上 下
1 / 115
プロローグ

1 猫ちゃんを探してます

しおりを挟む
「ニャ~」
「おーい! 猫ちゃ~んこっちおいで~」
「ニャ~」
「こっちおいでったらっ! はぁ……俺は何をやってるんだろう」

 昼下がり、熱くなったアスファルトに寝っ転がりながら、泥くさい側溝に顔を入れていると愚痴がこぼれる。
 
「よくこんな狭いところへ逃げたな……」

 美人なお姉さんの依頼じゃあなかったら、絶対にお断りしていた案件だ。
 喜べ猫ちゃん、おまえは御主人様に恵まれている。だから、おとなしくこっちきてくれよ。
 
「ああ、まてまて! クソ~!」

 猫ちゃんはまた暗い側溝の奥にいってしまった。ふぅ、こうなったら作戦変更だ。
 
 そう思って顔を上げた俺のすぐ横には、一人の若い女性が立っていた。
 心配そうにこちらを見つめているのは、この猫ちゃん探しを依頼してきた女性、田中奈美たなかなみだった。見た目は綺麗なお姉さんって感じで、肩まであるサラサラとした艶やかな髪はハーフアップにしている。女子力の高さがあるのは、言うまでもない。

 俺は寝そべったまま、ローアングルで奈美さんを眺めた。
 美しくひきしまった足に、夏のミュールがよく似合っていた。
 ちなみに、このお姉さんは俺が経営する和泉いずみ探偵事務所の二階に住んでいる。
 所謂、ご近所さん、というやつだ。
  
「探偵さんごめんなさい。突然、こんなことお願いしてしまって」
「いいですよ。猫ちゃん好きなので、ほっとけません」
「探偵さん優しいんですね……」
「いや、優しくはないです。助けることができるのに無視したくないだけです」
「……ありがとうございます」
「いえ……ところで奈美さん、キャットフードかなんか持って来てくれませんか? その餌で釣ってみます」
「はい! わかりました」

 奈美さんは駆け足で去っていく。淡い水色のスカートが揺れていた。
 
 ふぅ、やれやれ……こんなクソ暑い日に、よりにもよって地味で大変な仕事が舞い込んでくるなんて、なんて日だ。
 早いところ、暗闇に隠れた猫ちゃんを救出して、涼しいエアコンが効いた部屋で、ゆるふわんっと麦茶でも飲みたいよ。
 
「ニャ~、ニャ~」

 それにしても猫ちゃんはよく鳴く。
 そして暗くて狭いところが好きだ。
 きっとネズミなんかの獲物がいると思っているのだろう。
 しかし猫ちゃん、皮肉なことにそんなところにネズミなんかいやしないよ。
 そんなにお腹が空いているのなら、猫ちゃんの好きなキャットフードを持ってくるから待っててね。
 
「お待たせしました~、んっしょ、んっしょ」
「え、袋ごと持って来たんですか……」
「あ、すいません、どれだけいるかわからなくて、焦ってしまいました……」
「……大丈夫ですよ、あはは」
「すいません、忙しい探偵さんにこんなこと頼んでしまって、この前も行方不明の老人が見つかったってニュースやってましたよ。あの事件は探偵さんが解決したんですよね……すごいなぁ」
「え、なんで知ってるんですか?」
「あ、すいません。探偵さんの事務所にマスコミが来てたとき、耳に入ってきちゃいました……」
「そっか……マスコミはすぐ騒ぐからね」
「はい、探偵さんカッコよかったですよ。だから、うちの猫を助けるなんて、何でも屋さんみたいなこと頼んで申し訳ないです。こんなこと飼い主が責任持てよって感じですよね……」

 お姉さんは照れ臭そうに微笑んだ。
 可愛いらしいその仕草に、フォローせざるを得ない。

「そんなことはありませんよ。俺は奈美さんの笑顔が見れたらそれで十分ですから……あ、もちろん猫ちゃん探しは無料です」
「えっ! 無料でいいんですか? それなら、せめて私の部屋でお茶でも飲んでいってください。実家から届いたお菓子もあるんです。若福のどら焼きですよ」
「……若福のどら焼き……じゃあ、おじゃましようかな」
「はい……」
 
 おや? 奈美さんの顔が赤くなったぞ。
 自分で言うのもなんだけど、お姉さんは俺に気があると見た。
 ああ、このマンションの一階に探偵事務所を構えて正解だった。
 こんなにも綺麗な女性が住んでいるんだもんな。
 見ているだけで幸せこの上ない。

 この建物は築二十年は経っている物件だった。
 だけど、水回りは新しい設備にリフォームされている。
 それになんといってもペット可の物件だ。
 俺も探偵の仕事が安定したら、猫ちゃんを飼おうかなあ。
 そしたら、奈美さんとも猫ちゃん繋がりで、もっと仲良くなれるかも。むふふ。
 
