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第一部 春

55 デューレ先生の授業 ②

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「それでは、新しい問題を出します」

 まるで、マジシャンが次の手品を出すみたいに、デューレ先生は黒板に向かってチョークを走らせた。

 二次関数と不等式の問題だった。

 頭のなかで、ぱっと答えが出せるほど簡単な問題だけど、みんなは頭を抱えている。わたしは、さくっとノートに計算式と解答を書き記すと、立ち上がった。
 
「先生、問題が解けたので、先に答え合わせをしたいです」
「……いいでしょう」

 赤ペンを持った先生は手を伸ばした。ノートをよこせ、と目で訴えている。わたしは、すっとノートをわたした。このとき、もぞっと胸ポケットのなかで、フェイがうごめいた。
 
「あんっ」

 びっくりしたわたしは、思わず内股になってしまった。ちょっと、フェイ、変なとこ触んないでっ!
 
「どうしました?」

 デューレ先生が不思議そうな顔をして、じっとわたしを見つめてくる。近くで見る先生の瞳は黒みがあって、アジアン系なのだとわかった。

 あ、わたしと同じ人種じゃん。

 黒髪に黒い瞳は、わたしたちのトレードマーク。なんか、親近感が湧いちゃう。
 
「正解です」
「では、わたしは教室から出てもいいでしょうか?」
「なぜ?」
「わからないですか? 問題が解けない生徒がわたしに訊きにくるからです」
「なるほど……」
「先生が生徒にアドバイスを与えるべきでは?」
「……君がやってよ、昨日みたいに」
「はい?」
「マリエンヌくん、君は気づいていないようだが、みんな君のことを慕っていることが、僕にはよくわかった」

 はあ、とわたしは気のない返事をした。

「みんなに数学を教えてくれないか? 先生よりも、同じ生徒から教えてもらったほうが、やる気がでると思うんだ」

 うふふ、わたしは内心で喜びに舞う。

 先生、やはり知っていたのか、わたしの人望を……先生はわたしのことをちゃんと見てるぅぅ、嬉しいんだけどぉぉぉ! 
 
「んもう、教えるのは少しだけですからねっ」わたしは腕を組んで答えた。

「ありがとう、マリエンヌくん」
「あと、マリでいいですから」
「え? 君のことを?」
「はい、マリって呼んでください、そのほうが簡略的ですから」
「おっけー」

 デューレ先生は笑って承諾した。
 
 ん? あれ? 先生……初めて笑った。きゃあああ、かわいい! なんて思いながら席に着くと、ベニーがわたしの肩を抱いて耳打ちしてきた。
 
「マリリン、すっごいぞ! 冷酷先生を笑顔にするなんて」
「冷酷先生? なにそれ、あだ名?」
「おお、デューレ先生は全然笑わないから、冷酷先生」
「なるほど」
「って言うか、マリリンもだぞ」
「え? どういうこと?」
「たまには笑ったほうがいいぞっ」

 そうそう、と言ってルナは振り返った。足を開いて椅子に座り、わたしの机に頬杖をつく。
 
「ねえ、マリ。問題教えてよ」
「……しかたないわね、ルナ。途中までよ、あとは自分で解いてね」
「ありがとう」

 すると、ソレイユが椅子を引きずってわたしのほうを向いた。
 
「マリ、私にも教えてくれないか?」
「はあ? ソレイユ、あなた自分で解けるでしょ?」
「うーん、答えがあっているか確証が欲しいからさ」
「じゃあ、先生に訊けばいいのでは?」
「なにを言ってるんだマリ? さっき先生がマリに生徒たちに教えるように頼んでいたじゃないか。私は大賛成だ、大いに利用させてもらう」
「はあ?」

 身体が震えてきた、もちろん呆れて。
 バ……バ……と口ごもっていたけど、ソレイユがじっとわたしの瞳を見つめてくるから、我慢できなくんって叫んでしまった。
 
「バカじゃないのっ!」
 
 その瞬間、後ろからありえないほどの唸り声が上った。
 
「グガッ! グゴゴゴゴ」

 ロックのいびきだった。彼は椅子に大きくもたれて居眠りしている。
 
 え……もう寝たの? 
 
 わたしが、やれやれとばかりに両手に腰を当てると、他の生徒たちも、問題を教えて、と懇願してきた。仕方なく教えてあげた。

 しかし、クラスメイトのなかでメリッサだけは、ずっと席についたまま、ぼうっと空ばかり眺めていた。
 
 蒼穹のなかに、数羽の白い鳥が飛んでいる。皮肉なことに仲間と楽しそうに。メリッサもそのまま、鳥になって飛んでいってしまうような、そんな幻覚を、わたしは抱いた。
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