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第七章 歌声を滅する
4 4月8日 16:10──
しおりを挟むガサゴソ、とたまちゃんはゴミ箱を漁っていた。
すぐ横では、掃除ロボットが寂しそうに沈黙している。
「あったあった」
彼女の手には、小瓶としわくちゃなビニール手袋があった。おもむろに小瓶の蓋を開け、その匂いを嗅ぐ。
「やはり無臭か……」
たまちゃんは、ショルダーバックからケーブルのついた器材を取り出した。超小型のハンディタイプpH計測器だった。数値は11・00を示している。
「強いアルカリ性ね……苛性ソーダか……」
たまちゃんは、くるくるとケーブルを巻きながら、
「あなたの家って工場とかやってない?」
「……やってますけど」
「石鹸、作ってるでしょ?」
「さあ……」
こはるは、目を細めてとぼける
そうですか、といってたまちゃんは、ショルダーバックの中身を整理した。
──シラを切るわけね……。
こはるは堂々としており、逃げる素掘りは、まったく見せない。また決定的に犯人だという証拠があげられてないので、余裕があるのだろう。たまちゃんは、やおら口を開いた。
「バニーにBL本を捨てられたアクシデントはあったけど、逆にそのどさくさに紛れて、この瓶と手袋を捨てたようだけど、甘かったね」
あたしのものじゃないけど……と、下を向いたこはるはつぶやく。
ふぅ、とたまちゃんは一息ついた。
「ロックは休憩時間になると必ずお茶を飲んでいた。そして、お昼休みのときは異常は見られず、五時間目が終わった休み時間に、事件が起きた」
たまちゃんは、人差し指を立て、こはるにさす。
「つまり、ボトルに劇物を入れたのは、五時間目が終わった直後、あなたたち陰キャがロッカーのあたりにいた時間帯に、あなたは犯行におよんだ」
指をさされたこはるは、ビクッと身体を震わせ狼狽えた。
「イクラとシャケがいるのに?」
「BL本に夢中になっているあの二人の目を盗むことは簡単でしょう。そんなものはアリバイにはならない。証拠はあなたの実家、つまり工場のなかにあります」
「え?」
「この液体と、石鹸を製造するときに使われる苛性ソーダの濃度数が一致すれば、こはる、あなたは重要参考人として警察に事情聴取されることになるでしょう」
「……」
こはるは、黙って下を向いた。
一歩だけ、今にも泣きそうな少女に近づくたまちゃんは、
「ねえ」
と、優しい声をかける。
「大人たちにロックとあなたの関係を聞かれることになるわ……それでもいいの?」
こはるは、ぶんぶんと首を振った。
たまちゃんは、ショルダーバッグのなかに手を入れた。
取り出したのはカッターだった。文房具屋で売られているありふれたものだが、こはるにとってはまた自分の手もとに返ってくるとは思っていなかったのだろう。彼女は目を丸くして、カッターを見つめていた。
「これはお返しします」
「なぜ、あなたが?」
たまちゃんと呼んでください、とたまちゃんはいうとカッターを渡した。
受け取ったこはるは、潤んだ瞳でカッターに目を落とす。
「陽キャが憎かった……」
「屋上で、ぬこくんにカッターを渡したのは、こはるちゃん、あなたですね」
いじめられてるぬこくんを助けたくて、と、こはるは答えた。
「でも、なぜあたしだってわかったの?」
「ネイルです」
「え?」
「こはるちゃん、失礼ですがあなたは地味な陰キャですが、そのネイルだけがおしゃれすぎる」
こはるは、まじまじと自分の爪を見つめた。
灰桜、とたまちゃんはささやいた。
「監視カメラの映像に、顔の見えない女子生徒が映っていましたが、爪の色からこはるさんだと確信しました」
「推しの好きな色なの」
そうですか、とたまちゃんはいいながら、バックから透明な袋を取り出した。なかには小袋が密閉されている。こはるは、それをじっと見つめてから、ん? と首を傾けた。
「こはるちゃん、王子の転落について何か知っていることがあったら教えて欲しいのです」
「王子のことは……あたしは何もしていない」
