きっと彼女はこの星にいる

花野りら

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第四章 この星に彼女がいることを知る

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 事務所の机に座り、書類の整理をしていたが、ふと気づくと手が止まっていた。なかなか焦点が定まらない目を、ただぼんやりと虚空に向けているだけになっている。これでは仕事が、ちっともはかどらない。
 目を閉じて浮かんでくるのは、真里の笑顔、佐野家にあった遺体、あかねちゃんの悲しそうな横顔、それらのすべてが嘘だったかのように、頭のなかを巡る。
 
「今日、あったことは現実だったのかな?」

 そんな虚しさのなかで、かすかに猫の鳴き声が聞こえる。
 
「おや? また猫ちゃんが脱走したか?」

 窓のほうを見ると、思ったとおり猫のシルエットが影になって映っていた。
 やれやれ、なんてぼやきながら、窓を開けてあげる。
 にゃ、と泣いた猫が事務所のなかに入ってきた。この猫、たしか名前はリンちゃんだったな。奈美さん、またゲージを開けたままにしてゲームをしているんだろう。
 
「まったく、どいつもこいつも」

 今日は本当に不思議な日だ。身の回りで起きる現象が、本当にわけがわからない。おかしなことばかりだ。
 事務所のソファで丸くなる猫は、優雅にあくびなんかしているし、まったく。
 
「のんきなもんだぜ……」

 すると、玄関の扉が開く。
 南風とともに、爽やかに揺れる髪をかきわけながら、一人の女性が入ってきた。黒いワイドパンツを穿きこなし、足もとは夏のミュールをひっかけている。上を見ると、薄手の白いニットは大きなおっぱいを強調させつつも、お腹にインしたきちんと感で、上品かつ綺麗にまとめている。所謂、ビジネスカジュアルという格好だ。見るからに、ファッション雑誌から飛び出てきたようなモデルさん、田中奈美、彼女はおしゃれなお姉さんだが、しゃべると天然がバレるからそこだけ。人の前では気をつけてほしいものがある。まぁ、本人はまったく気にしていないだろうけどな。
 
「すいません、またリンちゃんが……」
 
 奈美さんは頭を下げる。と同時にソファにいる猫を発見して、あっと声を上げた。
 
「んもう、リンちゃん、こんなところにいて……」
「あはは、別にいいですよ、うちは」
「なんか、すいません」
 
 笑って奈美さんを見つめている間でも、猫は相変わらずのんびりと丸くなっている。膝を曲げて猫をなでる奈美さんは、ポツリと漏らす。

「もしかして、リンちゃんも探偵さんのことが好きになったのかな?」

 ん? いま、なんて言った? また天然ボケか?
 
 あまりにも奈美さんの声が小さいから、上手く聞き取れなかった。首を傾けつつも俺は、開けていた窓を閉める。ふと、気になってきたのは、あかねちゃんのことだ。いま何をしているのだろうか。サヨナラ、なんて意味深なことを言って出て行ったけど、そのまま消えていたら、漫画みたいで、なんともウケる。
 
「奈美さん、あかねちゃんは? 勉強でもしてますか? いや、学習か」
「それが……」

 急に歯切れが悪くなった奈美さんは、猫をぎゅっと抱きしめると話をつづけた。
 
「実家に帰りましたよ」
「え? 帰ったって……京都にですか?」
「はい。これ以上ここにいたらマズい……とか言って血相を変えて出ていきました」
「どういうことですか?」
「さぁ、何なんでしょうか? わたしにはさっぱり……でも」
「ん?」
「探偵さんのことが原因なのかな、とは思います」
「えっ? 俺?」
「うふふ、女の感です」

 ふーん、帰ったのか……。
 ツンデレ美少女あかねちゃん。君のやることは、ホントに俺の心を揺らしてくるぜ、まったく、心なしかイライラする。寂しいってわけじゃない。別に今日会ったばかりの十四歳の少女に、なんでこの俺が動揺しなくちゃならないんだ? わけがわからない。しっかしろ、和泉秋斗、俺は探偵になって、やっと行方不明だった彼女を見つけだし、さぁ、これから仕事を頑張っていこう! そういうところなんだぞ。だから、未成年のあかねちゃんに恋なんかしてる場合ではないんだ。忘れよう。今回のことはいい勉強になった。好きだという気持ちは、年齢なんか関係ないんだ。そのことがわかっただけでもよかった。そう思うことにして、仕事に集中しよう。
 
 不適な笑みを浮かべる奈美さんは、猫を抱いたままソファに座る。太ももの上で、猫は気持ちよさそう伸びをする。可愛らしい猫の毛並みをなでながら、奈美さんは唐突に尋ねてくる。

