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第四章 りゅ先生
1 4月5日 17:30──
しおりを挟む「先生の俺も、カウンセリングをするんですか?」
スーツを着た男は、モダンデザインの椅子をひいて座った。
大村隆平。愛称、りゅ先生。
彼は、やれやれと肩を落としたが、その表情は朗らかだ。
──それもそうか。
目に前に座っているのは、とても綺麗な顔をした白衣の女性。
彼女は、こくりとうなずくと、すっと足を組んだ。スーツスカートから伸びる美しい足に、りゅ先生は目を奪われている。まったく、これだから男という生き物は、操られやすい。
「はい、そのように行政から指導を受けていますから。すいません、今日の授業は終わったのに呼んでしまって……」
「いえいえ、別に家に帰ってもやることはありません。AI教師のおかげで楽勝ですよ、ここの仕事は」
「そうですか、それはよかったですね」
「はい。でも、てっきりAIとカウンセリングするのかと思ったら人間だったのでびっくりしましたよ。しかも、綺麗な女性なので……さらにびっくり」
「あら、冗談が得意なんですね……えっと」
「大村隆平です。生徒からは、りゅ先生って呼ばれてます」
りゅ先生、とつぶやくのは、白峯梨沙。愛称はリサ。
彼女は机の上にあるタブレットに目を落とした。指先でタッチする画面には、りゅ先生の個人データが映っている。柔らかい指の動きの中で、爪に塗られた淡いピンクのジェルネイルが、きらりと光りを宿す。うーん、なんて女子力の高い人間だろう。
おや? 大村の体温が、急激に上昇している。リサに見惚れているもよう。あらあら、まだ出会って間もないのに、交尾したい、そう顔に書いてある。
「では、カウンセリングをはじめますね、りゅ先生」
「はい」
「改めまして、私は精神科医の白峯梨沙です。リサと呼んでください」
「リサさんは……精神科医?」
「はい、スクールカウンセラーとして話すのは生徒にたいしてだけです。大人のりゅ先生にたいしては精神科医、つまり産業カウンセリングをおこないますね」
「あ、そうなんですか……」
「うふふ、そんなに困った顔をしないでください。難しい話はしませんからご安心を、それではよろしくお願いします」
「よろしくお願いします、あはは」
りゅ先生は、なぜか照れ笑いを浮かべている。おそらく、恋人のいない彼にとって若くて綺麗なリサと話すことができて単純に嬉しいのだろう。美しい白衣の女医は、にっこりと笑った。ゆるく巻かれた漆黒のロングヘアが色っぽい。
「りゅ先生は、どうやってこの陰陽館へ来られたのですか?」
「あの……俺は、臨時教員なんですよ」
「あら、そうなんですか、詳しくお願いします」
「はい。じつは前の学校を辞めてしまってフリーだったんです。それで、たまたま母と神楽校長が知り合いだったので、この陰陽館を紹介してもらい赴任することになったんです。まあ、コネですね」
「そうでしたか。では陰陽館にはもう慣れましたか?」
あはは、まあ、とりゅ先生はいって後頭部をかいた。
「ここは変わった学校ですね。人間の先生が俺しかいないなんて……びっくりしました」
私もです、といってリサはうなずいた。微笑みというおまけつきで。
「スマートスクールというらしいですね。この陰陽館は最先端のテクノロジーを駆使して生徒たちを教育し、世界でもっともパフォーマンスできる人材を卒業させるなんていいますが、蓋を開けてみれば、血の通っていないロボットが生徒たちを管理している冷たい教育現場にすぎない」
「はあ……」
「いいですか、りゅ先生。その環境のなかで、あなたは唯一無二の生身の教師なわけです」
「はい……」
「人間の心はすごく脆弱なんです。弱いんです! ですから、メンタルが正常か、異常か、その判断が非常に重要なのです」
「……はあ」
「ですから、何か悩みがあったら、遠慮なく私に言ってくださいね」
