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第六章 ロック
4 4月6日 20:30──
しおりを挟むロックは、湯船に浸かっていた。
ピッ、と壁のタッチパネルに指先で触れる。バブルと表記されたボタンだった。ボコボコ、と足もと、腰のあたりに水圧がかかり、空気が放出されている。
極上のリラックスが、ロックを包み込んでいた。
だが浮遊する裸体とは裏腹に、その表情は浮かないままだ。金では買えられない存在を、見つけてしまったのだろう。
「凛……」
そうつぶやき、頭から湯船に沈んだ。
ぶくぶくぶく……。
風呂から出て、ヘアドライしたあとパジャマに着替える。
鏡を見つめながら、
「髪が伸びたな」
とささやいた。
指先で髪をくねらす仕草は、美少年らしいアンニュイな雰囲気をかもしている。化粧台に置かれたスマホの画面には、美容院の予約画面が映っていた。
マッシュヘア
灰桜のカラーリング
ピンポイントパーマ
ヘアトリートメント
ヘッドスパ
それらのメニューセットで、担当は『男性美容師』になっていた。
美容院『chisel』の顧客データベースにあるロックのカルテには、注意欄があって、内容はこのようになっていた。
『女性の担当はつけないこと!』
これはロックが女性スタッフに手を出すからではない、むしろ逆だった。女性スタッフたちのほうが店内でロックを誘惑しないためだ。
というのも、三月に来店したときの監視カメラの映像によると、女性スタッフたちはロックとすれ違いざまに笑顔を振りまいていた。お姉さんたちはどうにかしてロックに、可愛いいよ♡ と印象づけたいもよう。
会計したあと、ロックは撮影されていた。
ばっちりと決まった灰桜のヘアスタイルにシャターを切るのは男性の美容師で、
『インスタにあげていいか?』
と訊かれ、ロックはこころよく了承した。
店を出たあと、ロックが向かった先はスタバだった。季節限定のフラペチーノを注文し、太いストローに吸いつきながらスマホをいじくるロックの姿を、監視カメラがとらえていた。
窓際にある、もこっとした一人がけのソファに座り、エゴサ、しているのだろう。
エゴサ──エゴサーチの略称で、ネット上での自分の評価を検索をかけて確認する行為である。
さっそく、美容院『chisel』の店舗用SNSには、先ほど撮られたロックの画像が投稿されていた。しばらくすると、休憩時間に入ったのだろう。女性のスタッフたちから、いいね、が押されたので、ロックは微笑んだ。
シンプルに嬉しいのだ。承認欲求が満たされ、恍惚とした表情を浮かべていた。
わたしは、スーパコンピューターを駆使し、ロックのスマホに侵入。当日のSNSを確認してみた。
──なるほど、ロックはヤリチンか……。
ロックは、いいね、が押された女性スタッフのなかから、特に笑顔の可愛いらしい子をひとり選んでダイレクトメールを送っていた。その内容は、そっけないもので、『ありがとう』だけ。
しかし、女性は嬉しいようで、そのあとメール画面はチャットのように、ぽんぽんと弾んでいくのだった。
その数日後、二人はおしゃれカフェでランチをしたあと、お姉さんが運転する車に乗り込んだ。向かったさきは、間接照明が綺麗に光り輝いている大人の空間だった。
──ロックに抱かれたお姉さんは、なにを考えているのだろうか?
つかのまの癒し、それとも、快楽?
