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第三章 人類は忘却と虚構で成り立っていることを知る
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いつからだろうか。
車の運転が当たり前にできるようになったのは。
免許を取ったのは大学に入学するときだから、もう八年も前になる。時が経つのは早いもので、今では車のスピードも速いほうが好きだ。
いつものドライブは、追い越し車線をカッ飛ばしている。特にこんな天気の良い青空の日なんかは、窓を開けて風になったように走っている。
そんな俺だが、今日は安全運転を心がけていた。
愛車に人を乗せているのだ。時速は法定速度以下。左車線をひたすらゆっくり走っている。こんな日が来るなんて夢みたいだ。自分でも笑ってしまう。
なぜなら、今日は奇跡が起きた。
なんと、行方不明になっていた彼女が見つかったので、一緒にドライブしているのだ。手がかりを提供してくれたのは出会ったばかりの美少女、田中あかねだ。
ううむ、いま切実な悩みがある。
助手席で車窓を眺める田中あかね、君さえいなければ、青空の下、このまま真里と二人でデートでもしたい気分なのに、どうしたものか。
どこでもいいからさ、逃げよう……。
そんなラブストーリーが始まりそうな予感がしていたのに。
だが、それは叶わぬ願い。真里には問題があったのだ。
答えだけ言うと頭脳と身体が合っていない。所謂、統合失調症の疑いがある。その症状は、現実と非現実の境界線が曖昧になってしまうことだ。つまり、彼女は自分の妄想と現実の差が分からなくなってしまっている。
説明すると、年齢は二十五歳の大人の女だが、頭脳は十五歳のまま身体だけ成長しているという、頭脳と身体がアンバランスな現象が起きている。簡単に言うと、記憶喪失というやつだ。
もっと正確に言うと、十年間の監禁生活を丸っと覚えていないらしい。だが、真里は特にショックを受けている様子もなく、淡々と監禁にいたる経緯を話し出した。その内容はスマホに保存されたメモボイスとまったく同じであったが、唯一、異なる点を挙げるとすれば、口調が真里本来の若い子っぽい感じなことぐらいか。
真里に質問を投げかけるあかねちゃんは十四歳、真里の精神年齢は十五歳ということもあり、非常に相性が良さそうにお喋りをしている。なんとも微笑ましいものがある。女子トークというものは、時に男子はハブられる。
真里は、監禁とかマジでありえない、とか、なんでこんな中華っぽいコスプレさせられているのか、と嘆いている。
一方、あかねちゃんは訝しむ真里をなだめるように、怖かったね~、とか言って話を合わせている。適当な相槌をするところがあるのは否めない。最終的に、真里は今回の失踪事件のことを、こんなふうに結論づけた。
「拉致られたあとのことは、よく覚えていないなあ」
そう言った真里は、スマホを操作してもいいかとあかねちゃんに尋ねた。あかねちゃんは、いいよと言って許可すると、つづけてネットを見てみなよ、と促す。
真里は指先でスクリーンをなぞり、浮遊するニュースや投稿動画などを閲覧し始めた。もちろん、十年間社会の情報を遮断されていたブランクがあるので、初めのうちは驚愕していたが、突然、目を輝かせた。動画サイトに自分の好きだったアニメを発見したようだ。
「うわぁ、最終回になってる……リアルタイムで見たかったな。ねぇ、あかねちゃん、これ見てもいい?」
「ああ、いいよ」
「わーい、ここ押せばいいの」
「うん、もし広告を飛ばしたかったら、このスキップを押せばいいよ」
「わかった~、へぇ、こんなちっこい画面なのにめっちゃ綺麗だね」
「きゃはは、だろ? 真里ちゃんが監禁されていた十年間でスマホはすごい進化を遂げたんだよぉ」
「ちょっとぉ、あかねちゃん、監禁とか言わないでよ。ショックなんだからさ」
「ごめん、まぁ、アニメでも見て忘れなよ」
「うん」
真里はスマホをいじくって動画の視聴を始めた。すると、車内の懐かしいアニメのオープニングミュージックが流れる。
「おお!」
真里の歓喜の声が漏れる。真里ってポジティブな性格なのだな、と思った。というのも、当時の俺と真里は付き合って一ヶ月も経っていなかったのだ。大人になった俺からしたら、真里は完全に子どもに見える。
それだけに、これからどう扱っていいものか、その判断に困ってしまう。愛していたはずなのに、なぜか不安が募る。
俺は大人になってしまったということなのかな。
忘却に揺れた自分に笑ってしまう。事件は解決し、晴れやかな気持ちになるはずなのに、記憶を失った真里との辻褄があわせられない。近づくが遠くに感じる。愛していると言えるのか、愛していたと言えるのか、その思いは揺れる。ただ、涙を流す心情だけは知っているようだ。
