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学びの庭にて
33.
しおりを挟む「しんえいたい?」
あれから月日は経ち。
俺はそれなりに平和な学園生活を過ごせている。闘技場での一件以来、生徒たちからは嫌厭されてしまうと思っていたが、予想に反して彼らは俺に優しかった。実力主義の理事長の理念が良い方向に作用したらしく、2組の生徒たちにはよく魔法や戦闘の質問をされるようになったし、ノアがいない時に話しかけてくれるようになった。何故かノアと一緒にいるときは誰も近寄ってこないが、それは「そういうもの」らしい。意味は分からなかった。
馬鹿王子から受けた怪我もすっかり治り、痕こそ残ってはいるものの本調子で動けるようになっている。ノアが痛まし気な顔で時折傷跡を見るのが申し訳ないが、
そして、生徒会長から渡された手紙には、「今度生徒会役員と一緒にお茶会しませんか」と言った旨の内容が丁寧な字で書かれていた。あれ程近寄って壁ドンしてまで伝えたかったことがお茶会。一緒に手紙を読んだユズが舌打ちをかましていたことをお知らせしておく。――日時は一週間後。余程忙しいらしい。
特に憎悪や怨念の攻撃を加えられることもなく、穏やかな日々を過ごしていた昼下がり。俺はノアが作った昼餉を咀嚼した後、彼が呟いた言葉を繰り返した。
「親衛隊、だ」
「あぁ、資料で見た。容姿が優れてたり、実力がある生徒に好意を抱いている生徒が組織化したものだったっけ」
「親衛隊」と呼ばれるその組織は、ある生徒に好意を持った生徒達が、ストーカー行為や強姦など、良識を逸脱した行為に及ばないように各組織で規則を設け、それを順守することで対象を護るらしい。特に抱かれる側の生徒にはこの組織の存在は必須なんだとか。
それがなに、と首を傾げる。ノアが所属する風紀委員には親衛隊は付かないらしい(非公式の物はあるらしいが)ので、全く関係のない話だと思っていたが。
すると、ノアは昼餉を入れた籠を脇に避けて一枚の書類を俺の前に置いた。
「レーネの親衛隊を作りたいらしい」
「へぇ、お断りします」
ぱちぱちと目を瞬かせ、首を傾げたままお断りの返事を済ませる。俺の返事はノアの予想の範囲内だったらしく、彼は眉を下げて苦笑すると、籠の中から生野菜とジューシーに焼いたベーコンを挟んだベーグルを取り出してかぶりついた。
俺も、保温魔法がかけられた瓶に入った野菜スープを飲む。そして、ふわふわの卵が挟んであるベーグルを口に入れる。
「理由は?」
「ノアがいるじゃん」
ベーグルから口を離して答えた俺の言葉に、ノアは大きく目を見開いて、柔らかく「そうだな」と微笑んだ。そうだよ。ノアが俺を護ってくれるんでしょ。どこか嬉しそうな雰囲気を漂わせながら俺の頭をわしわしと撫でる彼の手を振り払うことなく、俺はもう一口ベーグルを頬張った。
自炊タイプの生徒が集う大広場。その中にある1本の木の麓に大きな外用の絨毯を敷いて、ノアが作った昼餉を食べる俺たちの間には、和やかで温かい空間が出来上がっていたのだった。
ーー完。
「いやいやいやおかしいおかしい。何いい感じに完結させようとしてんだ」
「……誰この人」
「お前の親衛隊長希望の人だ」
先程からずっと、ノアの背後の芝生に直座りしていた青年が身を乗り出してほのぼのとした空気を遮る。昼休憩が始まったくらいから永遠にノアの背後をキープしているからてっきりノアのストーカーかと思っていたが、どうやら違うらしい。
ノアの肩をがくがくと揺さぶる青年をじっと見る。翡翠色の魔核が輝く指輪をしている彼に見覚えはないので、少なくとも2組の生徒ではない。かといって2学年の翡翠階級の合同訓練にもいなかったから、他学年のはずだ。そして多分先輩。俺の視線に気づいたらしい青年と目が合う。あ、逸らされた。
俺と目が合った瞬間、赤褐色の目をゆらゆらと揺らした先輩(暫定)は、ぼさぼさになった短髪を撫でつけるノアの広い背中に素早い動きで隠れてしまった。
