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第三章 天職はセラピストでした

15 ストーカー 12/23 昼 (シリアス)

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 ギシ、ギシ、ギシ……。
 
 軋む椅子の音が部屋に響く。
 巨体の重みで、椅子の背もたれが斜めに歪んでいる。
 机の上はモニター画面が並べてあり、キーボードには手垢がこびりついていた。
 
「はぁ、はぁ、はぁ……」

 マウスを操作する杉山康弘すぎやまやすひろは、荒い呼吸をしながらクリックをする。
 複数あるパソコンの画面には、為替の値動きを表すチャートが映し出されている。
 杉山は投資をしていた。資産を増やしている。だが莫大な利益が獲得できる影には、いつだって損失は避けられない。損切りラインになったら電光石火で取引を停止する。それが鉄則だ。
 よってパソコンの画面から離れなれない。まさに金が金を呼んでいた。
 そんな並べられた画面の一つに『サロン・ド・テラ』というサイトが映っていた。メンズアロマの店だ。蝋燭が灯された室内に、白い煙が漂うトップページだった。

 カチッ……。
 
 画面の表示が変わる。セラピストの紹介ページに飛んだ。
 映し出されたのは絶世の美女。ネームには立花理音と書いてある。
 
 ガッ!
 
 杉山は拳を机に叩きつけた。
 
「クソっ! なんで僕が出禁になるんだ!」

 うぅ、ぐぬぬ……と唸りながら、またギシ、ギシ、と椅子を軋ませる。
 
 ガッガッ!
 
 さらに机を殴り続ける。
 
「僕を……僕を覚えてさえいなかった……」

 うぅ、うぐ……と唸りつつ、画面をジッと見つめている。
 仮想空間で笑う理音の顔に、自分の顔を近づけ肉薄させる。杉山は、ギラッと目を剥がした。体はガクブルに震え、マウスに触れた指先が小刻みに、カチカチと音を立てる。画面は飛んで予約表になった。
 もちろん理音の予約はいっぱいだ。それでも再来月の予約表には、まだ空白があった。
 杉山は急いで予約を取ろうとログインする。卓越した指さばきでキーボードを弾いてアカウントを入力した。だがいくらパスワードを打ち込んでもログインできない。パサコンの画面には『エラー』という赤い文字が浮かんでいる。
 
「クソぉぉぉ! 僕のアカウントを停止しやがったな!」

 杉山はボサボサの頭を搔きむしった。
 ふと、昨日、来店した時にカルテを作ったことを思い出す。住所や氏名などを入力し身分証明書まで提示した。さらに顔写真まで撮られた。徹底的に個人情報を抜かれた。そして施術を受け、会計を済ませて店を出る直前に、こんな紙をもらった。
 それは通告書だった。
 
『本日、セラピストの私生活に関わろうとしたことは不合理なものであり、お断りをしています。また、今後、弊社が経営するすべての店舗へのご来店をお断りします』
 
 グシャグシャグシャグシャグシャ!
 
 杉山は通告書を丸めて壁に投げつけた。転がった紙屑をさらに踏みつける。
 
「君はこんな子じゃない……君はこんな子じゃない……」

 頭を掻きむしる。過去の記憶に飛ぼうとしていた。
 
 君は……君は……。
 
 君は僕のアイドルだった!
 
 校舎の窓から眺めていた。
 君はいつも友達と一緒に登下校していた。
 滅多に笑うことがない君だけど、その友達には気を許しているようだ。
 一日に一回でもいいんだ。
 君の笑顔が見られたら僕は幸せだった。
 つまらない高校生活も君のおかげで、随分と楽になった。
 学校の授業も僕にとってはレベルが低すぎて退屈なものなのだ。
 だけど君の髪、首筋、肩、胸、腰、尻、足を見ているだけで幸せな気分になった。
 僕は君を見ているだけでよかったんだ。
 君と話をするなんて、とんでもないことだ。
 なぜなら僕はブサイクで太っていて醜いからだ。
 こんな僕と話をしていたら不快になるに違いない。
 クラスメイトから気持ち悪いと思われるだろう。
 僕は君を遠くから見ている。本当に好きだからだ。
 君に告白する男子がいるようだが、ざまぁみろと思った。
 あいつらは所詮君の身体が目当てだろう。僕にはわかる。
 君は誰とも付き合うつもりはないだろう。僕にはわかる。
 君はきっと虐められた経験があるだろう。僕にはわかる。
 君は僕と似ている。
 愛想笑いができなくて、地味で鈍感で主体性もないんだ。
 僕には君のことがすべてわかる。
 
 それなのに……それなのになぜだ?

