上 下
76 / 84
第一部 春

74 乙女ゲームのヒロインは

しおりを挟む
「うわっ! 王宮御用達の馬車なのに屋根がないじゃないか」

 わたしの父、マティウが驚きの声をあげた。
 花屋に着いたとき、たまたま父も畑から帰ってきたばかりで、長靴には土がいっぱい付着している。べっとりと汗をかいた額をぬぐう仕草が男臭い。
 ソレイユが苦笑いを浮かべる。「あはは、たまには空を見ながら馬車に乗りたいと思いまして、な、マリエンヌさん」
 
 馬車が壊れたことを誤魔化したソレイユに向かってわたしは相槌を打つ。

「ええ、空が見えて、とっても気持ちよかったわ~」

 花屋のまえに馬車を停めた黒執事がこちらに歩いてきた。

「久しぶりマティウ」

 と挨拶すると、父は黒執事に右手を軽く掲げた。「よっ、黒執事」
 
 父と黒執事は同級生らしい。学生時代の話を訊くと、どうやらわたしの母を取り合っていたとかなんとか、今のロックとソレイユの姿と重なるところがあるわね。

「ねえ、お父さん、温室の事務所かりるわね」
「ん、どうした?」

 ソレイユが怪我して、とわたしは答えると、父はソレイユの赤くなった右手を見て目を剥いた。ソレイユはたいしたことなですよ、あはは、とふざける。「ほっとけば治ります」
 
「いや、いかんよ。マリ、王太子様を手当してさしあげろ」

 ええ、とわたしはうなずいた。「じゃあ、ソレイユいくわよ、きて」
 わたしの後ろについてくるソレイユは嬉しそうに微笑んだ。素直なんだから。
 すると、父もついていこうした。だけど、黒執事が父の腕を引いてウィンクした。あ、そっか、とつぶやいた父は後頭部をポリポリとかく。なにそれ? わたしは首を傾けながらソレイユを案内していった。

 フローレンスの屋敷は広大な敷地のなかにある。大通りに面した花屋から少し離れたところに温室があり、その作業部屋の扉を、わたしは開けた。
 
「入って」

 ソレイユを招き入れ、負傷した手に包帯を巻いて処置をする。

「ごめんね、わたしのために怪我をしてしまって」
 
 ソレイユは首を小さく振った。「いいんだ。マリが怪我したほうが嫌だから」
 バカ、と言ったわたしは微笑みを漏らした。ソレイユの笑顔は太陽のようにまぶしかった。わたしたちは笑い合った。しかし、ソレイユはすぐに真面目な顔に変貌。なにかに吹っ切れたようにも見えた。
 
「マリエンヌ、説明してくれないか? さっきの現象を」

 椅子に腰を下ろすソレイユはわたしに尋ねてきた。

「さっきの現象?」
「馬車の屋根が一瞬で消えた……あれはなんだ?」
「見てのとおりよ、あなたがわたしにキスすると世界が崩壊する」
 
 その原因は? ソレイユはさらに追及してくる。わたしはソレイユの腕に包帯を巻き終わり、ぽんっと患部を叩いた。「はい、できた」
 
 いってぇぇ! とソレイユは痛がって悲鳴をあげた。

「ちょっと、男でしょ」
「マリには敵わないな……で」

 ソレイユはそう言って区切ると、わたしの唇を見つめてきた。
 
「キスしちゃダメなのかい?」

 わたしは、キリッとソレイユをにらんだ。
 ドキッとするソレイユを見てから、ふっと鼻で笑うと説明した。
 
「ダメよ、あなたは主人公だから」
「主人公?」
「ええ、この世界は乙女ゲームなの……よって、主人公のあなたにはヒロインと結ばれる運命が待っている。ちなみに、ヒロインは……わたしではない」

 え? そんな……ソレイユは瞳を大きく開いて身体を震わせた。かなり驚愕しているようだ。顔から一気に血の気が引いて蒼白。しかし、次の瞬間には叫んでいた。
 
「私の好きな女性はマリ! 君なんだ! 君以外は考えられない!」

 迫真に、そう宣言するソレイユの顔は真剣そのもので、わたしの胸のうちは張り裂けそうなほど、トゥンク、と激しく鼓動した。苦しい。痛いほどだった。身体も熱くなっていく。
 
