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第八章 新たなる脅威
3 4月8日 18:25──
しおりを挟む「高級車に乗ってるなんて思わなかった……」
ヨシカは、りゅ先生の横顔を見つめていた。
まさか、俺の車じゃない、といって苦笑するりゅ先生は、黒革のハンドルをさばいて右折する。幹線道路に侵入したレクサスは、グンッと加速していく。
──車の免許持ってたんだ、りゅ先生……。
二人っきり、という空間を実感したヨシカは、ごくりと息をのんだ。かすかに聞こえるクラシックの調べ。車内の静粛性は高く、まるでコンサートにいるかのよう。
静かすぎるくらい軽やかなフルートの響き、気づかないほどに近づいてくる小太鼓の音が、サラウンドスピーカーから奏でられている。
ラヴェルのボレロ──反復される音の安定感が、大人っぽくて落ち着く。
「この車は校長のだよ」
「神楽さんの?」
「ああ、AIから指示があったらしい。探偵を助けろって」
アイが手をまわしていたのね、といってヨシカは納得した。
アイ? とりゅ先生が訊いた。
人工知能の名前よ、とヨシカは答えるとカーナビを指さす。
「で、行き先は?」
「それが不思議なことに、もうナビが決められてあったんだ」
「それもAIがやっているわね、まったく。人間を操るなんて……」
それな、といってりゅ先生がうなずいた。
アイは強いAIかもしれない、といったヨシカは腕を組んだ。
「え? AIに強いとか弱いとかあるの?」
「あるわ」
「どういうこと?」
ヨシカは、ゆっくりとした口調で語りだした。
「人間に与えられたタスクだけをこなす、凡庸性の高い人工知能のことを“弱いAI”、逆に、人間の手から離れても自由に考え、そして行動できる専門性の高い人工知能のことを“強いAI”という」
「えっと……じゃあ、アイは自分で考えて、俺たちを動かしているってこと?」
おそらく、とヨシカは、やや吐き捨てるようにいった。
「人間のような自意識を備え、全認知能力をもつロボット。それが“強いAI”SF映画であるじゃない、地球の環境を破壊する人間なんか機械軍が殺してやるーって」
「ああ、なるほど、よくわかった。でも、そんな技術が現代で可能なのか? 機械が人間を支配するなんて、最低な世界だぜ?」
りゅ先生は尋ねると、ブレーキを踏んだ。
停止したレクサスのフロントガラスからは、赤信号が見える。
ほら、すでに機械に支配されてる、とヨシカはいった。
「くっ、信号が赤だから交通ルールを守っただけだ、俺は……」
「あはは、それにしてもアイはやるわね。神楽校長を懐柔し、車を獲得。おまけにカーナビもハッキングしちゃうなんて」
「神楽校長、タバコ吸ってるときはAIにうるさいっていってたのに、突然、ペコペコ頭をさげはじめたんだ」
「へー、なんで?」
「AIが、上層部にいいますよ、とかなんとかいってたな……」
「なるほど、アイは校長の弱みを握っているわけね」
「でもさ、車のカーナビなんてハッキングできるのか? 技術的に不可能だろ?」
可能よ、とヨシカはいった。
車内のオーディオからは、いよいよボレロが佳境を迎え、オーケストラの重奏が響きわたっている。ヨシカは、まるでマエストロのように指先を、滑らかに動かした。
「ネットワークが安全を保てるのは、暗号化されたセキュリティで個人の仮想空間を守っているから、簡単にいうと、暗号はいわば家の施錠といえるわね」
「うわぁ、泥棒が入ってきたら大変だ」
「ええ、だからみんなで家に鍵をかける。そうやってサイバースペースは秩序が形成されているんだけど、その根底を覆す、新たな脅威がある」
なに? と、りゅ先生は訊いた。
「量子コンピューターよ」
ヨシカは、こめかみのあたりを、トントンと指先でたたいた。頭脳にあるメモリーを引っ張りだそうとしているのだろう。彼女は、やおら口を開いた。
「一般のコンピューターは0か1しかないけど、量子コンピューターは0か1、それと、0でもあるし1でもある状態になれるのだという。つまり、量子コンピューターというのは超次元的な計算力を宿し、どんな暗証番号も秒で解読可能らしい。いわば、魔法の鍵ね」
ドラクエかよ、とりゅ先生がツッコミ。
いや、これはRPGゲームではなくて現実よ、とヨシカはいったあと、クスっと笑った。
「それに加えて、自分自身の力で学習し考え、行動することができる強いAIが完成したら、秩序が守られていた仮想空間はいったい、どうなってしまうのかなぁ……」
「俺たち人間は、安全に暮らしていけるのか?」
「私には予想もつかない」
ヨシカは、肩をすくめた。
──アイは天使なのか悪魔なのか?
今はその判断はできないが、ヨシカの思考は確実に、アイの指示されたほうに向いていた。たえまなく流れる水の力、春の風が木々の葉を揺らすように、彼女の心をかき乱す。
「おそらく、カーナビは温水幸太の家を示していると思う……」
「そうなのか?」
ええ、と答えたヨシカは、車窓に流れる夜景を眺めた。
しばらくすると、車は住宅地に入った。道路が狭くなり、古びた看板や店舗などが目立つ。ここはニュータウンから少し離れた町。いわゆる、アンダークラスの居住区である。
ひっそりとする道路、徐行するレクサス。
ヨシカは、古びた一軒家を見つけた。瓦屋根、引き戸の玄関、丸裸の電球が、ぼんやりと温かみのある光りを宿している。門柱には『温水』の表札が掲げられていた。
「少し離れたところに止めてください」
ヨシカがそう促すと、りゅ先生は、ああ、と答えた。
──おばあちゃんの家っぽい。それに……この家庭的な匂いは、カレー?
くんか、くんか、と鼻をかぐヨシカ。
昔ながらの家に、どこか懐かしさを覚えた。ふと、子どもの頃の記憶を思い出す。祖母からいわれた言葉、『大切な人の役に立ちなさい』を、心に抱いた。
「そうするよ……」
と、ヨシカはつぶやく。りゅ先生が、ん? と顔をあげた。
例の二人が歩いてきた。
ぬこくんと、バニーだ。
ヨシカとりゅ先生は、さっと身を低くした。少しだけ窓を開け、車から降りることなく聞き耳を立てる。二人は、話しながら歩いていたのだ。
「十万円なんて大金、何に使うの?」
「教えるわけないじゃない……恥ずかしい! あんたは黙って金だけ出せばいいのっ」
「まあ、バニーのためなら仕方ないか……友達だもんな」
「……うるさいっ! あんた恐喝されているのに、よくそんな呑気のことがいえるわねっ! バッカじゃないの?」
「恐喝? 俺はバニーがお金に困っているなら助けてあげたい。それだけだよ」
「どこまでお人好しなのよ……あんた……」
「困ってる友達はほっとけない、だろ?」
「……ったく、調子狂うわ、あんたと話してると」
──なんの話をしているのだろうか?
ヨシカは、りゅ先生と顔を合わせた。
「りゅ先生ありがとう、あとは私が尾行します」
二人の会話が、遠くに離れていく。
俺もいく、とりゅ先生がいったが、ヨシカは手のひらを見せた。
「一人のほうがよき……」
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