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第一部 春

64 マリエンヌ VS フルール国王

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 パルテール学園から馬車に乗り、わたしとソレイユは王宮に来ていた。
 
「やや、マリエンヌさんも来ましたか」

 王宮の玄関ホールで、そう歓迎するのは大臣のアルジャン・ロップマン。隣には騎士団長のラムジー・コンステラもいる。周りを見回すと、貴族や騎士、メイドさんたちが不思議そうな顔でわたしを見つめていた。わたしは制服を着ていたので、学生が何をしに宮殿へ? と思っていることだろう。
 
 まあ、せいぜい、わたしを見ておけばいい。
 
 わたしはね、あなたたちの王様をぶっ殺しにきた悪役令嬢だから。と言っても、手を下すのは、わたしではない。ソレイユだ。
 
 そんなことも知らずに、ソレイユは笑いながらわたしを案内する。謁見の間まで、こっちだよ、と丁寧にエスコートしながら。

 うふふ、デートのつもりかしら。

 皮肉なものね。自分の親に死の宣告をする死神を、自らの手で招き入れるなんて。それでも、ソレイユはフルール王国の未来のために動いているつもりなのよね。
 
 健気ね、ソレイユ。
 
 先を歩く、大臣と団長の本音は、王様のことなんてどうでもいい。腹の底では、利己的、つまり、自分の利益になることしか考えてない。
 
 よって、この国が共和国になろうが、君主国のままだろうが、そんなの関係ない。大臣は金を使って女と遊べればいいし、団長は戦場で男どもと暴れることができれば、それで満足。なんともシンプルな生き方をしている。そんな二人だと、公式ファンブックに載っていた。
 
 一方、王様は?
 
 ふう、女の口からは言えない。エロス、なんだもん。
 
 長い廊下を歩く道すがら、わたしは飾られたバロック絵画を鑑賞していた。強い黒をくっきり描いている写実的な手法は、胸を熱くさせる迫真の絵画。

 おお、フェルメールの耳飾りの少女があるわっ! 本物かしらぁぁ、すごっ! 

 テンションあがったわたしは、軽くスキップをする。先を歩くおじさま二人はこそこそ内緒話。筒抜けだってば、わたしに。
 
「ラムジー団長、くれぐれも王様の様子は内密にしてくれよ」
「わかってる」
「ん? マリエンヌさん聞こえちゃってる?」
「ええ、でもご心配なく、わたしは口が堅い女なので」
「ほう、それは頼もしい。謁見の間は、ちょっと刺激が強いかもしれんが、君は大人っぽいから大丈夫だろう」
「なにがですか?」

 大臣は髭を触って、うむ、と口ごもった。代わりにソレイユが答える。
 
「見ればわかる」

 ソレイユは謁見の間の扉に手をかざした。金無垢の装飾で、虎の絵が描かれてある。なんとも勇ましい扉だった。虎の口に隙間ができて、光りが射しこむ。ゆっくり、扉は開かれていく。
 
 と……広々としたなかで、遊女が舞っていた。
 
 その数は十人ほど、透けるような白い肌着に、長くて紅い羽衣を腰に巻きつけ、美しく踊る遊女。それらの踊りに合わせるように、いや、逆か……。女が泣くようなバイオリンの音色に、遊女たちは踊りを合わされているようだ。

 壁際を見れば、クラシックを奏する吟遊詩人の姿がある。なんとも言えない、極上のハーモニーが謁見の間に響いていた。
 
 ここはベルサイユ宮殿か?
 
