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第一章 ぬこくん

1 4月5日 8:10──

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 春風のなかに蝶が飛んでいた。
 青い空のもと、ひらひらと優雅に陰陽館高校の屋上へと舞いさがる。
 わたしは、母校の美しい風景に懐かしさと同時に、絶望感を覚えた。
 あいかわらず、陽キャたちはクラスメイトをいじめている。
 復讐しようとタナトスが、さも当然のように犯罪計画を練るのも無理はない。
 
「ぬこくん! この私、エリザベスの下僕になりなさい!」

 気高い声が響く。群青の制服を着た金髪ドリルの女子生徒。
 
西園寺絵理さいおんじえり 愛称──エリザベス”
 
 オーホホホ、と彼女は笑う。
 膨よかな胸とくびれのあるウエスト。
 ふわりと揺れるスカート。
 そのなかに隠された張りのあるヒップ。
 まるで貴族のようなお嬢様が立っていた。
 かたや、ぬこくんと呼ばれていたのは、長身のさわやかな男子生徒である。彼は微動だにせず、ぼんやりと立ち尽くすのみ。

──それもそうか。

 唐突に、下僕になりなさい! なんていわれたら、誰だって戸惑う。
 だけど、この男子生徒はなぜか、朗らかに笑うのだ。
 そこが彼の素敵なところで、誰もがそのことに気づいている。
 むしろ気づいていないのは、本人くらいだろう。
 
温水幸太ぬくみずこうた 愛称──ぬこくん”

 彼は、サッカー部に所属している特待生で、入学料、授業料ともに免除されて陰陽館高校に入学していた。そんなわけだがらエリザベスから、
 
「このサッカーバカっ!」

 なんて罵倒されていた。

──でも……。

 ぬこくんは、まったくへこたれない。なぜなら彼は塩顔のイケメン。身長は180センチ。とてもさわやかで清涼感がある。おまけに運動神経抜群。このようなデータから打ち出される結論は……。
 
──女子高生が放っておくわけがない!
 
 それに生物学上、気になる異性を虐めたくなる、というデータもあることから、エリザベスはぬこくんに好意を抱いている可能性が高い。

「さあ、ぬこくん! 私の靴についた汚れを綺麗にしなさい」

 エリザベスが、すらっと右足だけを前に伸ばした。
 たしかに、革の上履きに白い汚れが確認できる。
 鳥のフンがついたもよう。なんという運のいい女。
 すると、クスクスと笑い声があがる。
 あたりにいた男女の学生たちが、いっせいに笑いはじめた。
 
「クチャイクチャイ……」

 黒髪の美少女は、そうささやいて、むっと鼻をつまんだ。

桜庭二胡さくらばにこ、愛称──バニー”

 彼女の肌は、日本人形のように白い。
 瞳のなかに、ぽちょんと墨汁を一滴落として、じわ、と滲んだような闇を連想した。身長160センチ、その華奢な肢体は、ときに強く吹き荒れる春風になびいて、スッと灰のように飛んでいってしまいそう。ゆえに群青のスカートは、大きく揺れている。

「ハンカチで拭いてあげたら? 持っていないなら貸してあげるよ、ぬこくん?」
 
 そう丁寧に訊くのは、ポニーテールの眼鏡女子。
 綺麗にそろえられた前髪と、くるんっとしたおくれ毛がおしゃれ。
 
菖蒲玲美あやめみれい 愛称──委員長”

 恵まれた体格で身長170センチ。
 比例して胸とお尻が肥大しているかと予想するが、まったく違ってスレンダー。将来はモデルとして通用しそう。
 そんな彼女は、幼少期から目立つ存在で、性格も仕切り屋なこともあり現在、学級委員長を務めている。なんと小学生の頃からずっとらしい。ズバリそうでしょう、という決め台詞を彷彿とさせるような優等生である。
 
「ダメだよぉ委員長ぉ! ぬこくんの手で拭かせなきゃ~」
 
 そう反論する女子生徒は、屈託のない笑顔を浮かべた。
 身長152センチの小さな女の子。色素の薄い茶髪。ツインテールを縛っている淡いピンクのシュシュが可愛らしい。

別奈べつなゆり 愛称──ゆりりん”