 思えば、奈美さんとはゴミ出しのときに知り合った。
 このたび一階に事務所を構えることになった探偵です、と言って挨拶をしたら、若いのにすごい! なんて驚いていたっけ。俺は、別にそんなに若くないっす、もう二十六ですから、アラサーですよ、あはは、と気さくに返事をした。すると、奈美さんが、私は二十四です、探偵さんはお兄さんだったんですね、と言ってにっこり笑った。
 その笑顔がなんとも言えないほど可愛くて、綺麗で……。
 ああ、俺もやっと彼女ができるかもしれない、という淡い期待があふれていたのは、つい先週のことだ。
 
 まぁ、そういう経緯があって、俺は無報酬で猫ちゃん探しをしているのだ。
 これからの甘い展開を奈美さんと二人で、いや、一匹、二匹と予想して。 

「ニャ~」

 おお! その前に猫ちゃんを助けないとな。
 俺はてきとうにキャットフードの袋から餌をすくった。
 何粒か予備としてジャケットのポケットに入れ、手元に残った粒を握りしめ、そのまま側溝に手を突っこんだ。
 そして、思いきり腕を伸ばした。
 
「にゃ~、ペロペロ」
「お? きたきたきた!」

 猫ちゃんが俺の手を舐めてやがる。うひょひょ、くすぐったい。
 この舐められる感触……た、たまらん……ああ、よしよし、そんなにお腹が空いているのなら、今、食べさせてやるよ!
 
「えい!」

 俺はすばやく握っていた手を広げて、猫ちゃんの首根っこを捕まえた。かなりの手応えがあった。
 
「ギャーギャー」

 猫ちゃんはこの世の終わりみたいに叫んで暴れまくっている。
 こわい、こわい……猫ちゃんを怒らすと引っ掻かれる。それだけが嫌なんだ。
 でも、もう捕まえたから、すかさず側溝から腕を引きぬいた。
 
「とったどー!」

 俺は高らかに猫ちゃんを掲げた。炎天下の太陽の光りが、キラキラと俺と猫ちゃんに降り注いでいた。
 お姉さんは、よかったと言って満面の笑みを浮かべながら拍手している。
 そんなに喜んでくれるなんて、本当に猫ちゃんを助けてよかった。
 
「やったー! ありがとうございますっ探偵さんっ」
「いえいえ、当然のことをしたまでです」

 さぁ、猫ちゃん御主人様のふかふかおっぱいに抱かれるがいい……。
 俺はそんなことを思いながら、奈美さんの差し出された両腕に猫ちゃんを持っていった。
 すると突然、猫ちゃんが暴れだした。体にべっとりと泥水がついていたので、俺の手は滑った。
 
「にゃー!」
「わ! ちょっと待て!」

 猫ちゃんは俺の手から、するりと逃げ出した。向かった先は車の往来が激しい道路のほうだった。
 危ない! 俺はとっさに猫ちゃんを追いかけた。
 
「ふぅ……よかった」

 幸いにも、猫ちゃんはちょうど車がいなくなったときに道路に入っていった。
 道路は片側二車線の国道だ。
 車の往来がないのは、たまたまタイミングよく離れたところの信号機が赤になったからに過ぎない。
 すぐに猫ちゃんを回収しないと危険なことは明白だった。

「はぁ……急に飛び出すなんて、猫ふんじゃったではすまされないぞ」

 そんな俺の心境なんて、猫ちゃんはまるで知らずに、悠々と道路を歩いている。

 すると引かれた白い破線の辺りで、ぺたりと座って毛づくろいをしている。
 今までずっと排水溝に溜まった泥水の中にいたのだ。
 綺麗好きな猫ちゃんはすぐに日光浴をしてその汚れた毛を乾かしたいのだろう。

 俺はそろりと駆け寄ると、猫ちゃんに手を伸ばした。
 しかし猫ちゃんは俺の手を、するりするりと交わしやがる。まったく困った猫ちゃんだな。
 
「おい! クソ! 大人しくしろっ」

 猫ちゃんを捕獲するため悪戦苦闘している。
 と突然、なんと呆気なく猫ちゃんが自分から、ぴょん、と俺の腕に飛び込んできた。
 
「なんだ、良い子じゃないか、よしよし」

 なんて言って俺は、ほっと胸をなで下ろした。その瞬間だった。
 
 ブーッブーッッ!
 
