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学びの庭にて
35.
しおりを挟む「……」
「……」
「あの、ノアさん」
「……」
寝具に横たわる俺の傍の椅子に鎮座している男、ノアの眉間には、くっきりと皺が寄ってしまっている。いつも陽だまりの中にいるような気分にさせてくれる黄金色の瞳は一切の温度をなくし、ひたすらある一点を見つめたまま動かない。そして、その視線の先には、俺の親衛隊発足決定の書類の写しが握りしめられていた。
――滅茶苦茶怒っていらっしゃる。
物凄く分かりやすく怒っている。なんなら背後からどす黒いオーラの様なものが湧いている。
あの後、結局軽い眩暈が続いていたために、俺は午後の講義を受けることなく早退届を出して帰寮した。そして、あまりの疲労感からその旨をノアに直接伝えるのを忘れたまま、俺は寝具に身を投げて熟睡してしまったのだ。再び目を覚ました時には、日は既に落ち、寝具のすぐ横に備え付けられたランプの光だけが部屋を照らしていて。横には、今の体勢のまま硬直したノアが座っていたのだった。
おろおろと手を彷徨わせる俺に大きく溜息をつくと、ノアは部屋の魔具灯を付けた。途端に明るくなる室内に目を瞬かせる。しかし、彼はそんな俺に構うことなく、ぐしゃぐしゃになった書類を掲げて口を開く。冷たい黄金色の目と目が合った。
「ラルム・リーベを隊長としてお前の親衛隊を発足することが正式に決定した。親衛隊の在り方や具体的な規則については隊長本人と直接相談して決めろ。親衛隊にはある程度の自治権が認められてっから、上手く使わねぇとお前が損するぞ。気を付けろ」
「は、はい」
「んで。これが午後の講義のノート。回復したら写せ」
「ありがとう……ございます」
「最後に、早退の連絡くらいして来い。あと教授から手紙。後で読んで明日にでも直接返事しろとのことだ」
武骨な見た目にも関わらず、丁寧な所作が特徴だったノア。そんな彼が、乱雑な手つきで俺の上掛の上にサファイア教授からの手紙を放る。思わずびくりと身体を揺らして震える声で謝罪をすると、ノアはさらに深く眉を顰めたのち、ガシガシと後頭部を掻いた。
「あ…の、ごめんなさい」
「あ――……、違う、悪かった。怒ってるわけじゃなくてな……悔しかったんだ」
複雑そうな表情で語り出すノア。曰く、『ノアがいるじゃん』と言って、俺が彼を信頼していると言葉にしてくれたことで、舞い上がってしまったらしい。なのに、今日になった瞬間親衛隊を俺が許可して、それをラルム先輩越しに聞いたことが悔しかったのだという。
更には、その後に駆け込んできた生徒から俺が倒れたという話を聞いて、心配で仕方がなかった分の反動で、八つ当たりをしてしまったとの事。
紳士じゃなかったな、と頭を下げるノアを慌てて止めると、ノアは顔を上げて少しだけ険しい眉を緩めてくれた。
身勝手な行動でノアにどれ程心配をかけてしまったのだろうと思うと堪らなくて、俺はぐっと唇を噛み締める。
本当は、言うつもりはなかったけれど。
「ノア、絶対怒らないでくれるか?」
「……それなりの事を言う自信があるってことだな」
「ごめん」
「はァ……いいよ、怒らねぇから。なんだ?」
わしわしといつもの優しい手つきで俺の頭を撫でてくれるノアに俺も微笑みかけ、俺は口を開いた。
「……で、案の定怒られたわけな」
「怒らないって言ったのに……」
「全校で『夫婦喧嘩』って噂になってたぞ」
「俺、独身ですけど」
ホカホカと暖かな湯気が立つミルクティーが入ったマグカップを俺に渡し、サファイア教授は苦笑した。その視線の先には、ノアの拳骨をくらって大きなたんこぶが出来上がった俺の頭が。