車の運転が当たり前にできるようになったのは。
免許を取ったのは大学に入学するときだから、もう八年も前になる。時が経つのは早いもので、今では車のスピードも速いほうが好きだ。
いつものドライブは、追い越し車線をカッ飛ばしている。特にこんな天気の良い青空の日なんかは、窓を開けて風になったように走っている。
そんな俺だが、今日は安全運転を心がけていた。
愛車に人を乗せているのだ。時速は法定速度以下。左車線をひたすらゆっくり走っている。こんな日が来るなんて夢みたいだ。自分でも笑ってしまう。
なぜなら、今日は奇跡が起きた。
なんと、行方不明になっていた彼女が見つかったので、一緒にドライブしているのだ。手がかりを提供してくれたのは出会ったばかりの美少女、田中あかねだ。
ううむ、いま切実な悩みがある。
助手席で車窓を眺める田中あかね、君さえいなければ、青空の下、このまま真里と二人でデートでもしたい気分なのに、どうしたものか。
どこでもいいからさ、逃げよう……。
そんなラブストーリーが始まりそうな予感がしていたのに。
だが、それは叶わぬ願い。真里には問題があったのだ。
答えだけ言うと頭脳と身体が合っていない。所謂、統合失調症の疑いがある。その症状は、現実と非現実の境界線が曖昧になってしまうことだ。つまり、彼女は自分の妄想と現実の差が分からなくなってしまっている。
説明すると、年齢は二十五歳の大人の女だが、頭脳は十五歳のまま身体だけ成長しているという、頭脳と身体がアンバランスな現象が起きている。簡単に言うと、記憶喪失というやつだ。
もっと正確に言うと、十年間の監禁生活を丸っと覚えていないらしい。だが、真里は特にショックを受けている様子もなく、淡々と監禁にいたる経緯を話し出した。その内容はスマホに保存されたメモボイスとまったく同じであったが、唯一、異なる点を挙げるとすれば、口調が真里本来の若い子っぽい感じなことぐらいか。
真里に質問を投げかけるあかねちゃんは十四歳、真里の精神年齢は十五歳ということもあり、非常に相性が良さそうにお喋りをしている。なんとも微笑ましいものがある。女子トークというものは、時に男子はハブられる。
真里は、監禁とかマジでありえない、とか、なんでこんな中華っぽいコスプレさせられているのか、と嘆いている。
一方、あかねちゃんは訝しむ真里をなだめるように、怖かったね~、とか言って話を合わせている。適当な相槌をするところがあるのは否めない。最終的に、真里は今回の失踪事件のことを、こんなふうに結論づけた。
「拉致られたあとのことは、よく覚えていないなあ」
そう言った真里は、スマホを操作してもいいかとあかねちゃんに尋ねた。あかねちゃんは、いいよと言って許可すると、つづけてネットを見てみなよ、と促す。
真里は指先でスクリーンをなぞり、浮遊するニュースや投稿動画などを閲覧し始めた。もちろん、十年間社会の情報を遮断されていたブランクがあるので、初めのうちは驚愕していたが、突然、目を輝かせた。動画サイトに自分の好きだったアニメを発見したようだ。
「うわぁ、最終回になってる……リアルタイムで見たかったな。ねぇ、あかねちゃん、これ見てもいい?」
「ああ、いいよ」
「わーい、ここ押せばいいの」
「うん、もし広告を飛ばしたかったら、このスキップを押せばいいよ」
「わかった~、へぇ、こんなちっこい画面なのにめっちゃ綺麗だね」
「きゃはは、だろ? 真里ちゃんが監禁されていた十年間でスマホはすごい進化を遂げたんだよぉ」
「ちょっとぉ、あかねちゃん、監禁とか言わないでよ。ショックなんだからさ」
「ごめん、まぁ、アニメでも見て忘れなよ」
「うん」
真里はスマホをいじくって動画の視聴を始めた。すると、車内の懐かしいアニメのオープニングミュージックが流れる。
「おお!」
真里の歓喜の声が漏れる。真里ってポジティブな性格なのだな、と思った。というのも、当時の俺と真里は付き合って一ヶ月も経っていなかったのだ。大人になった俺からしたら、真里は完全に子どもに見える。
それだけに、これからどう扱っていいものか、その判断に困ってしまう。愛していたはずなのに、なぜか不安が募る。
俺は大人になってしまったということなのかな。
忘却に揺れた自分に笑ってしまう。事件は解決し、晴れやかな気持ちになるはずなのに、記憶を失った真里との辻褄があわせられない。近づくが遠くに感じる。愛していると言えるのか、愛していたと言えるのか、その思いは揺れる。ただ、涙を流す心情だけは知っているようだ。
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