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第三章 ぬこたま探偵

1 4月5日 8:42──

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 清らかな池に咲く水蓮、ひらひらと蝶が舞う。
 王子を乗せた救急車が、ピーポーと鳴る規則正しいサイレンとともに遠ざかっていく。水蓮にとまっていた蝶がまた、青空のなかに飛んでいった。
 
──わたしを乗せた救急車も、こんな感じだったのかなあ……
 
 ピーポー、ピーポー
 
 非日常的なサイレン、走りだす救急車。
 クラスメイトが救急車で運ばれていく光景は、思春期の高校生にしてみれば、よほど刺激的に見えたのだろう。2Aの教室は、噂話に花が咲いていた。
 
「王子に何があったの?」
「階段で突き飛ばされたらしい」
「誰に?」

 男子も女子も視線を注ぐのは、ぬこくんのみ。
 そんな彼は、背中を丸めて着席していた。
 ナイトがうしろを振り向く。ぬこくんの席の前に座っているのだ。
 
「ぬこ氏、なぜ余裕たっぷりなんだ?」
「え? 何が?」
「何がって、ぬこ氏が王子を突き飛ばしたって噂が広まってるぞ」
「へ~、そうなんだ~」
「おいおい、疑われたままでいいのかよ……」

 俺はやってないし、といったぬこくんは、ふわぁ、とあくびをひとつ。

「いや草……」

 隣の席に座っているバニーがつぶやいた。
 
「疑われてるのに平気なんて、バッカじゃないの……」
「え?」

 ぬこくんは首を傾けてバニーを見つめた。
 ふんっと鼻で笑うバニーは、手もとのスマホを操作しはじめた。
 すると唐突に、カメラモードで自撮りをする。
 上目使いをして、可愛いく撮れる角度を作っていたのだが、加工はしない主義のもよう。彼女はナチュラルなほうが映えるし、いいね、がいっぱいもらえることをよく知っている。
 というのも、バニーは、動画配信サイトで活躍する配信者なのである。
 正確にいうと、アカウントの名義は母親。
 子どもの頃にバニーは、おもちゃを遊んでいる動画を投稿されていたのだが、その動画の可愛いこと、可愛いこと。天使のように笑うバニーがおもちゃを遊ぶ姿は、視聴する者に幸せと感動を与えていた。
 その広告収入は潤沢な利益となっていたが、未成年のバニーが使えるお金ではない。
 両親が湯水のように使っていたのである。
 特に母親が散財しており、バニーは、現金をまったく持っていなかった。

 やがて、ときは経ち……。

 高校生になったバニーは、さすがに納得がいかなくなった。自分のためにお金を使ってみたいと思うようになったのだ。最近、よくスマホで検索しているのは脱毛エステのこと。

 レーザーより光のほうが痛くない?
 VIOとは身体のどこ?
 料金はいくらか?
 などを調べているもよう。バニーは意を決して、メッセージアプリで母親に、
 
『脱毛エステするからお金をちょうだい』

 と頼んだことがあったが、
 
『まだ早い』

 と返信がきた。さらに『それより勉強しなさい』とつづいた。
 バニーは、OKのスタンプを入力していた。
 つまり今、スマホの画面に向かって自撮りをするバニーがもっとも欲しいものは、お金、なのだろう。皮肉なことに大人になったバニーが、アダルトなおもちゃを使ってエチエチな動画を投稿し、お金を稼いでいないといいけど……。

「……」

 きょとんとした顔のぬこくんは、何を思うのだろうか?
 弱音を吐けないままでいるのは、なぜ?
 そのとき、ウィンと教室の自動扉が開いた。
 
「みんな~遅れてすま~ん」

 2A担任教師の男が入ってきた。
 
“大村隆平 愛称──りゅ先生”

 年齢二十六歳、独身、彼女なし。
 今年度、陰陽館高校はじまって以来の人間の教師。
 正確にいうと、人間の教師は、りゅ先生しかいない。

 というのも二ヶ月前……。

 天宮凛、つまり“わたし”が、屋上から転落事故を起こした。
 その結果、行政から通達があった。
 機械の教師だけでなく人間の教師も設置するように、と。
 スマート・スクールである陰陽館高校では、授業はAIがしている。
 教室の天井にはプロジェクター。
 壁には3Dサラウンドスピーカー。
 教団のうらには、黒板ではなく大きなホワイトボードがあって、そこにAI教師のアバターが投影される仕組みになっている。

 AI教師──凡用性のある弱いAIを搭載された投影型アンドロイド。会話も滑らかで、感情的に怒ることも、ヒステリックに泣くこともない。冷静沈着かつ的確に生徒を指導できる優れた教師である。

 生徒たちの机には、陰陽館高校専用のタブレットが設置されていて、みなアカウントを持っている。生徒たちがまず学校に来てやることは、ネットワークへのログイン。席についたら机を見つめて、顔認証をするのが慣例である。
 この学校に紙はない。
 授業、連絡事項、テスト、すべてタブレットのなかでおこなわれており、スマホに同期できるので学校から何か急用あると、メッセージが届くが、見忘れる生徒も多い。
 りゅ先生は、すたすたと歩き、教壇に手をついた。
 
「えっと、みんなも知っていると思うが、月乃城くんが転んで怪我をした」

 ええええ! と生徒たちが騒つく。
 人間という生き物は、集団でいると力を増して凶暴化する。
 
「おい、静かにしろ! 今、病院から連絡があってな、足の骨を折ったようだ。全治1ヶ月と医者は診断したから、しばらく車椅子生活になるだろう。みんな月乃城くんを助けてあげるように」

