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第三章 人類は忘却と虚構で成り立っていることを知る
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あかねちゃんと五十嵐さんのやり取りは面白いものがある。
いきなり美少女から年金という言葉が飛び出したので、五十嵐さんは腰を抜かしてソファに深く座り直す。よほど、あかねちゃんに興味が湧いた様子で、さらに質問を投げかけている。
「和泉くんとはどうやって知り合いに?」
「和泉さんはうちの猫を助けてもらったんです」
「ほう……迷子の迷子の子猫ちゃん探しか、和泉くんちゃんと探偵業をやっているね」
はぁ、まぁ……と俺は曖昧な返事をしておく。
あかねちゃんについて納得のいく答えが出たのか、五十嵐さんは麦茶を飲んで一息ついた。コップを持つ手には皺があり、樹皮の模様を思わせた。そんな古木の刑事がなぜうちの探偵事務所を訪ねてきたのだろうか。まぁ、このタイミングで現れるところを察すると、俺が追っている過去の事件を匂わせてはいるが。
「五十嵐さん今日はどうしたんですか?」
「いや、和泉くんもいよいよ独立して事務所を構えたと聞いたから様子を見にきたんだ」
「それはありがとうございます。で、どうですか?」
「うん、駅前から徒歩五分、リフォームされて清潔感のある部屋、おまけにこんな美人な事務員さんがいるなんて最高じゃないか」
「いや、あかねちゃんは事務員ではなくてですね」
「でも、あのお茶出しはプロだったよ」
あかねちゃんは、「恐れ入ります」と言って笑いながら頭を下げる。俺と話すときとキャラが全然違うな。あかねちゃん。
五十嵐刑事は目尻を下げると軽く手を掲げ、また麦茶を飲んだ。ほっと生き返ったように、肩の力を抜いている。
それにしてもまさか、構えたばかりの探偵事務所に、顔を見せに来ただけではあるまい。彼が本当は何しに来たのか、予想がついていたので単刀直入に訊いてみた。
「五十嵐さん、明日で真里が失踪して十年経ちますよ。どうですか、警察のほうは? 何か情報は掴めましたか?」
「いや……」
五十嵐さんは肩をすくめると、首を横に振る。
いつになく疲れているように見えるな。真里が失踪した当時の五十嵐さんはもっと溌剌としていたが、この十年という時間の流れは、いいか悪いかは別にして、五十嵐さんを変えてしまったようだ。そして、思い詰めたように口を開く。
「実は昨日、恭子さんから連絡があった」
やはりか。
恭子さんとは真里の母親のことだ。恭子さんは真里の失踪事件のあと、旦那さんと離婚し、いまは実家で両親と暮らしている。それにともなって、真里が住んでいた家は売りに出され、今では全然知らない人が住んでいる。それが現実である。
そして、恭子さんの手紙にあった内容を察するに、両親の介護が大変らしい。所謂、老老介護になりつつあるようだ。といっても、恭子さんはまだ四十代、真里のお母さんだけあって、熟女のそうゆう色気みたいなものがある。
恭子さんからはたまに、チャットや電話、または手紙が送られてくるが、これは俺たちの言葉で言うと、所謂、かまちょってやつだ。可愛く言うとそんな感じだが、実際は、メンタルヘルスが必要な精神状態と言っても過言ではない。
「俺にも恭子さんから連絡がありましたよ」
「そうか……きっと真里さんをどう法的に扱うかだな」
「おそらく」
「和泉くん、なんて恭子さんに進言するつもりだ?」
「そんなこと決まってます」
五十嵐さんは不適な笑みを浮かべている。
それはベテラン刑事が犯人を捕まえる瞬間の笑みと似たものがあったが、それくらい小さく広角が上がっていた。
「もう少しだけ調査させて欲しいと言うつもりです」
「ほう、その根拠は?」
「匿名の情報ですが、真里に似た人物の画像を入手しました」