 でも……でも……ダメなの、ソレイユ。
 
「ごめん、ヒロインはわたしじゃないから、わたしのことを好きなままだと、この乙女ゲームの世界が崩壊してしまうの……だからわかってよ、ソレイユ」

 わからない……ソレイユはかぶりを振った。眉根を寄せてわたしをきつく見つめてくる。その真剣な眼差しが痛い。胸に刺さる。ソレイユはわたしが嘘をついて、自分のことを欺いていると、疑っているようだ。
 
 どうしたら、信じてもらえるだろうか?
 この世界が乙女ゲームであることに。
 わたしは、うーん、黙考する。やがて、答えは胸のなかにあると結論がでた。
 
 ズボッ……。
 
 おもむろに、わたしは胸元をひっぱり、そのなかに手を入れた。もぞもぞ……。
 
「え? マリ、何してるの?」ソレイユの顔は真っ赤に染まっていた。わたしのおっぱいを意識しているのだろう。ふっくらとして、むっちりとして、または、ぽむんっと丸くなった巨乳を、チラッとソレイユは盗み見ている。

 いやん、あんま見ないで……見られるって実は快感で、わたしの顔は赤く染まってしまった。本来の目的を忘れそうになる。しかし、手のなかに掴んだ羽の生えた妖精を実感すると、わたしは我に返った。

「ソレイユ、これが証拠よ」わたしは掴んだものを掲げた。

 ん? 人形だね、とソレイユはわたしの手もとを観察してきた。握られていたのは花の妖精のフェイ。しかし、ソレイユにとってはただの人形と説明してあった。わたしはフェイに向かって、起きて、と言った、すると……。
 
 ぱちくりっとフェイの瞳が開く。そのとたん、ソレイユは飛び跳ねた。「うわぁ!」
 当然の反応だろう。座っていた椅子をから転げ落ちそうになっている。うふふ。わたしは笑ってしまった。
 
「やあ、ソレイユ」フェイは挨拶をした。

 しゃ、しゃ、ソレイユは言葉を飲みこんでから吐きだした。
 
「しゃべったーーー!」

 まるで子どもみたいに騒ぐソレイユにわたしは呆れた。「ソレイユ、うるさいわよ」
 なんだこれ、なんだこれ? ソレイユは興味津々でフェイのあらゆる部位をさわった。むすっと眉をひそめるフェイは怒った。
 
「羽はさわらないで」
「あ、すまない……君は、妖精なの?」
「うん、そうだよ。この世界を創造したのは僕だ」
「……そうか」

 ソレイユは腕を組んで黙考した。こういうソレイユの知的なところ、わたしは好きだ。ソレイユは美少年で髪もサラサラしていて完全無敵のイケメン。しかも、博識で頭がいいこともタイプ。それに……もう、ヤダあぁ、どうしてもソレイユの唇に目が奪われる。
 
 あなたしか見えないのって感じ。
 
 ああん、わたしがヒロインだったら、今すぐにでも抱きついて、キスしまくってるわぁぁぁ!

「にわかには信じられないが、君みたいは羽の生えた不思議な生物がいることを受け入れるならば、この世界がゲームなのも納得しなければならないな」
「乙女ゲームね」フェイは修正してくる。細かいわね、この妖精。
「ああ……。して、その乙女ゲームとはいったいなんだ?」

 それに関してはわたしが説明するわ、とわたしは言った。ざっと乙女ゲームについてソレイユに話す。攻略対象者、つまりソレイユ、ロック、シエルがいて、彼らと恋に落ちるヒロインが存在するのだと。
 
「じゃあ、ヒロインとは誰だ?」ソレイユは尋ねる。
 
 それは……わたしは口ごもる。ヒロインの名前を言ってしまったら、ソレイユのことを完全にあきらめたことになると思ったからだ。
 
 しかも、わたしはマリエンヌではない。
 
 本当は日本の女子高生、高嶺真理絵なのだ。ちゃんと前世に帰って、普通に恋に落ちたほうが論理的だろう。そうよ……マリエンヌ、ごめんね。わたしは心を鬼にして、ソレイユから嫌われて悪役令嬢に徹しよう、と覚悟を決めた。
 
「ルナよ。ルナスタシア・リュミエール、彼女がこの乙女ゲームのヒロイン」
 
 ソレイユはしばらく息をするの忘れているかのように、呆然と虚空を見つめていた。やがて、ふと立ち上がると、にっこりと笑顔を取り戻していく。曇天の空から、さっと射しこむ太陽の光のように、煌々とわたしに向けて注いでいた。
 