昨日。俺はノアに、ラルム先輩が俺に敵意を持って親衛隊長となったこと、だから傍にいることを許したこと、安定剤の副作用のこと、全てを話した。ラルム先輩の話辺りで再び暗雲が立ち込め、許した話あたりでこめかみに青筋が浮かび、副作用の話で拳骨が降ってきた。
そして、鍛え上げられた筋肉を持つノアの一撃に呻く俺に、ノアは「ちったァ反省しろ馬鹿野郎!!」と渾身の怒鳴り声を上げて、部屋から出て行ってしまったのだった。
流石に今日の朝は気まず過ぎて時間通りに起きられなかった。ノアは寝汚い俺を置いて先に登校してしまったから、別々に教室の中に入り別々の席に座った俺達に、同級生達が目を丸くしていたことを思い出す。ーーちなみに、朝ごはんは作ってくれていた。めちゃくちゃ脂っこいステーキで死ぬかと思った。地味な攻撃が一番効く。
ほんのり生姜の風味が立つミルクティーをコクコク飲みながら愚痴る俺の頭を撫で、サファイア教授は仮設の寝具へと腰を下ろす。
ノアづてに渡された手紙には、『明日放課後、俺の研究室を訪ねるように。さもなくば預かった薬は捨てます』という脅迫紛いの文が書かれていた。その為、俺は今こうして教授の研究室にぽつんと置かれていたボロボロの椅子に座っている。
「ニカに礼は言ったか?」
「はい。礼を言うと『べ、別に、し、心配なんかしてねーし!』との事だったので『なら良かったです』と返しました」
「ちょっと声真似似てんな……彼奴涙目だったろ」
『しんどいなら言えよな!……べ、別に助けるわけじゃねーけど!』と叫んで去っていった少年を思い出して頷くと、サファイア教授はボサボサの髪に覆われた額に手を当て、「彼奴もまた難儀な……」なんてボヤいた。
俺としてはそんな事はどうでも良い。それよりも何故ここにまた呼び出されたのだろうか。というか、薬返して欲しい。
じ、と研究室のきったねぇ机の上に置かれた瓶を見つめていると、俺の意図を察したらしい教授は大きく溜息をついて立ち上がると、何故か机の上に置かれた一冊の手帳の様なものを手に取った。美しい深緑の革のカバーと、小さな南京錠が取り付けられたその手帳は、傍目に見てもかなり高価なものだと分かる。
教授は手帳を持ってもう一度寝具へと座ると、それを俺へと差し出した。渡される意味がわからずぼんやりと見ていると、無理やり押し付けて手を離されたので慌てて受け止める。
「なんでしょうこれ」
「日記帳だな」
「……?誰のでしょう」
「フォーサイスだな」
俺、日記帳なんて持ってたっけ。
自分の人生を振り返って考えるが、記憶の中の俺は日記帳など持っていない。どこの世界線の俺でしょうか?怖い。彼には何が見えているんだ。
思わず教授の脳を心配すると、教授は「お前ほんと急に失礼なのなんなの??」と言って苦笑すると、自分もミルクティーを一口啜る。そして、日記帳を指さした。
「教授として、フォーサイスに課題を与える。お前の毎日の出来事……どんな些細なことでもいい、思った事をそこに書いてみろ。あれが美味しかった、あれが楽しかった、今日はこんなことがあった、明日はこんな日になればいい……なんでもな」
「それになんの意味があるんです?」
「意味なんて考えなくていい。文体も、体裁も何も気にしなくていい。なんなら絵を描いてみたっていい。飾り付けをしたっていい」
「はぁ……」
そんな事言われても。眉を顰めて日記帳を見つめる。
俺の顔にありありと浮かんでいるだろう言葉を読み取ったらしいサファイア教授は、何処か楽しそうに笑うと、俺の顔を覗き込んだ。歪んだ瓶底眼鏡の向こう側にある、空色の目と目が合う。
