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第三章 人類は忘却と虚構で成り立っていることを知る
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「久しぶり、和泉くん」
「ご無沙汰です、五十嵐さん」
渋い声で挨拶をする初老の男性は、穏やかに目を細める。彼は刑事の五十嵐さん、県警に務める正義の味方だ。
すぐに駆け寄ると、応接セットに座るように促す。彼は茶色のスラックスに白い半袖のワイシャツといったラフな格好で、頭には面長の顔によく似合う、モナコハンチングの帽子をのせている。省みるといつもこの帽子をかぶっている気がする。
「暑いねぇ」
「暑すぎますね。どうぞ、座ってください」
「やぁ、ありがとう。よっこいしょっと」
五十嵐さんは、消耗され尽くした身体を動かしてソファに座る。
くたびれた帽子を取って膝の上におく。その頭は、また白髪が増えた印象を受けた。彼は今年で六十歳を迎える定年間近のベテラン刑事。つまりお年寄りだ。いきなり熱中症で倒れてもしたら怖い。
水分補給にお茶でも飲んでもらおうと思い、ソファから立ち上がる。給湯室に行くつもりで顔を向けると、そこにあかねちゃんがいた。何をしているのだろうかと窺うと、冷蔵庫にあった麦茶をコップに注ぎ、こちらに運んで来てくれる。なんて気が利くんだ君は……将来は素敵なお嫁さんになりそうだな。
「どうぞ」
あかねちゃんはにっこり笑うとテーブルにコップを置く。丁寧に手のひらまで添え、飲んでくださいと言わんばかりの可愛らしいアピールまでしている。五十嵐さんはコップを持つと、あかねちゃんを見つめ礼を言う。
「ありがとう。お嬢ちゃん気が効くねぇ」
「恐れ入ります。暑いので水分補給はマメに摂ってくださいませ」
「おお、御丁寧にどうも……」
五十嵐さんは麦茶を一口含んでから、俺に目配せすると尋ねてくる。
「あの和泉くん、こちらのお嬢さんは?」
「ああ、こちらは……」
と俺が言いかけたところで、五十嵐さんは手を挙げて遮った。急にどうした?
「あ、待ってくれ、推理させてくれ……」
「推理? あかねちゃんが何者かをですか?」
「ああ」
「ぜひやってみてください。でもなぜそんなことを?」
「いや、もうすぐ定年だからと言われ、ぜんぜん仕事を回してくれないんだ」
「はぁ……」
「ボケないようにたまには頭を使わないといかん」
五十嵐さんはジッとあかねちゃんを観察する。
あかねちゃんは首を傾げて、にこっと笑う。こんな笑顔は初めて見たな。俺に見せる笑顔とは違って整って見える。所謂、営業スマイルというやつと似ているな。今まで見せたことのない一面。子どもとは言え、女という生き物は色々な顔を持っているようだ。
五十嵐さんは大仰にうなずいてから、ぶつぶつと呪文のように質問してくる。
「和泉くんは一人っ子だったね」
「はい」
「彼女もいなかったよね。ずっと……」
「……はい」
「じゃあ、いきなりこんな美少女をゲットするわけがないなぁ、うーん」
「い……五十嵐さん、この子は……」
「わかった! 事務員さんだ。高校生ならバイトで雇える」
あかねちゃんは「不正解です」と微笑みながら言うと、人差し指を上に向ける。あっち向いて、ホイって感じで吊られた五十嵐さんは天井を仰ぐ。可愛らしい答えが返ってきたので、五十嵐さんは目を剥いた。まるで、突然やって来た孫をあやすみたいな光景だな。
「私は二階に住んでいる、田中あかねと申します」
「あ、どうも。五十嵐です。県警に勤めています」
「刑事さん? なのですか?」
「はい。こんな老いぼれでも頑張ってます。と言っても、今年度いっぱいで定年ですが」
「いえ、まだまだお若く見えますよ。再就職とかは考えてないのですか?」
「……ん、まぁ、色々と声はかけてもらっておりますが」
「働けるうちは働いておいたがほうがいいですよ。六十歳から年金も支給されるので、ダブルで貰えていいじゃないですかぁ。私たちの頃には、たぶんこんな美味しい話はなさそうですよ。あ、でも給料をもらいすぎると年金支給額をカットされるので気をつけてくださいね」