「わかったよ……マリエンヌ」
 
 そう言ったソレイユは部屋から出ていった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】悪役令嬢に転生したけど『相手の悪意が分かる』から死亡エンドは迎えない

七星点灯
恋愛
絶対にハッピーエンドを迎えたい! かつて心理学者だった私は、気がついたら悪役令嬢に転生していた。 『相手の嘘』に気付けるという前世の記憶を駆使して、張り巡らされる死亡フラグをくぐり抜けるが...... どうやら私は恋愛がド下手らしい。 *この作品は小説家になろう様にも掲載しています

乙女ゲームの悪役令嬢に転生したら、ヒロインが鬼畜女装野郎だったので助けてください

空飛ぶひよこ
恋愛
正式名称「乙女ゲームの悪役令嬢(噛ませ犬系)に転生して、サド心満たしてエンジョイしていたら、ゲームのヒロインが鬼畜女装野郎だったので、助けて下さい」 乙女ゲームの世界に転生して、ヒロインへした虐めがそのまま攻略キャラのイベントフラグになる噛ませ犬系悪役令嬢に転生いたしました。 ヒロインに乙女ゲームライフをエンジョイさせてあげる為(タテマエ)、自身のドエス願望を満たすため(本音)、悪役令嬢キャラを全うしていたら、実はヒロインが身代わりでやってきた、本当のヒロインの双子の弟だったと判明しました。 申し訳ありません、フラグを折る協力を…え、フラグを立てて逆ハーエンド成立させろ?女の振りをして攻略キャラ誑かして、最終的に契約魔法で下僕化して国を乗っ取る? …サディストになりたいとか調子に乗ったことはとても反省しているので、誰か私をこの悪魔から解放してください ※小説家になろうより、改稿して転載してます

悪役令嬢らしく嫌がらせをしているのですが、王太子殿下にリカバリーされてる件

さーちゃん
恋愛
5歳の誕生日を迎えたある日。 私、ユフィリア・ラピス・ハルディオンは気付いた。 この世界が前世ではまっていた乙女ゲーム『スピリチュアル・シンフォニー~宝珠の神子は真実の愛を知る~』に酷似した世界であることに。 え?まさかこれって、ゲームとかでもテンプレな異世界転生とかいうやつですか?しかも婚約者に執着した挙げ句、ヒロインに犯罪紛いなアレコレや、殺害未遂までやらかして攻略者達に断罪される悪役令嬢への転生ですか? ……………………………よし、ならその運命に殉じようじゃないか。 前世では親からの虐待、学校でのイジメの果てに交通事故で死んだ私。 いつもひとりぼっちだった私はゲームだけが唯一の心の支えだった。 この乙女ゲームは特にお気に入りで、繰り返しプレイしては、魅力溢れる攻略者達に癒されたものだ。 今生でも、親に録な扱いをされていないし(前世だけでなく今世でも虐待ありきな生活だしなぁ)。人前にはほぼ出なかったために、病弱で儚げなイメージが社交界でついてるし。しかも実の両親(生みの母はもういないけど)は公爵家という身分をかさに着て悪事に手を染めまくってる犯罪者だし、失うものなど何もないはず! 我が癒しの攻略者達に是非ともヒロインとのハッピーエンドを迎えて欲しい。 そう思って数々の嫌がらせを計画し、実行しているというのに、なぜだか攻略対象の一人でユフィリアの婚約者でもある王太子殿下を筆頭に攻略対象達によって破滅フラグを悉く折られまくっているような……? というか、ゲームのシナリオと違う展開がちらほらある……………どういうこと!? これは前世から家族の愛情に恵まれなかった少女が、王太子殿下をはじめとする攻略対象達に愛されるお話です。 素人作品なので、文章に拙い部分、進行状況などにご意見があるかと思いますが、温かい目で読んで頂けると有り難いです。 ※近況ボードにも載せましたが、一部改稿しました。読んだことのある小話なども部分的に改稿したあと、新しく載せています。 ※7月30日をもって完結しました。 今作品についてお知らせがありますので、近況ボードをご覧ください。 近況ボード、更新しました。(3/20付) ※文庫化決定のお知らせ。詳しくは近況ボードをご覧ください。(5/6付) ※話の所々に、エロいというか、それっぽい表現が入ります。苦手な方はご注意ください。

