きっと彼女はこの星にいる

花野りら

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第四章 この星に彼女がいることを知る

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 開け放たれた扉からは、オレンジ色の明かりが漏れていた。
 豪邸に入ってすぐ目に飛び込んでくるのは、豪華なシャンデリア。吹き抜けのホールに吊るされていて、いらっしゃいとお出迎えをしてくれる。久しぶりに森下邸に来たけれど、いつも高級品から睨まれているような気がして、どうも落ち着かない。壁の絵画や花が生けられた巨大な花瓶など、思わず触れて壊してしまったらどうしようか? なんて不安になってしまう。立派なものに囲まれた生活。人間、欲を求めると、こうなってしまうのかな。

 なんとも荘厳な歓迎を受けた俺は、とりあえず靴を脱いでスリッパに履き替えた。踏み込む足は紅絨毯に吸い込まれ、まるで芝生の上を歩いているような感覚を抱く。
 
 奥の部屋に進むと、中庭が優雅に望むことができるリビングとなっている。キッチンに立つ家政婦さんが、俺に向かってお辞儀をしてくれるのもいつものことだ。
 俺はリビングで立ち尽くすと、すぐに気がつくことがある。ここは庶民の俺とは住む世界が違うなってことが。現代社会の貴族という世界が広がっている。
 ふと、カウチに座る真里を見ると、ティーカップを啜っていた。その傍らには恭子さんと祖母の和代さんが、泣きながら笑っていて、真里が生きて帰ってきたことに小躍りしている。
 
「よかった、よかった……」

 そう連呼する二人は、真里の肩や膝を触ったりしている。まるで生存を確認しているみたいに。ティーカップを置く真里は、ウザそうに眉根を寄せて言った。
 
「んもう、いいからゆっくり紅茶を飲ませてよ」
「ああ、おかわりね」

 すると、恭子さんが両手を掲げる。
 パンパン、と手を叩くと乾いた音が部屋に響く。すると、家政婦さんがポットを持ってきて、ティーカップにセピア色の紅茶を注ぐ。ほんわかと湯気が漂うところから、熱いことが窺える。
 この殺人的な真夏日に、熱々の紅茶を飲むなんて、貴族以外の何者でもない。ばっちりと冷房が効いた部屋は、夏の暑さを忘れさせるものがある。こんな部屋にずっといたら、季節感なんてなくなってしまうだろうな。
 
 それと気になることがある。恭子さんの手紙では、祖父母の介護が大変だって書いてあったけど、まったくそんなことはなさそうだな、と疑った。むしろ、恭子さんが養ってもらっているほうだろう。俺にどんなイメージを持たせたかったのだ? 森下恭子さん。
 
「和泉くん、ワインは赤でいいか?」

 横を振り向くと、清さんは大きなグラスを片手に持ってくゆらせている。

 え? もう日常に戻った感じか?
 
 十年ぶりに真里が戻ってきたわけだが、特に大した変化はなく。自分の生活スタイルは変えられないと言わんばかりに、清さんはワインを口に含む。
 
「ううん、潤沢な香り、ほのかな酸味がいいね~、どう和泉くんも飲むかい?」
「え? 俺は……」
「真里が見つかったお祝いだ、飲もうじゃないか」
「あ、すいません、車なんです」
「ん? 少しだけならいいだろう?」
「ん~、マズいと思いますが……」
「そう、かたいことを言わんで、さあ」

 困ったな、と俺が思っていると、和代さんの叱りつけるような声が響く。
 
「おじいさんっ、ダメですよ、わがままを言って」
「ぐ……たまには誰かと飲みたいんじゃが……」
「ダメですよ」

 和代さんは冷たい表情から一変して微笑むと「あ、和泉さん気にしないでくださいね」とつづけてくれるものの、清さんは残念そうに肩をすくめるばかり。俺は、「あはは」と笑って返しておく。
 そのとき、チャイムの音が鳴り、訪問者が来たことを告げる。
 
「誰だ?」

 清さんが首を傾けると、モニター画面をのぞいて確認する。

「ん? 五十嵐刑事じゃないか……和泉くん、一緒に捜査を?」

 迷ったが、「真里を発見したことは知っています」と答えておく。ここで変なことは言えない。
 
「まぁ、とにかくあがってもらえ」

 清さんの一声で家政婦さんの足が動く。
 しばらくすると、のっそりと足を引きずる五十嵐さんが現れた。
 くたびれた帽子をとり、手元で折り曲げるとお尻のポケットにねじ込む、その仕草から察するに、日常と非日常の境界線を引こうとしている様子が窺える。
 
「いやあ、暑い暑い、今夜は熱帯夜になりそうですね」

 微笑む五十嵐さんはそう言って、手の甲で額の汗を拭う。
 
 ここまで歩いて来たのだろうか? 
 
