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112.狂気

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「この者もさぞ無念であろうな。
そこでみなに提案だ」

 ペネドゥルが今にも暴れそうなジェロムの腕を掴むとその巨体を中心に水球を作った。
当然だが水に閉じ込められたジェロムは息が出来ずに暴れる。

 手を離してそれを放置してから膝を床につけたザガドの前に歩み寄り、その耳元に囁く。
口元がちょうど見え、読唇術でそれを拾う。

『この男を楽にしてやれる機会を与えてやる。
腹心なのだろう?
殺して楽にしてやれ』

 ザガドは一瞬掴みかかろうと暴れるが、それは押さえつける騎士が許さなかった。
それを満足げに見てから立ち上がる。

「皆の者、よく聞け!
私はこの罪人によって貶められたそこの狂人にこそ裁きの権限があると確信している!
そしてこの狂人は元近衛騎士隊長を勤めあげ、我らが前国王陛下の足元に及ぶ程の実力者であったと知っているだろうか!
この者は月下によって幸か不幸か今や我らが前国王陛下を凌ぐほどの力を得た!
よって私はこの者とそこの罪人、ザガドを戦わせ、犠牲となった狂人には自らがその恨みを晴らす機会を、罪人には王族としての力を証明する機会を与える!」

 ドッと沸く竜人達。
謁見の間は狂気に支配されていく。

 そして俺は気づいた。
ペネドゥルの体が立ち昇る黒い霧が狂気する竜人達にも絡み、更に濃くなっている事に。

「異様だな」

 近くで並ぶ竜人ではない兵士のドン引きした様子の1人が呟く。
見回せば、他にもそんな顔をした者が兵士には多くいた。

 そこでふと気づく。
あの霧は狂気に惹かれるように動いていて、一歩後ろから冷めた目で遠巻きにしている者には全く絡んでいない。

 それに俺以外には見えていないんじゃないのか?

「黒い霧のような物が動いてないか?」
「は?
どこだよ?
あのクソ貴族達に目がやられたか?」

 一時的な同僚に軽く尋ねてみるが、やはり見えていないのか。

「皆の者、壁側に寄るがよい」

 いつの間にか後ろの壁際に寄ったペネドゥルが言うが早いか、ラジェットが無抵抗のザガドを勢いよく蹴り飛ばし、ジェロムを閉じこめた水球がその横に移動して水がバシャリと床に落ちる。

「ぐっ····」
「、、、げほっ、ぅぐ、うぅぅぅっ、」


 低く短いくぐもった呻き声を上げるザガドと、後ろ手に枷をはめられて片膝をついてむせながら、何らかの痛みを堪えるように猿轡をギリギリと噛むジェロムを残し、蜘蛛の子を散らすようにこの広間を取り囲む大臣や貴族達。
しかし未だに彼らの目には抑えきれない狂気が宿っている。
流石に戦闘種族と称された竜人達だけあって、漏れ出る獣気が濃い。

 ペネドゥルが右手を掲げると2人を囲む水牢が現れる。
広間いっぱいには広がっているが、竜人がこれから戦うとすればいささか心許ない広さだ。

「それではそこの罪人よ。
その拘束を解いて正々堂々力を証明するもよし、恐ろしければそのまま殺して自らの証明を諦めるもよし。
さて、どうする?」

 藤色の目が愉悦に歪む。

 と、その時だ。

「いやいや、待ってんか」

 この広間扉が開き、相変わらずの癖の強い、だがはっきりとした声が響いた。

「何者だ?!」

 大臣か貴族の1人だろうか?
それに応じるように見知った男が悠然と入ってきた。

「これは失礼つかまつります。
私はビビット商会の副会長してますトビドニア=エトランっちゅう者です。
うちの商会の事は鎖国して知らへん方もいらっしゃいますやろうから規模を申し上げますと、この大陸で3本の指に入る言われてますのや。
当然他国の王室御用達もやらせて貰ってますねん」

 トビが飄々とした様子で1度止まって軽く胸に手をやり一礼する。

「何の用だ、副会長。
今はそなたと話す場ではない。
控えよ」

 ペネドゥルが不機嫌な様子を隠そうともせずに命令する。

「そういう訳にはいかへんのです」

 トビは恐らく威圧しながら獣気を放っているのだろう。
近くにいる者から気圧されるように道を開けていく。
もちろん狂気の竜人達も。

 やっぱりただ者じゃないな。
顔は笑ってるが、気配が歴戦の戦士のようだ。
時折竜人に絡む黒い霧に触れるが、霧の方が霧散している。

 何かの魔石具を使っているのか、そのまま前に進んで水牢に当たるとその部分の水牢がふるりと揺れて細身だがよく引き締まった体を透過させる。

 それを見てラジェットが庇うように主の前に進み出た。

「貴様、不敬だぞ!」

 殺意をもって剣を構える。
が、トビは臆する事もなくよく通る声で言い放つ。

「何せおたくの話は嘘っぱちばっかですやん」

 水牢の檻の内側から藍色と緑の竜人を見据え、細い目が弧を描いてニンマリと嗤った。
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