「……え、お嬢ちゃん、よく知ってるね?」
「はい。うちのお婆様から聞きました」
「ご無沙汰です、五十嵐さん」
渋い声で挨拶をする初老の男性は、穏やかに目を細める。彼は刑事の五十嵐さん、県警に務める正義の味方だ。
すぐに駆け寄ると、応接セットに座るように促す。彼は茶色のスラックスに白い半袖のワイシャツといったラフな格好で、頭には面長の顔によく似合う、モナコハンチングの帽子をのせている。省みるといつもこの帽子をかぶっている気がする。
「暑いねぇ」
「暑すぎますね。どうぞ、座ってください」
「やぁ、ありがとう。よっこいしょっと」
五十嵐さんは、消耗され尽くした身体を動かしてソファに座る。
くたびれた帽子を取って膝の上におく。その頭は、また白髪が増えた印象を受けた。彼は今年で六十歳を迎える定年間近のベテラン刑事。つまりお年寄りだ。いきなり熱中症で倒れてもしたら怖い。
水分補給にお茶でも飲んでもらおうと思い、ソファから立ち上がる。給湯室に行くつもりで顔を向けると、そこにあかねちゃんがいた。何をしているのだろうかと窺うと、冷蔵庫にあった麦茶をコップに注ぎ、こちらに運んで来てくれる。なんて気が利くんだ君は……将来は素敵なお嫁さんになりそうだな。
「どうぞ」
あかねちゃんはにっこり笑うとテーブルにコップを置く。丁寧に手のひらまで添え、飲んでくださいと言わんばかりの可愛らしいアピールまでしている。五十嵐さんはコップを持つと、あかねちゃんを見つめ礼を言う。
「ありがとう。お嬢ちゃん気が効くねぇ」
「恐れ入ります。暑いので水分補給はマメに摂ってくださいませ」
「おお、御丁寧にどうも……」
五十嵐さんは麦茶を一口含んでから、俺に目配せすると尋ねてくる。
「あの和泉くん、こちらのお嬢さんは?」
「ああ、こちらは……」
と俺が言いかけたところで、五十嵐さんは手を挙げて遮った。急にどうした?
「あ、待ってくれ、推理させてくれ……」
「推理? あかねちゃんが何者かをですか?」
「ああ」
「ぜひやってみてください。でもなぜそんなことを?」
「いや、もうすぐ定年だからと言われ、ぜんぜん仕事を回してくれないんだ」
「はぁ……」
「ボケないようにたまには頭を使わないといかん」
五十嵐さんはジッとあかねちゃんを観察する。
あかねちゃんは首を傾げて、にこっと笑う。こんな笑顔は初めて見たな。俺に見せる笑顔とは違って整って見える。所謂、営業スマイルというやつと似ているな。今まで見せたことのない一面。子どもとは言え、女という生き物は色々な顔を持っているようだ。
五十嵐さんは大仰にうなずいてから、ぶつぶつと呪文のように質問してくる。
「和泉くんは一人っ子だったね」
「はい」
「彼女もいなかったよね。ずっと……」
「……はい」
「じゃあ、いきなりこんな美少女をゲットするわけがないなぁ、うーん」
「い……五十嵐さん、この子は……」
「わかった! 事務員さんだ。高校生ならバイトで雇える」
あかねちゃんは「不正解です」と微笑みながら言うと、人差し指を上に向ける。あっち向いて、ホイって感じで吊られた五十嵐さんは天井を仰ぐ。可愛らしい答えが返ってきたので、五十嵐さんは目を剥いた。まるで、突然やって来た孫をあやすみたいな光景だな。
「私は二階に住んでいる、田中あかねと申します」
「あ、どうも。五十嵐です。県警に勤めています」
「刑事さん? なのですか?」
「はい。こんな老いぼれでも頑張ってます。と言っても、今年度いっぱいで定年ですが」
「いえ、まだまだお若く見えますよ。再就職とかは考えてないのですか?」
「……ん、まぁ、色々と声はかけてもらっておりますが」
「働けるうちは働いておいたがほうがいいですよ。六十歳から年金も支給されるので、ダブルで貰えていいじゃないですかぁ。私たちの頃には、たぶんこんな美味しい話はなさそうですよ。あ、でも給料をもらいすぎると年金支給額をカットされるので気をつけてくださいね」
「……え、お嬢ちゃん、よく知ってるね?」
「はい。うちのお婆様から聞きました」
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