 どこかで君は変わってしまった?

 僕は君がわからなくなった。
 
 なぜこんなところで働いている?
 
 知らない男たちの身体を触って金を稼ぐなんて!
 
 ガンッ!
 
 我に返った杉山は、激しく両手を机に叩きつけ、跳ねるように立ち上がった。
 するとその勢いで椅子が後方に弾かれた。まるで親に突き放された子どものように、椅子はくるりとそっぽを向いた。自分のようだった。
 すると、部屋をノックする音が、トントンと聞こえた。
 なんだっ? と杉山が乱暴に尋ねると、お昼ご飯だけど……という虫の羽音ような声が鳴った。母親の声だった。
 そして、置いておくね、と告げると、母親は下の階に降りていった。
 荒い呼吸をしている杉山はゆっくりと扉を開けると、視線を下げた。冷たい床にはトレイが置かれてあった。そこには白飯、味噌汁、漬物、焼き鮭、が載っていた。

「またこれかよ……くそっ! 刑務所の飯の方が豪華だぜ」

 杉山はトレーを部屋の中に引きずり込み、バタン! と扉を激しく閉めた。下の階で、ひっ、という悲鳴が上がった。仕方なく、椅子を立て直して飯を食べながら、杉山はしみじみ思った。
  
 ここから抜け出さなければ……そうしなければ俺はどんどん腐っていくだろう。

 食事中、喉が乾いてきた。ふと、飲み物がないことに気づく。
 
「あのクソババァ……」
 
 杉山は立ち上がり、ウォーターサーバーのコックをひねって紙コップに水を注ぐ。
 ゴボ、ゴッポ、とタンクに空気が入る音が鳴る。コックを閉めて水を止める。水の入った紙コップを口に運ぶと、一気に飲み干した。
 
 グシャ!
 
 持っていた紙コップを潰してゴミ箱に放り投げるが、アウト。
 床を見ると、虚しく転がるゴミが床いっぱいに散乱しているが、杉山は全然気にしない。部屋がどれだけ汚くなろうが知ったことじゃないという顔をしている。自分の部屋という自覚もない。平気なものだった。
 なぜなら杉山が部屋にいない間に点検を兼ねて母親が掃除をするからだ。
 俺がバカなことをしてないかどうか確認するためだろう……ここは監視された部屋も同然だ。
 と杉山は思っている。
 だから部屋にウォーターサーバーがあることを母親は知っている。それは父親が契約したものだった。杉山は父親の書斎から勝手に自分の部屋に運んできた。父親からは何も咎められなかった。
 それも当然だ。父親は家にはいないからだ。別の家に住んでいる。
 杉山はレンタカーを借りて、父親を尾行したことがあった。父親はもう四十代のおじさんのくせに綺麗な女を助手席に乗せていた。年齢は杉山と同じぐらいの二十代前半の女だった。もしかしたら同級生かもしれない。二人はアパートに入っていった。おそらく女の住居だろう。銭あれば木仏も面を返す。男はおじさんになっても、金さえあれば良い女を抱けるらしい。
 
 飯を食べ終わった杉山は、ふと、机の引き出しの鍵を解錠し開けた。ここだけは母親に見られるわけにはいかない。そんな引き出しだった。中には黒光りした切っ先が現れた。
 昨日通販で購入し、今朝配送されたサバイバルナイフだ。いや、正確にいうと購入者は杉山ではない。母方の祖父だ。自分の足はついていなかった。祖父は老人ホームに入居している九十歳の卒寿だ。杉山は祖父のことを、じじい、と呼んでいた。
 
 じじいは足が悪いし認知症が進行していて買い物ができなかった。だが母親やら親戚など他の家族はみんなじじいを放ったらかした。じじいはみんなから嫌われていたようだった。
 昔、何かあったらしいが杉山には興味がなかった。
 だがじじいがあまりにも可哀想なので慈悲で、変わりに買い物をしてやった。
 スーパーで食料品やら衣類やらを買って届けてやった。
 じじいは泣いて喜んでいた。だがボケてしまっていて杉山にお金をくれなかった。杉山は老い先短いじじいに請求もせず、ただ黙って見つめた。どうせボケている。何をいっても無駄だろう……だったら……。
 