リサは、大きな胸を弾ませて断言した。
ごくり、とりゅ先生は、生唾を飲みこむ。
「どんな悩みでも?」
「はい」
「本当に?」
「……あの、りゅ先生? もしかして性の悩みがあるようでしたら、そんな悩みなんて吹っ飛ぶようなお薬を処方しましょうか?」
いや大丈夫です、といってりゅ先生は笑ってごまかした。どうやら、リサに下心を見透かされたもよう。やれやれ、と肩をすくめるリサは、やおら口を開いた。
「まじめな話、不安なんですよ私は。ロボットのなかにあなたみたいな優しい人がいることに……」
「リサさん……」
「りゅ先生……今日あなたと初めて話してわかりました。あなたの心は優しい。よって、優しい嘘をつく。そのことで、悩むときもあるでしょう?」
りゅ先生の表情に、暗い影が落ちた。
「いえ、俺は優しくなんかないです。まえの学校で女子生徒を襲ってクビになったんです」
「本当に?」
「女子生徒に抱きついて、それがバレました」
「……そうですか」
はい、といってりゅ先生は、後頭部をかいた。
リサは、うふふ、と声にだして笑った。
「それが優しい嘘なのですよ、りゅ先生。真実は逆ではないですか?」
「……」
「りゅ先生は女子生徒からモテたみたいですね?」
「……」
「まあ、いいでしょう。カウンセリングは尋問ではありません。あなたの心理状態を診察することがメインですから、ありのままでいいのですよ」
「……さすが精神科医だ。なんで俺のことがそんなにわかるんですか?」
リサは、コツコツと桃色の爪でタブレットを叩いた。
「りゅ先生のデータが、ここにありますから」
「え? 俺のデータ?」
「はい、このデータは、いわゆるりゅ先生の黒歴史ですね。それを閲覧しながらあなたの顔を見てお話しすれば、あなたという人格はだいたいわかりますよ」
「マジか……」
「はい。あら……りゅ先生は小学校の卒業文集で、先生になりたいと書いてますね」
「はあ? なんでそんなことまで……」
「抜粋して読みあげると、えっと……僕は生徒のことを信じる先生になりたい! あら、なんて素晴らしい」
ちょ、ちょ、やめて恥ずかしい、といってりゅ先生は、頬を赤く染めた。
「あ~あ、俺は安心しましたよ」
「何がですか?」
リサは、目を丸くして首を傾けた。
「カウンセラーがロボットじゃなくてよかった」
「え? どういうことですか?」
「ロボットにこんな恥ずかしいことを言われたら、俺はそのロボットをぶっ壊すと思います」
うふふ、とリサは笑った。
「まだありますよ、あなたの黒歴史……あら? 中学校のころ、友達が学校に持ってきたエッチな本を自分が持ってきたと偽って友達を庇い、また優しい嘘をつきましたね」
「まてまて、それはユウジしか知らないはず……」
「ユウジくんはあなたの良き理解者だったようですね。のちに担任の先生が調査したら、ユウジくんは証言を改めたそうです。本当は大村くんが持ってきたエッチな本ではなく、自分が持ってきた、そう証言を変えたのでしょう」
「……そ、そんな記録まで」
ええ、といってリサはタブレットから目をあげた。
「いずれ、りゅ先生はカウンセラーを殴ることになるかもしれませんね」
「AIになるってことですか? でも、人間の心理は機械では測れないでしょう?」
いいえ、とリサは答えた。
「AIのデータ処理およびディープラーニング能力を甘く見てはいけません。人間の心拍数や体温、発汗量などの波長を計測すれば、ある程度の心理状態は把握可能です。さらに日本人特有の遺伝子データなどが組み合わさって数千万人のビックデータが蓄積されれば、AIが人間の心理状態だけでなく身体の不調を知らせてくれるようになります。さらに言えば、病気にならないための予防医学までアドバイスしてくれるようになりますよ。栄養サプリメントをりゅ先生専用にブレンドしてくれるかも」
「つまり、医者はいなくなると?」
「うーん、手術医はまだ当分のあいだは生き残るでしょうが、薬だけ処方する町医者は全滅。よって、私などの精神科医なんて、まもなく絶滅危惧種として扱われるでしょう」