 はーい、と生徒たちから声があがる。
 そんななか、ぬこくんは陽キャの女子たちから鋭い視線を浴びていた。
 エリザベス、ゆりりん、委員長、バニー。
 彼女たちは2Aで特別な存在。スクールカーストの頂点に君臨している。

 スクールカースト──それは学校で、勉強以外の能力や容姿などにより各人が格付けされ、階層が形成された状態。階層間の交流が分断され、上位の者が下位の者を軽んじる傾向があることから、虐めの背景の一つともみなされている。インドのカースト制がその語源である。

 つまり、陽キャはバラモンであり、虐めという名の祭祀をする。
 細分化すると、教室内のグループが1軍、2軍、3軍にわけられ、いわば、陽キャが1軍、平凡な2軍と3軍。さらに、階層にすら入れてもらえない戦力外の生徒もいる。
 
 戦力外たちは、陰キャ。

 陰キャは、コミュニュケーション障害を患っており、人とうまく話すことができないが、陰キャ同士だと話せることもある。
 特徴としては、男子はアニオタ、女子は腐女子。
 運動神経は絶望的なほど皆無。
 マラソン大会を開けば、最下位ほど陰キャが足を引きずる。
 逆に写生大会を開けば、最上位ほど陰キャが筆を走らせる。
 
「……」

 教室の一番うしろの席に座っているのは、神楽校長の息子ロックだ。
 彼は、きりきりと爪をヤスリで磨いていたが、やおら口を開いた。
 
「りゅ先生、王子はなんで転んだの?」

 さあ、わからない、と説明したりゅ先生は、さっと指先でタブレットに触れた。教壇にも教師専用のタブレットが埋め込まれているのだ。彼は驚いた様子で、目を丸くした。
 
「えっ! 突然だが、転校生を紹介する。まもなく、教室に入ってくるらしい……」

 つづけて、りゅ先生は、口のなかで、
 
「まったく、なんなんだよ、この学校は? 機械に操られてるみたいだ……」

 とつぶやいて、後頭部をかく。
 そのとき、ウインと自動扉が開いた。
 教室に入ってきたのは、ひとりの可憐な女子。
 群青の制服スカートをなびかせ、颯爽と歩く。
 黒髪のボブヘアが、さらさらと揺れ、甘い香水のにおいを検出。

──ん? 女子高生にしては、大人っぽい。

 漆黒の瞳は大きくて、猫のように見えた。
 きらきらとした光りのエフェクトが、彼女の身のまわりに発動。
 わぁ、かわいい、と言って頬を赤く染める平凡な男子生徒たち。
 女子生徒たちはみな、
 
「……」

 未知なる生物でも見るような顔で、転校生の挙動に注目していた。
 
「さあ、こちらへ」

 りゅ先生は、手を差し伸べた。
 教壇の横に立つ転校生に、生徒たちの視線が全集中。
 彼女は、にこりと笑った。
 
「玉木ヨシカです。たまちゃんって呼んでくださいっ!」

 かわいい! ひゅうひゅうっ! 
 平凡な男子たちは、歓喜の声をあげる。
 静かにしてくださいっ! と委員長が注意した。

「……」

 しーん、と水を打ったように静まり返る教室は、まるで湖のほとりのよう。
 りゅ先生は、ぽりぽりと後頭部をかきむしると、教室を見まわした。
 
「じゃあ、席はあそこで……」

 人間の教師が目で示す先は、席が二つ空いていた。
 一つは王子の席。もう一つは、本来ならが座るはずだった席だ。そのことを察してか、いまだ教室は静寂に包まれており、まるで葬式のよう。
 
「どっちの席ですか?」
「えっと、月乃城の席はどっちだっけ?」

 たまちゃんの問いに、りゅ先生は記憶が曖昧で、ボケている。
 彼はわたしについて、詳しく知らないもよう。
 
「王子の席はこっちです! 玉木さんは、こちらの席を使ってください」

 委員長が手のひらで示した。だが、空いている机は一切見ていない。
 まるで、傷口に触れたように、生徒たちの表情が暗くなる。
 いや違う。気にしていない生徒もいるにはいる。
 たとえば、ぬこくんは目を閉じて、
 
「ボールを持つまえに判断してないと……」

 と、つぶやいていた。
 サッカーのイメージトレーニングをしているもよう。
 かたや、ロックはあいかわらず、爪をヤスリで削っていた。彼はギターを弾くから、左手の爪はいつも短い。逆に、右手の爪はほどよく長い。

「ありがとう」

 感謝するたまちゃんは、さっと足を踏み出す。
 おや? 物音がない、静かだ。え? 踵を踏んで歩いていない!? まるでアサシンのような動きをしている。彼女はいったい何者だ? ふつうの人間ではない……。
 
「玉木さん、机のタブレットからログインしてくれる?」

 りゅ先生に促され、たまちゃんは席につくと顔をタブレットに近づけた。
 顔認証システムによって起動したもよう。
 パッと明るくなった画面が白くなると、ゴシック体の黒文字が浮かぶ。
 
『おはようございます 玉木ヨシカさん』

 たまちゃんは、にっこりと笑った。
 楽しい高校生活を思い描いているのだろうか。
 陰陽館高校のスクールライフを。
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