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学びの庭にて
25.
しおりを挟む護衛ってなんだ。何様だ。
そう詰め寄った俺をノアは優しく寝具に沈め、落ち着いた低い声で説明してくれる。
「アンタ……あー、レーネって呼ばせてもらうぞ。レーネが俺達よりも比べ物にならないほど強いのは理解してる。だけど、王子には逆らえないだろう」
俺が馬鹿王子の部屋に入ってすぐ、塩顔青年が風紀委員長に連絡し、理事長に通達が行ったらしい。直ぐに乗り込んで救出しても良かったが、それだと馬鹿王子は納得しないまま終わり、また俺に同じことを命ずる。
だからこそ、理事長は馬鹿王子を翡翠の人間に手を出した罪人に仕立て上げる事で階級を初日から鈍色に落とし、俺に今後手を出させないようにしたらしい。もし俺と馬鹿王子が出会ってしまえば俺は彼に逆らうことができないため、監視役だったノアを護衛としてつけることになったそうだ。
「今頃、王子は鈍色降格を告げられてる頃だろうな。初日から降格なんて初めて見たが……妥当だろう」
「……一応フィオーレ王国としても立場ってものがあるんだけど」
「立場は自分で確立するものだと思うぞ」
耳が痛い。しかし、そんな綺麗事が通用するような国じゃないんだよなぁ。へらりと笑って誤魔化すしかない俺の首元まで上掛を被せると、ノアはほんのりいい香りの立つ氷水が入った桶に浸した布巾を絞り、俺の額に乗せた。熱が出ているからだろう。冷たい布の感触が心地よい。
既に第3部隊の皆にも理事長の方から説明が言っているらしい。第3部隊としては、馬鹿王子が生命の危機に至るような事態に陥った時のみ反撃することは可能だが、基本的に鈍色としての扱いに異を唱えることは禁止されたようだ。
彼らは不満げにするどころか「好き勝手やっちゃってください。別に生きてれば問題ないので」とニコニコいい笑顔で宣ったそうだ。フィオーレ王国に帰った時のことを考えているのだろうか。……考えてないんだろうな。
「もうそろそろ、誰かがレーネの薬を持ってきてくれるって――」
リン、と呼び鈴の上品な音が響く。ノアが立ち上がり、「待ってろ」と上掛を一撫でして外に出ていく。そして再び部屋の扉が開き、入って来たのはノアと――
「あ、ナヨン」
「やっほ―隊長、調子はどうですか?」
鎧一式は取り外し、騎士服だけをまとったナヨンが高い声でへらへら笑いながらノアを追いぬかし、先程まで彼が座っていた椅子に座る。ノアは彼の無作法を特に咎めることはせず、扉近くに立って俺たちを見守っているようだ。
元気だと返せば「隊長いっつもそれしか言わないじゃないですか」と笑われてしまう。
「コレ、いつもの安定剤と鎮痛剤、あと解熱薬です。鎮痛剤はしんどい時、他は朝晩1回1錠で飲んでくださいねぇ。あ、でも痛いのヤだからって飲みすぎはメッですからね!」
「ありがとう。ところで殿下は?」
「皆心配してるんですから、今日はゆっくり休んでくださいよー、隊長の制服姿が見れると思ったのに先延ばしになってほんと萎えたんですからぁ」
「……あの、殿下は?」
「あとなんか言うことあったっけ……あ、シャロンが何人かの幼女趣味の生徒に絡まれて半殺しにしちゃって。理事長に褒められて飴もらってましたよ」
「あれ、もしかして違う世界線にいる?びっくりする程会話が成立しない」
平行世界かな??なんて首を傾げるが、ナヨンはにこにこと笑うだけで何も言い返すことは無かった。
どうやら相当限界が来ているらしい。笑顔を崩さないナヨンの目元にはうっすらとクマができているし、上掛に遠慮がちに乗せられた両手は細かく震えている。よく見れば騎士服の袖からは、両手首に包帯が巻かれているのが分かる。頭を撫でてあげたいが、腕が四十肩ばりに上がらないので俺は彼の手に頬ずりをした。