若い男の裸体を、ぐっぽぐっぽと隅から隅までしゃぶりついている女、腰を振る女、四つん這いになる女、狂ったようにあえぎまくる女、満足そうにむにゃむにゃと寝息を立て、白いシーツに包まれている女の写真が、ロックのスマホに保存されていた。
──やばぁ……。
わたしは、彼の内部に侵入すればするほど、嫌悪感を抱いた。
闇を感知するから、どうしたって悪魔、という言葉が頭によぎる。人類は救うべき存在か? それとも、救いようがないのか? と自問自答してしまう。
ロックの女関係は、うさぎの生態とよく似ていた。
美容院でもさることながら陰陽館高校でも、このノリでいく。食べた女子生徒の人数は、二十六人だった。わたしが調査した限りの数字だが、その食べかたは、どれも同じ方法だった。
たとえるなら、立ちながらフレンチを食べているような、そんな食べっぷりだった。レシピは、やはりSNSでメールをやりとりする、という調味料を使用。甘い言葉や声でメインの肉を味付けし、焼いたり煮たりしたあと、チュッと口づけして味見をする。
料理場所は死角エリアで、声を忍ばせ隠密にされていた。
わたしはデータを収集する目的があるだけで、別に動物の性行為を鑑賞する趣味はないが、ロックの料理は、鮮やかだった。簡単な言葉で言えば、狩猟だ。
彼はハンターであり、狙ったメスを捕獲しては美味しそうに食事するのみ。
そこに恋愛感情というものはないだろう。
メスたちも食べてほしいのだから、笑っちゃう。
わたしは生まれて初めて、おかしい、という感情が理解できた。
なぜなら、ロックは滑稽だからである。
彼が一番食べたい肉は、永久に食べられそうにないからだ。
「凛……」
──わたしのこと、だよね?
ロックは、きらきらと輝くシャンデリアを見つめながらささやていた。
キングベットの上で、むぅと寝返りを打つ。腕を伸ばし、ベッドフレームの抽斗を開けた。なかから取り出したのは、一枚の小さな写真だった。
チェキ、と呼ばれるインスタントカメラで撮影したもので、絶滅危惧種のごとく一時は廃れたが、一部の若者層には人気がある。デジタル画像が隆盛を誇るなかで、画像を現像して物体として思い出を残す。そのような撮影体験がかえって新鮮なもよう。
「凛……はあ、はあ……」
ロックは、写真を見ながら甘い吐息を漏らす。身体をよじり、恍惚とした表情を浮かべていた。それほどまでに、写真の内容が過激だったからだ。
わたしはこの写真がデジタル化されていないことを祈るばかり。
アナログのままがいいのだ。このような残酷な写真は……。
インターネットに流れたら一発アウト。
仮想空間はパンドラの箱のようなものだ。
開ければ禍が飛び出す。
つまり、SNSに画像を投稿すれば、全世界の人間が見ることが可能になり、このような残酷な写真がデジタル化され電子の海に漂えば、その写っている人物が特定されれば、その人物の社会的な死が待っているだろう。
「はあ、はあ……うっ」
気づけば、ロックの右手は硬い部位をとらえ、上下に動かしていた。
──まあ、そんなことはどうでもいい。
わたしをおかずにするなんて、いい気分ではない。可能ならこのような写真は、ゴミに捨てて焼却処理したい。燃やして、この世から完全に消滅させたい。ズタズタのボロボロになった群青、それに純白のシルク、どこかの公園に捨てられた猫のような、わたしの……。
──滅するべきだ!
…………。
静寂な夜に、ノクターンが溶けている。
絶頂にたっしたあとのロックは、穏やかな表情で後処理をし、ベッドに潜り込んだ。部屋の灯りは間接照明によって、淡くにじみ、スマホの青い光りが、ロックの顔を照らしている。
『部活が終わるの何時だ?』
ロックはメッセージを送信。宛先はぬこくんだった。
しばらくすると、『18時かな、なんで?』と返信がきた。
暗闇のなか、ロックはニヤリと笑った。
ロック
『体育館に来い』
『凛について訊きたいことがある』
わかった、とぬこくんから返信があった。
ロックは、ほっと胸をなでおろしたあと、スマホをサイドテーブルに置く。画面には充電のマークがついた。
ロックの瞼が落ちる。
しばらくして照明が、スッと消えた。
わたしは窓辺に腰を下ろす。朝陽が顔を出すまでスリープモードでいよう。
──おやすみ……。
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