人違いです。

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学びの庭にて

39.

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[XXX年X月X日。
 正直長いし別に必要以上に拷問される謂れもないので殴って気絶させて部屋を出た。

 ーーら、外に生徒会会計がいた。]




「やっほぉ~こないだぶり~」


 様々な感情が綯い交ぜになって、混乱極まったラルム先輩に本格的に服に手をかけられた時点で、俺は彼の鳩尾に拳を入れて気絶させ、寝具へと寝かせて部屋を出た。先輩の復讐の為にさせてやる程、俺は安くない。殴られてやっただけ感謝して欲しいくらいだ。
 親しげに笑ってヒラヒラと手を振ってくる会計に一礼する。他の翡翠の生徒達からの視線がビシビシと突き刺さった。


「お久しぶりでございます。先輩に何か御用でしたか?」
「ううん?オレが用があるのはお前~。オレの親衛隊に、お前がリーベ先輩の部屋に入っていったのをみたって聞いたからわざわざ来てやったんだよぉ」
「……言って下されば伺いましたのに」


 絶対権力者である生徒会の人間が、一生徒の為に足を運ぶことなんてそうそうあることでは無い。だからこそ、無闇に親衛隊持ちの権力者に近づくと『制裁』という謎システムが発動するらしい(ラルム先輩談)。近づいてくる場合はどうすれば良いのかも教えて欲しかった。
 何にせよ、面倒なことになりそうな予感に、微笑みつつも内心で舌打ちをする。
 彼は俺の社交辞令には返事をせず、2人で話せる所行こうぜぇ、とだけ呟くと、さっさと歩き始めた。仕方なく後をついていく。


「ここは……」


 翡翠階級の寮を出て、紫階級用の魔具で動く馬車に乗車することおよそ20分。庭師によって整備された美しい森を抜けた先にあった、透き通るような湖で馬車が止まる。指輪の魔具に搭載された地図には載っていない場所だ。
 湖の中央には、真っ白の小さな円形のテラスが水上に建てられている。しかし、そこに行くまでの道などはなかった。
 馬車を降り、キョロキョロと周囲を見回す。かなり森の奥地に入ったからか、人の気配は全くしない。風が木々や水面を揺らす微かな自然の音だけが、響いている。

 しばしの間、無言で俺を眺めていた会計が、魔力を集約し始めた。とはまた違うその流れ。


「『繋げ』」


 会計の魔法によって、彼が立っている所からテラスへと、パキパキと心地よい音を立てて氷の橋が出来上がっていく。繊細な魔法の使い方に拍手を送れば、彼は何故か酷く驚いたように俺を振り返った。
 しかし、それ以上特に何も言うことも無く、「ついてきて~」とだけ言うと、さっさと橋を渡って歩き始める。

 さて。ついてきて、と言われはしたが。
 橋へと近づき、つぅ、と橋の手摺に指を。うん、氷。


「会計様。俺は水属性の人間じゃないので、氷の橋だと滑って転びます」
「……あ、ホントじゃん。ここに人誘ったことねぇからわかんなかったぁ。何とかなんない?」
「なりませんねぇ。無駄に技術が高いせいで手摺もツルッツルなんでなんの助けにもなりませんし」


 ツルッツルの足場にツルッツルの持ち手。全然意味がない。風属性で空とか飛べないの?と思う方もいるかもしれないが、飛べないことは無いが、それだけで全魔力消費するレベルで大変だし、その場合人は死ぬ。俺は、この湖を渡るためだけの為に、命をかける気はありません。
 かと言って、彼の体型ではそこそこちゃんと筋肉がついている俺の体を持ち上げて運ぶことは出来ない。相談の結果、テラス席を眺めながら湖のほとりで話をすることになった。すごすごと戻ってきた会計が、俺の隣にストンと腰を下ろす。氷の橋が、水に溶けて消えていく。

 ちなみに、馬車の中で敬語は崩していいことになったが、流石に友人のように話すのはなので丁寧語に抑えることが決定した。


「……お前、リーベ先輩とな訳?」
「恋人か愛人ってことですか?」
「そうそう」
「違いますね。親衛隊長になって下さったので、規則などの相談をしてました」


 ふぅん。と、三角座りをした膝に顎を乗せた会計は、テラスを見つめたまま相槌をする。そして、何処か安堵したかのように、小さく息を吐いた。

 ーーおっとぉ??これは???もしかするのでは??