「なんだって?」
五十嵐さんはテーブルに手をついて身を乗り出す。まだそんな元気があったのかと思うほど、目を輝かせている。その深い目尻の皺が開き、一瞬だけ十年前の五十嵐さんの顔に若返ったように見える。
「その画像は、いまあるのか?」
「あります」
顔を上げてあかねちゃんを見つめ、スマホを取り出すよう目で示す。いきなり俺と目が合って、あかねちゃんはドキッとした様子で目を逸らす。たまに女の子っぽくなるんだよな。
「あかねちゃん、例の画像を見せてくれ」
「……はい」
あかねちゃんは訝しく、いいのかよ? と言わんばかり顔を見せながら、ススっと歩いて机の上に置いてあったハンドバッグからスマホを取り出す。指先でスクリーンをなぞりながら、またこちらに歩いてくる。指の動きが止まり、画像が表示されたようだ。手に持ったままスマホを五十嵐さんに見せる。
「おお……これが真里さん?」
五十嵐さんが尋ねてくるのも無理はない。
俺だってパッと見は誰かわからなかった。だが、ジッと見ると大人になった真里かもなあ、とおぼろげに高校生の頃の真里と重ねることで、やっと真里の可能性があると判断できるくらいなのだ。当然、真里の高校生のころの写真だけしか見てない五十嵐さんにとっては、この写真を見たところで、首を傾ける他にない。
「綺麗な女性だね。民族衣装を着ているな、なぜかな」
「現段階では何もわかっていません」
「ほう、これは蜘蛛の糸を手繰るような手がかりだな」
「はい、それでもこの写真を手がかりに調査してみます」
「うん、是非がんばってくれ」
「わかりました」
「では、老兵は死なずにただ消え去るとしよう」
「はい。死なないでください。すぐには」
五十嵐さんは、わはは、と笑いながら立ち上がると帽子をかぶる。去りゆくその後ろ姿は、妙にあっさりとしていた。そんな五十嵐さんの引き際の潔さに違和感を覚えた。いつも諦めの悪い刑事。食らいついたら離さない、ハウンドドックとの異名をもつ五十嵐さん。今日の彼は、それらしくないなと思った。
いきなり美少女から年金という言葉が飛び出したので、五十嵐さんは腰を抜かしてソファに深く座り直す。よほど、あかねちゃんに興味が湧いた様子で、さらに質問を投げかけている。
「和泉くんとはどうやって知り合いに?」
「和泉さんはうちの猫を助けてもらったんです」
「ほう……迷子の迷子の子猫ちゃん探しか、和泉くんちゃんと探偵業をやっているね」
はぁ、まぁ……と俺は曖昧な返事をしておく。
あかねちゃんについて納得のいく答えが出たのか、五十嵐さんは麦茶を飲んで一息ついた。コップを持つ手には皺があり、樹皮の模様を思わせた。そんな古木の刑事がなぜうちの探偵事務所を訪ねてきたのだろうか。まぁ、このタイミングで現れるところを察すると、俺が追っている過去の事件を匂わせてはいるが。
「五十嵐さん今日はどうしたんですか?」
「いや、和泉くんもいよいよ独立して事務所を構えたと聞いたから様子を見にきたんだ」
「それはありがとうございます。で、どうですか?」
「うん、駅前から徒歩五分、リフォームされて清潔感のある部屋、おまけにこんな美人な事務員さんがいるなんて最高じゃないか」
「いや、あかねちゃんは事務員ではなくてですね」
「でも、あのお茶出しはプロだったよ」
あかねちゃんは、「恐れ入ります」と言って笑いながら頭を下げる。俺と話すときとキャラが全然違うな。あかねちゃん。
五十嵐刑事は目尻を下げると軽く手を掲げ、また麦茶を飲んだ。ほっと生き返ったように、肩の力を抜いている。
それにしてもまさか、構えたばかりの探偵事務所に、顔を見せに来ただけではあるまい。彼が本当は何しに来たのか、予想がついていたので単刀直入に訊いてみた。
「五十嵐さん、明日で真里が失踪して十年経ちますよ。どうですか、警察のほうは? 何か情報は掴めましたか?」
