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第4章 クラブ編

16 ソフィアとの別れ

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  俺の心中では若干の戸惑いがあった。
  
  彼女はちゃんとソフィアに戻っているのだろうか?
  
  俺はここは辻褄を合わせて話すしかないなと思った。
  
「ソフィア、大丈夫だよ。さっき、おじいさんと話したから全てわかったよ」

「あ、はい。私も聞いてました……」

「え?  ソフィアも話が聞こえてるの?」

「はい。コンクールの時は気絶してましたけど、今回の転生は意識がありました」

「なんか今回は何か違うみたいだね……」

「はい、ミサオのおかげだと思います」

「え?  俺のおかげ?」

「はい、ミサオの作曲した音楽を聴いていたら、理由はわかりませんが、私の知らない出来事が記憶として頭の中に浮かんできたんです」

「ん?  それは、どんな記憶?」

「おじいちゃんの記憶でした。赤ちゃんのときの私を抱いている父親がいました」

  揺れるレースのカーテン。
  
  暖かい春の花が香る英国風の部屋。
  
  漆黒のヘビシュタイン・コンサートピアノ。
  
  温もりを感じるベビーベット、父親に抱かれた乳飲み子。
  
  ソフィアの脳裏で蘇るモルガンの幸せな記憶。

「そうしたら、おじいちゃんが頭の中で話しかけてきたんです」

  あ!  もしかして!

  俺は直感でソフィアが続けて何を言おうとしているのかわかった。
  
「「一緒に弾こう……」」

  俺とソフィアは同じ言葉を同時に発した。
  
  俺たちは可笑しくなって微笑み合う。
  
「私、ミサオのことが好きです。これからもずっと……」

「俺もソフィアが好きだ。もちろんずっと、これからもずっと!」

  ソフィアは俺を真剣な眼差しで見つめながら話す。言葉を選んでいるようだ。
    
「でも……。ごめんなさい。ミサオとはしばらく会えません。いつまた会えるかどうかもわかりません……」

「え……?  ほんとに?」

「はい……」

  ソフィアは、潤んだ瞳でミサオを見つめる。
    
「それでも私のことを、ずっと待っていてくれますか?」
    
「……」
    
  俺は沈黙してしまった。
  
  そんな放心状態の俺を見て、ソフィアは笑った。

「なんてね……。嘘ですよ、安心してください!」
  
  ソフィアの綺麗な細長い指が俺の頬に触れる。
    
  そして、キスを交わす。
    
「じゃあね。グッバイ」

  踵を返して立ち去ろうとするソフィアに、
  
「ま、待ってくれ!」

  俺は必死に叫んだ。
  
  ソフィアは立ち止まる。
  
「あ、おじいちゃんが最後にもう少し話したいって……」

  そう言って、瞳を閉じて深呼吸をすると、心を無にして肩の力を抜く。
  
  再び開かれた瞳は、先ほど話していたソフィアの温厚な眼差しとは異質だった。
  
  得体の知れない魔力を宿しているかのように鋭い視線が俺に向けられている。
  
  そして、ソフィアの艶のある赤い花の蕾のような口が開いた。
  
「やあ、君の音楽のおかげでソフィアの意識に相転移することができた。心から礼を言う。ありがとう」

「へ?  あ、どういたしまして……。ん、そうてんい?」

  ソフィアの可愛いらしい声とは裏腹な科学的用語に、俺は困惑を隠せない。
  
  モルガンであるはずのソフィアは、ニヒルな微笑を浮かべ俺に語りかける。

「そして、これはあくまでも予測の段階だが……。また君の力が必要になるかもしれない」

  な、何を言ってるんだ?
  
  俺は蜘蛛の糸にも縋る思いでたずねた。

「えっと……。それはいつですか?」

「うむ……。まだわからない……」

  モルガンは首を横に振ってから話を続ける。

「しかしながら、この世界の現象はすべて計算可能な物理現象で成り立っている」

「どういうことですか?」

「うむ」

  うなずくソフィアであるはずのモルガンは、路肩に落ちていた空き缶を拾った。

「例えば、今から投げるこの空き缶の着地点は、初速度、発射角度、風向きなどを計算することによって、目で見なくても着地点を算出することができる」

  そう言って俺の方を見ながら、手首を鞭のようにしならせた。
  
  放り投げられた空き缶が宙を舞う。
  
  放物線を描いて……。
  
  ガシャ!
  
  と、気持ち良く音を立てて、歩道に設置してあるゴミ箱へと収まった。

「つまり、君がいずれ能力を開花する可能性が計算で予測されたのさ」
    
「言っていることがよくわかりません」

「まあ、いずれわかるときがくる」

  すると、一台の車が二人の近くに停車した。
  
  英国風のクラシックカーがテールランプを点滅させている。
  
  そのビンテージな古き良き時代の車とは裏腹に不気味なほど静かに駆動していた。
  
  俺はこの静寂性に富んだ車を、どこかで見たような気がした。
  
  父さんの車と似ている……?
  
  狐につままれたような信じられない気持ちでなんとか声を絞り出す。
  
「俺の方から会いたくなったら、どうしらいいですか?」

  もう二度と、ソフィアに会えなくなるのではないかと心配で仕方がなかったのだ。

  ソフィアであるはずのモルガンは、クラシックカーの後部座席のドアに手をかけようとしたが躊躇した。
  
  俺に向き直り、頭に人差し指を当てて語りかける。
  
「人は誰でも大切な人の声や奏でた音色を頭の中でいつでも聴くことができるじゃないか。例え、その人の姿や形がこの世から無くなってもな」

  そう、俺に告げると、車に乗り込んだ。
  
  この異質なほど珍しいクラシックカーは、どこから来たのだろう。
  
  訝しむ俺は一体どんな運転手だろうと運転席を覗き込んだ。
  
  ん?
  
  そこには信じられない光景が俺の目に飛び込んできた。
  
  運転手はいなかった。
  
  つまり、このクラシックカーは完全なる自動運転車だった。
  
  驚愕の事実に戸惑いを隠せない。
  
  急いでスラックスのポケットからスマートフォンを取り出す。
  
  画面を素早くスライドさせてカメラモードを起動させる。
  
  急いで道路へと身を飛び出す。
  
  滑らかに駆動して去っていくクラシックカーを後方から動画撮影した。
  
  クラシックカーは、交差点に差し掛かかると左折していった。
  
  道路の真ん中に一人取り残された俺に、冷たい風が吹きつける。
  
  ソフィアのいない世界がどこまでも広がっていくような感覚に陥る。
  
  吹き抜ける風が、この寂しさをどこか遠くへと運んでくれたら楽なのに……。
  
  そう思いながら呆然と立ち尽くす。
  
  そんな俺の姿を路肩から眺めている女がいた。
  
  グレイの長めの裾のカーディガンが風で揺れている。サングラスはもう必要ないので外していた。
  
  ケリーが心配そうに俺を見つめていた。
  
  俺は一歩も動けないでいた。
  
  歩み寄るケリーに気づいたときにはもう遅かった。
  
  涙腺という結界が崩壊して、今にも泣き出しそうだった。
  
  だが、必死堪える。堪えれば堪えるほど、ぐしゃぐしゃな笑顔になる。
  
  なにか言わなきゃ……。
  
「あはは、フラれちゃいました」

  ケリーは何も言わずに俺を正面から抱きしめた。
  
  冷たい風の寒さが、人の温もりで和らぐのを肌で感じた。
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