 俄然面白くなってきた気がする。思わずテラスから目を離して彼の顔を凝視すると、彼は面倒そうに唇を尖らせ、次いで、恥ずかしそうに目を逸らした。
 ハイハイそういう事ね。完全に理解した。
 生徒会や風紀委員会の生徒は、翡翠階級の中から選出される。つまり、翡翠階級のラルム先輩と会計は、先輩後輩として何らかの会話をしたことがあるのだろう。そこで、あれやこれやがあって、そーいう事ね?


「俺、応援しますよ!」
「お前急に元気になるねぇ……」


 だって、人の恋路程面白いものって無くないか。最高に楽しい展開になってきた。こういうのは、身近な第三者の立場が1番楽しいのだ。俺はアリアと彼女の奥さんの馴れ初めに大きく関わった過去があるから知っている。
 ニッコニコで会計の顔を覗き込む。すると、存外暗い表情の彼と目が合って、思わず目を瞬かせる。真面目な話になりそうな気配に、流石に茶化すのをやめて居住まいを正した。

 湖が、さざめく。風が少しだけ強い。

 暫しの沈黙の中で、話す気になったらしい会計が、口を開く。


「オレは確かにリーベ先輩のこと好きだよぉ。親衛隊全員にちゃんと知らせてるしぃ、制裁もさせないように徹底してる」
「……」
「だけどさ、オレは、先輩の故郷を壊した戦いを先導したの息子なわけ。表向きはさぁ、先輩も何にもなかったかのように過ごしてるけど、そんなわけないじゃん?」


 はい。そんなわけないですね。とは言えず無言を貫く。しかし、それを正しく肯定と受け取った会計は、彼に似合わず酷く拙い笑い方をした。

 曰く、彼の憎悪の一因である騎士団長の息子である自分が、ラルム先輩にアプローチする権利なんてないと諦めていたのだとか。ラルム先輩自身も、人に告白されても断っていた為に、誰のものにもならないのなら、と心を落ち着けていたと。
 しかし、今回俺の親衛隊長になった事実と、俺を自室へと招待したという知らせをうけて、いてもたってもいられず駆けつけてしまったらしい。

 軽薄な身なりに似合わず、随分と純粋で可愛らしい恋をしているじゃないか。


「安心して下さい。彼の恨みの対象は俺だけです」
「いやそれ問題じゃね?とんでもない事聞いちゃったんだけどぉ……え、親衛隊長になったのってそういうこと?」
「あ、やべ、これ内緒だった。聞かなかったことにしといてください」


 ぽかんと口を開けた会計に、慌てて口止めをする。幸いにも理解が追いつかなかったのか素直に頷いてくれたので、一生心の内に留めて貰っておくことにした。
 何処か心配げな様子で「大丈夫な訳?」と聞く彼は、いい人だ。大丈夫です。俺強いんで。

 このままでは面倒な展開になりそうな予感がしたので、俺は話題を逸らす為に口を開いた。


「そう言えば、ツヴァイ騎士団長にご子息がおられたとは知りませんでした」
「…………」


 あ、もしかしてこの話地雷ですか。
 へら、と適当な笑みを浮かべて新たな話題を生み出した途端、より一層空気が悪くなった。会計の感情と連動するように、周囲の気温が下がっていく。彼の豊富な魔力は、空中の水蒸気にまで影響を及ぼすらしい。寒い。

 ツヴァイ騎士団長は女口調で話していたし、もしかしたら望まない女性との行為で子どもだったりするのだろうか。でも、服装や髪型は男のものだったし……。繊細な話題だと思って触れなかった事がここで仇になるとは思わなかった。

 ーーパキパキッッ

 会計が指を上へ向け、くるりと回す。すると、俺たち2人を囲むように、半円状薄い氷の膜が出来上がった。コンコンと軽く叩くが、見た目に反して強固に魔力が練られているようで、割れることは無い。ーー防音魔法か。

 寒さを拒むように縮こまる会計の隣に、寄り添うように座る。驚いた様に顔を上げた彼の群青色の瞳を見つめ、微笑みかけた。


「素晴らしい魔法ですね。大人でもここまで使いこなせるかどうか……。氷魔法を使うには、水属性の性質を熟知していないといけないと聞きました」
「……凄い?」
「ええ。凄いです」


