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第三章 天職はセラピストでした
1 転職して天職につこう
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雲が流れて消えていく。
理音は遠くの方を見る目で、ぼんやりと窓の外を眺めていた。
正座していた太ももの上で猫のラムが、
「にゃ~」
なんてあくびしている。なんとも呑気なやつ。
リビングのラグの上には、洗濯物がたたんである。
最後のタオルを、ふわんっとたたみ終わった理音が、
「あぁ……」
と甘いため息をつく。
頭の中で思っていることは、ローマの夜……。
ああ、隼人さん……なんで私にキスなんかしたの?
理音はそっと右手の指先を唇に触れる。
あの感触、あの柔らかい膨らみ、キスの味……。
恋をしていた。
だが理音にはまだその自覚はない。
ぼんやりと窓の外を眺めながら、隼人のことを思うばかり。
これが好きという気持ちなのか……それもまだわからない。
ただ隼人とのキスが忘れられなくなっていた。
もう一度……キスしたいなぁ……と思っていた。
すると……。
ガチャ!
「ただいま~」
母親の信子が帰ってきた!
にゃ~と鳴いたラムは素早く玄関に向かった。この家の主人は誰なのかよくわかっている。
理音も急いで階段を駆け上がって部屋に戻る。
椅子を引いて机に向かって腰を下ろす。姿勢を正し、ボールペンを持って履歴書に自分の名前を記入する。
トントン!
扉がノックされ、続いて信子が扉を開けて顔だけ、ぬっと出してきた。
「理音、洗濯物たたんでくれてありがと~」
「いいよ~」
「若福のどら焼き買ってきたから一緒に食べない?」
「はーい、これ書いたら下にいく~」
理音は相変わらず腕を動かして、真剣に履歴書を記入している。
信子はそれを見て、ふーん、やってるようね、と呟く。
だがそれは騙されている。偽りである。理音は履歴書を使うつもりはない。
転職活動をやってますよ~とアピールしているにすぎない。
なぜなら、今どきの転職活動は履歴書を手書きで作成しない。
ネットにある転職サイトにアカウントを作って登録するのが主流だ。
そこにあるエントリーシートと一緒にウェブ履歴書を作成する。
だから手書きの履歴書は必要ない、というわけだ。
そのウェブ履歴書には個人情報と顕在能力を示すデータを記入する。
顕在能力とは目に見える力のことで、修了した学科や免許や資格などだ。
一方、潜在能力というのは目には見えない力のことだ。
だが就職や転職活動ではそういうことは深く問われない。
理音は、実は手に触れた人を癒したり強化できるという不思議な能力を持っている。
だがそんなものは書類審査には関係ない。
企業はそういうところは見てはいない。そんな人間がいるとも思っていない。
では企業が何を転職者に求めているかといえば、それは即戦力だ。
資格があるか?
魅力あふれる人物かどうか?
顔やスタイルが良くて会社に置きたいかどうか?
そういう目に見える力だけを判断して採用、または不採用を決めている。
そうかといえば、書類審査をしない転職先もある。
それは企業とはいえない、個人で経営する会社などだ。
理音はセラピストになりたいので、リラクゼーションサロンに転職したいと思っていた。
ところが……。
いざ、セラピストの職種に狙いを定めて検索をかけてみたところ。
正社員の採用があまりにも少ないことに気づいた。募集している求人はバイトやパートが多かったのだ。
これはどういうことか?
詳しくネットで調べてみると、次のようなことだった。
サロンに雇われているセラピストは個人事業主として業務委託契約している場合がほとんどで、一般的なバイトや社員との大きな違いは成果報酬であり完全歩合制だということだった。例えば、朝10時から夜7時までサロンに常勤していたとしても一日中お客様の来店が無ければ報酬はなし。逆にたくさん客が来れば、バイトや社員よりも多く収入が得られる。そういう仕組みらしい。
理音は母親から、あんた正社員になりなさいよ! ときつくいわれていた。
そのため、なかなか就職できる会社がなかった。
あったとしても、大手企業のエステサロンだった。そこは高級ホテルの中や大規模な商業施設のテナントに入っている。所謂、意識高い系のOLやセレブ妻のようなお金持ちをターゲットにしぼったサロンだった。そういうサロンはしっかり正社員採用を募集していた。福利厚生もばっちりだ。これはいいと思い、理音は試しにエントリーシートを応募してみた。
結果……。
書類審査を通過し面接までこぎつけた。
「やった!」
理音はタンスの肥しになっていたリクルートスーツを引っ張り出して、いざ面接会場まで足を運ぶ。
ところが……。
面接で落ちた。
どうやら、理音がノーメイクだったことがダメだったらしい。
面接官の男性から、
「美容を売りにするサロンなので、メイクもろくに出来ない女性はいらない」
といわれ、理音は頭にきて、
「メイクを強制する会社なんてこっちからお断りします!」
といって面接会場を後にした。
理音は帰り道で拳を握りしめた。悔しかったのだ。
せっかくローマ旅行でチート能力を開花できたのに活かすことができない。
その能力とは、触れた者を癒したり強化したりする魔法の力だ。
理音は自分の両手のひらを見つめながら嘆く。
「この力さえ見せれば採用されるはずなのに……まさか面接の段階で落とされるなんて……うぅっ、世の中は甘くない……」
こんな感じで、まったく就職先がみつからない理音だった。
理音は遠くの方を見る目で、ぼんやりと窓の外を眺めていた。
正座していた太ももの上で猫のラムが、
「にゃ~」
なんてあくびしている。なんとも呑気なやつ。
リビングのラグの上には、洗濯物がたたんである。
最後のタオルを、ふわんっとたたみ終わった理音が、
「あぁ……」
と甘いため息をつく。
頭の中で思っていることは、ローマの夜……。
ああ、隼人さん……なんで私にキスなんかしたの?