「そんな、アオウミガメやツキノワグマじゃなるまいし……」
「あら、りゅ先生? この世界のすべての現象は数式で表せるのはご存知?」
「ええ、まあ一応数学の先生なので、なんとなくそんな論文を書いた学者がいるのは知ってますけど、それが何か?」
「この世界はバーチャルリアリティということです」
「はあ……」
では、本題に入ります、とリサは真剣な顔でいった。気迫がこもっていたので、りゅ先生は身構えた。
「りゅ先生は、天宮凛に何があったのかご存知ですか?」
「神楽校長からは、生徒が事故があったとか? で、その生徒は入院をよぎなくされ退学になったとか?」
「半分は当たってますが、半分は間違っています」
え? とりゅ先生は驚いた。
あれは事故ではありません、とリサは低い声を放った。
「天宮凛さんは、いじめを苦に陰陽館の屋上から飛び降り自殺を図りました。その真実は2Aの生徒なら察しがついていると思いますが、みんな黙秘しています。なぜなら、天宮凛をいじめた首謀者に、今度は自分がいじめられるのではないかと恐れているのでしょう。しかしながら、奇跡が起きました。温水幸太という生徒が落下する凛さんを地上で抱きとめ、命を助けたのです」
「あ! それは温水から聞きました。あいつはいいやつですね」
「はい。ですが、天宮凛には後遺症が残ったようです」
どんな? とりゅ先生は訊いた。
「温水くんが受け止めたので身体は無事だったのですが、頭を地面に強打しました。そのショックで、天宮凛の人格が恐ろしく変貌しました」
「そんなことが……」
──恐ろしいとは失礼ね……まあ、否定はできないけど。
「はい。人間の頭脳は強いショックを受けるとバグを起こすようです。このことは他言無用でお願いしますね、りゅ先生」
「わ、わかりました。でも、そんなことを俺に教えちゃっていいんですか? 神楽校長はいじめや自殺なんかは隠蔽しているはず」
「ええ、ですから、りゅ先生は優しい嘘がつけるでしょ?」
「ん? どいういうことですか、リサさん?」
「陰陽館にはいじめがある、自殺を図った生徒がいる。その真実を頭に入れて、生徒たちと向き合ってください。これはロボットにはできません。生身である先生のあなたが! 生徒たちを正しい道に導いてほしいのです! 私はりゅ先生に託しているのですよ、子どもたちの未来を」
わかりました、といってりゅ先生は、男らしく胸を張った。
リサは、うふふと微笑みを浮かべると、顔の横で手を合わせた。可愛らしい女性を演出しているつもりだろう。年齢二十六歳同士である二人のあいだに、ぱっと花が咲いたような、エフェクトが見える。
「ああ、よかった、りゅ先生が生の男性でよかった」
「あはは、がんばります……」
りゅ先生は、ぽりぽりと後頭部をかいている。
ううふ、とリサは笑い返した。
「では、これでカウンセリングを終わります」
リサは唐突に席を立ちあがって、深々とお辞儀をした。
「ありがとうございました」
りゅ先生は、あわてて席を立つ。あまり、女慣れしていないのだろう。別れ際になんとなく余裕が感じられない。名残惜しさが顔に滲んでいる。
「あ、ありがとうございました……」
リサの頭のてっぺんを見つめつつ、お辞儀をした。日本人はなにかと頭をさげたがるのは、心を許してますよ、とアピールしているのかもしれない。
二人は微笑み合ったあと、りゅ先生だけが部屋を出ていった。
残されたリサは、ふぅ、とため息をひとつ吐く。
机にあったタブレットに指先を触れ、緩んでいた頬を引き締め、真剣な表情に変えた。ものすごい綺麗な横顔が、窓から射しこむ夕日の明かりに照らされた。
【 精神異常 】
大村隆平のカルテには、そう記入されていた。
美しい白衣の女医は、足を組んだ。
「ダメね……」
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