「んで、もう1つ。1週間に1回、俺とお喋りしよう。この安定剤は普段俺が預かっておく。フォーサイスが俺のところに来てくれたら、様子を見て必要だったら1粒だけ処方する」
「はぁ!?なんだそれ、」
思わず立ち上がって瓶を奪おうとした俺を制するように、教授は1枚の紙を俺の目の前に突きつけた。動きを止める。彼は打って変わって厳しい目を俺に向けて、瓶を遠くへと押し遣る。
「お前の部下からの矢文だ。今朝、寝起きのまま窓を開けたら目の前にこれが突き刺さった俺の気持ちを考えろ。今度手紙の渡し方を教育しておけ」
「善処します」
「うん、しないやつ。ーーこの手紙には『隊長を、薬がなくても過ごせるようにしたい』と書かれていた。いい部下だな」
手紙には、ユズ特有の可愛らしい丸文字で、俺の症状や副作用の具体的な説明、本来の摂取量など事細かく記載された上で、ユズが本当に俺を心配してくれているのだろう、想いの詰まった言葉の数々が書かれていた。他にも、小さな子どもが書いたような歪な文字で『隊長が大好き』だの、『笑顔でいて欲しい』だの、愛らしい言葉が沢山添えられている。
きっと、ユズの姿を見て、第3部隊の皆で教授への手紙を書いたのだろう。この歪な文字は、誰だろうか。セス、シャル、シャロン、ナヨン。この綺麗な文字はアリアだな。如何にもお手本のような文字はエーレだ。
ぎゅう、と手紙を抱き締める。彼らがどれ程俺を想ってくれているかなんて、知っている。知っていて、俺は国の為に死んでいくのだ。俯いて唇を噛み締める俺に、サファイア教授が近付いてくると、微かに膝を曲げて俺を覗き込んだ。
「いいか、フォーサイス。お前は凄い奴だ。賢くて、強くて、大人だ。だがな、大人になることはいい事ばかりじゃない。したい事ができない、倫理や法、忠義があらゆる夢の邪魔をする」
「……」
「俺はお前の教授だ。俺にとってお前はまだ小さな小さな子どもだ。そこいらの坊ちゃん共と何も変わらない。だからーー俺と、内緒の話をしよう」
俺のしたい事。できなかったこと。沢山ある。沢山、沢山踏み潰して、殺して、大人になった。
「誰にも知られない、内緒の夢の話だ。日記帳に沢山書いて、俺と沢山話をしよう」
この南京錠には魔法を掛けた。レーネ・フォーサイスの意思でしか開けないような、特別な魔法だ。そして、俺にも魔法を掛けた。レーネ・フォーサイスとの内緒の話を外に持ち出せない魔法だ。陛下に、理事長に、誰に言われても、お前の夢は俺が護ろう。
そう言った教授を『詠む』と、確かにそこには、複雑な命令式が込められた魔法の鎖が掛けられていて。
優しい優しい、空のように澄み切った目が、俺を包み込む。知らず、首を縦に振っていた俺に、サファイア教授は柔らかな笑みを浮かべた。
「……あと、ちょっとその『魔法詠み』の力を借りたいというか……」
「この人最低だ。ノアと理事長に言いつけよ」
「あ、それだけはやめて???俺死んじゃう」
「ーーじゃあ早速質問」
ずっと友達でいたい人と、仲直りがしたいので、やり方教えて下さい。
サファイア教授は、ゆっくりと目を瞬かせた後、それはそれは嬉しそうに笑って、マグカップの残りを飲み干したのだった。
「あ、やばい。先生、俺明後日の生徒会とのお茶会の話もノアに言ってません」
「……滅びた東国の最上級の謝罪にな、地べたに這いつくばって謝罪する『どげざ』という屈辱的な謝罪方法があるらしくてな。俺はいつもそれで危機を脱してきたぞ」
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