 陰陽館高校の生徒たちは彼女たちのことを、陽キャ、と呼ぶ。

「テッテレー!」

 と、言葉を放つゆりりんのもとに、さっと女子四人は集まってポージングをとる。
 
「…………」

 一方で、このような女子たちのヒーロー戦隊然とした様子を、屋上のフェンスに寄りかかって見ている三人の男子生徒がいた。彼らも、陽キャ、と呼ばれている存在である。
 そのなかで、ポロロン、とアコースティックギターを弾いているのは、
 
神楽六輔かぐらろくすけ 愛称──ロック”

 ロックの苗字は神楽。
 つまり彼は、私立陰陽館高校を経営する神楽グループの御曹司である。
 だが彼は、あまりそのことを鼻にかけておらず、将来は音楽で生計を立てたいという夢がある。
 その証拠に、巷で有名なインディーズバンドのヴォーカルをやっていて、その歌声は聴いているだけで腹の底が疼き、濡れる、との噂が女子高生たちの間で広まっている。
 そこでわたしは、動画配信サイトに投稿してあったライブ映像を視聴した。
 その結果、驚くべきことが判明。
 邦ロックとエレクトロミュージックが融合された曲に、さわやかに重奏する彼の歌声は、素晴らしく反響しており、
 
『きゃぁぁぁ!』

 と、飛び跳ねて踊る客の女たちが発狂するのも納得。
 下着の替えがいるくらい、どの女も恍惚とした表情をしていた。
 
──エチエチすぎる、やばぁ……。

「ぬこ氏は虐められているのに、なぜあんなに余裕があるんだ?」

 腕を組んで首を傾けているのは、
 
内藤翔也ないとうしょうや 愛称──ナイト”

 彼は考えることが苦手なもよう。
 さっと腕立て伏せをはじめた。自らの筋肉を虐めては、喜んでいる。
 その体格は筋骨隆々でツーブロックの髪型は男らしく、見た目からして強そう。
 
──どれどれ、ナイトを調べよう。

 わたしは現在、月乃城病院にある研究施設にいるのだが、ここのスーパーコンピューターを使えば、あらゆる仮想空間をハッキング可能なのである。
 そこでわたしは、生徒のデータファイルをネットワーク経由で閲覧した。
 それによると、ナイトは武家の生まれで、先祖代々において武道を生業とし、家族や親戚は官の仕事をしており警察や自衛隊などに勤務──とあった。

──なるほど、彼は生家はサムライか。

 さらに、彼の家の防犯カメラに録画されてあった動画を拝見すると、ナイトの父親らしき人物が、
 
『翔也、将来はお国のために働きなさい』

 と、いって肩を叩いていた。人を抑えつけるような、目には見えない圧力があった。

『わかりました、父上』

 なんていってナイトは素直に応じるものの、その表情には暗い影を落としていた。おそらく、幼少期から耳タコになるほどいわれつづけ、うんざりしているもよう。
 いま彼が、ふんふん、と気合を入れて筋トレをしているが、その行動原理は、なんとも痛々しい。

「……したい……したい……」

 ん? かすかに声をひろう。
 
「……したい……死にたい……」

 なに? なにがしたいの?
 ぶつぶつと独り言をつぶやくのは、

月乃城王子つきのしろおうじ 愛称──王子”

 彼は漆黒のタブレットを見つめていた。
 どれどれ、カメラの焦点をズームアップ。
 こっそりタブレットの画面をのぞいてみると……。

──え? お、王子?

 そこには、水着姿の麗らかな娘たちが、ビーチで戯れている画像が映っていた。
 
「……したい……したい」

 エロい画像とともに、彼の口からは永遠と、なんとも言えない不協和音な旋律が奏でられていた。
 
「……したい、したい、死にたい」

──お、王子? それってグラビアアイドルを見つめて紡ぐ言葉?

「死にたい……僕は自殺する……」

 王子は、小さな声でつぶやいていた。
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