パチパチと瞬きをするナヨンの目を見つめ、微笑む。すると、ナヨンから一切の表情が抜け落ちる。片耳の耳栓を外しているのを確認し、鎮痛剤を飲ませてくれ、と思考すると、彼は手慣れた手つきで水差しを使って俺に薬を飲ませてくれた。
最高品質でしかも即効性のそれのお陰で、すぅ…と痛みが引いていく。流石は第3部隊の薬師作。
とりあえず、ノアが首元まで上掛を被せてくれたおかげでナヨンに怪我を見せずに済んだのは運が良かった。俺の怪我に過敏な彼がこの惨状を目にしたらどうなるかなんて、もう何度も経験済みなのだ。
にも関わらず上掛けをめくろうとした彼の手を名前を呼んで止める。すると、彼はクシャリと顔を歪めた。
「ナヨン」
「…………隊長は酷い」
「え、」
「失礼します」
え、ちょ。
止める間もなく、彼は薬が入った袋を置いて立ち上がり、扉の前に立っていたノアを無言で退かすとそのまま出ていってしまった。慌てて追いかけようとした俺を近付いてきたノアが制する。睨みつける俺に「傷に障る」とだけ呟くと、彼は椅子に座りナヨンが持ってきた袋の中身を整理し始めた。
ぐらぐらと思考が定まらない。
ナヨンに嫌われた?皆に、みんなに嫌われる?そんなはずない。だって彼らは俺がいないと生きていけないんだから、そんな、俺から離れるなんてことはない。はずだ。
いやだ、疑いたくない。
「……レーネに頼って欲しいんだろうよ」
「頼ってるよ。いっつも」
「なら『王子様に嫌な事されるの辛いから助けて』って言ったことがあるか?ないんだろ」
「……だって、そんなの」
がた、と震えそうになる身体を無理やり抑え込む。忘れるなと言わんばかりに軋む身体に眉を顰めると、ノアはくしゃくしゃと俺の切り揃えられた前髪を遊ぶように撫でた。
小さい頃病気で寝込んだ時、兄上もこうして俺の頭を撫でてくれたなぁ。気持ちが良くて知らず目を閉じると、彼はくすくすと優しく笑って撫で続けてくれる。
「そう簡単に出来ることじゃないってのはあの人も分かってるだろ。だけど大好きな人が酷い扱いを受けて嬉しい人間はいねぇ……レーネだって逆の立場なら怒るだろ?」
「相手を数倍酷い目に合わせた上で『幻影結晶』内で発狂するまで殺した上で現実でも殺す」
「…………そういうことだ」
そっか。そうだよな。ナヨンが俺を嫌いになるわけない。だって俺も大好きだから。
目を閉じているうちに、安心したからか心地の良い睡魔がふわりと俺を包み込む。目を開けようとするが、重たい瞼は俺の意思を汲んでくれない。
その様子を見ていたノアが俺の瞼に片手を乗せ、もう片手で上掛けをとん、とん、と規則的に優しく叩いた。
「寝ていい。ここでは誰もお前を脅かさないし、誰もお前の微睡みを咎めない。ーー俺が護る」
おやすみ、レーネ。
その声を最後に、俺の意識は深い闇に沈んだ。
夢を見ることは無かった。
『隊長傷付けたら殺す』
擦れ違いざま、鳥肌が立つ程の殺意を向けてきたあの男がどれだけレーネに執着しているかなんて、初対面のノアにでも分かる。風紀委員会として学園の治安維持に当たっている自分が、如何に未熟な存在であるか、あの一瞬で思い知らされたのだ。もぅと精進しなければ。
ノアは目の前ですやすやと眠るレーネの顔を見つめ、苦笑する。血塗れの状態で浴室の床に倒れていた時の彼は、死人のように蒼白で、そして苦しそうに顔を歪めていた。しかし、今は熱が出ているからというのもあるだろうが、頬は微かに火照り、眉に力が入ることも無く、歳相応の可愛らしい寝顔を無防備に晒している。ーーこれは人気が出るだろうな。
護衛として、監視としてじゃなくて、純粋にただただ友人になれたらいいと思う。ここでは、騎士としてじゃなくて学生として自由に過ごして欲しいと思う。
「……これからよろしくな」
夕餉には起きてくるだろうから、手始めに美味しいヘイデル料理を食べさせてやろう。
ノアはそう決心し、音を立てないように部屋を出た。
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