「さて、探偵さん。すべての謎は解けましたか?」
「ん? 事件は解決したよ。無事に失踪していた彼女を見つけ、家に届けました」
「それはよかったですね。でも……謎はそれだけでしょうか、他に気になることがあるんじゃないですか?」
「いや、特に……なにもないが」
「嘘、探偵さんは、なぜ気絶したのか?」

 奈美さんの言葉にドキッとした。
 たしかに、まだこの謎を解き明かしてはいない。だが、この謎を解くと、記憶が戻ってしまい、この世界が消える可能性があると、あかねちゃんから宣告を受けていたことを思い出す。したがって、謎を解いて大丈夫なのだろうかと不安になるのだが、どうしたものか。
 
「でも、あまり詮索するとさ、あかねちゃんが困るみたいなんだよなあ」

 奈美さんは、目を細めると両手を軽く掲げる。

「では、別に謎を解く必要はないんじゃないかしら」
「というと?」
「推理ではなくて、仮説で空想すればいいんですよ」
「えっ? つまり、推理ではなく、推量をしろと」
「はい、この世界はゲームだと仮定すればいいのですよ」
「な……なに? ゲーム?」
「そう、つまり仮想現実です」
「仮想現実……この世界がか? ふむ、なるほど」

 乾いた口のなかで息を飲む。
 一瞬だけ時の流れがスローになったような、そんな感覚があった。
 奈美さんは猫をなでていた手を止めると、俺のほうを見つめながら微笑を浮かべている。エメラルドグリーンの猫の瞳も、ジッと俺を見つめ、まるで、謎を解けと言わんばかりの顔を見せる。真夏の陽炎のような謎だったが、この世界、星、宇宙、万物そのものすべてが仮想現実だと仮定して、推量してみると、果たしてどうなるだろうか。
 
 猫を助けたあとに起きた奇妙な気絶。
 スマホに保存された匿名の情報、メモボイス、メモ帳のデータ。
 佐野健の死体、十年間の記憶を喪失した真里の出現。
 そして、不思議な天才美少女、田中あかね。
 
 そもそも、なぜ、これらの現象は、ほぼ同時に起きたのだろうか?
 なぜ、これらの現象は、相互に関係しあっているのだろうか?
 
 この謎は解けそうにないが、空想するだけならできる。
 よって、こんな仮説を立てる。

 もしも、気絶した俺がどこか別の仮想空間に飛んでいたとしたら? 

 すべての謎は、一気に解き明かすことができる。

 つまり、こういうことだ。

 仮想空間で、俺、あかねちゃん、真里、佐野健、が出会い、身の上話を語っていた。

 それらのことを、あかねちゃんはスマホに記録していた。

 やがて、俺が気絶から戻ったと同時に、みんなも元の生活に復帰した。

 だが、その間の記憶はすべて喪失していた。

 そして、もしも記憶を取り戻した者同士が、この現実世界で接触するとバグが発生し、この世界が消えてしまうとしたら、どうなるだろうか。

 勘が冴えるあかねちゃんたけがスマホのデータを見つけ、俺のために行動していたとしたら……。

 いや、いや、まったく、バカみたいな推量だ。
 
 そんな空想をするが、しかし……。

 メモボイスに録音された二人の女性のうち、一方の女性が誰なのか? まったくわからない。
 
 大人になった真里に、優しい口調で刑事のような聴取をする可愛い声の謎の人物……。

 いったい、誰なのだろうか?

 さらに空想をするが……いやいや、本当にバカげたものだと思える。
 なぜなら、気絶したとき、俺は猫のリンちゃんを抱えていたからだ。

 ということは……どういうことが空想できるかな?

 にゃ、と鳴く猫の声が響く。まるで、私ですよ、と言わんばかりの顔を見せる。

「まさかね……」

 すると、奈美さんは一息吐くと立ち上がった。
 抱いていた猫がまた鳴く。サヨナラと告げているような、そんなふうに聞こえる。いやいや、猫が人間になるなんて、そんなことはありえない……。
 
「とりあえず、探偵さんの名刺をください」
「ん? いいけど」

 ジャケットの内側から財布を取り出し、一枚の名刺をぬくと奈美さんに渡してあげる。
 
「じゃあ、ここのSNSに祇園にあるうちの店のサイトを送信しときますね」
「祇園? たしか奈美さんの実家は京都だっけ?」
「はい」
「なぜ? 俺に実家を教える? 意味がわからないんだが」

 名刺を指にはさんだ奈美さんは、うふふと笑みを浮かべながら猫を抱き直し、
 
「追いかけるんでしょ? お姉ちゃんを」

 と、楽しそうに答えた。くねくねと踊る猫のしっぽは、なにやら俺のことを試しているように見えた。
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