 天井を見上げれば、丸く窪んだ大きな明かりとりから、天の光りが、さんさんと射しこんでいる。そして、その奥に、一段上がった舞台にある玉座が黄金に輝きを放ち、一際、明かりに照らされているのがわかった。そこに、王様がいることも、わかった。
 
「殿下、ご機嫌麗しゅう」

 大臣が深々と頭をさげた。団長もそれに倣う。
 ソレイユはわたしに向かって、父です、と紹介してくれた。
 わたしは、王様の顔を見つめながら挨拶をする。
 
「はじめまして、王様」

 王様は軽く手をあげた。
 
「ん? 君は?」
「はい、花屋の娘、マリエンヌ・フローレンスです」

 王様は身震いした。
 
「おお、なんと美しい娘だ。楽しみ組に入隊するか?」
「え? なんですかそれは?」
「目のまえに踊っている女どもと一緒に踊るんだろ? 違うのか?」
「いえ、わたしはソレイユさんと同じパルテール学園の三年生です」

 王様は落胆した様子でわたしを見つめた。
 
「なんだ、つまらん」

 おーい! つづけて叫んだ。「もう今日は風呂入って寝るぞぉ! 伽の用意をせいっ」

 そのとたん、メイドさんたちが、はーい、と連呼し、バタバタと動き回った。次の瞬間には、遊女たちが一斉に並んだ。みんな胸を張って、おっぱいを強調している。なんなのこれ?
 
「今日はどれにしようかな……」王様は安っぽく笑う。

 しーん、と水を打ったように静寂に包まれた謁見の間。王様の移りゆく指先に、遊女の視線が集まっている。そのときだった。
 
「父上、お話があります」

 ん? 王様の指先の動きが止まった。指さされた遊女が喜びに舞う。
 しかし、王様は首を振ってソレイユのほうを向くと訊いた。
 
「なんだ?」
「実は、都民から革命の声があがっております」
「まあ、そうだろうな……で?」
「我が国の目指す道は、二つあります。共和国か、君主国か」
「そんなもん、君主に決まっておるだろうが、ん? 王になりたくないのか? ソレイユよ」

 私は……と言葉を切ったソレイユは拳を握りしめた。
 
「王になりたいというよりは、もうすでに王なのです」
「わかっておるようだな……では、革命などと騒ぐ過激な輩は一掃するのみっ! ラムジー団長、お主が指揮をとれいっ」

 はっ! と発した団長は片膝をついた。
 しかし、すぐにソレイユが、待ってください、と口を挟む。そこに焦りの色はなかった。わたしの顔を、チラッと見つめるとつづけた。
 
「そうではないのです」
「なんだと?」
「君主がいるまま、血を流さずとも革命をスムーズに起こすことが可能です」

 がははは! 王様は爆笑した。「なんだそれは? 争いに血が流れるのは世の常。貴族と聖職者が黙っておらんぞ」
 いえ、とかぶりを振るソレイユは、さっと手刀で虚空を切った。
 
「貴族と聖職者の地位は捨てさせます」
「どうやって? 王が君臨したまま、そんなぶっ飛んだ革命ができるわけがない」
「それを考えましょう! みなで」

 やれやれ、と言わんばかりの顔を見せた王様は、とにかく、と叫んだ。
 
「我が王のうちは好きにやる。ソレイユの代になったら好きせいっ」

 ソレイユは何も言い返せず下を向いた。その横目でわたしを見つめると、助けて、と口もとが動いた。わたしは、はあ、とため息をつく。そうね、今がチャンスかもしれない。わたしは、王様に向かって、あの……と声をかけた。
 
「花屋の娘か……なんだ? やっぱり楽しみ組に入るか?」
「入りませんっ!」
「では、なんだ?」
「王様はさきほど好きにやると仰いましたが、もしも、好きにできなくなった場合、どうしますか?」
「はあ? そんなもん王様ではないではないか?」
「自分の好きなようにできない王様は、王様ではない、そういうことですか?」

 あたりまえだ! と王様は一喝。では、と加えたわたしはソレイユに訊いた。
 
「ソレイユはどう? 自分の好きにできない王様はどう思う?」
「うーん、いまいちイメージがつかないな」
「例えば、パルテール学園の校舎にある王様の石造、あんな感じよ」
「え? どういうこと」
「王はただいるだけでいい。それだけでいいの」