絨毯の上に放置されていた紙を風に持ち上げてもらい、最後の1口を咀嚼しながら読む。書類には俺の親衛隊を創設したい旨、具体的には「日常生活の支援」「逸脱した恋愛感情の規制」「対象の護衛」などが書かれている。親衛隊長の名義にはこの先輩の名前らしき署名がしてあった。成程、あとは俺次第ということか。
でも、それは今全てノアがしてくれていることで、新たに人を頼るほど苦労していない。そう呟くと、先輩はひょこりとノアの肩から顔を出した。
「けど、シトリンにも風紀の仕事があるし、シトリンだけじゃ心許ないこともあるだろ?」
「いや全然問題ないです」
「うぐッ、――シトリンも、ずっと彼を護衛するのは大変だろ?」
「いや全然問題ないです。レーネも俺がいない時は鈍色に会わないよう自分で徹底してくれるんで。王子以外はそもそも脅威じゃないんで」
「……」
ガックシ。と音が鳴りそうな大げさな仕草で肩を落とした先輩に、周囲の生徒たちから同情の視線が集まっている。が、考えても見て欲しい。俺はノア以外の学生を別に信用していないし、そんな人達に護衛してもらおうなんて――むしろ逆に警戒するまである。そう呟くと、先輩はショックを受けたのか固まってしまった。
「そもそも俺、フィオーレ王国の人間ですし。そんな人間の親衛隊ってそれ、反逆罪になりません?しかも――今の時点で64人もいるんですか?大丈夫ですか?処刑されませんか?」
「やめてやれ、レーネ。もう先輩息してないから」
彼を慮って言ってやったというのに。思わず頬を膨らませる俺を宥めるようにノアは俺の頭を撫でた。
「失礼します。フォーサイス君いるか?親衛隊発足の許可を――」
「あ、フォーサイス君良い所に!!親衛隊のこと、理事長に伺ったら陛下に反逆罪にならないと認可してもらっているそうだ!!」
「フォーサイス君、」
「フォーサイス君」
「フォーサイス君」
フォーサイス君フォーサイス君フォーサイス君フォーサイス君フォーサイス君フォーサイス君フォーサイス君フォーサイス君フォーサイス君フォーサイス君フォーサイス君うるさいわァアアアアアア!!!!!
俺が何処へ行こうとも唐突に現れては親衛隊の話をしてくるし、多分彼をストーカーとして訴えたら勝てる。しかも絶妙にノアが俺から離れた瞬間を狙ってやってくるから質が悪い。教室にいるときは、最初こそ何事かと遠巻きに見つめていた同僚たちも、彼が危険人物であるとわかってくれたらしく俺を隠してくれたり護ってくれたりするが、それ以外の時なんてどうしようもない。洗面所で声を掛けられた時は個室に逃げ込んだ(1時間張られた末、ノアが戻ってきて追い返した)が、馬車の中とかもうほんと……殺してやろうかと……。
あるいは先輩を偶然を装って気絶させ、あるいは書類を彼の目の前で破り捨て、あるいはノアが彼に手錠を掛けて風紀室へ連行し、――それだけのことをしても尚追いかけてくるその執念たるや。最早感嘆の域である。
そして今も、ノアが風紀室に何かの書類を提出した隙にぬっと現れた先輩が、ベンチに座る俺の横に腰掛け、ニコニコと恐ろしい笑みを浮かべて俺の顔を覗き込んできた。
「来ちゃった♥」
「来ちゃったかぁ……」
「親衛隊の書類、署名してくれたらもうしねぇよ?」
「吃驚するほど直接的に脅迫してくるこの人……こわ……」
毎日毎日渡してくる書類には、持ってくる度に着実に増えている所属人数と、青年の名前と、空欄。最近では夢にまで出てくるようになったそれを見て眉を顰める俺を見て、先輩は至極爽やかに笑った。誰かこいつ殺してくれないかな。
「現在進行形でストーカーしてる人に逸脱者を取り締まれるとは思えませんね」
「ばっかお前、どこにいても見つけられるからこそ護衛に向いてんだよ」
「物は言いようですね」
げんなりと溜息を吐いて項垂れる俺と、ケラケラと爽やかに笑う彼が何とも対照的で、俺達は知らず周囲の生徒の視線を集めていた。その中に、幾つか「期待」の目があることに、さらに気分が下がる。
どいつもこいつも、簡単に俺を受け入れすぎなんじゃないだろうか。そう呟くと、先輩は小さく鼻で笑う。
その姿が、今までの彼とはどうにも違っていて、俺は先輩の顔を見上げた。