 いや、それはない、路肩に車を停めてあり、もしかすると他の警察官もいるかもしれない。
 背筋に冷たいものを感じた。冷や汗が流れる。
 内心では、真里の痕跡が佐野家から見つかったのではないかという不安で頭がいっぱいになる。五十嵐刑事がここに来た目的は、俺と真里を重要参考人として連行するためだとしたら……どうしようか。
 そんな懐疑的な視線を五十嵐さんに送ることしか、今はできない。
 だが、そんな不吉な予感は見事に的中してしまう。五十嵐さんがおもむろに下げた袋から取り出しものが、とんでもないものだったからだ。

「これ、真里さんのかい?」

 ポーチだ。
 白い布製の材質で、十代の少女が持つに相応しいものだった。
 顔を上げた真里が、あっと声を上げて指を差す。
 
「それ、わたしのっ!」
 
 五十嵐さんは肩をすくめ、話しにくそうに後頭部を掻いた。
 だが、決心がついているようで、ゆっくりとした口調で語り出す。

「佐野健さんがお亡くなりになりました」

 五十嵐さんの言葉に衝撃が走る。
 雷が落ちたかのように真里が、わっと泣き出したかと思うと、大粒の涙をこぼしながら、
 
「パパ……」

 と肩を落として哀惜の念を漏らす。
 
 まさか……。

 まさか、佐野が真里の父親だったなんて、まったく思いもよらなかった。衝撃の事実に愕然としていると、五十嵐さんが淡々と語り出す。
 
「本日の昼、佐野家を伺ったところ、健さんの遺体を発見しました。心からお悔やみを申し上げます」

 頭を下げる五十嵐さんの目は、刑事たる審美眼が備わってるように見える。語り口調もまた、流麗とした説明だった。
 
「死因は縄による絞殺、つまり、自殺として監察医のほうが処理をしました。いま遺体は安置所のほうにありまして……その、御家族である真里さんに、身元の引き受けをしてもらいたく、この度は伺った次第でございます」

 真里は黙ってうなずく。
 肩は震え、むせび泣く声は裏返っていたが、やがて静かに立ち上がると小さな声で話す。
 
「ママも……くるでしょ?」

 伏し目がちな恭子さんは、ゆっくりと首を横に振る。
 
「わたしは……もうあの人とは……会えない」

 拳を作った真里は、怒鳴り声とともにソファを殴りつけている。周りにいる俺たちは黙って見ているしかなかった。その悲憤の吐口は、やがて母親である恭子さんに向けられていく。 

「喧嘩してるのは知ってたけど、離婚するなんて酷いよ」
 
 顔を上げた恭子さんは、げんなりした様子で真里を見据えると、奇怪な笑い声を発する。
 
「何を言ってるの真里、あの人はあなたを誘拐したのよ。思い出しなさい」

 目が血走っている真里は、もういつ恭子さんに飛びかかってもおかしくない形相で怒鳴りつける。
 
「パパじゃない! パパは誘拐なんてしてない!」

 世界が腐りそうな、そんな破滅的な予感がした。俺の腕は頼りなく、力がまったくはいらない。
 真里を迎えにいった佐野家が、まさか真里の父親の家だったなんて思いもしなかった。真里の父親は妻の姓に変えるという珍しい人だったのだ。そんな衝撃的な事実を受け止めるのに、俺の頭はオーバーヒートしている。

 やはり、俺は爪が甘い。真里の失踪事件にたいして、父親を疑うことはしなかった。真里の父親は恭子さんと離婚したあと、森下家で見かけたが、すぐ泣くばかりで、とても真里を誘拐しているとは思えず、まったくノーマークだったのだ。
 
 日本の女性のほとんどが夫の姓に変更する。だが、森下家の場合は、母親の姓を名乗っていた。おそらく、真里の父親は森下の名家というブランドが欲しかったのだ。そして、真里を誘拐したのは、離婚するなら真里を連れていくという脅しの道具に利用するつもりだったのだろう。その可能性が高い。

 だが、そんな監禁生活が十年間もつづくというのは、狂気な世界だ。正気の沙汰とは思えない。真里は父親の家で、のんびり生活をしていたとでもいうのだろうか? いや、それはさすがに違うな。匿名情報の画像にあったとおり、真里はどこか中国などの海外に移り住んでいたのかもしれない。そして、最近になって帰国した。

 それでも腑に落ちない点がある。せっかく自由なのに、また佐野家に戻ってしまうなんて、真里はいったい何を考えているのだろうか? 何かがおかしい。よほど、真里は父親を愛しており、佐野健を犯罪者にさせることを防ぎたかった。そういうことなのか? ううん、わからない……。まったくわからないが、とにかく真里は佐野家に戻ったあと父親、佐野健の自殺を目撃した。そして、気絶して記憶喪失になったのだ。

 いやはや、今頃こんな推理をしても、なにもかもが遅い。
 
 すべてあとの祭り。

 なぜ俺は、父親の姓が変わったことを確認しなかったのだ。

 ちょっと調べればわかることなのに、なんて俺はバカなんだ……。

 バカすぎる結末に、唖然とする。自分を自分でぶん殴りたくなる。

 すると、真里は俺のほうを向くと、泣き腫らした目をして、

「和泉くんごめん、今日は帰って」

 と断腸の思いで、俺との縁を切ってくる。やっと真里を見つけたというのに、すぐに失うというのか。

 もう守ってあげなくても、いいのかい? 
 
 口からは、否定の言葉しかでない。

「え、でも……」
「それと、私の彼氏は高校生の和泉くんであって、あなたではないわ」
「……そう、なのか?」
「うん、ごめんね」
 
 それからは、何も言い返すことができなかった。黙って首を縦に振ったあと、玄関へ向かう。重たい扉を開け放つと、外はもうすっかり夜の帳が降りていて、満月の光りが優しく街を照らしていた。
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