陽キャを滅する 〜ロックの歌声編〜

花野りら

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第一章 ぬこくん

2 4月5日 8:15──

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「エリザベス……それなら手で拭いてあげるよ」

 ぬこくんは、片膝をついた。
 すらりと伸びるエリザベスの生足に顔を肉薄させ、ゆっくりと優しく指先で、すっと上履きの白くなった部分を取り払う。
 エリザベスは、ぽっと頬を赤く染め、恍惚とした表情を浮かべた。
 
「……あっ、ぬこくん、あっそんな……」

 女子たちがスマホを掲げた。
 どうやら、カメラのレンズを向けて、ぬこくんを虐めている光景を撮影しているらしい。バニー、ゆりりん、委員長のスマホをみると、画面には片膝をついたぬこくんが、エリザベスに忠誠を誓っているような光景が映っていた。
 
「ばっちり取れたよん」とゆりりん。
「絵になるわ」と委員長。
「……よき」とバニー。

 エリザベス、これで綺麗になったね、そういったぬこくんが立ち上がろうとすると、エリザベスは、すっと手を伸ばして彼の動きを制した。
 
「ダメよ、その状態で宣言しなさい」
「はい?」
「お嬢様の下僕となりますって言いなさい! そうしないと虐められている画像をグルチャに流すわよ」
「画像?」
「ええ、さっきぬこくんが跪いている画像よ、こんなものがグルチャに流れたらあなたのイメージダウンは確実。さあ、大人しく私の下僕となりなさい」

 別にいいけど、といってぬこくんは、むくっと立ち上がった。
 
「ちょっとっ! 本当に画像をアップするわよ!」
「どうぞ……」

 ぐっ、とエリザベスは唇を噛んだ。
 ぬこくんは、首をコキコキさせて余裕たっぷりの表情だ。
 
「こうなったら……ゆりりん、縄っ!」

 ほーいっ! と返事をしたゆりりんは、何処から取り出したのか? 手に持っている赤い物体を、ポイッと放り投げた。
 ふわり、虚空に浮かんでいるのはなんと、縄だった。しかも、赤い色をした縄で、柔らかそうな綿素材。ゆりりん、どうして女子高生がこんなものを?
 なんとも興味が沸いたので、ゆりりんのスマホのなかにネットワーク経由から潜入。
 すると、彼女は老人ホームに入居している祖父『別奈俊英』名義のクレジットカードを悪用して、ネットショップでいろいろな物を購入していた。その履歴を調べてみると、なんとアダルトグッズを買い漁っているもよう。

──はあ? やば……なにこれ?

 ローション、目隠し、手錠、棒についた鳥の羽、ローター、それに、ん? なんだこの男性器のレプリカは、バイブ? 何に使うというのだろうか、ナニに?
 
「さあ、ぬこくん、体育座りになりなさい……」
「え? 別にいいけど、何するの?」

 緊縛よ! とエリザベスは叫んだ。
 すっと膝を抱えて座ったぬこくんは、ぐるぐると縄で巻かれた。しかしエリザベスの手先は不器用だった。彼女の縛った縄は、ゆるゆるですぐに解けてしまう。

「ああん、ゆりりん、縛って~」
「おけまる~」

 エリザベスは、「ぴえん」と泣きながら助けを求めた。
 ゆりりんが、シュタッと駆けてぬこくんに近寄る。
 ニコニコっと笑うと、どん! ぬこくんを押し倒した。
 
「ぐわっ!」
 
 情けない声をあげるぬこくん。
 お尻を地面につけて冷たかったのだろう。彼はバカでかい身体をしているくせに、女の子みたいな声をしている。イケメンなのにカワボなんて、何だかよくわからない男子である。

──そこがまた、中性的でいいんだけど……。
 
「ほら、股広げてっ! ぬこくん」
「ええ!? な、なんで?」
「いいから、いいから」
「……ええっ!」

 手を伸ばすエリザベス。
 ガバッと無理やり足を広げられたぬこくんは、縄を持っているゆりりんに、あっというまに緊縛されてしまった。
 目にも止まらぬ早技だった。
 曲げられた膝が固定されて太ももに、ぐいぐいと縄が食い込んでいる。両手は背中の後ろで縛られ、ぬこくんは哀れな姿を晒す。
 
──え? なぜ女子高生が縄師レベルの技が使える?