 はっとしたソレイユは何かに閃いたようだ。手のひらを王様に向けて言った。
 
「わかりましたよ、父上」
「ん? 申してみよ」
「都民が作った法律を厳守する王になればいいのです」
「はあ? ソレイユよ、おまえは自分が何を言っておるかわかっておるのか? そんなことをしたら、こんなふうに好きなだけ女を抱けないではないか?」
「そんなことをする必要ないですから」
「え?」

 ソレイユは、さっと手のひらをわたしに向けると断言した。
 
「わたしはマリエンヌ以外の女性を好きになることは絶対にない」

 おおおお! 謁見の間にいた者たちが一斉に騒いだ。
 
「ちょ、ちょっと待って、ソレイユ、何を言ってるの?」

 あわわ、大変なことになった。
 
 わたしは、ソレイユのジャケットの裾を引っ張る。しかし、ソレイユはの話はとまらない。
 
「答えは簡単さ。わたしが王になったら都民が主役となる国にする。貴族や騎士の身分をなくし、聖職者の人数も必要な数に減らす。もちろん給料もカット、都民の税金はフルに健康保険やインフラ事業に当てて、王様が税金を使うことはほぼない。わたしはマリエンヌと慎ましく暮せさえすれば、それでいい」

 おおおお! 拍手が鳴り響いた。だれが拍手してる? 遊女やメイドたちだった。うわぁ、やめてぇぇぇ! ソレイユがわたしを好きになると、世界が崩壊しちゃうぅぅ! しかし、貴族や騎士などの男たちは浮かない表情、そこへ、王様の怒鳴り声が響く。
 
「バカものぉぉぉぉ! 王が君臨する国こそ至高! そんな軟弱な国は戦争に負けて植民地にされるぞ」
「そうでしょうか? 貧富の差をなくし、底上げできれば男子の力がアップするの必然では? 人口が増え。子どもたち教育をし、知識を蓄積すれば科学者が誕生するかも。戦争のトレンドは兵力より武器性能がどれだけ画期的かによるところです。まさか、父上、兵士に槍もって行ってこいなんて思ってないでしょうね? そんな時代はもうとっくに終わりました。これからは……」

 次の言葉をためたソレイユは断言した。「科学の時代です」
 カッと目が血走った王様は怒鳴り声をあげた。
 
「なんだとぉぉぉ! 戦場に出たこともない若造がぁぁぁ! グフッッ」

 とっさに口を抑えた王様の身体は、ガクブルに震えていた。ゆっくりと口もとから手を離すと、手のひらは赤く染まっていた。ぽた、ぽた、と血が絨毯のうえに落ちた。しかし、皮肉なことに絨毯の色が赤いため目立つことはなかった。それでも、王様のもとに駆け寄るメイドたちや書記官、そして、大臣が王様の耳もとでささやいた。
 
「殿下……しばらく伽はやめにしておいたほうが……体力が持ちませんぞ」

 んああ、と唸った王様は、その代わりに、とささやいてから、さらにつづけた。
 
「昔、戦場で食べた。あのスープが食べたい。よく寝れた。ぐっすりだ。翌朝には疲れがなくなった。不思議な体験だった」
「どんなスープですかな? レシピは?」
「わからない」
「肉は? 野菜は? スパイスは?」
「わからない」

 困った大臣は肩をすくめた。
 すると、団長が手を挙げた。

「戦場なら、戦場料理人の作ったスープでは?」

 なるほど、と手を打った大臣は王様に耳打ちした。

「王様、料理人の名前は?」

 細い声で王様は答えた。
 
「オセアン夫婦の……スープ……」

 オセアン……オセアン……。
 
 と、めぐる頭のなかでわたしは、女子寮の厨房を思い出す。くゆらせるフライパンに炎を昇らせてフランベする。そんな料理長リオンさんの姿が浮かんでいた。
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