【完】チェンジリングなヒロインゲーム ~よくある悪役令嬢に転生したお話~

えとう蜜夏☆コミカライズ中
恋愛
私は気がついてしまった……。ここがとある乙女ゲームの世界に似ていて、私がヒロインとライバル的な立場の侯爵令嬢だったことに。その上、ヒロインと取り違えられていたことが判明し、最終的には侯爵家を放逐されて元の家に戻される。但し、ヒロインの家は商業ギルドの元締めで新興であるけど大富豪なので、とりあえず私としては目指せ、放逐エンド! ……貴族より成金うはうはエンドだもんね。 (他サイトにも掲載しております。表示素材は忠藤いずる:三日月アルペジオ様より)  Unauthorized duplication is a violation of applicable laws.  ⓒえとう蜜夏(無断転載等はご遠慮ください)

【完結】攻略を諦めたら騎士様に溺愛されました。悪役でも幸せになれますか?

うり北 うりこ
恋愛
メイリーンは、大好きな乙女ゲームに転生をした。しかも、ヒロインだ。これは、推しの王子様との恋愛も夢じゃない! そう意気込んで学園に入学してみれば、王子様は悪役令嬢のローズリンゼットに夢中。しかも、悪役令嬢はおかめのお面をつけている。 これは、巷で流行りの悪役令嬢が主人公、ヒロインが悪役展開なのでは? 命一番なので、攻略を諦めたら騎士様の溺愛が待っていた。

【完結】溺愛?執着?転生悪役令嬢は皇太子から逃げ出したい~絶世の美女の悪役令嬢はオカメを被るが、独占しやすくて皇太子にとって好都合な模様~

うり北 うりこ
恋愛
 平安のお姫様が悪役令嬢イザベルへと転生した。平安の記憶を思い出したとき、彼女は絶望することになる。  絶世の美女と言われた切れ長の細い目、ふっくらとした頬、豊かな黒髪……いわゆるオカメ顔ではなくなり、目鼻立ちがハッキリとし、ふくよかな頬はなくなり、金の髪がうねるというオニのような見た目(西洋美女)になっていたからだ。  今世での絶世の美女でも、美意識は平安。どうにか、この顔を見られない方法をイザベルは考え……、それは『オカメ』を装備することだった。  オカメ狂の悪役令嬢イザベルと、  婚約解消をしたくない溺愛・執着・イザベル至上主義の皇太子ルイスのオカメラブコメディー。 ※執着溺愛皇太子と平安乙女のオカメな悪役令嬢とのラブコメです。 ※主人公のイザベルの思考と話す言葉の口調が違います。分かりにくかったら、すみません。 ※途中からダブルヒロインになります。 イラストはMasquer様に描いて頂きました。

悪役令嬢に転生したのですが、フラグが見えるのでとりま折らせていただきます

水無瀬流那
恋愛
 転生先は、未プレイの乙女ゲーの悪役令嬢だった。それもステータスによれば、死ぬ確率は100%というDEATHエンド確定令嬢らしい。  このままでは死んでしまう、と焦る私に与えられていたスキルは、『フラグ破壊レベル∞』…………?  使い方も詳細も何もわからないのですが、DEATHエンド回避を目指して、とりまフラグを折っていこうと思います! ※小説家になろうでも掲載しています

完全無欠なライバル令嬢に転生できたので男を手玉に取りたいと思います

藍原美音
恋愛
 ルリアーノ・アルランデはある日、自分が前世でプレイしていた乙女ゲームの世界に転生していると気付いた。しかしルリアーノはヒロインではなくライバル令嬢だ。ストーリーがたとえハッピーエンドになろうがバッドエンドになろうがルリアーノは断罪エンドを迎えることになっている。 「まあ、そんなことはどうでもいいわ」  しかし普通だったら断罪エンドを回避しようと奮闘するところだが、退屈だった人生に辟易していたルリアーノはとある面白いことを思い付く。 「折角絶世の美女に転生できたことだし、思いっきり楽しんでもいいわよね? とりあえず攻略対象達でも手玉に取ってみようかしら」  そして最後は華麗に散ってみせる──と思っていたルリアーノだが、いつまで経っても断罪される気配がない。  それどころか段々攻略対象達の愛がエスカレートしていって──。 「待って、ここまでは望んでない!!」

処理中です...