繰り返さなければならないのだろう。本当に、嫌気がさす。
「…………もう、ほっといてくれ……どうせ、俺は王族の奴隷でしかないんだって……」
ぐしゃり、と髪をかき混ぜる。遠くでノアの声が聞こえたが、到底会えるような気分ではなかった。
本当、質が悪い。まるでレーネを1番に好いていると思わせるような言葉を掛けて。自分の主人と同じ立場だからこそ、彼の言葉は誰よりも俺を強く揺さぶる。
だから――そんな、期待してしまうようなこと、言わないで欲しいのに。
びきり、と心が痛む。
『傍に置きたい』と本当に思って欲しい相手は、どう足掻いたって言ってくれないのに、どうしてお前がそんなこと言うんだ。
ーーザザッ
学園用の通信魔具が起動する音。そして、聞こえてきた先輩の声に、血の気が引いた。
『ーーよぉフォーサイス君。今、お前の殿下、マワされかけてっけど大丈夫かー?』
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