「……このローションに見覚えは?」
「ローション? なにそれ? 知らない……」
「階段が濡れていた形跡はなかったですか?」
「うーん、なかったけど……なに? 王子ってそれが原因で転んだの?」
どうやら、とたまちゃんはうなずいた。
うふふ、こはるは微笑した。
「王子は、その小袋を踏んだんじゃない?」
「なるほど……となると、この小袋は誰かが落としたのか……」
「ローションだっけ? 学校にそんなもの持ってくるのは、陽キャしかいないんじゃない?」
「こはるちゃん……なかなか鋭いですね」
「そうかな……」
「失礼ながらその観察眼、話し方、とても陰キャっぽくない……そのネイルにしても……」
たまちゃんは、そこで言葉を切った。
スマホを取り出し、画像を見せる。そこには、ロックが映っていた。
「ロックの髪の色と似ていますね? こはるちゃんのネイルは……」
「ううっ……」
「こはるちゃん、あなたの推しはロックでは?」
「うわぁぁん」
下を向くこはるは、こぼれる涙を手のこうでぬぐった。
「ロックくんは推しだよ……好きなの……大好きなのっ!」
「──それなのになぜあんなことを……ロックの歌が聴けなくなってもいいの?」
聴かせたくないの、とこはるは答えた。悔しそうに唇を噛んでいる。
「ロックくんの歌は、あたしだけのものなの……」
「え? こはるちゃん、なにを言ってるの?」
「ロックくんはあたしだけのものなの! あたしを、ぎゅって抱きしめてくれたのっ! だからロックくんはあたしのことが好きなの! それなのに……それなのに……」
泣き崩れたこはるは、大きく息を吸って、
「うわぁぁぁ」
と、吐き出した。泣き崩れた顔を手で覆う。
「あたし以外の女のことが好きなら、ロックの歌声はこの世から無くしてやりたかった! だから薬を入れてやったんだ!」
「こはるちゃん、よく聞いて……もし本当に苛性ソーダなら、ロックは喉を腐食しているよ。もう歌えなくなるかも……」
きゃははは! ざまぁみろ! こはるは叫んだ。
「あたしを抱いているときロックは告白してくれた。好きだよって……でもその言葉はすべて偽りだった。みんなにいってる言葉だったのっ!」
「……あ、なるほど」
「ロックはヤリチンなの! サイテーなの! だから、好きだよって言葉なんてもう一生歌えなくしてやって当然じゃない?」
「……うーん。わからないでもないけど、浮気したくらいで喉を潰すなんてやりすぎでは?」
「何いってるの? 浮気?」
「え、違うの?」
「そんな甘いものじゃない! ロックは私を裏切ったのっ! 殺されないだけ、マシじゃない?」
「っていうか、苛性ソーダの濃度は何パー?」
50、こはるは答えた。
「濃いって! お茶で希釈されるとはいえ、もう二度としゃべられなくなるかもよ、ロック」
「いいよ、他の女に好きって言って欲しくないし」
こはるは、まったく罪の意識がなかった。むしろ清々しいほど、やり切った感がある。たまちゃんは、ふっと笑うと小瓶とビニール手袋を投げた。
ふわり、放物線を描いたそれらは見事、ボフっとゴミ箱に落ちた。
「気に入りました。こはるちゃん、あなたにイエロカードを提示します」
「え?」
「今度、彼氏を殺そうとしたらレッドカードで一発退場。警察に出頭してもらいます」
から、そのつもりで」
「どういうこと?」
「次の恋人は、あなたのことしか見えない一途な彼氏にしてねってこと、わかった?」
「うん」
こはるは、こくりとうなずいた。
たまちゃんは、微笑むと腕を伸ばし、こはるの髪に触れた。
「こはるちゃん、あなたストレートパーマをかけてみない?」
「え? こんな天パでも大丈夫かな……」
「うん。きっと似合うよ! 美容院紹介しよっか?」
「あ、それならいってみたい美容院があります」
そうしてみて! とたまちゃんは快活にいった。
はい、と返事をするこはるは、もう陰キャとは呼べないだろう。
純粋すぎるがゆえに危険な少女が、可愛らしく笑っていた。
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