「いや……」
五十嵐さんは肩をすくめると、首を横に振る。
いつになく疲れているように見えるな。真里が失踪した当時の五十嵐さんはもっと溌剌としていたが、この十年という時間の流れは、いいか悪いかは別にして、五十嵐さんを変えてしまったようだ。そして、思い詰めたように口を開く。
「実は昨日、恭子さんから連絡があった」
やはりか。
恭子さんとは真里の母親のことだ。恭子さんは真里の失踪事件のあと、旦那さんと離婚し、いまは実家で両親と暮らしている。それにともなって、真里が住んでいた家は売りに出され、今では全然知らない人が住んでいる。それが現実である。
そして、恭子さんの手紙にあった内容を察するに、両親の介護が大変らしい。所謂、老老介護になりつつあるようだ。といっても、恭子さんはまだ四十代、真里のお母さんだけあって、熟女のそうゆう色気みたいなものがある。
恭子さんからはたまに、チャットや電話、または手紙が送られてくるが、これは俺たちの言葉で言うと、所謂、かまちょってやつだ。可愛く言うとそんな感じだが、実際は、メンタルヘルスが必要な精神状態と言っても過言ではない。
「俺にも恭子さんから連絡がありましたよ」
「そうか……きっと真里さんをどう法的に扱うかだな」
「おそらく」
「和泉くん、なんて恭子さんに進言するつもりだ?」
「そんなこと決まってます」
五十嵐さんは不適な笑みを浮かべている。
それはベテラン刑事が犯人を捕まえる瞬間の笑みと似たものがあったが、それくらい小さく広角が上がっていた。
「もう少しだけ調査させて欲しいと言うつもりです」
「ほう、その根拠は?」
「匿名の情報ですが、真里に似た人物の画像を入手しました」
「なんだって?」
五十嵐さんはテーブルに手をついて身を乗り出す。まだそんな元気があったのかと思うほど、目を輝かせている。その深い目尻の皺が開き、一瞬だけ十年前の五十嵐さんの顔に若返ったように見える。
「その画像は、いまあるのか?」
「あります」
顔を上げてあかねちゃんを見つめ、スマホを取り出すよう目で示す。いきなり俺と目が合って、あかねちゃんはドキッとした様子で目を逸らす。たまに女の子っぽくなるんだよな。
「あかねちゃん、例の画像を見せてくれ」
「……はい」
あかねちゃんは訝しく、いいのかよ? と言わんばかり顔を見せながら、ススっと歩いて机の上に置いてあったハンドバッグからスマホを取り出す。指先でスクリーンをなぞりながら、またこちらに歩いてくる。指の動きが止まり、画像が表示されたようだ。手に持ったままスマホを五十嵐さんに見せる。
「おお……これが真里さん?」
五十嵐さんが尋ねてくるのも無理はない。
俺だってパッと見は誰かわからなかった。だが、ジッと見ると大人になった真里かもなあ、とおぼろげに高校生の頃の真里と重ねることで、やっと真里の可能性があると判断できるくらいなのだ。当然、真里の高校生のころの写真だけしか見てない五十嵐さんにとっては、この写真を見たところで、首を傾ける他にない。
「綺麗な女性だね。民族衣装を着ているな、なぜかな」
「現段階では何もわかっていません」
「ほう、これは蜘蛛の糸を手繰るような手がかりだな」
「はい、それでもこの写真を手がかりに調査してみます」
「うん、是非がんばってくれ」
「わかりました」
「では、老兵は死なずにただ消え去るとしよう」
「はい。死なないでください。すぐには」
五十嵐さんは、わはは、と笑いながら立ち上がると帽子をかぶる。去りゆくその後ろ姿は、妙にあっさりとしていた。そんな五十嵐さんの引き際の潔さに違和感を覚えた。いつも諦めの悪い刑事。食らいついたら離さない、ハウンドドックとの異名をもつ五十嵐さん。今日の彼は、それらしくないなと思った。
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