理音はそっと右手の指先を唇に触れる。
あの感触、あの柔らかい膨らみ、キスの味……。
恋をしていた。
だが理音にはまだその自覚はない。
ぼんやりと窓の外を眺めながら、隼人のことを思うばかり。
これが好きという気持ちなのか……それもまだわからない。
ただ隼人とのキスが忘れられなくなっていた。
もう一度……キスしたいなぁ……と思っていた。
すると……。
ガチャ!
「ただいま~」
母親の信子が帰ってきた!
にゃ~と鳴いたラムは素早く玄関に向かった。この家の主人は誰なのかよくわかっている。
理音も急いで階段を駆け上がって部屋に戻る。
椅子を引いて机に向かって腰を下ろす。姿勢を正し、ボールペンを持って履歴書に自分の名前を記入する。
トントン!
扉がノックされ、続いて信子が扉を開けて顔だけ、ぬっと出してきた。
「理音、洗濯物たたんでくれてありがと~」
「いいよ~」
「若福のどら焼き買ってきたから一緒に食べない?」
「はーい、これ書いたら下にいく~」
理音は相変わらず腕を動かして、真剣に履歴書を記入している。
信子はそれを見て、ふーん、やってるようね、と呟く。
だがそれは騙されている。偽りである。理音は履歴書を使うつもりはない。
転職活動をやってますよ~とアピールしているにすぎない。
なぜなら、今どきの転職活動は履歴書を手書きで作成しない。
ネットにある転職サイトにアカウントを作って登録するのが主流だ。
そこにあるエントリーシートと一緒にウェブ履歴書を作成する。
だから手書きの履歴書は必要ない、というわけだ。
そのウェブ履歴書には個人情報と顕在能力を示すデータを記入する。
顕在能力とは目に見える力のことで、修了した学科や免許や資格などだ。
一方、潜在能力というのは目には見えない力のことだ。
だが就職や転職活動ではそういうことは深く問われない。
理音は、実は手に触れた人を癒したり強化できるという不思議な能力を持っている。
だがそんなものは書類審査には関係ない。
企業はそういうところは見てはいない。そんな人間がいるとも思っていない。
では企業が何を転職者に求めているかといえば、それは即戦力だ。
資格があるか?
魅力あふれる人物かどうか?
顔やスタイルが良くて会社に置きたいかどうか?
そういう目に見える力だけを判断して採用、または不採用を決めている。
そうかといえば、書類審査をしない転職先もある。
それは企業とはいえない、個人で経営する会社などだ。
理音はセラピストになりたいので、リラクゼーションサロンに転職したいと思っていた。
ところが……。
いざ、セラピストの職種に狙いを定めて検索をかけてみたところ。
正社員の採用があまりにも少ないことに気づいた。募集している求人はバイトやパートが多かったのだ。
これはどういうことか?
詳しくネットで調べてみると、次のようなことだった。
サロンに雇われているセラピストは個人事業主として業務委託契約している場合がほとんどで、一般的なバイトや社員との大きな違いは成果報酬であり完全歩合制だということだった。例えば、朝10時から夜7時までサロンに常勤していたとしても一日中お客様の来店が無ければ報酬はなし。逆にたくさん客が来れば、バイトや社員よりも多く収入が得られる。そういう仕組みらしい。
理音は母親から、あんた正社員になりなさいよ! ときつくいわれていた。
そのため、なかなか就職できる会社がなかった。
あったとしても、大手企業のエステサロンだった。そこは高級ホテルの中や大規模な商業施設のテナントに入っている。所謂、意識高い系のOLやセレブ妻のようなお金持ちをターゲットにしぼったサロンだった。そういうサロンはしっかり正社員採用を募集していた。福利厚生もばっちりだ。これはいいと思い、理音は試しにエントリーシートを応募してみた。
結果……。
書類審査を通過し面接までこぎつけた。
「やった!」
理音はタンスの肥しになっていたリクルートスーツを引っ張り出して、いざ面接会場まで足を運ぶ。
ところが……。
面接で落ちた。
どうやら、理音がノーメイクだったことがダメだったらしい。
面接官の男性から、
「美容を売りにするサロンなので、メイクもろくに出来ない女性はいらない」
といわれ、理音は頭にきて、
「メイクを強制する会社なんてこっちからお断りします!」
といって面接会場を後にした。
理音は帰り道で拳を握りしめた。悔しかったのだ。
せっかくローマ旅行でチート能力を開花できたのに活かすことができない。
その能力とは、触れた者を癒したり強化したりする魔法の力だ。
理音は自分の両手のひらを見つめながら嘆く。
「この力さえ見せれば採用されるはずなのに……まさか面接の段階で落とされるなんて……うぅっ、世の中は甘くない……」
こんな感じで、まったく就職先がみつからない理音だった。
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