 じじいが寝静まったところで、家の中を物色した。
 少しくらいお金があるだろうと思ったのだ。するとタンスの引き出しの中に貯金通帳があった。拝見したところ預貯金は百円しか入金されてなかった。正直、苦笑せざるを得なかった。闇夜に笑う杉山の顔が月夜に照らされいた。
 まぁ、何かに使えるかもな、と思い、丁寧に傍らにあった判子と一緒に拝借した。
 杉山は、たった百円かよ、雀の涙だな、といって笑っていたが……。
 
 おや?
 
 よくタンスの奥の方を調べてみると……。
 引き出しに細工がしてあった。
 
 バギッ!
 
 はまっていた木枠を壊してみると、そこから飛んでないものが出てきた。
 帯のついた札束が出てくるわ、出てくるわ……!
 そんな現金があるなんて母親はおろか誰も知らないだろう。
 もっとも祖父は家族全員から嫌われていたから教えるわけがない。

 一体なんのために、じじいはこんな大金溜め込んでたのか? 

 杉山には意味不明だった。
 
 まぁ、唯一頭の中にかすめたのは、ばばあのためのお金か? 

 と杉山は思った。
 だが祖母は二年前に他界していた。
 一人っ子の母は、なぜかじじいが嫌いだから全く実家に寄り付かない。するとじじいの記憶がボケ始めた。サッと吹いた風で舞い散る落ち葉のように、その一切が消えていった。所謂、認知症だった。
 精神年齢が子どもになっていた。口調や行動が幼稚園児ぐらいな印象を受けた。当然、日常生活がままらなくなり、介護度が一気に跳ね上がった。すると速攻でじじいの老人ホーム行きが決定した。
 しかし相変わらず母はまったく実家には寄り付かない。老人ホームに顔を見せにすら行かない。
 だから杉山は、未だじじいのために買い物を代行してやっているわけだ。

「だが、しかし、じじいよ……物騒な物を買ってしまったなぁ」

 なんていって、杉山はほくそ笑んだ。
 金ならいくらでもある。衝動買いしてしまった。お気に入りのメンズアロマの店から出禁宣告されてむしゃくしゃしていたからだ。心が闇に染まり、あの店をめちゃくちゃしてやりたい気持ちで溢れていた。その欲求を満たすためのアイテムを色々と通販で購入していたのだ。
 今の時代は、インターネットで何でも買えた。本当に便利な時代だ。手錠、目隠し、黒いつなぎ、グローブ、ブーツ、スカルマスクを手配した。杉山はバカではない。イケナイことだが犯罪に関しての才能があった。
 引き出しの中には、パスポートと旅行券もあった。犯行に及んだその足で、海外に逃亡するつもりだった。
 日本はアメリカと韓国しか犯罪人引き渡し条約を結んでいない。つまりその他の国にいって永住権を取得すればいいわけだ。その権利すら金さえあれば買えた。自由は海の向こうにあった。
 この世の中の大抵のことは金で解決できると杉山は学習していた。
 子どもの頃は、自然に落ちている石ころやどんぐりを拾えば満足できた。
 だが、大人になったら財布を持っていなければ何も手にいれられない。
 人間が作り出した虚構の上で生活をしていると……人間が、いや、動物が本来もっている価値観が消滅する。
 大人になった杉山は、ネット環境さえあればどこでも稼げた。雨風が凌げる場所と電気とスマホとコーラさえあれば十分だった。日本にこだわる必要は全くなかった。英会話も幼少時の英才教育のおかげで身についていた。どこの世界でもやっていける自信があった。そのための資金だってある。
 とりあえずチェコに行く手筈だ。
 ヨーロッパで民宿経営でもしてスローライフするつもりだ。
 だが、その前に……その前にだ……。
 この溜まった愛憎を爆発させてやりかった!
 
「君とはもう店では会えない……店では会えないなら……」

 金で解決できないなら、力でなんとかするしかない!
 僕を好きじゃない君が悪いんだ。
 君が僕を助けてくれるしかないんだ。
 僕を止められるのは君だけだ。

 なんとかしてくれよ!
 
 遠くを見つめる杉山は、穴が空いたように黒くて空虚な目をしていた。
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