「オレさぁ。……ツヴァイ家では、要らないものなんだよねぇ」
「ーーえ、」


 想像を超える内容に、思わず声を漏らしてしまう。会計は、そんな俺の様子に少し元気を取り戻したようにクスクスと笑うと、何処か遠くを見つめる。華奢な背中が一層目立って、悲愴感が漂っている。
 無言で続きを促すと、彼は一つ大きな息を吐いた後、スラスラと、物語を読み上げるかのように流暢に話し始めた。


「父上はさぁ、俺がいつまで経っても病弱で、筋肉のきの字もないような貧相な身体なのを許せないんだってぇ。代わりにどんだけ魔法の勉強頑張っても、剣術がてんで駄目だから見ても貰えない。会計になっても父上は会長だったから。落ちこぼれの可愛くない子は嫌いよって、」
「……」
「『呪い』持ちなんだって、オレ。『衰弱』の呪いを被った、ーー……」


 最後の方は、震えて聞き取ることが出来なかったけれど、言いたいことは伝わった。

 あの時、シャルとシャロンの武器を持たなかったのも、か。

 『呪い』持ちを疎む人は少なくない。いや、寧ろ疎む人が殆どだ。魔力とは違う性質を持つ彼らは、生まれながらにして罪人であり、奴隷として罪を償わなければならないと言い伝えられている。信心深い人が多いヘイデル王国で、『呪い』持ちという肩書きを貰うのは、どれ程苦痛なことだろうか。さほど宗教が発展していないフィオーレ王国でも、『呪い』を持っている人間は尽く虐げられる。

 騎士団長の息子という立場で、騎士には到底なり得ない種類の『呪い』。ツヴァイ騎士団長が有能な人材に拘っていることは短い時間の付き合いでも分かった。きっと、彼は直ぐに自分の息子を切り捨てたのだろう。


 『衰弱』の呪いとは。歳を経るにつれて、身体の筋肉の発達が失われていく呪いだと言う。実際、中等部入学当時は会計はここまで細くなかったらしい。そう諦めたように嗤う彼は、酷く寂しそうに見えた。


「理事長はこの事は、」
「知ってるよぉ。知ってて、あの方は俺を会計にしてくれた。生徒会の奴らも親衛隊長も。ーーけど、オレはただ、父上に名前を呼んで欲しいのに、…………今のままの『呪い』の進行だったら、20歳まで、生きられないんだって」


 もう、カップを持つのも一苦労でさぁ。あと少しで歩けなくなって、立てなくなって、動けなくなって、身体活動が停止しちゃうんだって。

 ドライ・ツヴァイと名付けたのは、彼を産んだ母でも、殺すよう命じた父でもなく、一介の使用人。助命嘆願をした彼女にだけ、彼は愛を与えられてきたという。父も母も他の使用人も、自分を罪人として扱う。同じ屋敷にいることを許さず、一人だけ物置小屋のようなところで使用人に育てられてきた。
 

「……勿体ない」
「え、」


 思わずポロリと口を継いで出た言葉に、会計が不思議そうに此方を見上げる。俺は、冷徹な騎士の声で話し続けた。


「勿体ないです。これ程までに高レベル魔法を使える人をみすみす見逃すなんて、騎士団長の名が聞いて呆れますね。あー、怒らないで下さい。なんで虐げられてるのに父親想いなんですか」
「え、お前が言う?」
「…………俺のことはいいんですよ。俺なら、『衰弱』のが来るまで、会計様を戦場で使い潰しますけどねぇ。水魔法は基本的に防御要員ですが、氷魔法が使えるなら話は変わる。戦争で物凄く使えるじゃないですか」


 呆然と聞き入っている彼に、嗤って酷な言葉を吐き続ける。


「遠隔攻撃が出来るなら、『衰弱』でも関係ない。寝具の上からでも人を殺させる。俺なら、学園なんかに通わせないで騎士団でひたすら人殺しの魔法を教え続けますね」


 ツヴァイ騎士団長は、随分息子に甘いようで。

 自分が忌み嫌う『呪い』持ちとはいえ、才があり過ぎた息子を使い潰すことは出来ないと。冷酷な彼も人の子ということだろう。しかも、存外不器用らしい。

 そう締め括った俺に、彼は、大きく目を見開いて、その夜のような群青色の瞳を揺らした。


「優しくするだけが愛じゃないってこともありますよ。立場がある人なら尚更」


 
 
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