いつも微笑んでいた先輩が、酷く冷たい顔をしていて。
――ああ、なるほどね。
「アンタ、誰か殺されました?フィオーレ王国に」
「あはは、――あぁ。家族全員殺されたよ。俺は国境付近の田舎村出身だったから。…『リリアナ村』って言うんだけど。勿論知ってるよなぁ?」
あぁ、知ってるさ。嫌という程。
リリアナ村。ヘイデル王国の国境に位置する村で、魔核の元なる魔力を帯びた鉱石が良く取れる場所だった。そのせいでフィオーレ王国との1年前の『リリアナの戦い』で村は壊滅。村人は全滅したはずだ。
まさか生き残りがいたなんて。――――達が命を賭して全滅させた戦いで、生き残りが。
じわりと漏れ出す殺意を抑えることができなくて、手が震える。そんな俺を見つめていた先輩は、耐え切れないようにケラケラと嗤いながら、俺の肩に腕を乗せた。そして、俺にだけ聞こえるように耳元に顔を寄せると、囁きかけてきた。
「なんかさぁ、日常謳歌しちゃって?陛下にも受け入れられて?随分人生楽しんでんじゃん『人殺し』がさ。何人もの人生壊しておいて幸せ掴めると思ったか?他の馬鹿どもはお前に脳死で恋愛感情なんてクソみたいなもん抱いてるけど、俺は違う。――お前が幸せ感じるたびに片っ端から壊してやる」
「……」
「能無しクソ王子は鈍色に落ちて毎日面白れぇことになってるけど、俺の恨みの対象はアイツじゃない」
お前ら騎士団だよ。
憎悪で濡れた全うな声に、どこか安心してしまう。ちゃんと真顔でいられているだろうか。自信はない。
不相応な好意が恐ろしかった。信頼が邪魔だった。俺にフィオーレ王国の騎士であることを後ろめたく思わせるような、ヘイデル王国の寛容さが疎ましかった。
ドロリと思考が濁っていく感覚を久々に感じている自分に驚く。闘技場の日以来使わなかった安定剤が入った瓶を取り出し、取れるだけ取り出して飲み込んだ。
「申し訳ないですが、俺はアンタの境遇に同情もしないし償いも謝罪もしない。俺はフィオーレ王国の騎士で、アンタの村の壊滅はヘイデル王国の戦力を下げるのに必要でした」
「――ッッ」
「だけど、一人遺される苦しみも、辛さも。戦場を離れた所でのうのうと過ごすしかない自分へのやるせなさも怒りも理解できます」
「……そうだよ。俺だけこんな学園の中でのうのうと―――ッッ、」
俺は唇を噛み締めてぶるぶると震える彼の手からぐしゃぐしゃになった書類を抜き取ると、対象者の名前の欄に署名した。先輩は驚いたように目を見開いている。あんだけ追い回しておいて、どうやら駄目元だったらしい。俺は彼の両頬に手を当て、その赤褐色の目を覗き込んだ。
「だから、一番傍で俺を憎む権利をやる。お前が俺の幸せを邪魔しろ。苦しむ俺を見てろ。俺が壊れて壊れて死んでいく姿を見て自分を赦せるなら」
呆然と俺を見つめる先輩の目には、好意なんて全く見当たらない。俺が勘違いするほど殺意を隠すのが上手かった(探ろうとする気すら削がれた)し、諜報とか向いてそうだ。なんて、関係のないことを考える。まぁ、平民の身分で翡翠階級にいる時点でかなり優秀なのだろうが。
彼の頬を、ノアがしてくれたように柔らかく撫で、同じように微笑みかける。
「レーネ・フォーサイスの親衛隊長として、ラルム・リーベを任命する。よく務め、仕えよ」
「…………はい」
どこかで「浮気」なんて声が聞こえたが、たぶん違うことだろう。
「ちなみに先輩ですか?」
「え、うん。3学年3組」
先輩(確定)となった。
―――――――――――――――――
ラルム・リーベ(18)
フォスフォフィライト王立魔法学園3学年3組。レーネの親衛隊隊長。しかし、レーネに対しては憎悪と憤怒の念しか持ち合わせていないが、誰にもそれを悟らせていない。『リリアナの戦い』で家族や親戚全員を失ったが、学園にいたラルムだけは生き残った。今はリリアナ村を所有していたリーベ子爵家に養子として入っている。幸せそうなレーネを見るのが許せなくて、それを壊すためにこの度親衛隊隊長となった。効果は抜群。
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