 強烈なクラクッションが響いた。その音のほうを振り向くと、
 
「うわぁぁぁっぁあっぁ!」

 猛スピードで走るトラックが、猫ちゃんを抱いた俺に向かって突進していた!
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

幼なじみ三人が勇者に魅了されちゃって寝盗られるんだけど数年後勇者が死んで正気に戻った幼なじみ達がめちゃくちゃ後悔する話

妄想屋さん
ファンタジー
『元彼?冗談でしょ?僕はもうあんなのもうどうでもいいよ!』 『ええ、アタシはあなたに愛して欲しい。あんなゴミもう知らないわ!』 『ええ!そうですとも!だから早く私にも――』  大切な三人の仲間を勇者に〈魅了〉で奪い取られて絶望した主人公と、〈魅了〉から解放されて今までの自分たちの行いに絶望するヒロイン達の話。

ギルドから追放された実は究極の治癒魔法使い。それに気付いたギルドが崩壊仕掛かってるが、もう知らん。僕は美少女エルフと旅することにしたから。

yonechanish
ファンタジー
僕は治癒魔法使い。 子供の頃、僕は奴隷として売られていた。 そんな僕をギルドマスターが拾ってくれた。 だから、僕は自分に誓ったんだ。 ギルドのメンバーのために、生きるんだって。 でも、僕は皆の役に立てなかったみたい。 「クビ」 その言葉で、僕はギルドから追放された。 一人。 その日からギルドの崩壊が始まった。 僕の治癒魔法は地味だから、皆、僕がどれだけ役に立ったか知らなかったみたい。 だけど、もう遅いよ。 僕は僕なりの旅を始めたから。

無能なので辞めさせていただきます!

サカキ カリイ
ファンタジー
ブラック商業ギルドにて、休みなく働き詰めだった自分。 マウントとる新人が入って来て、馬鹿にされだした。 えっ上司まで新人に同調してこちらに辞めろだって? 残業は無能の証拠、職務に時間が長くかかる分、 無駄に残業代払わせてるからお前を辞めさせたいって? はいはいわかりました。 辞めますよ。 退職後、困ったんですかね?さあ、知りませんねえ。 自分無能なんで、なんにもわかりませんから。 カクヨム、なろうにも同内容のものを時差投稿しております。

スキルスティール〜悪い奴から根こそぎ奪って何が悪い!能無しと追放されるも実はチート持ちだった!

KeyBow
ファンタジー
 日常のありふれた生活が一変!古本屋で何気に手に取り開けた本のタイトルは【猿でも分かるスキルスティール取得法】  変な本だと感じつい見てしまう。そこにはこう有った。  【アホが見ーる馬のけーつ♪  スキルスティールをやるから魔王を倒してこい!まお頑張れや 】  はっ!?と思うとお城の中に。城の誰かに召喚されたが、無能者として暗殺者をけしかけられたりする。  出会った猫耳ツインズがぺったんこだけど可愛すぎるんですが!エルフの美女が恋人に?何故かヒューマンの恋人ができません!  行き当たりばったりで異世界ライフを満喫していく。自重って何?という物語。  悪人からは遠慮なくスキルをいただきまーーーす!ざまぁっす!  一癖も二癖もある仲間と歩む珍道中!

異世界に転移した僕、外れスキルだと思っていた【互換】と【HP100】の組み合わせで最強になる

名無し
ファンタジー
突如、異世界へと召喚された来栖海翔。自分以外にも転移してきた者たちが数百人おり、神父と召喚士から並ぶように指示されてスキルを付与されるが、それはいずれもパッとしなさそうな【互換】と【HP100】という二つのスキルだった。召喚士から外れ認定され、当たりスキル持ちの右列ではなく、外れスキル持ちの左列のほうに並ばされる来栖。だが、それらは組み合わせることによって最強のスキルとなるものであり、来栖は何もない状態から見る見る成り上がっていくことになる。

(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」

音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。 本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。 しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。 *6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。

異世界で買った奴隷が強すぎるので説明求む!

夜間救急事務受付
ファンタジー
仕事中、気がつくと知らない世界にいた 佐藤 惣一郎(サトウ ソウイチロウ) 安く買った、視力の悪い奴隷の少女に、瓶の底の様な分厚いメガネを与えると めちゃめちゃ強かった! 気軽に読めるので、暇つぶしに是非! 涙あり、笑いあり シリアスなおとぼけ冒険譚! 異世界ラブ冒険ファンタジー!

ごめんみんな先に異世界行ってるよ1年後また会おう

味噌汁食べれる
ファンタジー
主人公佐藤 翔太はクラスみんなより1年も早く異世界に、行ってしまう。みんなよりも1年早く異世界に行ってしまうそして転移場所は、世界樹で最強スキルを実でゲット?スキルを奪いながら最強へ、そして勇者召喚、それは、クラスのみんなだった。クラスのみんなが頑張っているときに、主人公は、自由気ままに生きていく

処理中です...