「おーほほほ! さあ、ぬこくん、下僕になると宣言しなさい」

 エリザベスの高らかな声は、流石に陽キャの男子たちにも届いたようで、彼らは青ざめた顔をして女子たちの悪道に戸惑いを隠せず、うわぁと小声を漏らして引いていた。
 
「おいおい、やりすぎだろ、エリザベス……」とロック。
「ぬこ氏、嫌なら嫌と言えばいいのに……」とナイト。
「……いいなぁ、僕もああやって死にたい」

 と、王子はつぶやく。
 きょとん、とした顔のぬこくんは、まったく嫌がる素振りを見せなかった。
 
「下僕になってもいいから、縄を解け……」

 陽キャの女子たちの顔が、ぽっとバラが咲いたように赤く染まる。

「ああんっ! 撮って撮って~」

 頬を赤く染めるエリザベスが、
 
「はやくするのよっ!」

 と促すと、ゆりりんは、「おー」といって撮影をはじめた。
 キラリ、と眼鏡を光らせる委員長は、
 
「僭越ながらローアングルいただきます」

 といってしゃがんで撮影した。
 バニーは、「……よき」といってニヤニヤ笑いながらぬこくんに近づくと、彼の顔を撮影した。上目使いになったぬこくんは、レアだったようで、バニーは祈りを捧げるようにスマホを抱きしめた。

──それもそうか。

 ぬこくんの身長は高い。ふだん見上げる存在のイケメン男子が、今は見下すことができるわけだから、なんとも言えない優越感が、バニーの鼓動を速くさせているのだろう。興奮、しているようだ。
 
 キンコンカンコーン
 
 ん? 鐘が鳴った。授業がはじまる合図。
 ぞろぞろと陽キャたちは、足並みをそろえて屋上から立ち去っていく。そのなかで、一人だけ立ち止まる人影があった。金髪碧眼の美少年、王子だった。彼は風になびく金髪をかきあげた。
 
「僕は死ぬよ……」

 王子はそうつぶやくと、ゆっくりと校舎のなかに入っていく。自動的に開くガラス扉の表面に、彼の暗い顔が落ちていた。

──王子? 何を考えているのだろう。

 ぽつん、とひとり取り残されたぬこくんは、ただ呆然と青い空を仰いでいた。
 
「ああ、縄を解いてほしかったな……」

 しばらくしてから、シャー、と何かが滑る音が響いた。
 ぬこくんの足元にカッターがあった。誰かが投げたもよう。

──誰だ?

 ぐるぐると屋上を見まわしてみる。

──ん? 黒い人影を発見! 

 それは颯爽と校舎のなかに駆けていく。ふわり、とスカートがなびいていた。
 
──陰陽館高校の女子生徒か? ううっ!

 唐突に吹く強烈な春風によってカメラのピントがブレた。
 怪しい少女の黒髪が乱れ、顔が隠れて特徴がつかめない。
 せめて、骨格だけでも撮影したかったのに……んもう!
 だが、収穫はあった。とある女子生徒がぬこくんを助けた、という事実。
 この動画は重要なので、アーカイブに保存しておこう。

「やった! 誰か知らないけどありがとう」

 ぺこり、と頭だけさげたぬこくんは感謝の意を表すると、お尻を持ち上げ移動をはじめた。後ろ手にカッターを持ち構え、手先を器用に使って縄の切断にかかる。
 やがて、見事に緊縛から解放されたぬこくんは、むくっと立ち上がると背を伸ばす。目を細め、頬に当たる風を感じていた。春の風が好きなのだろう。ふと、視線を落とし、切り落とされた赤い糸のほつれを眺め、

「うーん、ゆりりんの縄を切ってしまった。弁償しなきゃ」

 ぬこくんは反省した。お人好しにも、ほどがある。
 カリカリ、とカッターの刃をしまい、ズボンのポケットに入れる。
 むんずと縄を拾い上げると、ズボンのポケットにしまった。
 ぬこくんは、さも何事もなかったかのように校舎のなかに入っていった。なんとも、朗らかな表情をしている。まるで仏のような眼をしていた。
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